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――テンテケテンテン…
えー…お運び様で大変ありがたく御礼申し上げます。どうぞ、一席お付き合いの程を願っておきますが…。
アタクシの方は万家(よろずや)ジョン次郎と申しまして、芸人というのは顔と名前を覚えていただく、これが一番ありがたいことでございますから、どうぞ今日は顔と名前を覚えて帰っていただいて…、
――ジョン次郎、でございます。
――こういう顔でございます。あれが名前でございます。
これからどっかでもってアタクシのことを見かけましたら、どうぞお気軽に、
「ジョンジョン」、と呼んでいただければと思います…。
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えー…お客様の中には、今日のジョン次郎はいつもより横幅があるんじゃないか、とお思いの方もいらっしゃるのではないかと思うんですが…、
そうです、アタシね、今日こちらに伺う前に、ラーメンの大食いチャレンジというのをやってまいりまして…。ゥプ。
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もー腹一杯というか、頭のこの辺までラーメンが詰まってるみたいな状態で…ええ、もう変な刺激があったら吐いちゃう!って感じでして…。大変お見苦しいところをお見せしております。
あ、前の方の席の方、大丈夫ですよ。うっかりかけちゃったりしませんから。
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でもって、うー苦しい…、なんで俺こんなに食っちゃったんだろう、なんて思いながら楽屋に来ましたらね、ウマそうなピンク色の大福がありましてね…。なんですかね、匂いはヨモギ餅みたいだったんですけど。
あーいつもだったらこんなウマそうな大福があったら食わずにおかないのに、あー残念…
なんてんで、ふたつほど飲みこんでこちらに出てきたんでございますけど…
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ええ、結局食っちゃたんですがね…。
まあ、好きなものってのはいくらも食えるってことは、あるようでございますが…。
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江戸の頃、大変にこの、流行っていた食べ物で蕎麦屋さんがございまして、
若い連中が集まりまして、ワイワイガヤガヤとやっていたようでございますが…。
「こちらの方にお勘定置いておきます、はい。どぅ~も~」
「大将、今のひと、何枚食っていったの?十枚?ほお、たいしたもんだね、聞いたかい?おい。十枚だってよ。十枚の蕎麦をつーっと平らげて懐から銭出して、どぅ~も~なんて帰っていくところなんて江戸っ子だね、おい。あの勢いなら二十枚ぐらい食えるだろうな」
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「馬鹿なこと言うなよ。二十枚なんてどれだけの蕎麦の量だと思ってんだい。それは食えねえな」
「俺は食えると思うね、よっちゃんお前は?いや、二十枚くらい食えると思うかい、今の人?」
「ああ、あの勢いなら二十枚くらい食うよな」
「俺は食えねえと思うよ」
「食えるよ」「食えねえ」「食えるよ」「食えねえ」
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「おいおいおい、へへ。待ちなよ。お前たちがそこで食えるの食えないの言ったってしょうがねえじゃねえか。食うのは今の人だ。
まあまあ、ちょっとこっちおいで。どうだい?久しぶりに蕎麦の賭けでもやらねえか?」
「なんだい?蕎麦の賭けってのは?」
「あの人は毎日来るんだってよ、今大将に聞いた。明日来たらよ、二十枚、食えたら一分(いちぶ)の金出そうじゃねえか。いやいや、これは俺が言い出したんだから一分は俺が出すよ。
もしな、あの人が食えなかったら向こうから一分もらってよ、その金でもってあの人と酒呑んでオトモダチになろうってんだい。どうだい?蕎麦の賭け、二十枚。やってみねえかい?」
「面白えなあ!しばらくそういう遊びしてねえもんな。第一お前が金出すんだろ?こっちの懐は痛まねえや。ああやるやるやる!」
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あくる日になりますと町内の若い連中が手ぐすねを引いて待っておりまして。
「どぅ~も~」
「すんません、へへ、ちょっとここに座っちゃもらえねえか。え?大勢?いや大勢も何も、これ、お前さんが来るのを待ってたんですよ。
実はね、昨日のお前さんの蕎麦の食いっぷりを見て、あの勢いなら二十枚くらい食っちまうんじゃねえか、いや二十枚となったらと食えないよ、食える食えない食える食えない、へへへ、これ真っ二つになっちまったんですよ。
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そこでね、どうだろうなあ、江戸っ子のお遊び、怒っちゃいやだよ?ここに一分出てますよ。二十枚、食えたらね、これを賞金に持ってってくれねえかな?
