昔から、他の人には見えないものが見えた。おばけとか、妖怪とか、たぶんそういうものだ。
幼い頃は、それらと人を区別することが困難だったせいで、周りからは気持ち悪がられたり、虐められたりしていた。
そんなことがあり、次第に私は学校を休みがちになっていった。
学校には行っても、途中で帰ったり、登校中に行くのが嫌になって、何処かで遊んだりした。
それだから、不良少女なんて呼ばれるのは当たり前のことなのかもしれない。
そんな私でも、ママは優しくしてくれた。
ママは身体が弱く、風邪を引いて寝込んだり、入院したりすることが多かった。それでも、私の面倒をしっかりみてくれた。
パパは私のことを見捨てていたみたいだったし、ママともよく夫婦喧嘩をしていた。
自分の部屋にいたら、急にリビングから食器の割れる音がしたり、怒鳴り合ったりして、正直、二人の喧嘩には慣れてしまっていた。
中学二年の秋頃だったと思う。
いつものように息苦しい学校を脱け出し、街を歩いていた。時刻は午後0時、ちょうどお昼時だった。
とりあえずコンビニでパンを買い、特にすることもなかったので家に帰ることにした。
「ただいま~」
「あら鈴那、おかえりなさい。何か嫌なことあったの?」
家に帰るとママがいた。
「めんどくさかっただけ。先生がピアス外せってうるさいんだもん。」
「あらあら、明日はちゃんと最後まで授業受けなさいよ。先生も心配してるから注意してくれるのよ。」
「わかってるけどさぁ…うん、わかった。」
「でもまぁ、ピアスは別にしてもいいんじゃないかしら。他にもしてる子いるでしょ?オシャレしたいわよね~。」
「うん、ありがと。」
どんなことがあろうと、大好きなママのことだけは絶対に信じることが出来た。
ママは、私の味方だから。
それからは、居間でテレビを観て過ごした。
いつの間にか、ママはソファーで寝てしまっていた。
ふと時計を見ると、時刻は午後六時を過ぎていた。いつもなら、そろそろ夕食の時間だ。
あれ?ママが起きてこない。
ママが寝ているソファーに目を移すと、ママはまだ寝ていた。
起こしてあげようと思い、揺すろうと肩に手を触れる。
熱い…息が荒い。
「ママ?ママ!大丈夫!?」
そんな…どうして気付いてあげられなかったのか。私が同じ部屋に居たのに。
兎に角直ぐに救急車を呼び、私はママの傍で泣いていた。
ママがこんなふうになってしまったこともあるけれど、それ以上に自分が許せない。ママの異変に気付いてあげられなかった自分が。
家に救急車が到着したと同時に、パパが帰ってきた。
「何があった!?」
「ママが…!ママが熱くて、返事しなくて…!!」
私は泣きながら必死でパパにそう訴えた。パパはそんな私をいつもと変わらぬ目で見ていた。いつもと同じ、家のゴミを見るような目で。
私はママと一緒に救急車へ乗り、パパは後から車で来た。
「ママ、ママ…」
病室で、私はママの手を握り、泣きながら何度もそう言い続けた。
ママは目を覚まさない。
暫くするとパパが病室に入ってきた。
「お前はもう帰れ。」
パパが私にそう言った。
反論しても痛い思いをするのは目に見えているので、私は一人で帰ることにした。
パパは車で来たのに、私を同じ車には乗せてくれないんだ。私が乗ると穢れるから。
病院前のバス停でぼんやりしていると、遠くの方から二つの光が近づいてきた。
それとの距離は次第に狭まり、やがて目の前にバスが停車した。
私はそれに乗り込み、後ろの二人分の席に一人で座った。他に乗客の姿は見えない。
扉が閉まり、「発車します」という車内アナウンスが流れる。それと同時に、バスは動き始めた。
バスに揺られながら見ていた夜景は、どこか懐かしく感じられた。
・・・
