「白い死神かもな。」
「白い死神?」
つんつんとスマートフォンの画面をつついていた友人が言った言葉を繰り返すと、口がどうにもムズムズとした。
白い死神。白い死神。
・・・なんて胡散臭くて中二臭い単語なんだ。
思わずふざけた応答をしてしまう。
「連邦の機動戦士か?」
「それ白い悪魔な。」
ふん、と軽く鼻から息を吐き、友人はスマートフォンのディスプレイを此方に向けた。
黒字におどろおどろしいフォントの文字列。
どうやら僕の住んでいる県の心霊スポットマップらしい。
「お前の婆ちゃんが入院してる病院。」
営業妨害だと訴えられない為だろうか、名前は伏せられているし、写真も無い。けれど、文を読めば彼処だと直ぐ分かった。
白い人の形をした靄が病人のベッドの隣に現れ、そうすると、其のベッドの病人は死ぬ。病人の死を察知して来るのか、はたまた靄自体が病人の命を刈り取っているのか。
通称、白い死神。
「で、僕は其の正体を見てしまったと。」
僕の言葉に友人が肩を竦める。
「まぁ、知らねえけどな。でも、あの病院、昔は普通の白いナース服着てたんだろ?」
・・・・・・待て。
「いやあの病院の制服事情なんて知らないけど。なんでお前知ってんの?」
「純白ナース服は男のロマンだろ。」
「いきなり何言ってんだお前。」
「姉貴はどうしてピンクナース服が好きなんだろな。絶対白のが良いのに。な?」
「知るかボケ。同意を求めるな。」
「着る側としてもさ」
「其れ以上喋ったらぶん殴るからな。」
「○○ピンク似合わねーよ。白のが良いって。」
「お前もセーラー似合わないけどな。ブレザーの方が良いんじゃないか?」
ピシリ、と空気が固まる。
其れからお互いに見詰め合うこと数秒。
僕等はほぼ同時に口を開いた。
「変態ミニスカナース男。」「変態セーラー男。」
「好きで着てる訳じゃな「俺もだよ。あんなの好きで堪るか。」
そして更に数秒の沈黙。
今度は友人が先に口を開く。
「・・・結局、二人して姉貴の被害に遭ってるだけじゃねえか。」
「全くだな。」
また沈黙。今度は数十秒。
一体何をしていたんだろう。
お互いに不毛な会話をしてしまった。
「ま、まあ、アレだな。別に面倒事に巻き込まれたとかじゃなくて、単に見ただけだろ?元々病院なんかにはそんな感じの奴等が居るもんだし、大丈夫だろ。多分。」
気まずい空気を打ち消すように友人が言う。
「早く治るといいな。」
「えっ、あっ・・・・・・うん・・・え?」
何気無い言い方だったので、つい反応が遅れた。友人は呆れたように笑った。
「お前の婆ちゃんのこと。」
別に治らなくても構わない。
が、そんなことを言うと角が立つ。彼は祖母と僕の確執について何も知らない筈だし、此れから教える積もりも無いのだから。
僕は、適当に
「そうだな。」
と答えた。
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祖母が目覚めない。
半日の授業を終えた僕が帰宅すると、母が開口一番に言ったのだ。
「だから、お父さんはお見舞いに行くから、夕御飯要らないんだって。どうする?○○は行く?」
元々大した病ではなく、手術により意識不明になることも殆ど無い筈だったらしいが。
「其れって危ない状態ってこと?」
問い掛けると、母は少し難しい顔をした後、緩やかに顔を背けた。
「お見舞い、行ってあげれば。」
「意識無いのに?」
僕の言葉に、母がついと目を逸らす。
「・・・・・・うん。やっぱり、最後かも知れないし。行ってあげなよ。」
「昨日も行った。昨日もそう言われた。」
「うん、まあ、そうなんだけど。」
僕は数回瞬きをした。母は、確か祖母のことが嫌いなのではなかったか。
「僕が行ったところで、何がどうなる訳でも無い。行く必要無いと思う。」
昨日の不快感が、じわじわと胃の辺りから競り上がって来る。行きたくない。
行ったとしても、祖母は喜ばないだろう。
僕が行くことによって幸せになる人は誰も居ないのに、どうして行く必要があるのか。
目の前の母が、宇宙人か何かのように感じた。
日本語を使っているのに、話が通じていないのだ。
困ったような笑いを浮かべられて、淡々と同じ言葉を繰り返される。
「行ってきなよ。美味しいものでも食べてさ、そのついでとでも思って。」
困ったような笑い顔。駄々っ子をあやすような。
父を見ると、これまた同じような顔をしていた。
なんだかとても怖くなって、頷いてみせた。
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車に揺られながら思い出す。
思えば、物心着いた時から、僕は父方の祖母との仲が悪かった。いや、仲が悪かったというより、人間性が合わなかったのかもしれない。
きっと彼女のしたことは昔なら《躾》として罷り通ったことで、けれども、最近の子供である僕にはあまり合わなかったのだろう。
男子厨房に入らずを信じ、家の中で一番偉いのは父親であると信じ、威厳と風格と力強さに男らしさを見出だすような、そんな人だった。
僕の為を思っての躾。そんな言葉で包まれてはいたが、幼かった僕からすれば祖母のしたことは歴としたいじめだった。いや、僕の視点からだけではない。端から見てもそうだった。
だからこそ、つい最近まで絶縁状態を貫いていたのだ。
切っ掛けとなった事件のことは、今でもよく覚えている。
