「かわいそう」
そんな些細な一言から論争は始まった。
動画共有サイトに寄せられた一つの動画――室内飼いしているニシキヘビの檻に野良猫を投げ込む――には人間に孕む残虐性を嗜好的に楽しませる目的があった。その動画のコメント欄には猫を憐れむ数多くの言葉が集まったが、比例して否定的な言葉もあった。
「ヘビがただ生きる為に捕食しただけだ」
「あなたは肉を食べないのですか?」
「じゃあゴキブリ殺したら可愛そうとは思わないの? ただ気色が悪いだけで命を奪うのは人間のエゴじゃん。それは矛盾じゃないの?」
的を射ている返答の数々。言葉での戦いで言うなら、これを「論破」とでも言うのだろうか。――投稿者であるM氏は、自分の意としている反応が繰り広げられているコメント欄を満足そうに眺めていた。
日に日にコメント数を増やし、注目度が上がる。他に掲示板が設けられたり、Webニュースでも取り上げられたりもした。M氏の想像を上回る反響であった。
M氏は普通のサラリーマンだ。
仕事に対して何の悩みはなく、給与に対しても不満はない。会社からは住宅手当が支給され、都内では割と広いマンションの一室を借り、悠々自適に暮らしている。また、容姿が整った綺麗な女性とも交際しており、誰から見てもM氏は充実した生活を送っていた。
だが、M氏には、一点だけ普通と離れた歪んだ趣味がある。それは、飼っているヘビに拾ってきた野良猫を餌として与えることだった。その一部始終――成猫がヘビに飲み込まれていく様子――を眺め、内に眠る残虐性を満たすのだった。
始めは市販されている餌用ネズミを与えていたが、それに見飽きた頃に、住まい付近に生息している野良猫を餌にしてみよう、というアイデアが閃き、夜な夜な野良猫を生け捕りするようになった。そして、何度も繰り返していくうちに、今度は動画に撮って猫をこよなく愛する人たちにこの捕食の一部始終を見せつけてやりたい、と衝動が次のステップに移り、今回の投稿に至る。
元はと言えば、M氏は猫を可愛い可愛い言っている群衆が気にいらず、いつか黙らせてやりたい、そういう思いが内に沸々と煮えたぎっていた。それを晴らすべく、与えるダメージが大きい「動画投稿」という手段に踏み切ったのだろう。
もちろん、彼の行いを表だって肯定する者はいないので、M氏はこの趣味については誰にも公言していない。会社の同僚、交際している彼女、友人、家族……彼だけの秘密だ。
そんなある日。会社から帰宅したM氏は、いつものようにノートパソコンの電源をつけ、自分が投稿した例の動画のコメント欄を確認する。
(おや? 新たな書き込みがあるようだ)
無名のアカウントからのコメントがあり、それはこう記されていた。
『あなたにも同じような思いをさせてあげましょう』
確実に投稿主のM氏に対して言葉であり、どこか挑発的だった。だが、所詮インターネットの世界。本人の実名どころか居住地がわからないところで何ができる? M氏は鼻で笑いながら、そのコメントに返信した。
『是非、お願いしたいですね。できるものなら』
そうキーボードで打ち込み、送信をクリック。冷蔵庫で冷やしておいた缶ビールを開けて、にやにやしながら一口飲んだ。
その週末。M氏は趣味の準備に取り掛かった。時刻は日付も変わった深夜一時頃。マスクで口、鼻を隠し、パーカーについたフードを深く被り、動物用の籠を持つと野良猫がよく出没する公園に向かった。
ひと気のない公園に着くと、M氏は動物用の籠にキャットフードを忍ばせる。少し距離を置き滑り台の陰に隠れ、猫が罠に引っかかるのを待った。M氏は、期待に満ちたぎらぎらとした目付で様子を見詰める。
「もしもし」
突然、M氏の背後から声がする。驚いたM氏は身体を仰け反らせてから振り返った。そこには、白髪頭の五十から六十辺りの老人が立っていた。上下茶色のジャケットとズボンを纏っていて、レトロな香り漂う服装だった。特に丸メガネが味を出している。
「何か用ですか?」
M氏は老人を警戒しながら言った。
「あなたはここで何をしておられる?」
「別にただ外を散歩しているだけですが」
「そうですか。じゃああれは何ですかな?」
と老人は少し先にある動物用の籠を指さした。
「あれは……」
何と言えばいいかわからず、M氏は言葉に詰まった。だが「別にあなたには関係がないことです」とこれ以上あなたとは付き合っても意味がない、というように必要以上の返答を拒んだ。
「関係がない? そうですか」
ほほほっと上品に笑う老人。
「何がおかしい?」
