此れは、僕が高校二年生の時の話。
季節は初夏
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六月の中旬に突入し、中間テストも終了した。そんな金曜日の午後、僕は昔からの友人である薄塩(勿論あだ名だ)と二人で電車に乗った。
行き先は僕の母方の祖母の家。
梅の実と木苺、その他諸々を採りにおいで、との誘いが来たのだ。毎年恒例。例年通り。・・・薄塩も付いて来たことを除けば。
薄塩が僕の母方の実家に行くのは、思えば此れが初めてである。
辺りは薄暗い。そして少し肌寒い。梅雨で、朝からずっと雨が降っているからだ。
薄塩が窓の外を眺めながら言う。
「明日は晴れらしいけど、この分じゃどうだろうな。」
「さぁ。降らなきゃ良いけど。」
適当に答えると、彼は窓から目線を離し、顔を此方に向ける。今度は隣の紙袋を目の前に提げ、不安そうな顔。
「土産、此れで良かったか?一応言われた通り買ってきたけど、やっぱり和菓子とかのが良かったんじゃ・・・」
「大丈夫。多分。」
持ってきた単行本のページを捲りながら、おざなりに返事をした。
緊張している相手には、何を言っても基本的に無駄だからだ。
窓の外を見ると雨が少し弱まっている。
予報通り、明日は晴れるかも知れない。
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着いた無人駅。改札すら存在しないのでバスの要領で運転士さんに切符を渡して降りる。
「えー・・・っと。迎えが来てる筈なんだけど・・・・・・。」
「あ、来てる。いらっしゃーい。」
プレハブ小屋じみた待合室から、叔母さんがヒョイと顔を出した。
彼女は夫と共に祖父母、曾祖母と暮らしている。因みに娘と息子が一人ずつ居るが、息子の方はもう自立して家を離れている。
「久し振り。○○君。そっちは・・・お友達の薄塩君?でしょ?こんにちはー。」
動揺した薄塩が、慌てて頭を下げながら紙袋を差し出した。
「こっ、こんにちはお世話になります此れ詰まらない物ですが宜しければっ・・・!」
早口になってる。緊張しているのだろう。正直、何を言ってるのかよく分からない。
半ば呆れながら、僕も頭を下げる。
「今日から二日間、御世話になります。」
叔母さんがケラケラと笑いながら右手を振った。
「やだ、そんなに畏まらないでよ。○○君も、何時もと全然違うし。叔母さん面食らっちゃうわ。」
そして、如何にも楽しくて仕方無いと言った様子で、一頻り身体を揺らす。相変わらず陽気な人だ。
頭を下げ続けている薄塩。彼が差し出している手提げをピン、と指で弾く。
「此れ、私は受け取れない。」
戸惑いを隠せていない表情で顔を上げた薄塩に、叔母さんは軽く片目を瞑って見せた。
「家で、ボスと御大が待ってるから。」
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叔母さんのドライビングテクニックは酷い。道路のアスファルトがヒビだらけ、というのも要因の一つかも知れないが、其れを差し引いても酷い。
駅を出発してから凡そ二十分。
どうして平坦な道の上を此処までガタガタな走り方を出来るのか、いっそ不思議なくらいだ。
毎度毎度のことなので僕はもう慣れたが、隣の薄塩はもう満身創痍らしい。ぐったりしている。
「此処から山道だから、もっと辛くなるぞ。」
こっそりと耳打ちをしたら、涙目になっていた。
目の前には幾つもの山と、ブロッコリーの塊のような森。田に囲まれた道から、急勾配の山道へと進む。
祖母の家は山の中腹より少し下ぐらいの位置に建っている。此処まで来ればあともう少しだ。
ガタンッと車体が大きく揺れた。
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家に着いた頃、僕の隣には生ける屍が横たわっていた。
「薄塩。おーい、うすしおー。」
揺らしても何の反応も無い。只の屍のようだ。
「着いた。家着いたよ。」
無理矢理シートから引き摺り出すと、ヨロヨロと歩き出す。正にウォーキングデッド。
そんな薄塩が、周りの山々を見渡し、一言。
「うぉお、めっちゃ山・・・・・・。」
発言の知性までお粗末なことになっている。此れは重症だ。
「ボスと御大に挨拶行くんだろ。しっかりしろよ。」
