【重要なお知らせ】「怖話」サービス終了のご案内

長編11
  • 表示切替
  • 使い方

鳥人間

「はあ……」

俺の口から、自然と今日何度目かのため息が漏れる。

ここは北風工業大学のキャンパス内にある、人力飛行研究会の倉庫である。

俺の目の前には研究会の粋を集めて制作された、人力プロペラ機28号、通称「Go!天号」がある。

nextpage

主翼の長さ、32.3m。

胴体の長さ、8.9m。

プロペラ半径、1.55m。

機体重量、32kg。

この真っ白な機体こそ、俺たち研究会の誇り、夢、絆そのものだ。

そして俺は、一週間後の7月30日、これに乗り込んで琵琶湖の空を飛ぶ。

nextpage

――飛ぶ。

――そう、ついに飛ぶのだ。

nextpage

小学生の頃、テレビで鳥人間コンテストの番組を観て、幼い胸に感動を覚えた。

操縦者になることは、その時から俺の夢になったのだ。

小中高と陸上部に入って身体を鍛えに鍛えた。

操縦者に必要な体力を手にするためだ。

nextpage

一方で勉学にも励み、苦手な理数系科目を投げ出さずに頑張った。

そして、晴れて今の工業大学に入学し、人力飛行研究会の門を叩いたのだ。

nextpage

1年の時から操縦者希望であることを皆に告げていた。

誰よりも熱心に研究会に参加し、同時に一層の体力作りに励んだ。

そんな俺の姿勢に、先輩も、同級生も、信頼と期待を寄せてくれた。

nextpage

誰より目をかけてくれたのは、先代の操縦者である鳥坂(とさか)先輩だ。

彼からは操縦者としてのイロハを教わった。

俺は恩義に報いるべく、努力を積み重ねた。

そしてついに、3年に進級した今年、正式に操縦者としての指名を受けた。

nextpage

――飛ぶ!

――飛んでやる!

nextpage

俺は、皆の期待を一身に受けている。

光栄なことだ。

その中には、俺自身の期待もある。

小中高と、操縦者になることを夢見ていた、過去の自分自身からの期待。

まかせろ、お前たちの期待に応えて俺は飛ぶ!

nextpage

――飛ぶ。

――飛ばなくては。

nextpage

皆の期待が乗った、この身体が重い。

チャンスは一度きりなのだ。

その時、俺の体調が万全でなかったら。

その時、たまたま強風が吹いていたら。

その時、たまたま故障が起きたら。

nextpage

落ちる。

琵琶湖の水面に。

失意と後悔を胸に。

そんな場面を何度も夢に見た。

nextpage

「いち、田中先輩……?」

倉庫の扉が開き、一人の女性が立っていた。

「ああ、大戸島か。どうしたんだ?こんな時間に」

研究会の後輩、2年の大戸島珊瑚(さんご)だった。

nextpage

「倉庫に明かりが点いていたから。先輩、何してたんです?」

「ん?コイツと作戦会議だよ。

俺が序盤は様子見で行こうって言ったら、コイツが『馬鹿言うな、初っ端から思いっきり飛ばさせろ』って駄々をこねるんだ」

トントンと機体を手のひらで叩く。

大戸島はクスクス笑いながら近づいてきた。

nextpage

「私も整備班に入れてもらって、この子のこと、毎日整備してます。

私には、そんなにワガママ言わない良い子なんだけどな。

やっぱり、操縦者の前だと素を見せるんですかね?」

彼女の手が機体を優しく撫でる。

動物を毛並みを撫でるような手つきだった。

nextpage

「本当にすごい機体。これまでの先輩たちが積み上げてきた技術が、ぎっしり詰まっているのを感じます。

……もうすぐ、ですね。

先輩、怖くないですか?」

「怖い?どうしてさ。武者震いならするけどね」

俺は笑って見せる。

nextpage

「毎日、しっかり整備してます。班長の堀川先輩のお墨付き。今の機体の状態は万全です。

去年だって、きっと……。

でも、鳥坂先輩は……」

鳥坂先輩は去年、大会直前の練習中、事故で墜落し亡くなった。

nextpage

「大丈夫だよ。俺は大戸島や皆のことを信じてる。俺自身のこともね。

それに、鳥坂先輩だって、付いててくれるんだ。大丈夫さ。

俺は皆の期待に応えるために、優勝する。それだけだ」

まーかせて!

