眩むような日射しの薄れる黄昏時。と言っても、今はまだ太陽も完全には沈んでおらず、空は微かに青みがかったオレンジ色に包まれているだけだ。
其れでも、直射日光が無い分、暑さは幾らかマシに思える。
「ちゃんと付いて来てるか?」
「ええ。」
隣の木葉が軽く頷いた。
ペースを落とさぬように、其れでいて速すぎぬように、適度なスピードを保ったまま歩く。
木葉の左手に掴まれて、手首が痛くなり始めている。見ると、木葉の白い手の甲に薄青の血管が透けて見えた。
見るからに力を入れている。道理で痛い筈だ。
「・・・そんな緊張しなくて大丈夫。」
「はい。」
機械的なぎこちない応答だった。
そして、其れ以上は何も言わない。
さっきからずっとそうだ。短い返事しか返って来ない。長い返事をする余裕が無いのかも知れない。
「木葉。」
名前を呼ぶと、僅かに肩が震えた。
「大丈夫だって。」
今日だけで何度目かの言葉を口にする。
「はい。」
答えた声は相変わらず小さくて、変わり映えしない。・・・まあ、もとより俺の一言で緊張が吹き飛ぶ訳が無いし、そんなことで吹き飛ぶ緊張なら、もうとっくに治っている筈なのだが。
「あともう少しだから、頑張ろうな。」
気休めにしかならない言葉を木葉に掛けながら、後ろを見る。
俺の影。木葉の影。そして、その後ろにもう一つ、二つ並んだ俺達の其れより遥かに黒々とした影。
よろよろと揺らめく其れを視界の端に留めながら、曲がり角を右に曲がった。
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縁さんに仕事の協力を頼まれた。老人一人で出来る仕事ではないからと。
其れは別に良いのだ。木葉も乗り気だったし、実際、縁さんだけに任せっぱなしになるのも心配だったし。
其れでも、だ。
此れじゃ話が違う。
俺達は「ほんのちょっと手伝いをさせられる」と聞かされていたのだ。囮として使われるなんて聞いてない。
いや、寧ろ問題だったのは聞いた後の行動か。あまりにも現実離れしたことばかりなので、何も反抗出来ずについダラダラと従ってしまった。
彼処で一言、NOと言うべきだった。
・・・・いや、今更後悔をしても遅いにも程があるのだが。
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頭の中でグルグルと後悔と諦めが回っている。そんな錯覚を覚えつつも足を止めることは許されない。
ジリジリと背中を焼かれるような感覚に後ろを振り向くと揺れる黒い影。だからと言って不安気な表情なんて見せようものなら今度は隣の木葉がぐずりだす。
正直言って泣きたい。いや、だから泣いたら木葉がぐずるんだって。もう勘弁してくれ。
「・・・・くん、真白君、真白君。」
「ん?どうした?」
「曲がり角。T字路。」
「右に曲がるんだからな。」
「はい。」
そう。曲がり角は複数有る場合、必ず右に曲がるのだ。後ろの影も、右に曲がるから。
俺は縁さんの言葉を思い出しながら、また道を右に曲がった。
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「君達にして貰いたいことは二つだ。」
あの日・・・・俺達と縁さんが木葉の家に行った日、縁さんは俺達にそう言った。
「一つ。此の本の、此の影が出ているページを開きながら町内を歩くこと。そしてもう一つ。ページを開きながら歩く時、曲がり道が有ったら、T字路や十字路は絶対に右に曲がって歩くこと。最後に一つ。パニクらないこと。」
此処でどうして気付けなかった俺達。名前や姿を模した物は呼び寄せるって言われたのに。絶対に道を右に曲がれとか怪しさ満点なのに。
馬鹿。俺達ってほんと馬鹿。
「ああ、もう・・・。」
思わず溜め息を吐く。
「真白君、真白君。」
またか。
「どうしたんだよ。」
少しだけうんざりしながら腕を引っ張られて横を向くと、木葉が何故かプルプル震えていた。
「え?」
「・・・・・・ぼ、ぼぼ、僕が。」
「はい?」
