「なんとか、お願い出来ませんかねぇ・・・」
八月初旬、探偵事務所を訪ねてきた中年の男性が、怪異絡みの依頼を持ち込んできた。
「そうですねぇ、とりあえず、島内を調べさせて頂けますか?」
「勿論です!では、承けて頂けるのですね!」
どうやら、交渉が成立したようだ。
依頼を承けたのは、十六歳の高校生呪術師、神原零だ。
彼は、皆からはゼロと呼ばれており、呪術師界では名のある神原家の後継ぎであり、その才能を認められ、若いながらに怪異探偵として探偵事務所を営んでいる。
しかし、流石に怪異探偵事務所と大っぴらには公表出来ないため、表向きには古本屋ということになっている。
そんな彼が、今回引き受けた依頼は、龍臥島(たつがとう)公園で噂されている“海中列車”を調査してほしいというものだ。
事務所を訪れた男性は、その公園の管理人で、“海中列車”の噂は、公園の利用者から聞いたそうだ。
龍臥島公園とは、俺達の住む街の隣街にある小島を開拓して造られた公園で、地元民からは良い散歩コースなどとして、利用している人も多いらしい。
ちなみに、島と陸との距離はそれほど離れてはいないため橋で繋がれており、利用可能時間内は自由に往来出来るようになっている。
聞いた話によれば、公園内にある堤防を歩いていた利用者が、電車の汽笛のような音が聴こえたので、その方向に目をやると、コバルトブルーに輝く海面の直ぐ下を電車が走っていたそうだ。
日光が海面に反射してよくは見えなかったが、あれは確かに電車だったと言っており、これと同じような目撃証言は多数あるらしい。
「出来れば、明日にでも調査をお願い致したいのですが、ご都合宜しいでしょうか?」
「ええ、構いませんよ。では明日、助手を連れてお訪ね致します。」
こうして二人の会話は終わり、クライアントの男性は帰っていった。
「なぁ、龍臥島公園って、なんか伝説がなかったっけ?龍がなんたらとか言って。」
高校二年の夏休み、今まで事務所の隅の椅子に座り、焼そばを食べながらゼロと男性の会話を聞いていた俺は、ゼロに龍臥島に纏わる伝説について話を切り出した。
「あ~、龍臥島は殆どが岩山で、その中に龍神が眠っているみたいな伝説がありますね。今回の事件と、何か関連性があるのでしょうか?」
「そう、それなんだよ!例えば、その龍神が目覚めて、電車に化けて海の中を走ってるとか。或いは、目覚めて海を泳ぐ龍神を、公園の利用者が電車と見間違えたか。」
「それは無いと思います。」
俺の言ったことを、ゼロはあっさりと否定した。
「前者の場合は否定出来ませんが、龍って電車に化けられるんですかね?よく分かりません。後者の場合、複数の目撃者がいる中で、一つも龍に見えたという人はいません。これだけの確率で、目撃者全員が龍を電車と見間違えるのは無理があります。そもそも、眠っていた龍が目覚めた時点で、島、または島周辺に異常が起きないわけがないんですよ。つまり、前者の方も確率としては極めて低いんです。」
成る程。確かに、島に眠っていた龍が目覚めたことで起こった異常が海中列車の出現だけというのは可能性が低い。
「まぁ、とりあえず、現地調査してみないとわからないよな。」
「はい。明日、僕としぐるさんと鈴那さんで行ってみましょう。」
明日、俺達は“海中列車”の謎を探るべく、隣街の龍臥島へ行くことになった。
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○
帰り道、暫く歩いていると、少し先に見知った人を発見した。
「長坂さん!」
俺はその人の名前を呼び、駆け寄っていった。
「おぉなんだ、しぐるか。」
長坂さんとは、うちの近所にある神社で神主をしている中年の男性である。
外見は渋く、かっこいい感じの人で、着物を着ており、中身も優しい人だ。
三年前、俺の妹の雨宮ひなが死んだ時も、長坂さんが俺のことを慰めてくれた。仕事が忙しいという理由で、ひなの死を哀れもうともせず、俺を家に一人残して行ってしまった親父の代わりに面倒を見てくれたのも、この人だった。
「長坂さん、こんなところで何してるんですか?」
長坂さんは、寂れたマンションの前に呪術用の紙人形を持って立っていた。
「あぁ、ちょっと仕事を頼まれてな。お祓いだ。」
長坂さんは紙人形を隠すように袖に入れ、少し皺のある顔で微笑んだ。
「お祓い…?長坂さん、神主なんだから、いつもの服着ないんですか?あの、狩衣と袴着て、烏帽子被ってる長坂さん、かっこいいですよ?」
俺は冗談混じりに、それでいて、少し真面目な質問をしてみた。