そう言って、中指を立ててみせる。

それが鳥坂先輩の口癖と決めポーズだったことに気づいて、大戸島は笑ってくれた。

nextpage

「私、もう帰ります。先輩は?」

「俺はもう少し作戦会議」

じゃあまた明日、そう言って彼女は倉庫を出た。

nextpage

そして振り返ると、

「頑張ってね、一郎君」

と言って手を振った。

ああ、と手を振り返す俺。

nextpage

研究会のメンバーの前では、そして倉庫の中ではけっして二人の関係を口外しない。

そういう約束だ。珊瑚は守ってくれている。

カノジョの前では弱いところを見せらせない性質の俺は、扉が閉まるのを確認してから、もう一度、深いため息をついた。

nextpage

………

nextpage

………

nextpage

………

nextpage

「よいよい。よいではないか」

不意に、薄暗い倉庫の隅、「Go!天号」の機体の陰から声がした。

俺は驚いて身体を震わせる。

誰だ!と声を上げながら、今の声に聞き覚えがあることに気が付いた。

nextpage

「……鳥坂、先輩?」

しかし、果たして灯りの元に進み出た人物は、鳥坂先輩の顔ではなかった。

nextpage

Tシャツにジーパンというラフな格好。

長身で、がっしりとした身体つき。

ここまでは見慣れた先輩のものだった。

nextpage

ただ首から上が。

上だけが。

鳥のそれだった。

nextpage

S字に曲げた細長い首。

長い嘴(くちばし)。

全体的に白い羽毛に包まれているが、目の後ろに黒いラインが入っている。

――アオサギか?

nextpage

shake

――ロンッ!

甲高い声で一声鳴いた。

それから、

「惚れた女の前で弱みを見せないその姿勢、よいではないか」

と、実に偉そうに言い放った。

この態度はやはり鳥坂先輩だ。

nextpage

「先輩……ですよね?

なんで、どうして……。

先輩は去年亡くなって、それで、その顔はどうしたんですか?」

shake

――ロンッ!

俺の湧き上がる疑問を鋭い鳴声で一喝する。

nextpage

「田中、物事には優先順位というものがある。

お前が今、一番に考えなくてはならないのは、一週間後に迫った大会のことだろう?

去年死んだ私が目の前に現れた位で、その順位を入れ替えてはいけない。

鳥の頭になっていることだって、『死んでいるのだからなんでもあり』でいいじゃないか」

そういうものだろうか。

nextpage

「だがまあ、私が今現れたのは、お前が大会を前に悩んでいるのを感じたからだ。

ズバリ、お前はプレッシャーに押しつぶされそうなんだろう?」

鳥頭の鳥坂先輩は、俺に向かって指を突きつける。

「……はい。俺は今、不安でどうしようもなくなってます。

これまで努力をしてきた自負はある。

体力だって、知識だって、心構えだって、やれるだけのことはやってきたつもりです」

手の平を見つめる。かすかに震えている。

nextpage

「でも、部員の皆もベストを尽くしてくれて、その全てが俺の手に任されている。

俺が飛べなければ、皆の期待に応えられない。

皆の期待が、想いが、俺には重くて……仕方がない」

「ふうむ……」

カチ、カチ、と固い音がする。

嘴を閉じた時の音のようだ。

nextpage

「皆の期待に応えようと考える、お前のその姿勢は褒められたものだ。

しかし、その点で言えば、お前が飛べさえすれば皆が喜ぶわけで、プレッシャーで身体が重くなって、飛ぶのに支障が出るようでは本末転倒だ」

「それはまあ、そうですが……」

「私のような生まれながらの鳥人間は、飛ぶこと以外のことは考えないものだがな。

まあいい。そんなお前だから、私が出てきたのだ。

なあに、殊に、飛ぶことに関して言えば『むしり取った衣笠』だ」

「『昔取ったきねづか』ですね……」

nextpage

shake

――ロンッ!

鳴声でごまかそうとしてもダメだ。

nextpage

「とにかくだ。お前には大会までの一週間で、身も心も鳥人間になってもらう」

「はあ……」

先輩は古びた羊皮紙を取り出して、ズイと目の前に突き出す。

nextpage

「ほれ、ここにサインを。ここにペンと朱肉があるから、そう、親指で拇印を押して。

これでよし。大丈夫、まーかせて」

そう言って中指をこちらに向けて立てる先輩。

黒い真珠のような鳥の目が、俺を見つめる。

shake

――ロンッ!