「次は、○○、○○、です。」
ぼーっとしていると、私が降りるべきバス停の名前が車内アナウンスで呼ばれたので、慌てて近くにあったボタンを押した。
バスが停車する。私は立ち上がり、料金箱に整理券とお金を入れ、バスを降りた。
無事、家に着いた私は、食欲が無かったのでお風呂に入り、その後寝てしまった。
ぼんやりとした光が視界に入り込んでくる。
ゆっくりと目を開く。まだ眠い。
パパはどこだろう。ダルい身体を起き上がらせてリビングへと向かう。
パパがいた。ソファーに腰掛けて俯いていた。
「パパ?」
私が呼び掛けると、パパはゆっくりとこちらを向いた。疲れきった表情で私を見ると、こう言った。
「死んだよ…」
死んだ。その一言だけだったが、誰が死んだのか直ぐにわかった。
その瞬間、私は膝から崩れ落ちた。
パパは話を続けた。
「昨日の夜中、容態が悪化して…」
そんな…私は、あのとき私が助けてあげられたら、こんなことにはならなかったのかもしれないのに。
パパは立ち上がると、私に近付いてきた。私の前に来て、足を止める。
…お腹に激痛が走った。蹴られた勢いで、私は床に倒れる。
「お前のせいだ…お前のせいだぞ!!どうしてくれるんだ!責任取れるのか!!!」
倒れた私にパパは怒声を浴びせる。
そう、私のせいだ。全て私が悪い。だからパパにこんなことされても仕方がないんだ。
「ごめん…なさい…」
泣きながら謝る私に、パパは睨み付けながら言った。
「お前、出てけ。もういらないから。」
いらない。遂に言われた。
「そんなっ、じゃあどうやって生きていけばいいのさ!?」
「そんなこと知るか。いいから出てけっ!」
そう言ってもう一発私のお腹に蹴りを入れると、ソファーに座り俯いてしまった。
暫く痛くて立てなかったが、次第に痛みも引いてきたので、私は部屋に戻り、着替えてから荷物をまとめた。
家出しよう。そう決めたんだ。
イヤホンを耳に当て、部屋を後にする。
リビングを通り過ぎ、玄関を出た。
もう授業は始まっている。
無断欠席はよくすることだし、別に気にすることはないか。
人通りの少ない道を当てもなく歩いて往く。
どれくらい歩いたのだろう。
疲れたので、バス停でバスを待つ。
バスは五分ほどで着たので、それに乗り、整理券を一枚取る。
乗客は私だけだった。
・・・
「次は、終点、○○駅、○○駅です。」
イヤホン越しから、車内アナウンスが終点の駅名をコールする声が聞こえた。
もうそんなに乗っていたのか。ぼーっとしていたらあっという間に時間が過ぎてしまった。
とりあえず整理券の番号と料金表を照らし合わせる。駅に停車したので、料金箱に整理券とお金を入れた。
隣の街まで来てしまった。これからどうしよう。
仕方なく、その街を歩いてみることにした。
何処か休める所はないだろうか。お腹も空いた。
コンビニを見付けたので、そこでパンと炭酸を買った。そしてまた歩く。
周りの大人たちは、私のことを変な目で視てくる。それもそのはずだ。まだ中二なのだから。学校に行ってなければおかしいのだ。
河川敷のベンチに座り、そこでさっき買ったパンを食べて少し休憩をすることにした。
秋の日差しが気持ち良い。なんだかうとうとしてきた・・・
・・・・・
ふと目が覚めた。いつの間にか寝てしまっていたのか。イヤホンから流れる音楽を止め、腕時計で時間を確認する。
午後一時。これからどうしようか。辺りを見回すと、人影が見えた。
河川敷の上の通りに二人の人いる。一人は男の子のようで、歳は、私と同じくらいだろうか。中学生くらいの背丈で、顔も確認できる。あ、かっこいいかも。
もう一人は、和服を着たおじさんだった。二人は楽しそうに話している。
でも、男の子の方は学校には行っていないのだろうか?
