今から30年くらい前の話。
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今でこそインドアな私だが、小学校低学年だった当時は、近所の友達と外で遊ぶのが大好きな活発な少年だった。
通っていた小学校の裏手には深い森があって、私たちの格好の遊び場になっていた。
よくその森で忍者ごっこや、虫取りなどしたものだった。
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なかでも私たちが夢中になっていたのは、森の茂みの奥に、自分たちだけの「秘密基地」を作ることだった。
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自分の背丈よりも高い草をガサガサかき分け進むと、草がまばらに生えている場所があった。
そこには低い位置に枝のある太い木が、狭い間隔で2本立っていた。
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私たちは木の枝と枝の間にロープを渡し、その上に板を置いて簡単な屋根を作った。
次に屋根のあるスペースを中心に、拾ってきた木の枝を地面に差して柱にし、ロープを張って壁を作った。
最後に屋根と壁に落ち葉をまぶし、迷彩を施す。
こうして、大人には内緒の、私たちだけの秘密基地が完成した。
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この秘密基地の中にオモチャや駄菓子、漫画を持ち込んで、暗くなるまで遊ぶのがなにより楽しかった。
周りの大人たちは、子供たちが毎度森の茂みの中に喜び勇んで入って行けば、「ははあ、中で何かやってるな」と気付いていたことだろう。
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しかし危険なことさえしなければ、と看過してくれていたのだと、今にすれば思う。
ほほえましい光景だったのだ。
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基地の周りに足を引っ掻けるトラップや、落とし穴をせっせとこしらえていたことが、ほほえましい光景かは置いておいて。
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夏も近付いたある日のこと。私と友人のS君とT君は、夕方まで秘密基地で遊んでいた。
そろそろ帰ろうということになり、森の入り口に停めてあった自転車の前まで来た時に、S君がズボンのポケットをゴソゴソやり始めた。
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「チャリの鍵がない」
S君はそう言った。
その日は自転車で森にやってきてから、ずっと秘密基地にいたので、鍵を落としたとしたらそこだろう。
S君は私たちに一緒についてきてほしいと言った。
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空は夕焼けに染まりまだ明るかったが、森の中は光を木々に遮られ既に暗闇に包まれ始めていた。
一人では心細かったのだろう。
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私とT君はしぶしぶS君について行ったが、秘密基地まで行くのは面倒だったので、茂みの前で待っていることにした。
「ここで待ってるから早く行ってきなよ」
「う、うん。ちゃんと待っててくれよ。先に帰っちゃ嫌だよ。すぐ戻ってくるから」
そう言ってS君は茂みの中に消えて行った。
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私とT君は茂みの前で雑談をしてS君を待った。
しかし10分程しても戻らない。森の中はすっかり暗くなっていて、鍵を探すのに手間取っているのかもしれなかった。
「遅せーなー」
T君がぼやき始めた頃、
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shake
「うわああああぁぁぁああああああ!?」
茂みの中から絶叫が響いた。
S君の声だ。
私とT君は顔を見合せ、それから大声でS君に呼び掛けた。いきなり茂みに駆け込む勇気はなかった。
「どうしたS君!」
「助けて!あ、穴!落ちる!助けてえええぇ!」
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どうやら何かに襲われているというわけではないようだった。
私とT君は茂みの中に躍り込んだ。背の高い草をかき分け進む。
声は秘密基地の中から聞こえた。
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暗い基地の中を覗き込むと、S君の上半身だけがそこにあった。
近付いて見るとS君の下半身は真っ黒な穴に飲み込まれているのがわかった。
なんとか這い上がろうとしているが、その端から柔らかい腐葉土が崩れて、さらに深く穴に落ち込んでいく。蟻地獄のようだった。
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「やばい!T君、引っ張るぞ!」
「おう!」
私とT君はそれぞれS君の腕を掴んだ。
元々細身で体重の軽いS君のことなので、二人がかりで当たれば簡単に引き上げられるものと思っていたのだが、意に反して腕に伝わってきたのはズシリと重い感触だった。
まるでS君の他にも、別の誰かの体重が加わっているかのような。
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引き上げるどころか、私とT君までじりじりと穴に吸い寄せられていく。
T君が不意に手を滑らせてS君の腕を離してしまった。
その光景を目で確認するかしないかのうちに、私の腕に堪えきれない重量が一辺にかかり、思わず手を離してしまった。
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「あ」
S君の呆然とした表情が視界に移り、その一瞬後には彼の姿は穴の中に消えた。
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私はフラフラとS君の落ちた穴の縁まで歩み寄った。
そこには底の見えない漆黒の空間が口を開けているばかりで、友人の姿は見えなかった。
呼び掛けても応える声もない。
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大人を呼んでこなくては――
私はそう思い、T君とともに森の外まで走った。
停めてあった自転車にまたがり、全速力で近くの私の家まで走った。
家にはちょうど庭いじりをしていた祖父がおり、私はしどろもどろになりつつ事情を話した。
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私は気が急いていたが、祖父は物置から丈夫な長いロープと懐中電灯を取り出してきて、それらをきちんと確認してから私に案内をするよう促した。
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再び森に着いた時にはすでに日は完全に暮れていた。
祖父は懐中電灯を先を照らし、私たちは祖父を先導して走った。
茂みの中で、途中何度も祖父は転んだ。私たちが常日頃秘密基地の周りにこしらえていたトラップやら落とし穴のせいだ。
暗くても慌てていても、自然我々はそれらをかわして走っていたらしい。
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ようやく秘密基地に着くと、祖父は私たちを下がらせた。基地の中は完全に真っ暗なため、私たちまで誤って穴に落ちるのを防ぐためである。
祖父は自分の体にロープを巻き付け、もう一方の先を太い木の幹に縛りつけてから、懐中電灯を掲げて秘密基地の中に入って行った。
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しばしの静寂の後、私たちは祖父に呼ばれた。
祖父は基地の中で、懐中電灯で地面のあちこちを照らしていた。
そして私に言った。
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「穴なんてどこにあるんだ?」
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あの日、戻った秘密基地に穴など開いていなかった。
元々穴があって、それを埋め直した形跡もなかった。
私たちが見たあの深い穴はすっかり消えてしまっていた。
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そしてもうひとつ、消えてしまったもの。
それはS君だった。
その日を境に行方不明になってしまった彼の所在は、30年が過ぎた今もなお、知れぬままである。
作者綿貫一
こんな噺を。