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「はい、20時になりました。皆さんメリークリスマス!私は今、横浜の赤レンガ倉庫に来ています。見てください、イルミネーションがと~ってもキレイです!
こちらでは今、ドイツの伝統的なイベント、クリスマスマーケットが開かれてるんですよ~!
皆さんカップルで、またはご家族、友人といらっしゃっている方々でごった返していま――」
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「ハア…」
なにがクリスマスだ、なにがカップルだ、なにがイルミネーションだ。
クリスマスなんてクソくらえだ。
もともと日本とはゆかりのない海外のお祭りで、なんでそんな馬鹿騒ぎしなけりゃいけないのか。
加えて、この時期ひとりで過ごす奴は人に非ず!みたいな空気が街にあふれ、居たたまれないったらない。
はぁーやだやだ。酒呑んでPCでエロ動画見て寝よう…。
俺はパジャマにナイトキャップという、夜寝るときのいつもの格好に着替え始めた。
若干ファンシーな恰好だと我ながら思うが、子供の時からの習慣で、冬場はこのナイトキャップがないと頭がスースーして寒いのだ。
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――ピンポーン
誰だ?こんな時間に。
インターホンの画面を覗くと黒っぽいコートを着た、中年の男がドアの外に佇んでいる。
見覚えはない。格好を見るに荷物の配達でもないし、新聞の勧誘といった風でもない。
というか、かなりの強面だ。迫力がある。
なんだろう?開けないでおこうかな。
そう思いかけた瞬間、男が再びチャイムを押した。いや、連打した。
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――ピンポーン・ピンポーン・ピンポーン
そして、インタホーンのカメラ越しに俺を睨みつけながら、俺が部屋にいることを確信した口調で俺の名前を呼んだ。
「オーイ、いんだろ?近所迷惑になるからよー。早く開けて欲しいんだわ。開けろって早くよぉ!」
男がドアを蹴とばす。
ヒイ!なんだよ、怖!開けりゃいいんだろ開けりゃ…
「…なんですか?」
俺は恐る恐るドアを少しだけ開ける。と、同時に男の足がドアの隙間にかかる。ドアを閉められなくされてしまった。
「話があんだよ。…中、いいかな?」
静かな、それでいて有無を言わさぬ口調で男がつぶやいた。
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『女痢紅莉金融 三田鋼平』
部屋に上がり込んできた男が渡してきた名刺にはそう書かれていた。
「めりくり、金融の、三田さん?」
おう、と低い声で男が応えた。
強面だ。
高倉健から人情味をマイナスして、残忍性を2割増ししたような面構え、といえば近いだろうか。
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三田は俺の顔を、品定めするようにしばらくじっと見つめていたかと思うと、おもむろに口を開いた。
「債務(さいむ)の取り立てに来た。払うもん、とっとと払ってもらおうか?」
――は?債務?
俺は面食らってしまった。
俺は確かにしがないフリーターで万年金欠だが、人間が臆病なので消費者金融などで金を借りたこともない。
誰かの保証人になったこともないし、親兄弟・親戚関係でそこまで困窮している人間もいないはずだ。
つまり、身に覚えがない。
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「あの、俺、覚えがないんですけど…」
俺は背中を丸めて身体を縮こませながら、へらへらと愛想笑いを浮かべて云った。
三田はそれを聞くと、にっこりと微笑んだ。それから、
shake
――バン‼
二人の間にある小さなテーブルを叩き割らんばかりの勢いで拳を打ち付けた。
俺は震えあがった。
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「じゃあ俺は間抜けにも、勘違いでこのクソ寒い中テメエを訪ねて来たとでも云うのかよ?