そんなことを考えていると、二人は歩き出した。
咄嗟にベンチから立ち上がり、近くにあった階段を駆け上がる。
あの人に訊いてみよう。この街のことを。もしかしたら彼も、何かの理由で学校を休んでいるのかもしれない。と、何故かその時はそう思った。
階段を上がりきると、二人が路地の向こうに消えていくのが見えた。
急いでそのあとを追いかける。
ドンッ‼
「きゃっ!」
「うわぁっ!」
誰かとぶつかった。私は転ばなかったが、相手を軽く突き飛ばしてしまったようだ。見ると、ピンク色のワンピースの上に、白いフード付きのパーカーを着ている女の子だった。
それにまだ小さい。私より歳は下にみえる。
「あっ、だっ、大丈夫?ごめんね。」
私が声を掛けると、少女は顔を上げて立ち上がった。
「ふぅ、大丈夫。なんともないわ。あなたこそ、大丈夫だったかしら?そんなに急いで、何かあったの?」
あどけない顔立ち、可愛らしい声、どこからどう見ても少女のようだが、口調はまるでおばさんのようだ。
「えっ、あ、あぁ、あたしは、大丈夫だけど。君、小学生かな?学校は?」
私がおどおどしながらそう言っていると、少女はニコリと笑った。
「あらあら、わたしはもう大人よ?あなたこそ、学校には行っていないの?何か、事情があるの?」
大人?どういうことだろう。キツネに騙されているのだろうか?それとも、この少女はおばけとかなのか?
「あの、何者?」
私がそう訊ねると、小学生はウフフと笑い「ついていらっしゃい」と言った。
先程の少年とおじさんのことも忘れて、私はわけがわからないまま、その少女の後をついていった。
狭い路地を抜けると、少しだけ広い道に出た。それでもまだ変な感じだ。陰気臭くてじめじめしている。
「着いたわ。」
少女はそう言うと、一つの建物の前で足を止めた。
その建物はかなり昔のものらしく、かなり寂れたように見える。
上には、『駄菓子屋、鬼灯堂』と書かれていた。
「ここがわたしの家、駄菓子屋をやっているの。さぁ、遠慮しないで入っておいで。」
少女はそう言い、ガラガラとガラスの戸を開いて店の中に入っていった。
私もそれに続いてゆく。
店内の丸椅子に腰掛けるように言われたので、少し古い木製の丸椅子に腰掛けた。
「あの、君は、何者なの?」
私は少女に質問をした。
「わたし?わたしはね、妖怪。あなたも見えるのでしょう?幽霊も、妖怪も。」
一瞬、思考が停止した。
妖怪?それになぜ私が霊を見るということを知っているのか。
「妖怪?君が!?妖怪!?」
私はここにいて大丈夫なのだろうかと思った。ようやくそのことに気付いたのだ。
そもそも初めからおかしかった。こんな違和感のある少女になぜついてきたのか。それにこんな廃れた場所に、普通の少女が住んでいるはずは無い。
さっきまで封印されていた恐怖が、心の底からじわじわと沸き上がってくる。
まずい。逃げた方が良いだろうか。
「安心して、怖がらなくても大丈夫よ?食べたりしないから。」
少女はそう言って、向かいの丸椅子に腰掛けた。
私は椅子から立ち上がった。勢いよく立ったせいで、椅子が後ろに倒れる。
逃げようとしたが、倒れた椅子に足をつっかえて転倒した。
痛い・・・
後ろから足音が聞こえてくる。
「大丈夫?すごい勢いで転んだけど。」
声のする方を見ると、少女が私の顔を覗きこんでいた。
私はゆっくりと立ち上がり、少女の方を見た。少女は笑顔でそんな私を見ている。
「落ち着いて。わたしはあなたの味方だから。」
少女はそう言うと、手を差し出してきた。
私も手を出す。そして勢いよく少女を突き飛ばした。
「ふにゃっ!」
少女は変な声を上げ、床に倒れこんだ。
逃げなきゃ。
店を飛び出し、さっき来た道を走る。
と、足に何かが絡み付いた。