老人の一々怪しい言動に腹が立ち、声を荒げるM氏。
「きっとあなたは野良猫を捕まえて、それを飼っているヘビに餌として与えるんでしょ?」
完全に全てを老人に言い当てられる。何も言い返せない。M氏はズボンのポケットから折り畳み式のナイフをそっと握る。
「お前は誰なんだ?」
M氏がそう言うと、また老人は笑いだす。そしてゆっくり顔を上げる。その顔を見たM氏はぎょっとした。――人間とは思えない程大きい目と縦に細く長い瞳孔。にまあ、と老人が笑うと八重歯が鋭利に尖っている。
「私はあなたを食べに参りました」
そう言うと、両手を前に構え、長く伸びた爪をM氏に突きつける。
ぎゃあっ、と詰まった悲鳴を漏らすと、M氏は走って逃亡した。無我夢中で来た道を戻っていく。途中で一回振り返ると、誰もいない。それでもM氏は安心せず、ひたすらその道を走り続けた。
(おかしい。もうそろそろ家に着くはずなのに……)
いくら走れど、M氏は自宅に辿り着けなかった。すると、あの老人の笑い声が何処からともなく聞こえてくる。M氏は反射的に後ろを振り返った。
あの老人が四つん這いになりながら、人とは思えぬ速度でこちらに迫って来る。大きな目を光らせ、尖った歯を剥き出しにし、不気味にも笑みを浮かべながら。
M氏は喉が破れる程の悲鳴を上げた。そして、パニックに足を絡めて倒れる。間もなくして老人が馬乗りに覆い被さった。顔と顔が至近距離の位置。老人の口からは夥しい涎が滴る。
「覚えていないのですか? 『あなたにも同じような思いをさせてあげましょう』と書いた筈ですが」
M氏は、老人の狂気にただ怯え、声も出ない。
「あなたがこれまでしてきた無用な行為。そのまま味合わせてあげますよ」
老人はそう言うと、有無も言わさぬ速度でM氏の肩から先の腕を噛みちぎった。M氏の鼓膜に己の腕がちぎれる音、あらゆる血管や神経がぶちぶちと引き抜かれる音が聞こえた。
そして、シャワーのように切断面から血が流れ出る。M氏は町中に響き渡る程叫んだ。
「じわじわあなたを食べていきますからね」
顔面は血に塗れ、くちゃくちゃとM氏から剥いだ肉を食べながら言った。
次に反対の腕、次は右足、左足という順に老人は食していく。
絶え間なく痛みと電流が走るM氏の身体は限界を超える。白目を向き、身体が痙攣を始める。放尿し口からは血が流れ、M氏の意識は暗闇の奥底へと誘われた。
***
覚醒。M氏の視界には身に覚えのない一室が映る。四方灰色の壁に囲まれ、物は何も置かれていない。ただあるものは、四肢を失った人の数々……。
虚ろな意識のままM氏は、己の身体に視線を落とすと、やはり両腕、両足がない。
驚く気力もないM氏は、記憶を遡った。瞬時に蘇った映像は、あの恐ろしい形相をした化け者の老人。途端に「うわぁっ」とM氏は悲鳴を上げる。喰われる、喰われる……。本能的に防衛心が働き、身体を激しく揺らし、出口を探した。だが、四肢のないM氏にはどうしようもなく、ただこの惨い現実を受け入れることしか選択肢にはない。
仄暗い一室につかの間の光。扉が開かれた。
そこに立っていたのは、あの丸メガネの老人だった。その姿を認めたM氏は絶叫する。
「生きがいいですねえ」
まるで、水揚げした魚を品定めするように老人は言った。
他の人には目もくれず、老人はM氏の方に歩んでいく。拒絶しなおも叫び続けるM氏の前に屈んで、満面の笑みを浮かべ老人は口を開いた。
「買手が見つかったよ」
「か、買手?」
「そうだ。良かったねーここから出られるぞー」老人はひひひ、と奇妙に笑った。
「買われた先で俺はどうなるんだ?」
M氏は当然浮かぶ疑問を老人にぶつけた。
「君は知らないかもしれないが、世の中には『食人』をこよなく愛する方々おられるんだ。字の通り、人を食す、て意味だよ」
そこで言葉を切った老人は、M氏の目の前までに顔を近づける。その顔はあの時と同じだった。目が異様に大きく、鋭利な歯が口から飛び出していた。
「君は食べられるんだよ」
作者細井ゲゲ
猫、犬が好きな私は、たまたま見てしまった動画にショックを受け、それをキッカケに書いた話です。
ですが、何の捻りもなく、ただ理屈抜きで仕返ししてやりたいという思いが先行してしまい、物語として
物足りなさがあります。
ただ、私は最近物書きから距離を置いていたので、作品を仕上げるという低いハードル上完成した作品なので・・・。
なので、いろんな方のご感想とアドバイスをいただけたら幸いです。
よろしくお願いしますm(_ _)m