強めに頭を叩いてみる。
薄塩は虚ろな目をして問い掛けた。
「そもそもボスと御大って誰。」
「ボスが婆ちゃん。御大が曾婆ちゃん。」
「なにそれ。」
「女傑一族なんだよ。僕の家は。」
母は強し。祖母はもっと強し。曾祖母は最も強し。
我が家の家訓である。
「ほら、早く行こう。」
雨は弱くも依然として降り続いている。ぼやぼやしていたらずぶ濡れになってしまいそうだ。
僕は、すっかり元気の無くなった友人の襟元を引っ張りながら、目の前の木造二階建て住宅へと足を進めた。
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ボス・・・即ち僕の祖母は、薄塩を大層気に入った様子だった。
もっと詳しく言うなら、彼の持って来た土産ーーーーーバタークリームで出来た薔薇の花が幾つも乗ったカップケーキや、様々なフルーツが入っている極彩色のゼリーを、気に入ったのだ。
彼女はファンシーな物、可愛い物、ハイカラな物に目が無い。本当に目が無い。
幼い頃の僕は、其れに依って多大な黒歴史を生産させられて来た。
というか、今現在僕の身長が今一伸び悩んでいるのも、実は彼女が「小さい方が可愛くていいじゃない!」等と言って呪いか何かを掛けているからなのかも知れない。この人ならばやりかねない。
話が逸れた。
詰まり、洒落た洋菓子屋など存在しないこの町では珍しい、愛らしくファンシーなスイーツに、我が祖母はまんまと陥落したという訳である。
「本当何にも無い所だけどゆっくりしていって!あ、美智子、美智子ー!!戸棚の右端にクロワッサンドーナツ入ってるから持ってきて!」
美智子とは叔母さんの名前である。其れにしてもクロワッサンドーナツとは。僕でさえまだ食べたこと無いのに。
暫く待っていると、叔母さんがお盆にクロワッサンドーナツを二つ乗せて来た。麦茶らしきコップも添えられている。
「本当は二つとも一人で食べちゃおうと思ってたんだけど、良かったらどうぞ。お夕飯までにはまだ時間有るし。」
「え、でも」
「いいのいいのいいの!若いんだから遠慮何てしないで。今人気とってもなんだから、ね!」
狼狽している薄塩を見て、叔母さんがクスクスと笑う。祖母も笑う。
そのうち、薄塩も笑い出す。笑いながら「それじゃ、いただきます。」なんて言ってクロワッサンドーナツを手に取る。
この家は、何時だって女の支配下だ。祖母や叔母を女と意識することはなくとも、感覚で分かる。
知らず知らずの内に内面に潜り込まれ、踏み込まれる感覚。なんとなく、異次元のような。少しだけズレているような。
「俺、実はクロワッサンドーナツって初めて食べるんですよー。」
隣の薄塩がそう言って笑う。愛想の無さでは僕の知り合いの中でも群を抜いている、あの薄塩が。
ふっと息苦しさを感じて窓の外を見ると、何かが窓の外で動いた気がした。
黒くて細かったような・・・・・・枯れ枝か何かだろうか。
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「○君!」
名前を呼ばれ、ハッとして振り返る。
「食べないの?ボーッとしちゃって。」
祖母が、苦笑しながら此方を見ていた。僕は慌てて笑顔を取り繕いながら
「あ、ううん。いただきます。」
と皿へと手を伸ばした。
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なんとなく其の場の空気に乗せられダラダラと話をしていると、突然、祖母がポンと手を打った。
「ああ、そうそう!」
「はい?」
「大お祖母ちゃんにご挨拶してこなきゃね。」
「おおおばあちゃん?」
首を傾げた薄塩に、そっと耳打ちする。
「さっき言ったろ。曾祖母ちゃん。この家の御大。」
普段は自室に居てあまり出てこないが、足腰は達者で病気一つ無い。因みに、何時も穏やかで、何なら半分惚けてしまっているようにさえ見える、おっとり感がチャームポイントだ。祖母と正反対の性格と言っていいだろう。
「確かに、そろそろ行かないとな。」
奥座敷にひっそりと居る彼女の元へ。
立ち上がると、薄塩も其れに続いた。
襖を開けて廊下に出る。
薄塩がそわそわとしながら言う。
「土産、もう無い・・・」
「別に要らないよ。」
そんな小細工が通用する相手ではないのだ。
廊下を真っ直ぐ進み、右に曲がり、更に進む。