あるんだよ、テメエには債務が。今日が何月何日か云ってみろ、おう」
けして大声ではないが、低くドスの効いた声で男尋ねた。
「え…、あの、12月24日の、夜20時過ぎ、です…」
俺はビクビクしながら応える。
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「そうだよ…。ジュウニガツニジュウヨッカー。クリスマスイブだよ。だから俺が、――サンタさんが来たんじゃねえか」
サンタさんって面か。ここに来る前に2、3人バラしてきた高倉健のような顔してるくせに。
だいたい、
「質問ー。サンタさんは子供にプレゼントをくれる存在なんじゃないんでしょうかー?それにそんな黒づくめでサンタって――」
「オーケー。その二つの質問には答えてやるから口を閉じろ。これ以上そっちからは質問してきたら殴る」
親切なんだか横暴なんだか。
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「まずテメエに世の理(ことわり)って奴を教えてやる。『借りたものは返す』ってことだ。これをまず頭に叩きこめ。
その上で、質問だ。テメエは今年何歳になる?」
「…25、です」
「そうだ。さっきテメエは『サンタさんは子供にプレゼントをくれる存在』って言ってたがな、テメエはいつまで子供気分だ、おう」
三田がすごむ。ごもっともだ。
「俺たちサンタの実際の仕事ってのは、話に聞くような、クリスマスイブの夜にトナカイの引っ張るソリに乗って、寝ている子供たちにプレゼントを配るってことじゃねえ。帳簿の管理なんだよ。
この日本てえ国では1~20歳までを未成年ってことで子供とみなしてる。テメエこれまで親やら学校の友達とかに、
クリスマスってことでプレゼントをもらったことがあんだろうが。
これまで都合20回、テメエにはクリスマスってことでプレゼントをもらう機会があった。そのうち、実際にプレゼントをもらった回数は13回だ」
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我が家では小学1年まで枕元に靴下が置いてあった。サンタの正体が親だと判明した後も、クリスマスということで欲しいゲームソフトを親にねだったりとかはしていたな。あれもプレゼントにカウントされるのか。
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「――で、だ。ここからが本題だが、さっきも云った通り、借りたものは返さなきゃいけねえ。この場合返すのはモノや金じゃねえ。『恩』とか『気持ち』だな。
『大人』になったら、それまでもらった『恩』や『気持ち』を、別の誰かに形を変えて渡すことで、それらを『返す』ことになるわけだ。まあ、相手は主に恋人やら自分の子供とかだな。
ところがだ、テメエは20歳を超えても、誰にも何もプレゼントをしやがらねえ。5年の間は返済の猶予期間だったが、いい加減見込みがねえんじゃねえかって、督促人の俺が出向くことになったわけだ。
一つ目の質問、回答終了」
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男は懐から煙草を取り出すと、一本吸いつけた。紫煙が部屋の天井に向かって伸びていく。
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「二つ目は『黒いサンタなんて』だったな。こっちの説明はすぐに終わる。ドイツでは悪い子を罰する黒いサンタ『クネヒト・ループレヒト』って存在がいるんだ。俺が配属されているのはそっちの方だ。事務方は苦手なんでな。以上回答終了だ。質問は許さん」
俺は目の前に座った強面の男の口から発せられる、人生訓を含んだファンタジー話を呆然と聞いていた。
あれこれ聞きたいことはあったが、許さんと言われてしまった以上、俺に発言権はなかった。
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「まあ、テメエに今オンナがいねえことも、それどころか童貞だってことも、ダチが少ねえことも、金がねえこともみんな調べはついてるよ。だが、返すもん返してもらわねえと、俺も仕事にならねえ。だから、俺からテメエに言えることはこれだけだ」
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「今夜中に5年分の債務を手付として返すか、テメエは一生童貞か、二つにひとつだ。――まあ、どっちか好きな方選べや」
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アパートの玄関のドアを開けると、2階の廊下の手すりの外に、ソリが横付けされていた。
う、浮いてる…。でもこのソリにつながれているのって、
「鹿じゃねーか!トナカイじゃねえのかよ!」
「会社のトナカイは今日は書き入れ時で皆出払ってたんだよ。だから奈良公園からパクってきた。俺が魔法をかければこの通りだ。鹿かトナカイかなんてたいした違いじゃねえんだよ」
魔法って。高倉健みたいな顔してるくせに。
そうして俺と三田の乗ったソリは夜の街の空を駆けた。
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――ピンポーン
しばらく後、俺と三田はとあるマンションの一室の前にいた。
「本当にいいのかなあ…」
「もうチャイム押しちまったんだからウダウダ云うな。ここがテメエが云ってたバイト先の同僚の女の部屋か」
そう、俺たちはバイト先の同僚の片桐さんの部屋の前まで来ていた。
ノーアポで。クリスマスイブの夜に。普通ありえないだろう。
「いいか?今晩中に5人の人間に、プレゼントをしろ。相手が喜ぶような、な。テメエに金がないのはわかってる。なにもキレイにラッピングされた贈り物をしろっていうんじゃない。