すると、長坂さんは「アハハ」と困ったように笑い、こう言った。
「今日はただの下見さ。神主姿で行くと目立つからな。あ、こいつも念のための護身用だ。」
そう言って長坂さんは、さっき袖に仕舞った紙人形を取り出した。隠したように見えたのは、俺の気のせいだったようだ。
「そうでしたか。ついでなので、何か手伝いましょうか?」
俺がそう言うと、長坂さんは頭を振った。
「いや、今回はいい。お前は家に帰れ、露ちゃんが待っているだろうに。」
「そうですね、では。」
俺は長坂さんに軽く一礼をして、再び帰路に着いた。露が待っている家を目指して。
○
家に着き、玄関の戸を開けると、靴が一足多く置いてあることに気付いた。
俺のスニーカーは、まだ俺が履いている。玄関には、俺のサンダル、今は海外におり、家には居ないが、親父のサンダル、露の草履・スニーカー・サンダル、それと…もう一足ある。
何処かで見たことのあるような気もするが、無いような気もする。誰のだ?
あ、思い出した!
「旦那様~、おかえりなさい!」
と、居間の方から露が出迎えてきた。
「ただいま、露。」
露は俺の義妹で、二年前、一人だった俺が可哀想だと思ったのか、身寄りの無い露を親父が引き取ったのだ。現在、歳は十三歳。ひなが生きていれば、同じ年齢だった。因みに、なぜ俺のことを旦那様と呼ぶかというと…まぁ、色々あったわけだが、俺の仕業だ。
「しぐ~!おかえり~!」
露の後に居間の方からやってきたのは、城崎鈴那だった。
鈴那は、俺をお祓いの道に引きずり込んだ張本人であり、俺の彼女でもある。
しかし、なぜ彼女が俺の家に?
それを訊くと、ただ遊びに来ただけらしい。
全く、相変わらず自由気儘なネコみたいなヤツだ。そういうところが、少し可愛いと思うのだが。
「丁度良かった。鈴那、明日なんだけど…」
俺は、先程ゼロから告げられた明日の予定について話そうとした。
「あ~、龍臥島のこと?」
「なんだ、知ってたのか。」
「もう知ってるよ。ゼロがグループでメッセージ送ってたじゃん。」
俺はポケットからスマホを取り出し、画面を見た。すると、「神原探偵事務所」という名前の付けられたグループチャットに、ゼロが明日の予定を書き込んでいた。
「そんなことよりさ~、しぐ宛になんか届いてたみたいよ?」
鈴那がそう言うと、露が思い出したように居間へ向かい、封筒のようなものを持って戻ってきた。
「これです。」
渡された封筒を見ると、「日本呪術師連盟」と書かれている。
わかった、合否の通知だ。
よくわからないが、どうやら日本呪術師連盟とかいうものがあるらしく、俺は公式な呪術師になるため、この前、その呪術師連盟のT支部で面接を受けたのだ。
因みに、T支部と呼ばれているが、正式には東海支部であり、本部は関東地方のどこかにあるらしい。どこかは分からないけれど。
面接はごく普通であり、わりとあっけなく終わった。それにゼロが言っていた。合格にしてくれると。
ゼロの父親は、T支部の支部長で、どうやら俺に呪術師になってほしいと言い出したのは、そのゼロの父親だったのだそうだ。
俺の祖父が有名なお祓い師だったので、俺にもその業界へと来てほしかったらしい。
つまり、もう封筒の中身は見なくても知っている。
俺は封筒を開き、中の書類を取り出した。
“合格”
そこには、そう書かれていた。
「…だろうな。」
俺は何となく呟いた。
「あ、おめでとー!」
と、鈴那。
「え?合格ですか!おめでとうございます!」
と、露。
封筒の中には、呪術師の免許証が同封されていた。
裏で、ゼロの父親の権力が使われていることを知らない露が一番喜んでくれた。
それでも、少しだけ嬉しかった。なんだか、亡き祖父の後を継げるみたいで、胸がワクワクした。そして、死んだ妹のためにも。
さて、これで呪術師としての活動が出来るようになったわけだ。因みに、呪術師の免許を未取得の場合でも、それなりの能力を持ち合わせていれば、助手やアルバイトとして、呪術師の下で働くことは可能だ。しかしそれでは、個人的に収入を得られるわけではない。
だが免許を持っていれば、誰かの下に付かずとも、個人で活動することが可能になるのだ。
そんなわけで、俺は個人で活動できるようになったのだ。
とはいえ、まだそんなつもりはない。免許を持っていても、所詮は素人なのだから。
「よ~し!私、今日は頑張っちゃいます!夕ごはんいっぱい作りますね!」
俺の合格祝いのつもりだろうか、露が張り切っている。嬉しい。
「やったぁ~!あたし楽しみ~!!」
なぜか俺より先に鈴那が喜んでいる。うちで夕飯を食べていく気なのだろうか?