突き当たりをまた右に。
一際大きな襖が目に入った。曾祖母の部屋だ。
「変に取り繕うなよ。バレるから。」
「止めろプレッシャー掛けるな。」
隣を見ると、今にも緊張で吐きそうな顔。
面接を受ける新社会人とはこんな感じだろうか。
しかしながら、出来ることなら、こうはなりたくないものだ。見苦しい。
緊張で偉いことになっている友人を横目に、僕は呼び掛けた。
「大婆ちゃん、居る?」
「どうぞー。」
向こうから帰ってくる声。
「入るよー。」
襖を、開けた。
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夏であろうと冬であろうと、曾祖母の部屋は暖色の光に照らされて仄かな暖かさを保っている。
「こんにちは。」
中央に赤い座布団。其の上にちょこなんと座っている曾祖母。まるで、僕達を待ち構えていたかのように、此方を向いて座っていた。
「薄塩君ね。孫から話は聞いてます。」
「あっ、えっと、はい!こんにちは!」
「ゆっくりしていって頂戴ね。」
「っと、は、はい!ありがとうございます!」
緊張でプルプルする薄塩。クスリ、と曾祖母は笑った。そしてそのまま僕の方を見る。
優しい笑みが此方に向けられた。
「○○、貴方もゆっくりしていって。お友達と仲良くなさい。お友達が分からないことは面倒臭がらないできちんと説明して差し上げること。いい?」
「はい。」
僕が返事をしながら頷くと彼女はもう何も言わなくなった。話はどうやら此れで終わりらしい。
一礼をして未だ固まっている薄塩に呼び掛ける。
「行こう。荷物運ばないと。」
「え?」
呆気に取られた間抜け面・・・・・もとい、不思議そうな表情をされた。
「部屋。叔母さん達には僕の部屋に泊まるって伝えてあるから。」
「えっ?」
ポカンとした顔。何だ。どうした。
「此れだけ・・・・・・?」
此れだけ?
立ち上がって見下ろすと、彼は、酷く困惑しているように見えた。普段と違って。
少なくとも、あの飄々とした雰囲気は消え去っている。
「何が。」
「・・・いや、何でもない。」
僕が問い掛けると、そう言って頭を振りながら立ち上がる薄塩。一体何だったのだろう。
目線を逸らして曾祖母の方を見ると、ふと、視界の端に何かが写り込み、動いた。黒くて細い何か。
窓の外だ。
改めて見てみると、何も居なかった。
薄塩が僕の名前を呼んだ。。
「・・・コンソメ?」
襖の一歩手前で待っている。
「ん?・・・ああ。今行く。」
隣に歩いて行って、二人で曾祖母の方を向いた。失礼しました、と一礼。廊下に出た。
廊下を歩いていると、叔母さんがひょいと顔を出して言う。
「荷物、もう運んで置いたからね。」
薄塩が頭を下げる。 僕も礼を言った。
「あ・・・。有り難う御座います。」
「すみません。助かります。」
荷物を運ぶ必要は無くなった。なら、もう直接部屋に行くか。
先程曲がった突き当たりに階段はある。狭い階段なので、僕が先に上り始める。上っている途中、後ろからポツリと声がした。
「緊張した。」
振り返ると、薄塩はふぅ、と溜め息を吐いていた。
「俺、結構度胸ある方だと思ってたんだけどなぁ。コンソメの親戚だし、凄い気さくな人達ばっかなのに。なのに、話するのとか滅茶苦茶焦った。」
首を傾げながら、心底不思議そうな様子だ。
「なんか、ずっと見られてるみたいな。言い方は悪いけど、品定めされてる気がして。いや、でも、あの人達からはそんな感じしなかったんだよな。いや、じゃあ誰がって話なんだろうけどさ。」
其処で一旦黙り込む。そして小さく頷いて呟いた。
「俺の思い込みなんだろうな。此れは。」
そして、行こうぜ、と言って僕を追い抜き、また歩き始める。
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進む背中を呼び止めた。
「さっき、窓の外。何か居なかったか?」
薄塩は振り向いて眉を動かしたが、直ぐに
「いや。俺は何も見てないけど。」
と答えた。
僕達はまた階段を上り始めた。
作者紺野
どうも。紺野です
○○ってのは伏せ字にしてありますが僕の名前です。
○君ってのは渾名です。よっちゃんとかたっちゃんみたいな。
薄塩に対する暴言が多いのはスキンシップです。
当時はクロワッサンドーナツが大流行していたのです。
後半に続きます。