ちょっとしたモノでも、行為であってもそれはかまわない。もらった側に嬉しいとか、楽しいとか思ってもらえる何かを提供しろ。
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明日の夜明けまでに達成できなかったら、テメエは魔法で一生童貞だ」
ここへの道すがら、ソリの中でも云われた、俺が債務返済のためにしなければいけない「条件」を、三田が再び口にする。
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実家の親は今日に限って町内会の慰安旅行だし、友人たちもほとんどが彼女と過ごしていることだろう。
そこで、昨日のシフトで「明日はクリスマスだけど、予定もないし、部屋でペットとダラダラ過ごします」と云っていた同僚の言葉を信じてここまでやってきたのだ。
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片桐さんはバイトの後輩で、女子大学生。顔は、まあ普通かな。やや大人しい感じだが素直な性格で、俺にとって話しやすい人物だ。
というか、ぶっちゃけ結構気になっている。それでも声をかけなかったのは、
「テメエに度胸がなかったんだろ?ちょうどいいじゃねえか」
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「――ハイ。え?あれ、先輩?」
インターホンから返事があり、次いでドアが薄く開いた。隙間から、いかにも部屋着といった感じの片桐さんの姿が覗く。パジャマにナイトキャップ姿の俺と、後ろに控える黒づくめの男を怪訝そうな顔で眺めている。
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「や、やあ…」
「あの、どうしたんです…?」
どうしたんです?と言われても、黒サンタに脅されて今晩中に5人の人間に喜んでもらわないと一生童貞なんです協力してください、とも云えない。
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「コイツ、俺に債務の取り立て食らってまして、今晩中に5人の人間に喜んでもらわないと一生童貞なんです。ひとつ協力してやってください」
横から黒サンタのオヤジが割って入って事情を説明してくださりやがったドウモアリガトウ。
「ハア…」
片桐さんは困惑を顔ににじませながら、俺の方に顔を向けた。
「あの、なんというか、この人の云うことはあれなんだけど、その、日ごろバイトでお世話になってるし、普段のお礼というか、なんかできることとかないかな?それかその、困ってることとか…」
俺はしどろもどろになって言葉をつなげた。
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「あの、急にそう云われても…。それにお世話になっているのは私の方ですし、先輩になにかしていただくなんてその、悪いですし…」
まあ当然の反応だとはいっても、俺としては何か要求してもらった方が、今この時に限って言えばありがたいのだが…。
お互い言葉をなくしてうつむいてしまった。三田だけが俺たちの様子を冷めた目で見ている。
と、
――ワンワン!
薄く開いたドアの向こう、片桐さんの足元からチョコレート色のモジャモジャした毛の犬が飛び出てきた。
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「コラ!ニコ!だめよ!」
片桐さんはしゃがんで子犬を抱き上げた。子犬は片桐さんの腕の中でジタバタと暴れている。
「へえ、この子が云ったペット?トイプードルなんだ?」
「はい、ニコっていいます。まだ子供で。知らない人を見たから興奮しちゃってるみたい。すいません」
「いや、俺の実家も昔、トイプードル飼ってたよ。もうずいぶん前に死んじゃったけど…。可愛いね」
気まずい雰囲気だったところに思いがけず現れた救世主に感謝しながら、しばらくペットの話題に華を咲かせる。
しかし、ニコが小さくクシャミをしたところで、その会話も打ち切りになった。
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「ごめんなさい、先輩。こんな玄関口に立たせたままお話しちゃって。私もこんな格好だし、急だったから部屋も汚いし…。――さっき云ってたお願いとか困っていることとか、今のところ思いつかないんで、その、ごめんなさい」
「いや、いいよ。本当にゴメンね、急にこんな時間に。またバイトの時に」
じゃあ、と云って片桐さんはドアを閉める。
と同時に俺の腹には拳がめり込んでいた。
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――おうふっ
思わず変な声が出る。
三田が俺に拳を突き入れた姿勢のまま云った。
「…テメエ、ナニのんきにおしゃべりしてんだ?明日の夜明けまでって云ってんだろうが。時間がねえんだ、わかってんのか?」
そうだった。一瞬忘れていた。思いがけす片桐さんとの話が盛り上がってしまったため、当初の目的が完全に頭から消えていた。
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「まあ、あの調子じゃここで粘っても要求は出てこないだろうから、次に行くぞ。
といってもクリスマスイブの、もう22時か…。テメエの知り合いに当たっていても捕まらなそうだな。
しょうがねえ、夜の街にいる連中にぶっつけで御用聞きだ。とっととソリに乗れ。一生童貞でもいいってんならのんびりしててもいいがな」
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八頭の鹿が引くソリが空を行く。
足元には宝石を散りばめたような街の明かり。
ところどころ、まばゆい光の筋となった通りが見える。クリスマスのイルミネーションだろう。
――綺麗だ。そして、
