古本屋と骨董店でバイトをしている。《ひぐらし堂》《うなずき庵》という店だ。
因みに古本屋の方が《ひぐらし堂》で、骨董店が《うなずき庵》である。
店舗での販売や買い取りが主だが、店に来られない客(足の悪い御老人が多い)の為に、出張販売サービスも行っている。
利用するのは殆どが遠方に住んでいる方なので、配達をするのは主に車を運転出来る店長だ。けれど、僕は配達を全くしないのかと言われるとそういう訳でもない。
配達先が近所の場合、僕の方が相手の趣味を理解し、更なる利益を望める場合、店長が読書に没頭し過ぎて働きたくなくなった場合・・・・・・等、僕が駆り出される機会もそう少なくはない。
客の方が僕を指名してくる場合もある。
そして此れから書くのは、そんな僕を指名してくる客の中の一人、三島さんの話。
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三島さんは《ひぐらし堂》と《うなずき庵》両店の顧客であり、子供に関する曰く付きの品を収集しているコレクターだ。
金離れは良いが、如何せん性格に問題がある・・・というか、問題しかないため、僕は彼のことが苦手である。
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其の日も、僕は憂鬱な気分を携えながら彼の住んでいる町外れの一軒家へと向かっていた。
時計を見ると、午後の五時半。予定の時間より、少し早く着きそうだ。
膝の上に視線を落とすと視界に入る紫色は、風呂敷に包まれた荷物。
中身は知らない。用意をしたのは店長である。
今日は説明をされなかった。単に店長が面倒臭がって省いていただけか、はたまた三島さんからの要望なのか・・・・・・。
どちらにしても、不安感を煽られているのに変わりは無い。不愉快なのも。
何なのだろう、と持ち上げてみる。
軽い。木の箱に入れられているのだが、箱以外の重みを全く感じない。
一体、何が入っているのか、考えようとして止めた。どうせ録な物ではないのだ。
窓から外を覗くと、もうすっかり暗くなっていた。
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暖色系の電灯に照らされたリビング。もう何度此の部屋に足を運んだだろうか。
「ご苦労様。」
目の前の青年が、風呂敷の結び目に手を掛けながら薄く微笑んだ。彼が三島さんだ。
現れた白木の箱を撫でながら、僕に尋ねてくる。
「此の中身は?」
「知りません。説明をされなかったので。」
「うん。そうだろうね。」
言い方が気になった。
そうだろうね?
・・・・・・やっぱり此の人が説明を省かせていたのか。
「口止めしていたんですね。」
「正直に知らないと言うんだね。」
話が通じていない。けれど、此処で苛ついていたら相手の思う壺だ。
「そんなところで嘘を吐く理由が有りませんから。」
「そうだね。確かに全く意味がない。」
三島さんが、横を向いて口許を押さえながら、ふああ、と欠伸をした。
「失礼。」
「いえ。」
早く帰りたい。
そう思った途端、見透かされたような言葉が耳に入って来る。
「こんな食事時に何も出せなくて、すまないね。君も早く帰りたいだろう。」
時計の針は六時の少し前を差していた。
学校でプールに入って体力を消耗したからだろう。確かにお腹は空いている。
けれど、此の家で出された食事を食べたいかと訊かれたら、其れは否だ。
少し考えて答える。
「そうですね。あまり長居をしても御迷惑でしょうし。」
「其れは、此方としては全然構わないんだけどね。あくまでバイト君の気持ちの話。」
三島さんは僕の名前を知らない。教えていない・・・というか、教えないように店長から言い付けられているのだ。
「そうですね。早く帰りたいです。・・・仕事の時間が長引けば良いと思う人なんて、自分の仕事がよっぽど好きでもない限り、そうそう居ない気もしますが。」