顔面蒼白でプルプル。更に目が潤んでいる。どうしたどうした。まさかまた吐き気でも・・・
「僕が、絶対守りますからね!」
「・・・・・・はい?」
なんだかとってもデジャヴな感じ。
なんとも言えない顔になっているであろう俺を尻目に、木葉は熱く語る。
「言ったでしょう?狙われてるのは真白君です。ずっと見られてるんです。」
「えっ?いや、確かにそんなこと言ってたけど」
「真白君。僕、実は祖父の護符をくすねて来ました。」
「おお?」
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木葉が俺の手をそっと放した。
「いざとなったら、真白君は先に逃げてください。」
「何言ってんだお前は。」
「もうそろそろ日が暮れます。そうしたら逃げられません。縁さんが何を考えているかは分かりませんが、単なる囮なら一人でも構わない筈です。」
そんな馬鹿こと考えてたのかこいつ。だからあんなに大袈裟に震えてたのか。
「あのな。」
「言いたいことは分かります。・・・もしも、の話です。言っておかないと、怖じけ付いてしまいそうだから。」
悲壮な覚悟だ。思いっきり空回りしてるけど。
俺は黙って木葉の手首を掴んだ。もし嫌がられても振り離されないようにだ。
「もしも、なんて無しだからな。」
「・・・・・・はい。」
木葉は意外にも抵抗しなかった。やはり本心では怖かったのだろう。そりゃそうだ。
「曲がり角。ほら、行くぞ。」
「はい。」
縁さんが何を考えているかは、俺にも分からない。けれど、俺達を見捨てるような真似はしないだろう。きっと大丈夫だ。
俺達は曲がり角を右に曲がった。
次の瞬間、目の前に現れたコンクリ塀。とどのつまりが袋小路。
「あ。」
・・・・・・此れ、もしかしたら、大丈夫じゃないかも知れない。
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迫るコンクリートの塀。
木葉が、ブンッと大きく手を振った。俺の手から逃げようとしているのだ。逃がす訳にはいかない。此の手を離したら、木葉は直ぐ後ろの影に特攻を掛けるに違いない。
でも、一体どうしたら・・・。
「真白君。」「駄目だ。」
言葉を遮ると、木葉は苦笑いしながら頭を振る。
「まだ何も言ってないじゃないですか。」
「何言おうとしてるかぐらい分かる。」
「大丈夫。あの影に突っ込んで行ったりなんてしません。」
ハッとした俺。其れを見て、木葉が僅かに笑みを浮かべた。
「あの壁、上に飾りの穴があるでしょう。多分、僕を踏み台にすれば足が届きます。真白君が先に塀の上によじ登ってください。」
「だったらお前が先に・・・!」
「僕の方がジャンプ力は有るんです。真白君が引っ張り上げてくれれば、踏み台無しでも大丈夫。」
ハッキリと言い切られたが、無理だと思った。確かにコンクリート塀はそう高くないが、後ろの影との距離を見るに、もし、俺が上るのにもたついたり、木葉を引き上げられなかったとしたら・・・・・・考えたくもない。
「もしも失敗したら・・・」
「もしも、は無しなんでしょう?」
木葉が真っ直ぐ俺を見た。
「手、離してください。」
「絶対馬鹿なことするなよ。」
「しませんよ。」
「絶対にか。」
「勿論。」
俺は、手を離した。
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視界の端、木葉がクルリと踵を返す。影の方向に向かって歩く。
「木葉!」
俺が慌てて振り返ろうとすると、落ち着き払った声が聞こえた。
「分かっています。」
視界の端で何かがキラキラと光った。
ふっ、と顔の横で風が吹く。木葉が俺の横を駆け抜けて行ったのだ。
地面に四つん這いになって、縮こまる。
俺も急いで木葉の元へ行った。
「靴は脱がなくて大丈夫です。踏ん張りがきかなくなる。時間が無いです。早く。」
あまり痛くならないようにソッと足を乗せる。シャツに靴底の跡がクッキリ付いた。
「ほら、其のまま上って。」