その代わりと言っちゃあなんだが、手前勝手な話ですいませんがね、もし食えなかったらお前さんの方から一分もらってさ、その金でもってお前さんと酒呑んでオトモダチになろうってんだが、
どうだい、二十枚で一分。やっちゃくれないかな?」
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「二十枚…なにをおっしゃいます。二十なんてどれだけの蕎麦の量、それはもうとてもとても、いただけやしません。
ですが…アタクシ、こちらのご町内引っ越してきて、まだ引っ越し蕎麦のご挨拶もさせていただいておりませんので、
それでは、二十枚で一分、負けを承知でやらせていただきます、はい、どぅ~も~」
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「こちらのお蕎麦はいついただいても美味しゅうございますねえ。
いや、いついただいても美味しいと言っても二十枚なんてとてもとても食べられる量じゃございません。
…それにしても今年はよく雨が降りましたですねえ、(ズ・ズ・ズズー)
…雨が降らないとお米の出来がよくないそうでございますんでなあ、(ズ・ズ・ズズー)
…かと言って降りすぎたら降りすぎたで井戸水が濁ったりなんかしたりすると、(ズ・ズ・ズズー)
…雨というのは、(ズズズー)」
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「食ってんだかしゃべってんだかわかんねえな…。
何枚?え、もう十九?だって雨が降るとか降らねえとか話ししてただけだよ?それで十九枚いっちゃったのかよ?」
「恐れ入ります、あと、何枚食べれば?あ、あと一枚?…食べられるかな~?」
「わざとらしいねえ、おい。十九枚ぺろりと食ってなにがあと一枚食べられるかだよ」
「こういうのはその日の調子でございますから…(ズズズー)
今日は調子がよくて二十枚いただくことができました。では、この一分はいただいてまいりますので、はい、どぅ~も~」
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「なにあの野郎…。二十枚だよ…?二十枚の蕎麦平らげて、平気な顔でどぅ~も~だって…悔しいねえ、おい!明日は三十でやんねえか!俺金出すよ!」「俺も出す!」「俺も!」
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あくる日になりますと、二分という金をこしらえまして、
「どぅ~も~」
「来た来た!恐れ入りやしたね。江戸っ子のお遊び、とことん付き合っちゃくれねえかな?二分出てますよ!三十枚!」
「三十枚…なにをおっしゃいます。三十なんて人の食べられる量じゃございませんよ。それはとてもとても。
でもアタクシ、昨日一分いただいておりますし、引っ越し蕎麦のご挨拶もしておりませんので、あわせて二分、皆さまにお返しをするということで、それでは三十枚、負けを承知で、はい、どぅ~も~。
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…昨日はたまたま、(ズズ…)…調子がよくて二十枚いただくことができましたが、(ズズ…)…人の食べられる量じゃございません、(ズズ…)…三十枚などという数は、(ズズ…)…負けを承知で、(ズズズー)」
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「おいおい昨日より速いんじゃねえか…?」
「ああ、三十枚いただけました。では、二分いただいてまいりますので、どぅ~も~」
「…冗談じゃねえな。あの野郎の腹を裂いて中を見てみてえな。どんな仕掛けになってんだろ…。
おい、あそこでこっち見てニヤニヤ笑ってる人、知ってる人かい?知らねえ?ふうん。
もしあなた、さっきからこっち見て笑ってますが、あたしらが蕎麦の賭けに負けたのがそんなに面白いんですか?」
「いいえ、そういうわけじゃないんですが、あなた方、今の方どなただかご存知で?あ、ご存じない?ああそれでね。
今の人、蕎麦好きの清兵衛さん、あだ名がそば清さんって言うんですよ。蕎麦の賭けで家を三軒建てた人なんですよ?」
「教えてくれよそういうことは!」
「いや、皆さんご存じだと思って、ずいぶんお手軽な勝負をしてるなあ、と思いまして。三十四十なんて勝負はいつもやるようですよ。五十って数は…」
「五十って勝負はまだしたことがねえ?よし五十だ!一両一両!」
町内中に声をかけまして、あっという間に一両という金が集まりました。
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「どぅ~も~」
「来たよおい。あんた何ですって?そば清さんですって?ああ逃げなくたっていいよ。へへへ…恐れ入りやした。
どうだろうねえ、五十という勝負はまだしたことがねえ。勝っても負けても今日が最後!一両出てますよ!五十枚大勝負だ!やってちゃくれねえかなあ!」