次に両腕、脚を伝ってニョロニョロと胴体まで何かが絡み付いてきた。
「ひゃっ!なにっ!?」
驚いて変な声を上げてしまった。
触手?が絡み付いてきたんだ。なんかニョロニョロ動いて気持ち悪い・・・
「謝りなさい。」
背後から声がした。あの少女の声だ。
首を回して後ろを見ると、少女は背中から触手を出して腕組みをし、ムスッとした顔で私を睨んでいた。
「どうしてあんなひどいことをするの?痛かったわ!」
どうやら怒らせてしまったらしい。これがあの少女、いや、妖怪の力なのか。
「まっ、まずこれ離してよ!気持ち悪いんだからっ!ひゃっ!」
いちいち変に動いて気持ち悪い。素直に言うことを聞いておけばよかった。
「謝るまで離してあげなーい。」
「ごめんなさいごめんなさい!だから離してくださいお願いします!」
私が全力で謝罪すると、ゆっくりと身体を地面に下ろされ、触手は離れていった。
「あぁ~、びっくりした。」
「それはこっちの台詞よ。急に突き飛ばすんだから。折角力になってあげようと思ったのに。」
そう言うと少女は手を差し伸べてきた。
私は恐る恐る少女の手を掴む。
少女はニコリと笑った。
「ごめんね、驚かせちゃったわね。怪我しなかった?」
「あ、は、はい。大丈夫でした。ごめんなさい。」
何故か敬語でもう一度謝罪する。この人、いやこの妖怪、怒らせちゃいけない。
駄菓子屋に戻り、少女と話をした。
少女の名前は十六夜日向子といい、もう百年くらい前からここで駄菓子屋を営んでいるらしい。とは言っても、認知度はかなり低く、客が来ることは少ないのだそうだ。
それもそうだろう。こんな場所にそもそも人が来るのだろうか。
「それで、日向子ちゃん生活できてるの?」
私は彼女を日向子ちゃんと呼び、気付いたら警戒心も薄れて仲良くなっていた。日向子ちゃんの笑顔が、私をそうさせたのかもしれない。
「ええ、大丈夫よ~。駄菓子屋は趣味でなんとな~くやってるだけで、本業は別にあるわ。」
「でもさ、妖怪なんでしょ?それにその外見だと、なんか、不便じゃないの?」
そう、日向子ちゃんは小学生のような外見で、しかも妖怪だ。人間社会でどのように生きているのだろうか。
「まぁ、平日の昼間は怪しまれるから、あまり外には出ないわね。でも、ちょっと用事があったりすると、目立たないように外出するわ。」
「ふ~ん、じゃあさ、お仕事とかは?人間社会で働けるの?」
「ウフフ、それがちょっと裏のお仕事なのよね。詳しくは教えられないけど。」
何か怪しい仕事でもしているのだろうか。そのことについては詳しく教えてもらえなかった。
「あ、そうだわ。鈴那ちゃん、何か困っているんじゃないの?だから学校も行ってなかったのでしょう?」
そうだ。すっかり楽しい話で盛り上がっていたが、それまでに色々あったんだ。
「うん…実はさ、色々あって。」
私は日向子ちゃんに、今まであったことを全て話した。私が霊能力のせいで学校にはあまり行けていないこと、ママやパパのこと、家出をしてしまったことなど、途中から泣いてしまったので、上手く伝えられたかは分からない。
それでも、一生懸命日向子ちゃんに話した。
話し終えると、日向子ちゃんは頷いた。
「うんうん、なるほど。家には、もう戻らないつもり?」
「戻りたくないけど、あたし、どうやって生きていけばいいのかな・・・」
もうパパにも会いたくない。でも、生きていく術がない。
「もし本気なら、ここで一緒に住んでも良いのよ?鈴那ちゃんさえよければだけど。」
「えっ?」
耳を疑った。私のためにそこまでしてくれるの?あんなにひどいことをしたのに。
「あ、でも学校遠くなっちゃうわね。この近くの中学校に転入させてあげることもできるけれど、ちょっと考える時間が必要かしら?」
学校も?この人本当に何者なんだ?