・・・・・・けれど、僕は此れから、其の僕をいじめた祖母本人の見舞いに行くのだ。この間のような不快な気持ちになるのはごめんなので、思い出さないように頭の隅へと追いやる。
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「そろそろ、着くよ。」
父の言葉が耳に入って来た。
僕は頷き、荷物を持った。
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病院は相も変わらず薄暗かった。前回来た時は夜だったが、昼の今と明るさはあまり変わらなかった。けれど、消毒液の匂いが夜よりも強い気がする。病人が動き回っているからだろうか。
病室は五階。見舞い時間・・・精々、長くても十分かそこらだろう。何せ相手は意識不明の状態なのだから。
受付から右側の通路を通り、エレベーターホールへ。ポチと上矢印のマークを押した。程無くしてエレベーターが降りてくる。
病院のエレベーターは何だか妙に遅くて不安になるから嫌いだ。僕は顔をしかめた。
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病室は四人部屋で、祖母は微かな寝息を立てていた。
「は?」
思ってたのと何だか違う。何か普通に寝てるし。
父を見ると、気まずそうに目を逸らしていた。
追及すると、なんやかんやと理屈を捏ねる。
「意識不明で死にそうとか言ってたのに。」
「いや、意識は不明だよ。ほら、寝てる。」
「そうか。騙したのか。」
「いやいや、此処から血圧がストーンと落ちて昏睡状態になる人も居るし。」
「そういうことじゃ・・・・・・!」
声を荒らげそうになったが、途中で周りの人の視線に気付いた。
じっと父を睨み付ける。
父はわざとらしく
「あ、ジュース買ってくる。」
等と言って部屋から出て行った。
取り残された僕は、何をどうすることもなく、仕方ないのでベッド横の椅子に腰掛けた。
父は暫く、戻って来なかった。
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椅子に座りながら父を待っていると、後ろに気配を感じた。振り向くと、誰も居ない。
また前を向くと、白いナース服が目に入って来る。
白い死神。
友人に教えられた名前が、脳裏を過った。
祖母の枕元に身を乗り出し、何かしている。何をしているかは、背中に隠れて見えない。
祖母を殺そうとしているのか。
僕は椅子に腰掛けたまま、ぼんやりと白いシルエットを見ていた。
あの祖母が死ぬ。昔はそう考えると嬉しいような悲しいような気がしていたのだが、不思議とどんな気分にもならない。
ただ、何をされているのかは少し気になった。
椅子から立ち上がり、手元を覗く。
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「あ。」
思わず微かな声を上げた。
ナース服の何かは、祖母に触れてさえいなかった。
触れていたのは、ボタン。祖母の右手近くにある、ナースコールのボタンだった。
然し、ボタンは押されていない。手がすり抜けてしまうのだろうか。
恐る恐る顔を見てみると、涙を流していた。
・・・・・・ああ、そうか。彼女は相手を看取る、況してや殺す為に病人の枕元へ来るのではない。
病人を、助ける為に来るのだ。自分では助けられないことを知りながら。
僕は手を伸ばし、そっとナースコールを手にする。
彼女は僕がナースコールを手にしてもなお、ボタンを押そうとしていた。
横の祖母は静かに眠っている。
幼かった僕が誕生祝いに作ったケーキを、一口も食べずに流しに捨てた祖母だ。
怒って抗議した僕を引き摺り、押し入れに閉じ込めた祖母だ。
両親が僕の不在に気付くまで、自分で閉じ込めていた僕を忘れていた祖母だ。
出られずに押し入れの中で粗相をしてしまった僕を全力で平手打ちした祖母だ。
ずっとずっと嫌いで、一時期はその死さえ願った祖母だ。
其の祖母が、今、こんなにも静かに眠っている。
そして、このまま僕が何もしなければ、永遠の眠りに着くかもしれない。
ボタンは手の中だ。押すも押さないも僕の自由だ。
例え押さなかったとしても、誰も僕を責めないだろう。
僕は小さく頷き
ナースコールのボタンを押した。
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其れからの顛末を詳しく話しても、何も面白いことはないので割愛させていただく。
祖母は何やら面倒なことになっていたが、先日無事退院した。しかしながら、何も知らない彼女が何か変わる訳も無く、僕への態度は相変わらず悪い。
あの白いナース服の誰かの招待は、僕の想像通り病人を助けようとするものなのか、殺めようとするものなのか結局分からなかった。
其れでも、今日もあの白い誰かは独り廊下を進み、誰かのベッドのナースコールを押そうとするのだろう。
そして僕は、今日も祖母のことか大嫌いだ。
作者紺野
なんでしょう。書いてて途中で恥ずかしくなりました。あまりの寒さにゾッとした、みたいな。よくぞここまで歪な自己肯定を書ききったものです。
尻にドーナツクッションを当てながら日々を過ごしております。ネットで調べたところ、この痛みはだいたい一ヶ月程続くのだとか。進学先の面接ともろかぶりです悲しい・・・。
物を掴める幽霊、掴めない幽霊、人と話せる幽霊、話せない幽霊、人を呪える幽霊、呪えない幽霊、十人十色とはまさにこの事。オカルトも奥が深いですね。