「鈴那、今日うちで食ってくのか?」
「うん!しぐの合格祝いだよ!好きな人の合格を、その彼女が祝わないでどうすんのさ~!」
「あ、あぁ、ありがとう。」
照れ臭いことを言われたが、おそらく、露の作る夕飯を食べたいだけだろう。
今夜は賑やかになりそうだ。
○三十分前…
八月初旬の昼下がり、私は、雨宮しぐるの家を訪ねた。雨宮しぐるは私の彼氏で、かっこいい。かっこいいんだ。
私は、彼のことをしぐと呼んでいる。しぐとは、付き合い始めて、まだ一週間も経っていない。私は、彼のことを三ヶ月ほどストーキングしていた。それは、決して不純な動機ではなく、呪術師のゼロに頼まれてのことだった。
好きになった理由は、彼を放っておけない。そう思ったから。見ているとどこか危なっかしくて、誰かがついていないと直ぐに消えてしまいそうなんだ。だから気に入ってしまったのかもしれない。ただ、もっと大事な理由があった気がするのに、それを思い出せない。私の勘違いかもしれないけれど。
そして、時期を見計らい、しぐに話し掛け、夏祭りの日、私が「好きです」ということと「友達になってください」という想いを彼に伝えた、すると彼は「ちょっと待て、今から付き合うんじゃないのか?俺たちって、まだ友達にすらなっていなかったのか?」などと言い出し、「え、じゃあ…」という感じで、私たちは付き合うことになった。なんか、適当だ。けれど、それでよかったのかもしれない。それに、私はしぐを愛してる。しぐは、どうかわからないけれど!
おそらく、しぐも私を好きでいてくれてると思う。だって、彼は私が寂しいとき、私に優しくしてくれるから。しぐは基本、誰にだって優しい人だけれどね!