「は、え?転入できるの!?」
「ええ、一応手続きしてあげられるけれど。それでも良いのならね。」
それなら、もう答えは決まっている。
「したい。こっちに住みたい。日向子ちゃんのとこに居たい!」
本気だった。実は死のうとも考えていた。でも、きっとママは私が死んだら悲しんでしまう。それなら生きていたい。
そう思っていた。
「なら、パパさんに電話してあげたら?ちゃんといってあげなきゃ、向こうも困っちゃうでしょう。」
そうだ、そうしよう。最後にパパと話すんだ。そして大人になったら見返してやろう。
私はパパに電話をかけた。
パパは暫くして出てくれた。
「もしもし?」
「もしもしパパ、あたしね、一人で生きてくことにした。大丈夫。助けてくれた人がいてね。学校も、こっちの学校に通うの。だからパパ、さようなら。」
「・・・そうか、勝手にしろ。」
そう言ってパパは電話を切った。
「良いって?」
日向子ちゃんは私の様子を伺っている。
「うんっ!」
私は笑顔で返事をした。
それからは、日向子ちゃんと一緒にこの場所で暮らした。
学校の手続きとかも全部してくれて、私はこの近くの中学に通うことになった。
日向子ちゃんに言われて、ピアスは外すことになった。逆らうと、また怖い目に合わされそうだ。
転入してきた私は、暫くクラスから浮いていたけど、ある時話しかけてくれた女の子と仲良しになり、次第に他の子とも話すようになった。
日向子ちゃんはごはんも作ってくれて、私を娘のように可愛がってくれた。
それと、一緒にお風呂に入った時に気付いたことがある。
日向子ちゃんが背中から出す触手、あれはどのように出しているのだろうと、あのときからずっと気になっていた。
彼女の背中には、大きな亀裂、いや、口があった。
日向子ちゃんはそれを「第二の口」と呼んでいたけれど、あれが開いて触手がうねうねと出てくるのを想像すると、なんだかグロテスクだ。
中学三年生の夏、日向子ちゃんを通じて一つ年下の神原零という男の子に出会った。彼は、みんなからゼロと呼ばれているらしい。
ゼロは呪術師といって、心霊関係の悩み相談、お祓い、時には妖怪の手助けなどをしている、今はその修行中なのだそうだ。
私は霊媒体質だったこともあり、才能があると見込まれ、ゼロに勧められて呪術師の修行と手伝いをすることになった。
修行とは言っても、そんなに辛いものではなかった。
中学を卒業すると、呪術の方も実践が多くなり、お祓いのアルバイトみたいな感覚でやっていた。
高校一年の春、私は一人暮らしをすることを決意した。
家賃とかは日向子ちゃんが払ってくれるらしく、とても助かった。そのほかにも、何か困ったことがあったらいつでもうちにおいでと言ってくれた。
日向子ちゃんにはお世話になりっぱなしだ。いつか恩返しがしたい。
高校でもなんとなくの友達は出来たが、本当に仲良しの子はいなかった。普通の女の子と、あまり話が合わない。
初めは仲良くしていても、時が経つにつれて一人でいることが多くなった。
別に友達が居ないのは慣れていたし、どうってことはなかったけれど。
高校二年の春、新学期が始まって直ぐのことだった。
ゼロが中学卒業を機に始めた神原怪異探偵事務所という、表向きは古本屋「神原堂」の探偵事務所がある。そこでいつものようにのんびりとお菓子を食べながら過ごしていると、ゼロがある話を始めた。
「昔、この辺りでは有名な呪術師が居たんです。その孫が、僕らと同じ高校に通っているらしいんですけど。」
「へー、名前はなんてゆーの?」
「雨宮しぐるです。変わった名前でしょう。鈴那さんと同級生だと思うんですけど。」
雨宮しぐる、聞いたことがあるような無いような・・・
「あっ!」
思い出した。
「なっ、なんですか?」
「いや、その雨宮しぐるってやつ、隣のクラスに居たかも!わかんないけど、明日確認してみるね!」