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「寒い!寒すぎる!俺パジャマ姿なんだよ。おっさん、コート貸してくれよ!」
「ふざけんな!俺だってこんだけ着こんでても寒いんだ。もうすぐ街に降りてやるから我慢しろ!」
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「降りるって云ったって、この鹿とソリで?さっきのマンションは住宅街で暗かったからよかったけど、この街明かりの中、空なんて飛んでたらニュースになっちまうんじゃねえの?」
「心配すんな。魔法で今俺たちの姿は周りから見えねえよ。――お、あの繁華街の外れ、道端に腰を下ろした婆さんがいるぞ?困ってそうじゃねえか。おい、あれをカモるぞ!」
発言が悪党のようだが、しようとしていることは善行だ。婆さん目がけてソリは急降下していく。
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その老婆は70歳くらいだろうか。背の低い、しわくちゃな印象のバアさんだった。
大きな風呂敷包みを背負ったまま、道端に腰を下ろしている。
「――あの、お婆ちゃん?大丈夫ですか?」
急に声をかけてきたパジャマにナイトキャップ姿の若者に、バアさんはしばし警戒の色を顔に浮かべていたが、
やがて小さく微笑んで「ありがとう」と云った。
「具合が悪いわけじゃないんだよ。…ただちょっと、お腹が空いててねえ。心配してくれてありがとう、お兄ちゃん」
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そう云われると放っておけず、俺は近くの24時間営業のファーストフード店に入った。
あれ?そういえば三田の姿が見えない。ソリを停めてくるとか云っていたが、どこまで行ったのか。
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席に着いて、ハンバーガーを3個、バアさんに渡すと、彼女はすぐさま平らげた。
そして人心地着いたのか、再度俺に向かって頭を下げた。
「ありがとう。おかげで助かったよ」
はあ、まあ、とその言葉に照れているうちに、ハタと気が付いた。
これって「人に喜ばれるプレゼント」になるんじゃないのか。
三田がいないのだが、ちゃんとポイントとして加算されるのだろうか。
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「子供と孫の顔を見に田舎から出てきたんだんだがねえ…。息子の嫁が大層あたしを嫌っていてね。どうしても会わせてくれないんだ。家にも泊まらせてくれないもんだから、宿に泊ってたんだが持ち合わせも尽きてね…。田舎に帰ることもできず、寒空の下どうしようかと途方にくれていたんだよ…」
ひどい話だ。嫁も嫁だが、その息子も息子だ。親が田舎から出て会いに来ているというのに、嫁のご機嫌を伺ってか相手もしないとは…。聞いていて腹が立ってきた。
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「せっかく持ってきた土産も受け取ってもらえないし…ハア、どうしたもんかね…」
バアさんは隣の席に置いた、先ほどまで担いでいた大きな風呂敷包みを見ると、ため息をついた。
しわくちゃの顔がさらにしぼんでいくようだった。
目じりには涙が浮かび、ファーストフード店の店内の軽薄な照明の光を受けてきらりと光った。
その姿を見て俺は――
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「――で、テメエのその背中にしょってるのは何だ?」
三田がくわえ煙草のまま、あきれた表情をして俺に尋ねた。
「だから、その、婆さんの土産の、あれだよ。」
「なんだ?」
「――羽毛布団…」
「ちみなにおいくら?」
「――50万円…」
「馬鹿だな」
「――馬鹿です…」
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おかしい。途中までは胸温まるエピソードだったんだ。
バアさんに、その土産を俺がもらって、その分電車賃くらいだったら工面してあげられるかもみたいな話をしている最中に、三田とは別の強面の男が現れて、
「へえ、兄ちゃん優しいね。良かったな母ちゃん、この羽毛布団買ってくれるってよ。この場で現金で」
と有無も言わさぬ勢いで云い放って。
そして、さっきまで涙を浮かべていたしわくちゃバアさんは、そのしわの中にもうひとつ別の顔を隠してたんじゃないかってほど、性悪な顔になって俺を見て、
「ありがとうよ。兄ちゃん」
と云って、そのまま三人、消費者金融へ…
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「俺がソリを停めて、一服している間によくそれだけカモられることができるな?才能だぜ、それ」
「……」
返す言葉もない。
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俺と三田はソリに乗って再び街の上空へと飛び上がった。
眼下にはきらびやかな街。しかし俺の心の中は、この冬空よりキンキンに冷え切っていた。
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「ちなみにさっきのババア、あれは腹空かせているように演技してただけみてえだな。テメエがおごってやった飯も、テメエのポイントには加算されてねえ。――日付も変わって25日。この時点で返済はまだゼロ。こりゃダメだな…」
「……」
「どうする?あきらめて部屋戻るか?この上風邪までひいたら目も当てられねえぞ?」
「……」
口を開くの気力すら、今の俺にはなかった。
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追い詰められたこの状況。人から裏切られたという事実。そして、自分以外の多くの人間は、このクリスマスを楽しんでいるという事――。