それはさておき、なぜ私がしぐの家を訪ねたかというと、露ちゃんに用があったんだ。
露ちゃんは、しぐの義理の妹ちゃん。水色の長くて綺麗な髪が印象的な、可愛くてしっかりした女の子だ。
ピンポーン。
私は門の隣にあるインターホンを鳴らした。
「はーい!」
直ぐに、可愛らしい女の子の声が聞こえてきた。
「あ、露ちゃん?鈴那だよ!」
「あ、どうぞ~!」
私は門を開き、玄関まで続く甃の上を歩いて、しぐの家の玄関を開いた。
「お邪魔しま~す。」
「いらっしゃいませ。」
玄関には、露ちゃんが出迎えてきてくれていた。今日は水色のワンピースに薄手のカーディガンを羽織っている。
普段は水色の着物を着ているけれど、最近はそれ以外の服もよく着ると、しぐが言っていた。女の子だから、オシャレをしたい年頃でもあるのだろう。
私だって同じだ。オシャレして、しぐに見てもらいたい。
「どうぞ、お上がりください。」
居間へ通されると、露ちゃんが麦茶を出してくれた。
「お疲れ様でした。お暑かったでしょう?」
「あ、うん!ありがと!」
礼儀正しい子だ。しぐが羨ましくなる。
「旦那様、出掛けちゃってます。」
露ちゃんは申し訳なさそうに言った。
「あ、いいのいいの!あたし、今日は露ちゃんに用があったの。」
「へ?私にですか。」
「そう、ちょっと訊きたいんだけど。」
私は麦茶を一口飲むと、会話を本題へ移した。
「あのさ、しぐの二重人格って、いつからなの?」
実は気になっていたが、訊いて良いものなのか迷っていた。露ちゃんは少し難しい顔をしてから、こう言った。
「う~ん、私が来たときには、もう解離の傾向があったので、おそらく、私が来る前からです。わからなくてすみません。」
私は、露ちゃんに「いいのよ、ありがとう」と言い、少し考えた。
もし、しぐの二重人格が、妹ちゃんの無くなった直ぐ後に出たものなら、何らかの関連があるかもしれない。そう思ったのだ。
「あ、でも旦那様、私が家に来る半年くらい前から、それっぽくなっていたとか言ってましたっけ。詳しくは知りませんが。」
露ちゃんが思い出したように言った。やっぱり関係があるのかもしれない。何か解決策があれば、少しでも彼の負担を無くしてあげられるのに。余計なおせっかいになってしまうかもしれないけれど。
「それと・・・」
私はもう一つ話したいことがあり、それを言いかけたが、少し躊躇した。
「なんでしょうか?」
露ちゃんが首を傾げた。
「い、いやぁ、あの、露ちゃんさ・・・自覚ある?」
しまった。躊躇していたせいで全く意味の不明な質問になってしまった。
「自覚?何のですか・・・?」
露ちゃんは少し怪訝そうな表情を浮かべた。
「え・・・あ、あのね、露ちゃん、その能力のこと、しぐは知ってるの?」
今度は直球過ぎたけれど、露ちゃんは思い当たったような顔をした。
「あぁ、私のですか?いいえ~、秘密です。」
「よかった~自覚はあったのね、それなら話が早いよ~。」
露ちゃんと最初に会った時から気付いていたんだ。霊感はそこまで強くないのに、何か不思議な念を感じた。その正体までは分からなかったものの、ゼロに話したら彼も興味を示していた。この前、夜祭後の妖怪封印儀式に連れて行ったのも、少し試したかったからだ。案の定、彼女は霊的なものへの恐怖心を然程抱いてはいなかった。
「それで、その力は昔からあったの?」
「はい、私のおばあちゃんも同じ力を持っていて、小さい頃は時々その力で遊んでいたんです。けど、その能力が他の子たちには無いものだと知ったときから少し怖くなって、それ以来、力を使うのは控えてるんです。」
「露ちゃんのパパとママにその力は無かったの?」
私がそう訊くと、露ちゃんは少し切なげな顔をした。
「私が小さい頃、お母さんとお父さんが離婚しちゃって、その後すぐにお母さんは病気で死んじゃったので、おばあちゃんと二人で暮らしてたんです。それでおばあちゃんも居なくなっちゃったので、今は、ここにいます。」
「そっか・・・なんか、ごめん。」
申し訳ないことをしてしまっただろうか。
「いえ、いいんです。」
露ちゃんも色々大変だったのかな。おばあちゃん、きっと良い人だったのだろうな。
