……初めに言っていくが、最初は軽い気持ちだったんだ。ほんの悪戯心。遊び半分で始めたことだったんだ。
俺は都内の小さな会社で働いている。一昨年、同僚の女性社員と結婚し、子どもにも恵まれた。会社では出世こそしないものの、こつこつと真面目に働いている。何の落ち度もない、何の不安も心配もない。目の前にあるささやかな幸せがあれば充分だと思っていた。
だが。いつからだろう。そんな毎日に少し退屈してきたのだ。退屈は人を殺す、なんて言葉があるように。毎日毎日、同じ時刻に起き、出勤し、一日あくせく働き、帰宅して入浴し、食事をし、子どもと少し遊んで寝る。このパターンの繰り返し。別に不満があるわけではないが、単調過ぎるのだ。何というか……刺激。そう、刺激が欲しかった。
それも____性的な刺激が。
だが、浮気しようとかそこまで大それたことを考えていたわけじゃない。家庭を壊すつもりはさらさらない。軽い火遊びがしたかったのだ。だが、具体的に何をするかということまでは考えていなかった。そこでネットを開き、いろいろなサイトを開いてみたところ、とある掲示板で興味を引かれる書き込みがあった。
○あたしにえっちな悪戯しませんか?あたしは都内の会社に勤めている24歳のОⅬです。最近、彼氏に振られちゃって寂しいんです。ストレス発散したいんです。あたしは電車通勤をしてて、毎朝◎◎線××行の電車に乗ります。
時間帯は8時13分発です。4両目のドア付近に乗っています。明日も乗りますよー。
ちなみにあたしは茶髪のセミロング。明日の服装は、白地に青い花柄のワンピに黄色いカーディガンを羽織ってます。声は出しませんし、嫌がったりすることもしません。本当です。だから安心して下さい。じゃ、また明日。待ってますねー☆
「……今の若い女って大胆なんだな」
驚いたというか、呆れた。この内容からして頭の軽い奴の書き込みなんだろうなとは思った。自分を安売りし、男に媚を売る女。だが、かえってこういう女のほうが後腐れがなくていいかもしれない。例え女が約束を破って大声を上げたとしても、うまく逃げればいいだけの話だ。痴漢は立証が難しいと聞いたことがある。証拠や記録や映像が残るものでもない。逆に痴漢の冤罪もあるとも聞いたが……まあ、どうでもいい。
偶然というものは恐ろしいもので、俺も会社には電車通勤をしており、◎◎線××行を利用している。ただ、8時13分発のではなく、それよりもう1本遅い電車に乗っている。会社には少し早く着いてしまうが、明日は8時13分発の電車に乗ろう。4両目のドア付近……よし、覚えた。俺はにやりとほくそ笑むと、早々と床に就いた。
次の日。妻には朝から会議があると嘘をつき、いつもより早い時間に家を出た。駅に着き、ホームで電車を待つ。時間帯が時間帯だけに、ホームはかなりの混みようだ。そわそわする気持ちを押さえつけ、俺は大きく深呼吸をした。それと同時に電車の来訪を告げるアナウンスが流れ、数秒後には電車が入ってきた。◎◎線××行、8時13分発の電車だ。
さりげなく4両目に乗り、そろそろ視線を動かす。ドア付近に女がいた。こちらに背を向けているが、白い花柄のワンピースに黄色いカーディガンを羽織った服装は聞いていた通りだった。女はすらりとした華奢なスタイル。ワンピースから覗く綺麗な長い脚はストッキングさえ履いていない生足だ。髪は茶髪でセミロング。緩くカールがかかっており、ぷんと甘い香水の匂いがした。
「こいつか……」
舌で唇をゆっくり湿らせた。電車内は満員で、おしくら饅頭をしているかの如く、他人と密着している状態だった。人混みを掻き分けるようにして車内を進み、ドア付近に陣取った。ちょうど女の真後ろにぴったり張り付く位置である。
ごくり、と喉が鳴った。こいつは本当に見知らぬ男に痴漢されても平気なんだろうか。もしかして脅すつもりなんじゃないだろうな。体に触ったんだから金を払えとか言うつもりだったりして。それをネタにして、一生ゆするつもりだとか……。嫌な予感がした。誘ってきたのは間違いなく女のほうからだが、果たしてそれを鵜呑みにしてしまっていいものかどうか。
と。女がちらりとこちらを見た。心臓が跳ね上がるほどドキリとしたが、女は何も言わなかった。女は俺を見て全てを察したのか、にこりとほほ笑むと頷いた。了解の合図だったらしい。
女は再び前を向いた。どうやらこいつは本当に痴漢されたがっているらしい。さっきの態度からして、確かに大声を上げたり、金をゆするつもりはなさそうだ。俺は額に浮かんでいた玉のような汗を拭うと、そっと手を伸ばした。言っておくが、痴漢行為だなんて初めてだ。どんな物事でも最初は緊張する。ドキドキと心臓が早鐘のように打つのを聞きながら、女の滑らかな臀部を遠慮がちに撫でた。
女の反応を窺う。女はぴくりとも反応しない。気付かなかったのかと思い、今度は何度も撫で回した。だが、やはり女は反応しなかった。良かった、やっぱりこの女に悪意はないようだ。気を良くした俺は、少しずつ大胆な行動に移っていった。最初こそ遠慮がちに臀部を撫で回していたが、スカートの中にそろりと手を入れてみた。ツルツルとした女性特有の下着の感触。何色だろうとよからぬ妄想を掻き立てる。下着越しに感じる温かな体温と柔らかな感触。撫でるだけでは飽き足らず、力を入れて揉んだりもした。
女は感じているのか、時節ぴくっと体を震わせている。だが、嫌がっている風でもなかった。声を出さないようにか口元に手を当てているようだが、その姿がまた可愛らしかった。もっと女を感じさせてやろうと思い、スカートをたくし上げ、下着の中に手を突っ込んだ。
____が。
「、っ、いたっ!!!」
右手に鋭い痛みを感じて思わず声を上げた。周囲にいる人間が何事かとこちらに視線を向ける。俺は慌てて手を引っ込めると、何事もなかったかのように明後日の方角を見た。やがて周囲の人間は俺から興味を失ったかのように、それぞれの視線を戻した。
右手がズキン、ズキンと痛む。何だ……?俺は右手に目をやり、息を呑んだ。右手の平にくっきりと歯型がついていたからだ。相当強い力で噛まれたのだろう、皮が捲れ、血が滲んでいる。飢えた野良犬にでも噛みつかれたような怪我だった。
「な、何で……?」
いつ噛まれた?いや、何に噛まれたんだ?だって、ついさっきまで俺は目の前にいる女に痴漢してたんだぞ。下着の中に手を突っ込んで直に触ってやろうと____
「………」
無言で女を見る。女のなだらかな臀部をしげしげと見る。やましい心からじゃない、そんな心は一瞬にして萎え去った。
見た限り、不自然な感じは見受けられない。形のいい、それこそ触り甲斐のありそうな……だが、いったい中はどうなってるんだ。こいつの下着の中は何がどうなってるんだ。わけがわからない。だが、騒ぎ立てるわけにもいかない。こんな莫迦げた話、信じて貰えるはずがないし、俺が痴漢していたことがバレちまうし……。
すると、女が振り向いた。俺と目が合うと、濃いアイシャドウとがっつりマスカラに縁どられた目を細め、グロスでテカテカの口を開き、にやっと笑った。
……その口腔内には、歯が1本もなかった。
作者まめのすけ。-3