ただしくんがけいむしょをしゅっしょしたときには、もう30さいをすぎていました。
ただしくんは、はたちのときにじぶんのおとうさんをころしました。
おとうさんがだいすきなりんごのなかに、せいさんかりというどくぶつをまぜたのです。
ただしくんは、おさないころからなにかにつけて、いつもおとうさんになぐられていました。
おとうさんは、じぶんににていないただしくんがどうしてもかわいくはおもえませんでした。
ただしくんは、おとうさんのじつのこではなかったからです。
ただしくんは、おとうさんがくるしみもだえながらしんでいくすがたをみても、ざいあくかんも、こうかいもなく、なにもいわず、ただそこにたっていました。
ただしくんはふしぎなことに、なんのかんじょうもわかないのに、こころのなかではわらっていました。
そのあとただしくんは、おかあさんもさしころして、つとめさきのてっこうしょでからだをこまかくせつだんすると、とおくのやまのなかにうめました。
けいさつがさがしても、おかあさんのいたいはみつかりませんでした。
ただしくんは、そのひからわらうことも、かなしむことも、おこることもなくなりました。
けいむしょをでたただしくんは、ほごかんさつかんにしょうかいしてもらった、いなかのこうじょうではたらきはじめました。
そして、40さいになったとき、ただしくんはこうじょうでであったとしうえのじょせいとけっこんしました。
あつげしょうで、おかねがだいすきで、おおきなこえでわらうひとでした。
ただしくんは、かんじょうのきふくもとぼしく、ぜんかのあるじぶんのどこがすきなの?とたずねました。
なんでもゆるしてくれそうなやさしいところ
と、じょせいはこたえました。
じょせいはすぐにあかちゃんをみごもりました。
うまれたのはかわいいおとこのこでしたが、ただしくんにはまったくにていませんでした。
ただしくんは、なぜかじぶんのこどもをあいすることができませんでした。
こどもが5さいになったとき、おくさんがかってきたあかいりんごをむしゃむしゃとたべるわがこのうしろすがたをみて、ただしくんは、ころしてやりたいというかんじょうがわいてきました。
ただしくんは、むいしきにこどものあたまをなぐっていました。
ただしくんは、いたがるこどもをみて、むねのなかにあったきりがはれるのをかんじました。
そして、しんじられないぐらいにたのしいきぶんになりました。
ただしくんのかおには、ひさしぶりのえがおがもどっていました。
そのひからただしくんは、おくさんががいしゅつしているときをみはからって、こどもをたたくようになりました。
あるひ、いつものようにこどもをたたいていると、うちどころがわるかったのか、こどもはうごかなくなりました。
ただしくんは、くるまにこどもをのせると、とおくのやまにむかいました。
あなをほって、はだかにしてうめようとしたとき、こどもがとてもおいしそうにみえました。
そのよる、きたくしたおくさんとこうろんになって、あのこはおまえのこじゃないんだ、かえせ!といわれました。
ただしくんはにこにこしながら、たべちゃったからもうないよー、とこたえました。
2002、6、3
…
河村忠本人が書いたとする、この日記を法廷に持ち込んだ日高直美の弁護士は、彼女の正当防衛を主張した。
この日付の二日後に、日高直美は夫である河村忠を刺殺している。
夫の河村忠に多額の保険金が掛けられていた為、裁判は最高裁まで縺れたが、結果的に日高直美は日記という証材を盾にして、執行猶予付きの仮処分を言い渡された。
それから5年後、日高直美は自室で首を吊り自殺を図った。
日高直美の預金は既に底をついており、検査官が直美の遺体を調べたところ、咽喉に詰め込まれた一枚の紙切れを発見した。
それにはこう書かれてあった。
ただしくんと、だまされたばかなやくにんたちのおかげで、なおみちゃんはおおがねもちになりました。
しかし、わるいおとこにだまされたなおみちゃんは、おかねをすべてうしなってしまいました。
なおみちゃんは、てんごくにいきました。
【了】
作者ロビンⓂ︎
このお話は、敬愛するよもつ先生の名作「ただしくん」の続編となっておりますψ(`∇´)ψ
→ http://kowabana.jp/stories/22013
先生!勝手に書いてしまってすみません!ψ(`∇´)ψ