ふと、私のスマートフォンが短く振動した。画面にはゼロという名前と共に、何か文章が表示されていた。
「あれ?ゼロから何かきた。」
メッセージを開いてみると、仕事についてのことのようだった。
どうやら明日、ゼロとしぐ、私の三人で仕事をすることになったらしい。遊びたかったけれど、お金もほしいから丁度よかったかもしれない。
「あっ、そうだ!」と、露ちゃんが何かを閃いたようにニコニコしながら言った。
「今夜、鈴那さんもうちで晩ごはん食べていきませんか?」
「えっ!いいの?!」
「もちろんです!楽しくなりそうです!」
「やったぁ!食べる食べる~!」
私は兎に角嬉しかった。露ちゃんのごはんを食べてみたかったし、しぐと一緒に食べれるのが嬉しすぎる。今夜は賑やかになりそうだ。
そんなことを考えていると、ガラガラガラッと、玄関の戸が開く音がした。
「あ、旦那様です!」
露ちゃんはそう言って、立ち上がり、玄関の方へと歩いて行った。
「旦那様~、おかえりなさい!」
「ただいま、露。」
しぐの声が聞こえてくる。私も出迎えに行こう。そう思い、立ち上がって玄関へと向かった。
「しぐ~!おかえり~!」
照れ隠しに、少しだけ大きめの声で言った。
○
街全体に夕方五時のチャイムが鳴り響く。
「どうも、本日はよろしくお願いします。」
龍臥島公園の管理人である脇田さんは、公園を訪れた俺達にそう言って一礼をした。
「こちらこそ、お世話になります。」
それに対し、ゼロも一礼をする。次いで俺達も頭を下げた。
脇田さんは、昨日探偵事務所を訪れた男性で、この龍臥島公園を管理しているのは、この人の他にあと五人いるらしい。
「夕方の六時に閉園するので、それまで、建物の中でお茶でも飲んでいってください。」
脇田さんはそう言うと、俺達を管理棟の中へと案内してくれた。どうやら、調査は閉園後に行うらしい。
管理棟は橋を挟んで島の対岸にあり、すぐ隣にある閉鎖門の開閉は、ここで行うらしい。中に入ると応接間のような部屋へ案内され、お茶と饅頭を出してくれた。
「ご丁寧にどうも、わざわざすみません。」
ゼロが申し訳なさそうに言う。脇田さんは「いえいえ」と言いながら笑顔で首を横に振った。
「祓い屋さんに仕事の依頼をするなんて初めてなので、どうしたらよいかわからないことだらけで。本当に、今日はよろしくお願いします。」
この人、本当に穏やかで優しそうな人だ。既に仕事の話そっちのけで饅頭を口へ運んでいる鈴那に何も言おうとしない。
「すみません、まず、うちの事務所の存在はどうやってお知りになられたのですか?」
ゼロが脇田さんに訊ねた。確かに、普通は知っていて良いことではないだろう。霊や妖怪という、本来見えざることのないものを専門としているのだから。
「はい、お話は顔見知りの女の子から聞かせていただきまして、中学生の子です。神原さんのことをよく知っていたようですが。」
脇田さんがそう言うと、ゼロが何かを納得したと同時に苦笑いをした。
「あ~、またあの子ですね。よくうちのことを頼んでもいないのに宣伝してくれるんですよ。おかげで助かってますけどね。」
どうやら、ゼロの知り合いから紹介されたようだった。
その後、俺たちは脇田さんと簡単な打ち合わせを済ませ、閉園時間を過ぎた頃、管理棟を出て公園内の見張りを始めた。
「ここで、件の列車が目撃されてるのか。」
俺は欠伸をしながら言った。真面目な話が続いたため、少し退屈になってしまったのだ。鈴那なんて話の途中からほぼ俯いていた。真面目に打ち合わせをしていたのはゼロだけだ。俺が言うのも何だが、このメンバーで大丈夫なのだろうか。
「はい。普通にいい景色ですよね。」
確かに、悪くない眺めだ。ふと、俺はさっきの話で気になったことを口にした。
「あっ、ところで、脇田さんに事務所のこと紹介した子って、もしかして・・・。」
「ああ、しぐるさんも会ったことありますよね。そうです、あの子ですよ。」
以前俺が探偵事務所の番を任されたとき、雨の中を走って駆け込んできた少女がいた。どうやら、神原探偵事務所の噂を広めているのはその子らしい。