すべてがごちゃまぜになって、俺を打ちのめしていた。
泣けてくる。ついでに鼻水も垂れてくる。
三田がこちらを向かず、そっとポケットティッシュを渡してくれた。また涙が出た。
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と、
キキキキイ―ー‼‼‼
住宅街に差し掛かったところで、下界から鋭い車のスリップ音が響いた。
「なんだ?」
俺と三田は顔を見合わせると、音のした方に向かって急降下する。
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そこには――
夜の散歩をしていたのであろう、リードを握ったまま呆然と立ちすくむ片桐さん、
道に残る黒々とした車のスリップ跡、
そして、道路の真ん中で横たわっている、トイプードルのニコの姿があった。
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「おい、やべえぞ!」
三田が叫ぶ前に、俺はソリから飛び降りてニコのもとに走った。
ニコは横たわったまま、浅い息をしている。
血が、身体の影から道路に伝っていた。街灯の明かりの下、それは影よりも黒々と。
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「片桐さん!この近くに動物病院は!」
俺は大声で片桐さんに呼びかけた。彼女はハッと我に返った様子で「隣町に――」と応えた。
「三田さん!ソリ!」
振り返って三田を呼ぶ。三田は俺に何かを言いかけたが、黙ってうなずくと「ふたりとも乗れ!」と叫んだ。
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八頭の鹿が引くソリが、
俺と三田、それに俺の買わされた羽毛布団にニコを包んだまま抱きしめている片桐さんを乗せて、夜空を駆ける。
「方向はこっちでいいんだな!嬢ちゃん!」
「は、はい!その、真っすぐです。でも、でも、こんな時間に診てくれるかどうか――」
「寝てても叩き起こす!三田さん、もっとスピード出ないの?」
「やってるよ!チッ、空飛ぶのに慣れてない鹿どもがバテてきやがった!高度が下がる!お前ら頭下げてろ!」
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徐々に高度を下げていくソリが、商店街のアーケードの下を猛スピードで通過する。
手綱を握る三田が必死に鹿たちを操って、商店の看板などにぶつからないようにギリギリのところを躱(かわ)していく。
しかし、羽毛布団の風呂敷が途中、なにかに引っかかって端が破れた。
中から大量の羽毛が舞い、そのまま後ろに流されていく。
俺の顔にも大量の羽毛の固まりがぶつかり、一瞬目の前が真っ白になった。
振り払って前を見る。
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高度が地面すれすれといったところになった頃、目指す動物病院に到着した。
当然こんな深夜に営業しているわけはなかったが、俺と三田が近所迷惑を顧みず大声で呼び続けたところ、母屋から獣医のおじさんが寝間着姿のまま現れた。
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そのまま緊急の処置が始まった。
俺たちは動物病院の待合い室に通された。
俺はうつむいたまま肩を震わせる片桐さんに、破けてだいぶしぼんでしまった羽毛布団をかけてやった。
片桐さんは何も言わなかったが、その手が、爪が食い込むくらいにきつく俺の手を握った。
俺は黙って隣にいた。
三田は離れた場所で黙って煙草を吸っていた。
時計の秒針の音がやけに大きく聞こえていた。
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2時間ほど経った頃、処置室の扉が開いた。
俺たちはハッと顔を上げてそちらを見た。
そこには、にこやかに微笑む獣医の姿があった。
「――もう、大丈夫ですよ」
片桐さんが目に涙を浮かべて俺を見た。そして、
「ありがとうございます」と嬉しそうに云った。
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明け方まで俺たちは動物病院で過ごした。
片桐さんがニコのそばを離れたがらなかったからだ。
入院させる手筈をとって、獣医がなだめてようやく、彼女は帰路についた。
俺は彼女をマンションまで送った。
分かれる間際、彼女は俺に再度礼を云ってから「またバイトで」と云ってドアを閉めた。
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どっと疲れが押し寄せてきた。張っていた気が急に抜けたせいかもしれない。
俺がマンションから離れ、トボトボと歩いていると、どこに行っていたのか姿が見えなかった三田が俺の前に現れた。
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「お疲れさん」
「ハア、どうも。三田さんもありがとうございました」
俺は頭を下げた。実際、三田のソリがなかったら、ニコは手遅れになっていたかもしれないのだ。
感謝してもし足りない。
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「ところでテメエ、忘れてねえよな?」
「はい?何を――って、あ!」
忘れていた。三田がそもそも俺の前に現れた理由。プレゼント。童貞。
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「まあ無理もねえが。だがこっちも仕事だ。そこはキッチリやらせてもらう。テメエのポイント、数えていくぞ?