「え、本当ですか!お願いします!」
次の日、私は隣のクラスを怪しまれない程度に見張っていた。雨宮しぐるは直ぐに見付かった。
一人の男子生徒が、ある男子生徒に「なぁ、しぐる~。」と言っているのが聞こえたんだ。その呼ばれた生徒の方を見ると、そこには見覚えのある男子が座っていた。
あの時だ、河川敷から見上げたときに和服のおじさんと一緒にいた、あの男子だった。
学校が終わると、ゼロの事務所に直行し、そのことを話した。
そして私はゼロに訊いてみた。
「ねぇ、あの時、雨宮しぐるは何かあったから学校休んでたの?」
“あの時”とは、河川敷の通りで彼を見掛けたときのことだ。
「あぁ、彼、妹さんを亡くされて、暫く不登校だったんです。他にも、色々辛いことがあったらしくて。」
そんなことがあったなんて。苦しんでいるのは私だけじゃないんだ。
それなら、助けたいと思った。もし、まだ彼が苦しんでいるのなら、同じように苦しんできた私が助けてあげたいと思ったんだ。
それから私は、雨宮しぐるの行動を観察するようになった。そうしていくうちに、少しずつ彼に惹かれていった。
そしてある時、喫茶店でコーヒーを飲んでいた彼に声を掛けてみた。
「あなた、雨宮しぐる?あたし城崎鈴那ってゆーの。よろしくね!」
夏祭りの日、俺は城崎の歩んできた人生の話を聞いた。
今はこんなに明るい彼女に、昔そんなことがあっただなんて。今日、俺にそれを話して、少しは気持ちが楽になれただろうか。
全て聞き終えた俺は、城崎に言った。
「お母さん、本当に良い人だったんだな。」
「うん…優しかった。でも、悪いことはちゃんと注意してくれたし、ママの言うことはちゃんと聞くようにしてたの。」
彼女にとって、母親がどれだけ大事な存在だったのかが話を聞いてわかった。
それと、話の中に出てきた俺のことについても気になったことがある。
「なぁ、その、河川敷のとこだけどさ、俺、城崎が寝てるところの前を通ったんだ。なんでこんなとこに一人で居るのかなぁって思って通り過ぎちゃったんだけど。あれお前だったのか~。」
「そうだったの!?なんだ、話し掛けてくれたら嬉しかったかも~。」
城崎が笑う。彼女の笑顔に、少しだけ鼓動が高鳴る。
「あぁ、それで階段上がったら、知り合いの長坂さんっていう、神主やってる人に会ってさ、あの、和服のおっさんがその人。」
「へ~、あの人神主さんだったんだ。なんか不思議だね、あたしたち二人で思い出話だなんて。」
「そうだな、この前会ったばかりだと思っていたのに、実は過去に知らないところで会ってたなんて。」
まるで、何かの運命みたいだ。そこまでは恥ずかしくて言えなかった。
「あ、それと、なんでゼロのやつあんなに俺の情報知ってたんだよ。しかもあの探偵事務所って、表向きは古本屋だったのかよ。全然知らなかった。」
「へへへ、古本が多いなとは思ってたけど、本目当てのお客さんが来なければ、それらしい看板も無いもんね~。あれじゃあわかんないよ。」
「それと」と、城崎は続けた。
「ゼロには優秀な情報屋さんがついてるからね。しぐのことも、それで知ったんだと思う。」
優秀な情報屋とは誰のことだろう。祖父のことまで知っているとは、まだ俺の知らない呪術関係の人間がいるということなのだろうか。
「ねぇ、しぐ。」
城崎に呼ばれ、色々と考えていたことが一度ストップする。
「ん?なんだ。」
「ほら、あたしたちってさ、まだ、仲良くなったばかりでしょ?でも、あたしはしぐのことずっと見てたわけで、その、あなたのことが、好きなんだわけさ・・・」
緊張しているようで、城崎の日本語がおかしい。自然と俺も緊張する。しかも然り気無く告白された。なんだこの状況。
「それでね、だから・・・あたしと、お付き合いを前提に友達になってくだひゃい!」
「・・・は?」
唖然としてしまった。
待て、俺達はまだ友達にすらなれていなかったのか?
