祖母が病院で緊急手術を行うので、家族の了承を得たいーーーーー
丁度夕食を食べている最中に、そんな連絡が我が家に入って来た。
実の息子である父が、最初に食卓から立ち上がった。
「行ってくる。」
母は何のリアクションもせずに黙って頷く。・・・夫が、縁を切った筈の母親の元へ行こうとしているのだ。此れでも我慢と譲歩をしているつもりなのだろう。
父がチラリと此方を見る。
「○○、行くか?」
予め決められた台詞を口にしたような。そんな口調だった。
少し考える。
・・・このまま不機嫌な母と二人きりは、嫌だ。
「うん。行く。」
「え?父さんの方のだぞ?」
父の表情に驚きが混じった。僕はもう一度、今度は黙って頷いた。
思えば、僕はあの時、まるでテレビドラマのような非日常を感じ取って少なからず高揚していたのだ。だから、祖母の元へ行こう等と考えられたのだろう。
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病院はもう診察を終了していた。廊下の電気は青白い豆電球のような光だけなので、薄暗い。
「其れじゃ、待っててな。」
父は担当医だという女性に連れられ《緊急外来3》と書かれた部屋へと向かった。
待合所のソファーに腰を下ろした。少し固い。
ガシャンッと、隣から大きな音が聞こえた。静かな院内に響いた大きな音に、思わず身を強張らせる。
見ると、受付口のシャッターが降りていた。
小さく息を吐き、前を向き直す。
視界の端を、受付所から出てきた看護服達のパステルカラーが横切った。
若い女性が三人。看護服は薄桃色だ。形状は甚平に少し似ているシャツとパンツで構成されている。
此れから家に帰るのか、また別の業務をこなすのか・・・。
緊急外来の扉はまだ閉じられている。説明は、まだ終わっていないらしい。
其れもその筈、時計を見ると、まだ十分も経っていなかった。
・・・・・・暇だな。
携帯電話は使えないし、薄暗くてまともに本も読めやしない。
そんなことを考えていると、父が説明を受けているだろう緊急外来3のドアが開いた。僅かな期待を込めて出てこようとしている人物を見詰めてみる。
薄い水色。四十代くらいの看護師さんだった。
さっき通って行ったのは薄桃色だったが・・・。男女で色を分けているのだろうか。
隣の、緊急外来2のランプがスッと消えた。
片腕を白布で吊った男の子が勢い良く出てくる。腕をぶんぶんと振り回して、如何にも元気そうだ。
なんとなく、生死に関わるような状態の人が運ばれているのかと思っていたが、案外そうでもないらしい。
祖母は、今どうしているのだろうか。
「・・・病気にせよ怪我にせよ、なるべく重い方がいいな。いっそ・・・・・・」
ふと頭に浮かんだ言葉を口にして、あまりの醜悪さに眉をしかめた。
もし付いて来なかったら、こんなこと考えずに済んだのに。軽率だった自分の行動を後悔した。
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結局父が僕の居る待合所に戻ったのは、入ってから四十五分後のことだった。
「万が一だけど、此れが最後かも知らないから。挨拶しに行こう。」
「うん。」
鼓動が早くなるのが分かった。あの祖母が、どれだけ弱々しくなっているのかが、楽しみだった。
此れが実の孫の考えることか、と頭の何処かで声が聞こえた気がしたが、無視した。
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緊急外来室の隣。処置待ちの人用のベッドの上に祖母は寝ていた。
いや、寝ていたというのは少し違う。どうやら意識は有るようなのだ。目が開いているし、此方を見ている。ただ、言葉を発する力は無いらしい。
父が祖母に言う。
「・・・久し振り。此方は○○。随分大きくなっただろ?」
トン、と背中を押され、祖母の前に押し出される。挨拶をしろと促しているのだ。
「今晩は。お久し振りです。」
棒読みも甚だしい。そう思いながらも僕は一歩前に踏み出し、軽く頭を下げた。
祖母は何も言わず・・・いや、何も言えずに、静かに僕を見ていた。大きく眉が潜められた所を見ると、やはり僕が気に食わないらしい。
骸骨に皮を被せたような顔で睨まれても、全く怖くなどないが。元から痩せ形ではあったが、其れにしても随分と細くなった。腕なんてまるで枯れ枝だ。
「手術、どうぞ頑張ってください。」
頭を下げ、父の隣に戻る。
「・・・そろそろ、行こうか。」
「うん。」
病室を後にするとき、後ろから木枯らしのような音が聞こえた。祖母が何かを言ったのかも知れない。
振り返ったが、祖母はやっぱり寝ていた。聞き違いだったのだろう。
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暫く待合所にいると、父は僕に言った。
「・・・父さん、此処で手術が終わるまで待ってるから、お前は母さんと帰りなさい。あと五分くらいで着くそうだから。」
素直に頷いた。反抗する理由も特に見付からなかったからだ。
待合所の椅子に座る父を置いて、出入り口へと向かう。視界の端に白いものが見えた。
顔を上げて見てみると、白いナース服の看護婦さんが階段を昇っているのであった。スカートから覗く脚にストッキングが付けられていなくて、少しドキッとする。
其処でふと思った。
制服は、男女で色を分けている訳では無かったのだろうか?だとしたら、役職や専門の科によって分けられているのか・・・・・・?
少し引っ掛かるような気がしたが、出入り口に母の姿が見えたので、僕はそのまま帰った。
母は当然酷く不機嫌で、怖かった。
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次の日、学校で、友人達に教えられた。
あの病院の制服は男女で色を分けていて、両者共にパンツスタイルなのだと。
「○○。お前、一体何を見たんだよ。」
作者紺野
何だか恋のキューピッドにされて慌ただしい週末になってしまいました。腰を痛めました。
まさか赤の他人の赤い糸を結ばされるとは・・・・・・。
兄達の話がまだ終わってないのに前後編でしかも、本編がどんどん溜まっていくという状況です。ややこしいことになってしまっていて本当に申し訳ございません。