声に後押しをされながら、コンクリート塀の一番上に手を掛ける。鉄棒の要領で体を持ち上げて凹みに片足をねじ込み、一気によじ登った。
塀の上でくるりと振り向くと、まともに黒い影と
目が合った。
影には目が無い。けれど確かに目が合った。
木葉の言っていたことがよく分かる。なんて嫌な視線だろう。背中の毛穴が一斉に粟立つ。
一瞬、足がすくんで、なりふり構わず逃げてしまいたくなった。
けれど、直ぐに木葉を思い出す。下を見ると、今当に壁を登り始めたところだった。然し、ズリズリと足が滑っている。
「木葉、手!!」
「もう少し上に行かないと、真白君ごと落ちてしまいます。」
木葉の片手は凹みに掛けられ、もう片方の手が壁の僅かに出っ張った部分に押し当てられている。けれど、あんな僅かな出っ張りでは、とても掴むことはできないだろう。
木葉から目を離し、またあの影を見る。
影は何故か進まずに、グニョグニョと伸びたり縮んだりを繰り返しながらその場に留まっていた。
どうして近付いて来ないのだろう。まるで見えない壁か何かがあるみたいだ。
俺の表情から何か察したのか、木葉が不敵に笑う。
「・・・せっかくの護符です。活用しない手はありませんから。でも、もうそろそろ限界かも。」
妙に静かな口調。
限界?護符の効果が、ということだろうか。
木葉を見ると、ガリガリと壁を掻く手に血が滲んでいるのに気付いた。
ハッとして思わず叫ぶ。
「ほら、手、出せ!引っ張り上げてやるから!!」
木葉が何か言う前に身を乗り出し、血が滲む方の手を、無理矢理掴む。木葉が分かりやすく顔を歪めた。痛いのだろうか。
「ごめん、ちょっとだけ我慢な!」
塀の上で出せる最大限の力で木葉の腕を持ち上げる。
顔を上げると、あの影が、ちょうどスポンジから水が染み出すように、此方に流れ出して来ている。
人としての形を捨てて、此方に来ようとしていた。
木葉がチラリと後ろを振り向き、軽く鼻を鳴らす。
次の瞬間。
木葉が片足で壁の中腹を蹴り、一気に塀を駆け上った。すげえジャンプ力。さっき言っていたことも、強ち間違いじゃないのかも知れない。
そんなことを考えている内に、距離が一度に縮まって木葉の後頭部が直ぐ下に見えたかと思うと
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ゴスッッ
鈍い音を立てて俺の下顎にクリーンヒットした。
痛い。此れはかなり痛い。
「真打ち登場!!」
何処からか縁さんの声が聞こえて、カッと目の前が眩しくなる。咄嗟に顔を背ける。バランスが崩れていくのが自分でも分かった。
早く体勢を建て直さないと落ちーーーーー
「真白く・・・・・・うわっわっわっ!!」
ゴスッッ、とまた胸に衝撃。
どうやら、同じようにバランスを崩した木葉が俺の上に倒れてきたらしい。
此れは落ちるな、と覚悟する。実際、もう踏ん張る力も気力も無い。
そして木葉による駄目押しの一撃。
駄目だ。落ちる。確実に落ちる。
大して高い塀ではないが、地面に激突したら痛そうだ。否、痛そう、ではない。確実に痛いだろう。
流れる景色がゆっくりと動く。まるで、スローモーションみたいだ。もしくは走馬灯。
顔を上げると、夕闇空に星が出ていた。
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一瞬だけ気を失っていたらしい。
体は案外痛くない。が、腐葉土まみれだ。どうやら、あの塀の持ち主の家の庭に着地したらしい。
コンクリートや砂利の上に落ちなくて本当に良かった。
隣を見ると、木葉が倒れている。
「おーい、木葉。起きろ。」
「ん・・・・・・?」
軽く揺さぶると、此方も気を失っていただけらしく直ぐに起き上がった。
「此処は・・・。」
「多分あの塀の家。落ちたんだよ俺達。」
「そしたら縁さんは・・・」
「知らない。けど、もう塀の向こうには誰も居ないと思う。何の音もしないし。」
「《真打ち登場》って。縁さんが。」
「うん。言ってたな。」
互いに顔を見合せ、暫し黙る。
