10代の頃、私はファミリーレストランで主に深夜にアルバイトをしていました。その店舗は上下二車線ずつの国道沿いにあったのですが、私の家とは反対側でした。行きはまだ子供でも起きてる時間帯でしたので、車が頻繁に行き交っています。帰りは大体深夜3時半くらいで、時たま車の流れがぴたりと止むことがありました。たった数分くらいだと思いますが、いつも騒々しい道が一時静かになってとても清々しい気分になります。私は自転車で通っていたのですが、ところどころ中央分離帯が途切れている場所があり、数百メートル離れた信号まで行くとだいぶ遠回りになってしまうため、その途切れている場所を突っ切っていました。
そこを渡れば自転車でたった5分ほどの距離です。今ほど犯罪率も高くなく、国道沿いには住宅もたくさんあるので若い女の子がひとりで走っていても特に怖いこともありませんでした。
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そろそろ暑くなり始めた初夏の夜。
「そういえばさ、この間すぐそこの交差点ですごい事故があったって聞いた?」
仕事が終わり閉店作業をし、客席を使って日報などを書いてるときに、同僚が賄いの食事をしながらそう言いました。この日は閉めの従業員が4人いましたが、その同僚以外誰もそのことは知りませんでした。
「えっ いつ?」
「おとといだったかな。明け方だったみたいだけど、右折車線にいた車に直進してきたトラックが突っ込んだんだって。要はトラックの信号無視なんだけどさ」
明け方といえば、この辺では大型車の交通量が増える時間帯でした。長距離トラックやダンプの仕事が始まる時間なのでしょう。
「ええ〜〜〜! 全然知らなかったよー! 怖いなぁ!」
「事故ってのは、自分だけが気をつけてても避けられないときってあるからなぁ」
「突っ込まれた乗用車は旅行帰りの家族連れで、全員即死だったって」
「うわぁ……可哀想に……小さい子もいたんでしょ?」
「同情すると憑かれるらしいぜ」
「えええ!? しばらくその交差点通れねえええぇぇぇ……」
深夜のアルバイトといえば基本若者ばかりです。そのレストランも例外ではなく、20歳前後の者しかいませんでした。となると、夏といえば怪談です。事故云々よりも幽霊話の方に花が咲いてしまいました。
私はといえば、少しホッとしていました。その交差点は家とは反対方向で、そちら方面にはあまり用事がないため滅多に通ることはありません。通ったからどう、ということもないとは思いますが、今までの実体験からできるだけそういった場所には近寄りたくないのです。当然、肝試しのようなイベントにも参加したことはありません。
「そういや、事故ったときってさー……」
遠くにぼんやりと皆の声を聞きながら、話が盛り上がってるのでもう1杯アイスコーヒーを飲もうと、私はカウンター下の冷蔵庫に入ってるデカンタをそのままテーブルまで持っていきました。どうせ明日には廃棄されるものなので、飲みきってしまってもいいものなのです。ただ、どうしてこのとき会話から離れてしまったのか、私は後々とても後悔することになったのです。
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翌日、私は居間でここ数日間の新聞を読み漁っていました。
「あった!」
確かに、3日前のローカル版に件の交差点で事故があったことが小さく書かれていました。
『7月15日未明○○県××市国道17号線○○交差点で乗用車と4tトラックの衝突事故がありました。乗用車に乗っていた同県○○市会社員男性(38)とその妻(32)子供(14)は病院へ運ばれましたがいずれも全身を強く打って死亡。トラック運転手(51)も両足を骨折する重傷。県警は4tトラック運転手の過失とみて調べています』
免許がない私は車を運転するときの気持ちはわかりません。人間ですからうっかり、ということもあるのでしょう。ただそれが、こんな大事故に繋がってしまうとなればしょうがない、じゃすみません。
私はぼんやりと、死んだらどこに行くのかなぁ、などと考えていました。
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夏休みも間近に迫ってきたその日、私はギャザーのロングスカートをはいていました。賄いの食事や片付け、日報などすべての仕事を終え、午前3時頃自転車で帰宅しようと国道沿いを走ってているとタイミングよく車の流れが切れました。中央分離帯のない場所までは少し距離があったのですが、車の音すら聞こえません。そのまま斜めに国道の車線に入ったときでした。
スカートの右すそをツン、と何かに引っ張られました。
「ん?」
思わず右後ろを振り返りますが特に何も見当たりません。すると今度は左のすそをツン、と引かれる感じがしました。また左を振り返りますが何もありません。スカートが長かったので、もしも後輪かどこかに引っかかっているのならマズイと思い、片側車線の真ん中で一旦止まり、ひらひらしないようにお尻の下にスカートを巻き込むような形にしました。そしてまた走り出し、ちょうど中央分離帯が切れてる場所に差し掛かった頃です。またもや右側からスカートを引かれる感じがしたのです。
「何なの、一体……」
少しイラつきながら国道のど真ん中で止まり、自転車に跨ったまま左右を確認しました。降りてしまったら、何がスカートに引っかかってるのか分からないと思ったからです。