ひときわ大きな鳴声が倉庫内に響き渡ると、ふっと灯りが消えた。

nextpage

………

nextpage

………

nextpage

………

nextpage

shake

sound:36

――パキッ

nextpage

………

nextpage

………

nextpage

目覚めると、見慣れた自室の天井が視界に映った。

「夢……だったのか?」

ベッドの上で身体を起こす。時計を見ると、早朝5時だった。遠くの森からヒグラシの輪唱が聞こえる。

立ち上がり、カーテンを引いて網戸を開ける。

夏の日が始まる前の、涼しく澄んだ空気が吹き込んできた。

nextpage

俺が一人暮らしをしているアパートは高台にあり、窓からの眺めが良い。

視界の半分を山に囲まれた小さな街。

もう半分は澄み渡った空が見える。

カラスが一羽、空の真ん中を悠然と飛んでいた。

nextpage

不意に、窓の縁を掴んでいた右腕の、肘から先がひんやりと涼しくなった。

まるで、風を感じた様に。

しかし、その風は肌に感じたわけではない。腕の内側に感じたのだ。

nextpage

………

nextpage

………

nextpage

「じゃあ、もう一度、コースの確認ですが、スタートの松原水泳場から琵琶湖大橋に向かって南下、20キロで折り返して、40キロの大会新を目指す、と。

優勝賞金は100万円よ!部費が苦しいんだから絶対ゲットしなくちゃ!」

部長の天野さよ子がホワイトボードに貼った琵琶湖の地図を指さしながら、皆の顔を見る。

nextpage

彼女はこの人力飛行研究会の現部長。

元々は幽霊部員であったが、鳥坂先輩の事故の後、部を存続させるために奔走し、皆の信頼を得た。

ただし、金にうるさい。

nextpage

「当日の気象予報はどうなってんだ?」

「出場許可のステッカーはちゃんと貼ってあんだろうな?」

同級生の浅野と岸田が後輩たちに向かって指示を出す。

出場経験者だけに、勝手がわかっている。

大会が目前に迫り、研究会の倉庫はてんやわんやである。

俺は倉庫の片隅のパイプ椅子に腰をかけ、「Go!天号」の整備の様子をぼんやり眺めながら、右手を握ったり、開いたりしてした。

nextpage

「どうしたんですか?田中先輩」

珊瑚が声をかけてくる。

「……ああ、大戸島か。なあ、昨日、お前と倉庫で話したっけか?」

俺の問いに、珊瑚はポカンとした顔になる。

nextpage

「昨日のことなのに覚えてないの?ひょっとして熱でもあるんですか?作戦会議、とか言ってたじゃないですか」

一体、どこまでが夢だったのだろう。

「それで、腕、どうかしたんですか?ひょっとして怪我したとか?」

「いや、調子は万全だよ。むしろ、昨日までよりも身体が軽いんだ」

nextpage

そう、身体が軽い。

それは感覚としてだけのことでなく、実際に体重計で測ったところ、5キロも体重が落ちていた。

こんなに急激な体重の減少は、なにがしかの病気を疑うほどであるが、体調は至って優れている。

nextpage

「それに、今なら飛べそうな気がする。どこまでだって飛べそうなんだ。

なんだろう。昨日まであった不安も、プレッシャーも、ずっと小さくなっている。

飛びたいって気持ちの方が、ずっと大きくて、ウズウズするんだ」

珊瑚はクスリと笑う。

「大会が近づいて、テンションが上がってきているのかもしれませんね。

頼もしいなあ。さすが田中先輩」

そうなのだろうか。

nextpage

………

nextpage

………

nextpage

………

nextpage

shake

sound:36

――パキリ

大会5日前。

体重67キロ。

左手が軽い。

nextpage

………

nextpage

shake

sound:36

――ポキ

大会4日前。

体重57キロ。

上半身が軽い。

nextpage

………

nextpage

shake

sound:36

――ポキ、ボリン

大会3日前。

体重48キロ。

右足が軽い。

nextpage

………

nextpage

shake

sound:36

――ゴリン

大会2日前。

体重36キロ。

臀部(でんぶ)が軽い。

nextpage

………

nextpage

shake

sound:36

――パキパキパキ

大会1日前。

体重32キロ。

左足が軽い。

nextpage

………

nextpage

………

nextpage

………

nextpage

「次は、北風工業大学、人力飛行研究会、『Go!天号』。操縦者は田中一郎君です」

大会当日。プラットフォーム上。

俺は「Go!天号」に乗り込んで、出発の時を待つ。

頭に付けたインカムからは、天野さよ子の指示が聞こえる。

操縦席に取り付けられたオンボードカメラとボイスレコーダーからは、俺の飛行中の表情と声が皆に届くはずだ。

nextpage

「それで――」

俺は機体のすぐ脇に佇む、アオサギ頭の鳥坂先輩に頭の中で話しかける。

彼の姿は誰にも見えていない。

「どういうことなんです?先輩は俺に、何をしたんですか?」