まず、羽毛布団のバアさんにおごった飯、買わされた布団。あれは詐欺で向こうも騙そうと思ってテメエを騙してるから、これはポイントゼロだ」
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「そして、さっきの犬の救出劇だが。これは文句なし、ポイントだ。それも2ポイント。ニコって犬本人に対しての行為と、嬢ちゃんを支えたってことへの評価だな」
2ポイント。これが俺が昨日の夜から今日の朝にかけて行動したことの結果。ノルマは5ポイント。結局足りなかったか。
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まあしょうがない。動物病院に着いた時、片桐さんを放っておくことは自分にはできなかったし。それで朝を迎えたことは、自分の中で納得がいく。
「で、あと3ポイント。これはこの街のガキども3人からテメエにだ。計5ポイント。合格」
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――は?
俺は口を開けてしまった。
俺が?
いつ?
子供からポイントをもらうようなことをした?
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「まあ納得いかねえのはわかる。俺もさっきまでポイントが入っていることに気が付かなかったからな。で、ガキどもに聞きに行ったんだよ。テメエが嬢ちゃんを送っていくときに。まあガキには顔見て泣かれたが。とにかく、それによると――」
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それは、夜更かしの子供たちの体験した話。
昨夜、クリスマスイブの夜。小学1年の兄、幼稚園年長組の妹、年少組の弟の3人は、家人が寝静まった深夜、
眠い目をこすりながら、励ましてあって起きていた。
日中、彼らの中である議論が持ち上がっていたからである。
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すなわち、サンタクロースはいるのか、いないのか。
兄はいないと云い、下の二人のはいると云った。
そして、それなら確かめよう、ということになったのだ。
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普段は20時には就寝する彼らだ。すぐに睡魔は彼らを夢の世界に誘おうとしたが、なんとか耐えていた。
そして、その頑張りも限界を迎え、まさに眠りの淵に落ちようとしているさなか、彼らの目にある光景が飛び込んできた。
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窓の外、絵本の中から抜け出してきたかのような。
八頭立てのトナカイの引くソリに乗り、腹まで隠れるほどの真っ白なひげをたくわえて、大きな袋を背負った、三角帽子をかぶった人物。
それが、空を駆けていくのを。
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――いた!サンタクロースはいたんだ!
彼はクリスマスイブに喝采を叫んだのだった。
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「――まあ、そんなわけだ」
「ソリはまあいいとして、腹まで隠れるほどの真っ白なひげって…、ああ、あの羽毛か。大きな袋は布団の入ってた風呂敷、三角帽子はこのナイトキャップ…」
「ずいぶんステキなサンタさんだな、オイ」
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「でも、あのソリは三田さんの魔法で見えないって…」
「あの時は俺も慌ててて、魔法をかけてなかったんだよ。まあ他に見られなかったのは幸いだな」
とんだ慌てん坊の三田さんだ。
「まあ、とにかく、テメエはこれで手付の5年分のポイントを返したことになる。とりあえずは一生童貞の処置は免れたな。だが安心すんじゃねえぞ?これからも毎年きちんと返済してくれねえと、また俺が出張る羽目になるからな」
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「ハア、気をつけます」
「ったく、最後の最後まで気の抜けた返事しかできねえ野郎だなテメエは」
薄く笑うと、三田は黒いコート翻した。
「せっかく一生童貞って宣言は消えたんだ。せっかくだからあの嬢ちゃんにアタックしてみたらどうだ?案外うまくいくんじゃねえか?」
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そう云って黒いサンタは夜明けの街に消えた。
――メリークリスマス――
作者綿貫一
怖い噺じゃありません。