後半が弁明のようになってしまった。気を悪くさせただろうか。
いや、本当は気遣いなんてしたくないのだけれど。
「そうだね。俺も仕事が長引くのは嫌いだよ。」
頷いた三島さんが木箱の蓋に手を掛ける。カタン、と軽い音を立てて箱がテーブルに落ちた。
「ん。」
箱の底に手を宛がわれ、此方にも中身が見えるように傾けられる。
見ると中には、ふわふわとした綿が一面に敷き詰められていた。成る程、軽い訳だ。小さな透明のケースも置かれている。此れが荷物の本体だろう。
ケースの中に入れられていたのは、一匹の虫だった。
「蝶・・・いや、羽アリ?」
「興味が有るのなら、手に取れば良い。」
ほら、とケースが此方に差し出された。
「珍しい虫だからね。見て損をする物じゃない。」
三島さんの手が離されそうになり、慌てて落ち掛けていたケースを受け取った。
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改めて見てみると、何処かメタリックな青い輝きを放つ羽の虫だった。蝶の仲間にこんな羽の奴が居た筈だ。確か、モルフォチョウだったか・・・
けれどモルフォチョウとは違い、とても小さい虫だ。四枚有る羽を広げて固定されているのだが、直径は横に二センチ、縦に一センチ五ミリ有るか無いか位だろう。其の長さも、殆どが羽の部分だ。
体は更に小さく、黒い体色も相まってまるでゴマを二つ並べたように見える。長径は凡そ八ミリ程度・・・いや、其れより小さいかも知れない。
なんてアンバランスな虫だろう。此れでは立ち上がることさえ出来なさそうだ。羽があまりに大き過ぎる。けれど、其のアンバランスさが羽の美しさを更に際立たせている気もした。
「中々に綺麗だろう?此れはヨーロッパ産だ。綺麗な青の羽をしている。」
「生息地によって羽の色が変わるんですか?」
ケースと返しながら問うと、三島さんは僅かに口許を緩めながら答える。
「ああ。ヨーロッパやアメリカ大陸は割かしこんな感じの青や緑なんだ。此れが中国辺りになると翡翠色、アフリカならばくすんだ松葉色と、全く違う色になるのだから面白い。」
「・・・日本だったら?」
「オオムラサキという蝶を知っているかな。あれとよく似た美しい青紫になる。単純に、色としては一番濃いかも知れないね。」
一種類の蝶にしては、随分とバリエーションに富んでいる。
へえ、と吐息を漏らしながら頷いてみせた。
「随分と広範囲に生息しているんですね。」
「何処にでもあるような環境に住むからだろうね。順応するより、変わらない場所を探すという生存戦略なんだろう。」
珍しく話が順調だ。まともだ。言葉のキャッチボールが成立している。
なので僕は、相手があの三島さんだということをうっかり失念してしまっていた。
「何処に住む虫なんですか?」
迂闊だった。こんな質問等せず、とっとと話を切り上げて帰れば良かったのだ。
目だけを満面の笑顔にしながら彼が口を開く。
「人間の肺。」
やっぱり三島さんは三島さんだ。此れから絶対に嫌な話が始まる。
「あの、」
一か八か止めようとしても無駄だった。僕が発しようとした言葉を無視して、三島さんは話を続けてしまう。
「でも大丈夫。きっとバイト君の肺には住んでいない。・・・君が本当に正直者ならね。」
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其の虫は、嘘吐きの肺にだけ住むのだという。
「一説に依れば、嘘を吐くことで肺の底に《何か》が溜まり、其れを餌としているらしい。」
「肺に水が溜まる、なんてよく聞く話ですが。」
「いや、あれは本当の意味で肺に溜まっている訳ではないからね。恐らく違うだろう。」
言葉は、其処で一旦途切れた。
「・・・煙草、吸っても構わないかな。」
此の人、喫煙者だったのか。
部屋に匂いが染みていないから、分からなかった。
無言でいる僕に三島さんが言う。
「勿論、君が嫌なら吸わない。」
「・・・・・・御好きにどうぞ。」