「おいおいちょっと待て、今から付き合うんじゃないのか?俺達はまだ友達ではなかったのか?」
「え、だ、だって、その、まだしぐのことで知らないこと沢山あるし、そりゃ、友達のつもりだったけど、しぐはどうだったのかなぁって・・・」
「いや、俺もお前とは、と、友達のつもりで。しかもさっき俺、然り気無く告白されてたよな。」
今更城崎が顔を赤くする。今まで見たことが無いくらいに恥ずかしそうだ。
「そ、それは、いや、あなたのことが好きですよ?できたらもう付き合っちゃいたいけど、しぐは・・・あたしで、いいの?」
見つめられて益々鼓動が高鳴る。答えは・・・
「も、勿論。俺も、鈴那が好き・・・。それに、付き合ってからお互いのことを色々知ることだってあるし、早くても良いんじゃないかな。」
彼女のことを初めて下の名前で呼んでみる。
「そうだね、改めてよろしくね。しぐ!」
「あ、ああ。よろしく。と言うか、十六夜さんはこのために露を俺達から外したのか?それとも、露もグルだったのか?」
そう、初めて鬼灯堂で十六夜さんに会ったとき、祭の話が上がって俺が行くことになった時、ウインクしたことも、露を俺達から外したのも、何となく彼女の行動が気になってはいたが、そこまで深くは考えていなかった。
「日向子ちゃんに相談しててさ、協力してくれるって言ってくれて。露ちゃんは違うよ。」
露は違かったのか。あいつ、もう少し人を疑うことをしないのだろうか。
「そうだったんだ。露のやつ、祭りで浮かれてたのかな。」
ドンッ!
不意に、夜空で光と共に大きな音が鳴った。俺も鈴那も音のした方向に目をやる。
ドンッ!
まただ。それは、俺達の目の前で一瞬にして咲き、そして散っていった。
花火だ。
花火を見るなんて、何年ぶりだろうか。ドンッという低い音が心臓まで届く。
「わぁ~花火だーっ!」
鈴那は目を輝かせて花火に釘付けになっている。
「かわいい。」
彼女を見てそう思った。
・・・声に出てた。
「へ?何か言った?」
鈴那が花火から目を反らしてこちらを見る。どうやら花火の音でちゃんと聞こえていなかったらしい。よかった。
「い、いや、なんでもないよ。」
「ふ~ん。まぁいいや。それより見てよしぐ!花火すっごい綺麗!」
再び花火に向き直り、子供のように目を輝かせている。
「そうだな。綺麗だ。」
鈴那が。とは言えない。考えただけで顔が熱くなる。全く、さっきから妄想ばかりだ。
・・・?
何かに肩を突つかれたような気がした。
後ろを振り返るが、誰もいない。
気のせいか?また花火の方に向き直る。
「ツンツン」
また肩を突つかれたと思えば今度は声も聞こえた。
「十六夜さん?」
後ろには見た感じ誰も居ないが、確かに十六夜さんの声だった。
「いるんですよね。十六夜さん。」
鈴那が「どうしたの?」とこちらを見てくる。
「いや、十六夜さんの声が聞こえたんだけど・・・」
二人して後ろを見る。
誰も居ない。
「あらあら、可愛いわね~。」
前から声が聞こえた。
二人して慌てて向き直ると、十六夜さんと露の姿があった。
二人ともニヤニヤしている。
「露、どこから見ていた?」
「二人が花火に夢中になっているところからですよ~。話は十六夜さんから聞きました!旦那様は、花火より鈴那さんに見とれていましたね。」
そう言われて顔が熱くなる。
「その様子だと、もうお二人はカップルさんかしら?」
十六夜さんがそう言うと、鈴那も顔を赤くした。
「まぁ、そうだけど。」
鈴那が照れ臭そうに答える。
露も先程からニヤニヤが止まらない。
こいつのこんな顔を見るのは初めてだ。なんか可愛い。
鈴那と俺は顔を見合せて笑う。
ドンッ!!
その時、今日一番の大きな花が夜空に咲いた。
七月末の最後に、俺達は一生忘れることの無いであろう体験をした。
作者mahiru
久しぶりの雨宮しぐるシリーズです!
今回はちょっと長めのお話です。