「お前のようにあれこれ頭で考えすぎるタイプの人間は、ちょっとやそっと考え方、つまりソフトを入れ替えたところでどうにもならないからな。ハードを入れ替えんとな」

鳥頭は腕組みをしながら応える。

「ハードですか」

nextpage

「その通り。つまりは俺と同じ、鳥人間になってもらったわけだ。

毎日少しずつ。

右腕の骨をイヌワシに。

左腕の骨をハシビロコウに。

背骨をコアジサシに。

右足の骨をコウテイペンギンに。

尾てい骨にハクセキレイに。

左足の骨をダチョウに」

nextpage

「……飛べない鳥が何羽かいるみたいですが。それに大きさがバラバラだ」

「細かいことを気にしてはいけない。大事なのは鳥のそれであるということなのだ。

鳥という種族であるということが大事だ。

彼らは皆、空の子供たちなのだ」

nextpage

「ゲート、オープン!」

審判員が声を張り上げる。スタートOKの合図だ。

部員皆が機体を支え、助走をつけて俺を空中へと送り出す。

「「「3、2、1……」」」

nextpage

shake

「「「Go!」」」

nextpage

プラットフォームの高さから、わずかに機体が沈み込む。しかし恐れはなかった。

次の瞬間、「Go!天号」の翼は風を掴み、機体は琵琶湖の空を駆けた。

俺は懸命にペダルを踏む。

プロペラが回転し、機体が前進する。

背後からは部員や、観客席の歓声が響いていた。

そして、それらはすぐに小さくなって消えた。

nextpage

眼前には真夏の空の青と湖面の蒼。

耳には翼が風を切る音と、ペダルを踏みしめる音だけが届く。

爽快だった。そして、至極自然な感じがした。

空にいる、そのこと自体がひどく自然だ。

nextpage

「どうだ田中。大地という束縛から離れた世界は」

鳥坂先輩はついにアオサギの姿になって機体に並走していた。

「気持ちがいいです。それにひどくしっくりくる。未知の感覚というより、帰ってきたという感じがします」

「そうだろう。お前はもはや空の住人。飛んでいる方が自然な状態になったのだ」

nextpage

………

nextpage

………

nextpage

「Go!天号」は順調に記録を伸ばし、琵琶湖の湖面に大音響のサイレンが響いた。折り返し可能の合図だ。

小型ボートで「Go!天号」に並走していた天野さよ子はインカムで田中に呼びかける。

「田中先輩、折り返しです。調子はどうですか?」

レシーバーから田中の声が響く。

nextpage

『順調も順調だよ。このまま何キロでも飛べそうだ。

折り返しってことは、もう20キロは飛んだってことか。

あと半分でお終いってのが、なんだか残念だよ』

田中はこれだけの距離を飛んでいて、まったく息を乱していない。

琵琶湖上空のコンディションが良いのだろうか。田中があまり体力を使わないで飛行できているのかもしれない。

nextpage

「そうは言っても、ルールに従わなきゃ失格になっちゃいますから。

大会新記録くらいで我慢してください」

さよ子は冗談を言う。

「ははは、そうだよな。失格になっちゃ元も子もない。

ゴール前になったら、適当なところで………

sound:5

(ガガッガー・ビー・ザザザザザ)

shake

――ロンッ』

nextpage

けたたましい鳥の鳴き声のような音を最後に、インカムの音声も、オンボードカメラの映像も途絶えた。

「Go!天号」は岸へと進路を変え、悠然と空を舞っている。

nextpage

………

nextpage

………

nextpage

その後、「Go!天号」は迷走を繰り返した。

あたかも琵琶湖を散歩するかのように、右へフラフラ、左へフラフラ。

飛行距離はゆうに60キロを超えていた。大会新記録どころではない。

nextpage

インカムの無線は相変わらず通じない。

だが、ごくたまに向こうの声を拾う。

sound:5

『ザザー・ザザザザー………だから、お、前は……ザザザ……飛ぶのが………飛び続け………、落ちたら…………それま………でも、失格じゃ記録……みんなの』

nextpage

shake

『――ロンッ!』

nextpage

琵琶湖の空に夕闇が迫っていた。

湖面もそれに応えるように、色を落としていく。

スタート地点に姿を見せた「Go!天号」は、皆の声援の中、水鳥のように静かに着水した。

天野さよ子、大会スタッフ、それにテレビクルーを乗せた小型ボートが、すぐさま機体に横付けして操縦者の救助に向かう。

nextpage

ほぼ無傷の状態で着水した機体の操縦席に、田中の姿はなかった。

代わりに無数の鳥の羽が水面に漂うだけだった。

Normal
コメント怖い
8
20
  • コメント
  • 作者の作品
  • タグ
表示
ネタバレ注意
返信

綿貫一さま

懐かしくて中年男がニヤニヤしながら読んでいました。単行本を押し入れの奥から探し出さなくてはいけませんね。
次回作も期待しております。

花らっきょうは付け合わせだ、バカ者!

返信
表示
ネタバレ注意
返信
表示
ネタバレ注意
返信
表示
ネタバレ注意
返信
表示
ネタバレ注意
返信
表示
ネタバレ注意
返信
表示
ネタバレ注意
返信