本当は、煙草の匂いは鼻が痺れる気がして苦手だ。だが、三島さんが煙草を吸えば、少なくとも其の間は話をされずに済む。
「俺が違う部屋に行って吸っても良いんだけど、君も此の部屋に独り残されるのは嫌だろうから。」
妙な気遣いではあるが、確かにそうである。
あらゆる曰く付きの危険な物に囲まれた此の空間だ。何処に何が有るのか把握している三島さんが不在というのは、正直な所心細い。
まあ、彼が居れば安心かというとそんなことは無いのだが。
そんなことを考えている間に、三島さんは煙草をくわえ、部屋には煙が立ち込め始めた。
「肺に溜まるのはね、俺は《言えなかったこと》だと思うんだ。」
ふー、と煙を吐き出し、目を細める。ケースの中の虫を電灯に透かしながら、更に言葉は続いた。
「言えなかったこと、言いたかったこと、言おうとしなかったこと、其れが胸の中に溜まっては虫の糧になる。非現実的ではあるけどね。・・・もしかしたら、羽の色が多種多様なのも、関係しているのかも知れない。」
普段より格段に気持ち悪さの薄い話だと思った。人に寄生するというのは、やはり少し嫌な気もするが。
「此の虫が人の肺の中で過ごすのは、幼虫の時期だけだ。餌を必要とするのもね。蛹の時期を経て成虫になってしまうと、消化器官や口が退化して、何も食べられなくなってしまうんだ。蛍や蚕と同じだと考えていい。」
ずっと無言なのもどうかと思ったので、適当に質問をしてみる。
「それで、其の虫は、肺の中で世代を変えながら暮らしていくんですか。」
「いいや。ある程度育つと冬眠状態になる。其れから、待つんだよ。」
「羽化を?」
「宿主が死ぬのを。此の虫は、死体の口内で蛹になって羽化するんだ。羽化した虫は、死んで開かれた宿主の口から出て、後は普通の昆虫と同じだね。交尾して卵を産んで死ぬ。」
「口から出るんですか。」
「昔、蝶は魂の変化したものと見なされていた。本当は、蝶ではなく此の虫だ。口から飛び立つ其の様が、魂が体から抜け出て行く様子と重なったんだろう。」
ふぅ、と紫煙が部屋に棚引く。
顔を背けて煙は吐き出されているので、顔に直接不快な匂いが来ることは無い。
「此れはね、随分昔の標本なんだ。何百年も。貴族の娘が病気で死んで、其の口から出て来た。見付けたのは彼女の母親だ。・・・此のメモ通りなら。」
彼の空いている片手が、何時の間にか一枚の紙を摘まみ上げていた。
グリ、と紅茶の受け皿に煙草が押し当てられる。白い地の皿に、茶色の焦げ痕が付いた。
「娘はまだ十四歳だった。病気がちで部屋から出られない双子の妹に、外の世界がどんなに素晴らしいのか、毎日嘘を吐いていたそうだ。《病気が治ったのなら、一緒に外へ行こう》と言う為にね。まあ、言っていた本人の方が、妹に病気を移されて死んだ訳だけど。」
空いた両手で折り畳まれる紙。神経質とも言えそうな手付きで、其れは箱の中に収められた。
「死んだ彼女の口から出てきた此の虫に、母親は、一体どんな感情を抱いただろうね。綺麗な虫だし、少しでも慰められたかな。」
二本目の煙草に火が付けられる。
「・・・まあ、捕まえて即刻標本にされた訳だから、俺が考えたみたいなロマンチックなことは全然思わなかったのかも知れないけど。其れでも、此の一匹の虫に、彼女の言えなかったことが全て詰まっているというのは、中々洒落てる。」
「そうですね。」
まともな、とは少し違うかも知れないが、此の人とこんな会話をするのは初めてな気がした。
軽く煙を吐き出しながら、三島さんは言う。
「バイト君は・・・確か、大学生だったね。成人しているなら二年生以上・・・だったかな?」
「・・・・・・はい。」
実は違う。僕は高校生だ。けれど、此れも店長に口止めをされているので彼は知らないのだ。
実際、僕としても個人情報を教えていい相手とは思えないし。
・・・でも、こうも信じられるとなんだか罪悪感が
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「君が高校から出てくる所を見た。」