「五十……?」
という数はまだやったことがございません。
「今日はちょっと、お腹の調子が…はい。ええ、またいずれ、どぅ~も~」
その場はなんとかうまいこと逃げ出しました。
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さあ、だんだんと秋も深まってまいります。
あちらこちらで美味しいお蕎麦を食べ歩いておりました清兵衛さん、ある日どこをどう間違ったか山中に迷い込んでしまいまして、
どこへ行ったら人里に降りられるだろうと思案投げ首しているところを、ズルズルズルズルなにか大きなものが引きずられる音がいたしますので、
ひょいと振り返りますと、ふた抱えもあるような大きな大蛇(ウワバミ)がズル、ズル、ズル、ズルと這いあがってまいりますから、『南無三!』と岩陰に身を隠します。飲まれる様子もありません。
恐る恐る首をもたげると、ひとりの狩人が腰だめに鉄砲をぶら下げて隙があったらこの大蛇を撃ち殺してやろう、大蛇の方でも狩人に気が付きましたから、こちらも隙あらば狩人を飲みこんでやろう、と二人が睨みあっております。
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と、狩人の方が一瞬早く鉄砲に手をかけましたが、大蛇の方が狩人が撃つより早く頭からガバっと食い付いた。
ガバ…ガバ…ガバ…ガバ…
人ひとり飲み込んでしまいました。
もう腹ははちきれんばかり。よほど大蛇も苦しいんでしょう、あちらへバターン、こちらへドターン…
周りに「赤い草」がぽや~っと生えている。この草を大蛇が長~い舌でもってペロペロっ、ペロペロっと舐めますと膨れ上がっていた腹が、つ、つ、つーと引っ込みまして、何事もなかったかのように山のほこらに帰っていく。
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「しめた!あの草、食ったものがなんでも溶けるんだ…。あの草さえあれば、蕎麦が百枚でも千枚でも、大勝負をすることができる…」
清さんは赤い草をみんな刈り取ってどうにかこうにか人里に降りてきましたが、清さんここでひとつ間違いを犯していました。
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清さんが刈り取った赤い草は、食べたものが「何でも」溶ける草ではない…
でも「大蛇の食べたもの」は溶けた…
そのあたりをよく覚えておいていただきまして…
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「どぅ~も~」
「おい、清さんが帰ってきたよ、早速だが五十枚…」
「ええ、今日はやらせていただきます」
「おい町内中に声かけろ!清さんが帰ってきたぞ!大勝負だ!」
町内の連中がわんさを集まってまいりまして。
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さあ、正体の現われた清さんの食うのの早いの早くないのって、つーつーつーと、まるで蕎麦がつながって飛び込んでいくようで…
「おい、すごいね…どこで息継ぎしてんだろうなあ。見てるこっちが息苦しくなっちまうよ。
それ何枚いったんだい?え?十?じゃあそっちに避けときな。
え、四十?もう四十かい?ひい、ふう、みい…四十七かい?へへへ、こりゃだめだ。赤穂浪士じゃねえけど敵討ちだよ。こりゃまた俺たちの負けだよ」
「いや待て、清さん苦しそうだよ?箸が止まった。これまで箸が止まることなんてなかったんだよ。食えねえんだ!へへへありがてえ!今度は俺たちの勝ちだよ!
清さん、もうやめよう?箸置いて!一両出してごめんなさいして、そんで皆で呑もう?」
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「……やびまず…」
「やるの?なに?外の空気を吸いたい?皆、清さんが縁側で外の空気吸いたいんだってさ、いいかい?ちょっとならいいよな?
清さん、長いことはだめだよ?え、動けない?そりゃそうだろうな。おい、運んでやれ!…腹を押すんじゃねえよ、ぴゅって出ちまうじゃねえか。背中押してやれ。よいしょよいしょ!
え?ふすま?ああ閉めとくよ。清さん、長いことはだめだよ?」
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「……へえ……ただいま…。はは…、この草さえあれば…、あと…、
何枚でも…へへへ…(チュ・チュ・チュ…)」
「おい…、なんかチュチュって音が、してるよ…、
清さん…、なに…か…、
食ってんじゃ…ねえ…か…」
「ばか…
食える…わけ…
ね…
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急に前のめりにうずくまった噺家。ぴくりとも動かない。
客がざわつきはじめる。
前の席の客が高座に近づいて、覗きこんで悲鳴を上げた。
「ヒッ!ラーメンが着物を着て座ってやがる!」
作者綿貫一