「やっぱりそうだったか。まぁ、良いんだか悪いんだかわからないけど。」
「そうですね、とりあえず・・・」
ゼロが話すのを止めたとき、俺もその嫌な気配を察して総毛立った。
「ん~?なに、二人ともどうしたの?」
鈴那はそう言った後、少し遅れて気配に気づいたようで一気に顔色を変えた。
「何なんだ、この感じ・・・。」
俺が誰に訊ねるわけでもなくそう呟くと、ゼロは身構えながら短く答えた。
「黄昏時。」
人間と人ならぬモノの世界が交わる時間、黄昏時が近くなっているのだ。しかし、それにしてもこれほどまで唐突に気配が強くなるものなのか。さっきまで俺たちは何の気配も感じていなかった。何かがおかしい気がする。
身構える俺たち三人の周りを、何かの気配だけが行ったり来たりしている。それも一つや二つだけではない。もっと多い。かなりの数が居るような気がする。しかし姿は見えない。そのことが余計に恐怖心を煽り、嫌な汗をかく。
しばらく無言のまま身構えていると、視界の奥にある浜辺の右側の立入禁止看板が立てられている岩場の方から、人型の“なにか”が、ノソノソと前のめりで歩きながら現れた。その“なにか”は、人間のミイラのようで背が異様に高く、目は生気のない魚のようで、数秒間立ち止まって俺たちの方を一瞥すると直ぐに前を向き直り、またノソノソと歩き始めた。気付けば、それが向かう先には人が・・・いや、霊がいた。いつの間に現れたのだろうか。
人型のバケモノは霊の前で立ち止まると、大口を開けてそれの頭に食らいついた。
「霊を、食べた・・・?」
ゼロが目を見開いてそう呟いた。
やがて人型のバケモノは霊を丸呑みすると、元来た道を戻り、岩場の奥へと消えて行った。
・・・
しばらく俺たちは呆然としていた。ふと我に返った頃には周囲の気配は薄くなっており、空も少し暗くなっていた。
「さっきの、何だったんだ?」
「さぁ・・・見たこと、ありません。」
「あたしも、初めて見た・・・。」
あまりの予想外な展開に、疑問を口にすることしかできなかった。海中列車の調査をしに来たはずが、まさかあのようなバケモノと出くわすことになるとは。あれはヤバい。素人の俺が見てもはっきりわかった。
その後も無言で立ち尽くしていた俺たちだったが、不意にゼロが静寂を振り払った。
「まぁ、かなり、すごいことが起こりましたね。ちょっと予想外のことが起きたので、今日はもう脇田さんに事情を話して解散しましょう。」
正直、俺も鈴那も疲れていたのでそれに賛成し、管理棟へ向かおうと足を踏み出したその時、「あっ!」と、鈴那が声を上げた。俺とゼロが鈴那の指さす方を見ると、そこには、薄っすらと光を放つ列車が海上をゆっくりと進んでいた。
「か、海中列車・・・!?」
思わず俺も声を上げた。海中列車は怪しい光を帯び、少しずつ沖の方へと向かっている。
「遂に出たかっ!」
ゼロは手で印を切るような仕草をとり、最後に両腕を前に出してクロスさせた。すると、海上を一瞬雷のようなものが走り、海中列車の周囲に半透明な長方形の結界が張り巡らされた。
「列車からすごい霊気を感じます!間違いなく霊的なものでしょう!しぐるさん、鈴那さん、僕の援護をお願いしま・・・」
「無駄だ。」
ゼロの言葉を遮ったのは、俺だった。いや、俺ではあるが、俺ではない。いつの間に切り替わっていたのか。以前のときと同じように、俺は俺で意識がある。解離した人格と意思を共有できているのだ。
「お前の結界じゃ、そいつは抑制できない。況してや除霊することも不可能だ。」
「しぐるさ・・・違うな、誰なんですか。」
ゼロは俺を睨み付けた。見たことのない表情だ。
「しぐ!?ねぇ、しぐじゃないなら誰なの!?」
鈴那も海中列車そっちのけで俺を見ているが、その目はどこか不安そうだ。
「俺は雨宮しぐるさぁ。しぐるのもう一つの人格だ。ただ、最近は力が戻ってきたから完全に起きていられるようになってな。悪いがもう今の俺はしぐるではない。」
俺は二人にそう言い終えると、俺の方に意識を向けた気がした。今の俺は、もう一人の俺の中に居る。そのせいだろうか。俺へ意識を向けたことがわかったのだ。