その内なんだか無性に可笑しくなって、声を上げて笑い転げた。
「帰ろ。」
「うん。」
「バレないようにな。」
「家の人、居なきゃいいのですけどね。」
立ち上がって服の泥を落とし、二人同時にクルリと振り返る。
「よお。」
二メートル程先に立っていたのは、全く予想外の人物で、あの黒い影でも、怒った此の家の人でも、況してや縁さんでもなかった。
「無事みてぇだなクソ餓鬼ども。」
木葉の表情から一瞬で笑いが消え去るのを俺は見た。
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突如現れたクソジジ・・・・・・もとい、木葉の爺ちゃんは大層ご立腹の様子だった。
「クソ猿と一緒になって何馬鹿なことしてんだ。しかも木葉。お前作り置きしといた札盗んだろ。」
「ハイ。スミマセンデシター。」
「絶対反省してねえな、この野郎。」
顔面凶器。そんな言葉が頭に浮かぶような顔をしている。恐ろしや恐ろしや。
「なんで俺に頼らなかった。」
「頼りにならないから。」
木葉も随分ストレートに物を言う。お陰で、隣の俺はハラハラしっぱなしだ。
「其れでもよりによってあのクソ猿・・・いや、そもそもどうしてあの猿のことお前等が知ってんだよ。」
「縁さんに聞いたら。」
「あんな奴と口を利いたら口が腐る。」
酷い言い様だ。この数十年で縁さんとの間に何か有ったらしい。縁さん、何かとんちんかんなこと言ってなければいいけど。
吐き捨てるように木葉の爺ちゃんが続ける。
「あんな録でもない奴と付き合って、お前等まで駄目になっても知らねぇぞ。」
隣で木葉が分かりやすくムッとした。まずい。このままじゃ口論になりかねない。
木葉が口を開く前に急いで言った。
「俺の祖父なんです。祖父の自覚は無いみたいだけど。」
「はぁ?」
「・・・俺からもよく説明出来ません。本人に聞いてください。」
どうして木葉の爺ちゃんが縁さんを嫌っているのかは謎だが、面倒なことになっているのは確かだ。本人達の問題だし、俺達まで巻き込まれるのは絶対に嫌だ。
どうしたものか・・・・・・。
思案に暮れていると、木葉がチョイチョイと俺をつついた。見ると、木葉の爺ちゃんに見付からないようにこっそり庭の一点を指差す。
楓らしい木。その陰に縁さんが隠れていた。
チラチラと此方を見ている。
「木葉っ!」
「はいっ!」
俺達は合図しあって、二人揃って全力で走り出した。
「あっ、おいこら待て!!」
後ろから怒声が聞こえた気がするが、知ったことではない。
「家の人への謝罪、どうします?」
「あとでな。あとで。」
今はともかく逃げなくては。
全力の大声で呼び掛ける。
「楓の陰に隠れてる縁さん!あと宜しく!!」
「えっちょっと何言って・・・!」
慌てた様子で出てくる縁さん。一緒になって逃げようとするが、木葉の爺ちゃんに捕獲されてしまった。
「仲直り、出来るでしょうか。」
「さあな。取り敢えず逃げよう。」
「・・・はい!」
疲れきっている筈なのに体が軽い。
もう一度チラリと後ろを見ると、夕闇に紛れて薄くなった影が二つ。
「おいクソ猿お前俺の孫に何をした!」
「孫?!えっえっ何それ?!」
「しらばっくれるな!!」
背後での会話に木葉が笑い出す。俺もつられて笑った。
「僕達は、ずっと仲良く居られると良いですね。」
「そうだな。」
十年後も二十年後も、そう言い合えれば良い。
そう思った。
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「あれから十年!!」
「はぁ?何を言っているんですかクソ猿。」
「どうしてこうなった!!」
作者紺野
どうも。紺野です。
やっと書き終えました。今更感・・・。
この度、無事大学に合格致しましたことを此処にお伝えします。色々な手続きやアパート探し等で時間が掛かってしまいました。今更感・・・・。
冬です。甘酒の季節です。
古くなって酸味が気になる場合、また甘過ぎる場合は牛乳または豆乳で割ると適度な甘さと円やかさで美味しくいただけます。