国道の両脇には外灯が並んでいますが、真下というわけでもないのでそれほどよくは見えません。手で探ってみましたが、やはり原因はわかりませんでした。仕方がないので昼間明るいところで確かめようと、気を取り直して右足に力を入れたときでした。
ふわりと何か、羽毛のようなものが左足首に触れたような気がしました。途端、それは瞬く間に膝まで這い上がり、ものすごい力でスカートの端をぐい、と引きました。
「あっ……!」
shake
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左側に倒れこみながら、私は漠然と死を感じ取っていました。
目の端に映る黒いもやもやとしたもの。そして迫ってくる強い光。さっきまでは音すら聞こえなかったトラックの影──。最後の記憶は急ブレーキの音でした。
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目が覚めたときは病院の集中治療室だったと思います。ちょっと手を動かしただけで全身がギシギシ音をたて、どこかが痛いというよりはとにかく苦しい、といった状況でした。看護婦や医者が次々と私の顔を見に来て何やら装置をつけたり外したり、何か喋っていたとも思いますがあまり記憶にありません。
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1週間くらい経った頃、最初にお見舞いに来てくれたのは同じ深夜時間にバイトをしている同級生でした。彼女はカゴに入った高級そうな果物を持ってきてくれたのですが、どうも様子が変です。私も起き上がれるようになっていましたし、2人ともお喋り好きです。大部屋でしたが特に重傷患者もいませんし、あまり気を使う必要もないのに果物を置いて「また皆で来るね」と、そそくさと帰ってしまったのです。
その後、店長や他の時間帯の人も次々とお見舞いに来てくれました。私はフリーターで家も近く、ランチやディナータイムに人手が足りないときなどよく呼び出されたのです。明け方寝て、9時頃電話で起こされる、なんてのもざらでした。その当時は私も働くのが楽しくて仕方がなかったので、そんな事があっても滅多に断ることもなく眠い目をこすりながら仕事に出ていました。おかげで全時間帯の人と仲が良かったのです。
ただひとつ気になったのは……。毎回ではないにせよ、最初にお見舞いに来てくれた同級生のように、私の顔を見てすぐ帰ってしまう人が数人いたこと。でも人それぞれ事情もあることですし、単に忙しかっただけかもしれません。不思議に思いながらも、それ以上気にすることはやめました。
ところが……一番最初にお見舞いに来てくれた同級生が、深夜帯の同僚を連れて再びお見舞いに来たときにそれは判明しました。
「いやぁ、お前が事故ったなんて本当に驚いたよ」
「一体どうやったらあんなところでトラックとぶつかるの〜?」
「疲れが溜まってたのかもねぇ」
その場所は直線で、曲がり角でも何でもなく見通しはよすぎるくらいでしたので、皆の気持ちもわからなくもありませんでした。
「うーん……よくは覚えてないんだけど、気がついたら目の前にトラックがいたって感じかな」
「立て続けにすぐ近くで事故だもんなぁ。思わず交差点の死亡者に連れてかれそうになったかと思ったぜ」
一瞬私はハッとしました。あの、スカートを引っ張られる感じ……。最後に膝の辺りに触れたのは “手” ではなかったか……。
が、私が事故に遭った場所は交差点ではありません。
「やっぱさ、田中の言ったこと、本当なのかも」
「たなピー何か言ってたっけ?」
「何かとぶつかって即死だと、魂だけポーンと数百メートル飛ばされるって話……」
数百メートル……確かに事故のあった交差点から私が轢かれた現場まではそれくらいです。それに、今思えばあり得ない事故でした。今まで音すら聞こえていなかったトラックが眼前に迫るまで気づかないなんて。トラックの運転手さんも、私がそこにいることを直前まで気づかなかったと言ってました。対向車はおらず、蒸発現象としても考えられない……。
青ざめた私の表情を読み取ったのか、
「やだぁ。それじゃギャグじゃん。マンガじゃないんだからさぁ」
別の子が笑ってフォローしてくれましたが、スカートのすそを引かれたことは言い出せませんでした。
ひとしきり冗談を言って笑っていると、母が病室に入ってきました。
「あら、にぎやかね」
同僚たちがそれぞれ簡単な挨拶をすると、ふと気づいたように
「ちょうどいいわ。お見舞いの果物が食べきれないのよ。切るから皆で食べていってくれる?」
と、母が言い、そのまま食器を借りに病室を出ていきました。
「今のお母さん?」
「うん」
「えっ じゃあ、この間いた人は誰だったの?」
「この間?」
「てっきり家族だと思ってたんだけど……青白い顔して突っ立ってたから、あんたが手か足切断しなきゃいけないとか大変なことになってるのかなって。全然そんなことなかったけど」
そう言って彼女はけらけらと笑いました。
「あぁ、ランチのオバチャンも言ってたなぁ。お前の家族が挨拶もできないくらい悲しんでるみたいだから、見た目より重いのかと思ってすぐ帰ってきちゃったって」
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「ほら、私が最初に来たときすぐ帰っちゃったでしょ? その時、窓際に男の人と女の人と中学生くらいの子が下を向いて立ってたじゃない」
作者絵ノ森 亨
ストリエにも同じものを載せています。一部実話。