「・・・・・・え?」
何時の間にか、彼は笑っていた。
「お友達と一緒だったね。名前を呼ばれるのも聞いた。あれは本名かな。其れとも渾名?」
想定外だ。どうしよう。
「君が笑うところは、初めて見たよ。」
どうしよう。
「こういうのも何だけどね。俺、多分君が思ってるより多くのことを知っているよ。名前や、君がどんなに嘘吐きなのかも含めて。」
どうしよう。
「・・・・・・ねえ」
死刑宣告でもされるような気持ちで、僕は三島さんのニタリと歪んだ唇を見た。
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「嘘だよ。」
「・・・・・・え?」
思わず、さっきと全く同じ反応をしてしまった。
「嘘って・・・・・・何が。」
「全部。君の名前も、君のことを知ってるってのも、君を高校で見たってのも、此の虫のことも。」
「え?虫も、ですか?」
ならば、此の虫は一体なんなのだろう。
質問をする前に答えが来る。
「小アリに、切り取った蝶の羽を繋ぎ合わせた物だ。」
「じゃ、じゃあ、此れの持ち主のことは」
「製作者は姉だね。死んだのは妹の方だよ。」
製作者が姉で、死んだのが妹?
嘘吐きの肺云々は?
「嘘吐きは、妹も同じだったんだよ。」
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昔、とある貴族に双子の娘が居た。
姉は活発で健康な子だった。
しかし、妹は体が弱かったので、外に出たことが殆ど無かった。
そんな妹を憐れみ、姉は何時しか、妹に嘘を吐くようになる。外は素晴らしい世界なのだと。
妹は何時も、姉の話を楽しそうに聞いていた。姉の話が一番の楽しみなのだと言っていた。
何時か、姉と一緒に外で遊んでみたいと。
しかし、妹はある日、突然死んでしまった。
冷たくなった妹を発見したのは、何時ものように話をしに来た姉だった。
悲しみに暮れる彼女は、やがて一冊のノートを見付ける。
妹の物だった。
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「ノートには、姉への羨望と呪詛の言葉が、書き連ねられていた。ノートの一番最後のページには、見たことのない薬の包み紙が挟まれていた。」
薬は毒薬らしかった。姉と自分を比較し、人生に絶望しての行動だと、ノートの隅に走り書きがあった。妹が死んだのは、病気ではなく自殺・・・・・・其れも、自分が原因の自殺だった。
「そして、姉は此の標本を作成し、一世一代の大ボラを吹き、自ら命を絶った。母親へ懺悔と後始末を伝える為の手紙、そして、此の虫を遺して。」
クルリ、と三島さんの手の中でガラスケースが一回転する。
二本目の煙草は何時の間に終わり、三本目に火が付けられていた。
「・・・・・・はい、今日の話は此れで終わりだ。代金は何時もの口座に振り込んでおく。」
「其れでは失礼致します。」
軽く頷いて席を立つ。
三島さんも、煙草を持ったまま立ち上がった。何時ものように見送りをする積もりなのだろう。
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ドアから足を踏み出すと、もう外は真っ暗だった。
帰りは駅まで歩き、電車を使う。
急がなければ・・・・・・
「嘘を吐いた。」
「え?」
閉じていく扉の隙間から洩れた声に振り返る。
ぶわっと顔に当たる刺激臭を孕んだ風。
煙草の煙を吹き掛けられたのだ。
「嘘って何の・・・・・・」
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「またね。○○君。」
呼ばれたのは、僕の名前だった。
作者紺野
今一話の流れがわからないひとは《カビのクローゼットと三島さん》をご参照ください。文字にすると長い割に怖くないかも知れませんが、僕は心底怖かったし気持ち悪かった。
理解できても生理的な嫌悪感というのはあると思います。