「ん?なんだ、俺が目覚めたのにまだ起きてんのかぁ。なぁに、少し話するだけだ。お前は大人しく寝てろ。」
俺の声が遠くなっていく。ゼロと鈴那が、何かを言っている声も聞こえるが、それも、もう・・・
そこで、俺の記憶は途絶えた。
○
「あんた、誰なのさ。」
鈴那さんはしぐるさんの身に起きている状況を知らない。悪いが、今は僕もそれどころではない。海中列車の力が予想以上に強いのだ。そろそろ結界が破られる・・・。
「ほら、だから言っただろ。お前じゃそれには勝てない。」
「うるさいです・・・集中してるじゃないですか・・・っ!?」
列車は僕の結界を破り、角度を下に向けてそのまま海の中へと消えていった。
「まぁ、よくやった方だろう。流石は神原家の跡取りだな。」
そいつはそう言って、僕に拍手をしてみせた。
「ふざけないでくださいよ。僕だって、まだ本気を出してるわけじゃないんですから。それと、あなたの名前を教えてください。あなたのことをしぐるさんと呼ぶには、少々気が引けます。」
そいつはしぐるさんの顔で笑った。目が紫色に薄く光っている。
「アッハッハ、おいおい、人の子のくせに俺の名前を知りたいのかぁ。本名を教えることはできないが、そうだなぁ、サキとでも呼んでくれ。」
「それではサキさん、あなたは、なぜしぐるさんの体に、もう一つの人格として憑依していたのですか?」
「そうよ!あんた、しぐから離れ・・・」
鈴那さんは言葉を途切らせたと思うと、その場に倒れ込んだ。
「鈴那さんっ!」
「安心しろ、ちょっと強めの妖気を当てて気絶させただけだ。女に乱暴はしない。」
サキさんはニヤリと不気味な笑みを浮かべ、続けてこう言った。
「それとお前、俺の正体知ってただろ。」
確かに、僕はしぐるさんの二重人格の正体を知っていた。しぐるさんをこの業界へ入らせた理由の半分がそれだと言っても過言ではない。しぐるさんの中にいるこの怪物を、僕の監視下へ置くためだ。
「そうですね。僕はあなたを知っていた。けど、あなたがしぐるさんで何をしようとしているのかまでは知らない。目覚めるまで待ってましたけど、質問に答えてくれますか?なぜあなたはしぐるさんの中に?」
「それはまだ教えられないなぁ。」
「そうですか、まあいいです。話してくれるまで気長に待ちますよ。」
僕がそう言うと彼は目を細めた。
「お前、なにが目的だ。」
彼の気配が強くなる。妖気を出しているのだ。
「目的?サキさん、あなたは僕を少し勘違いしているようですね。」
僕は右手に妖気を集めた。幼少期から日向子さんという妖怪から修行を受けていたので、簡単な妖術なら使うことができる。妖力を練り固めて刀を作り、それを霊力でコーティングする。これが僕の武器だ。
「あまりしぐるさんのことを傷付けたくはないんですが。」
「ちょっとした腕試しさ。」
サキさんはそう言って体から妖気を放出した。それは大きな黒い蛇のようになり赤い舌をシュルシュルとさせながら紫色に怪しく光る眼で僕を睨み付けた。その瞬間、僕の体は金縛りにあったかのようにピクリとも動かせなくなってしまった。何かが圧し掛かるような感覚、重い・・・視界がぼやける。
「立っていられるのがやっとって感じかぁ。おいおい、もう少し楽しませてくれよぉ。」
信じられない、僕が睨まれただけで動けなくなるなんて。
「そんな顔すんなって、動けなくなって当然だ。ほらっ。」
彼がそう言ったと同時に、僕の体は自由を取り戻した。黒い蛇はその形を崩し、やがて消えて行った。
「悪い、そろそろ限界だ。またな。」
そう言って彼はその場に倒れた。僕もその場にへたり込んだ。
「・・・バケモノだ。」
僕は力なく呟いた。
○
その後は大変だった。
なんとか鈴那さんが目を覚ましたものの、焦点の定まらない目でボーっとしており、歩くにもフラフラとして危なっかしい。
珍しく家にいた父さんに車を出してもらい、僕は鈴那さんに肩を貸して車まで連れて行った。しぐるさんは脇田さんが運んでくれた。脇田さんには事情を話し、また明日の夕方に調査をすることになった。
帰りの車中で、僕は父さんに先ほどのことを話した。鈴那さんも一緒だったのであまり密な内容までは話さなかったが、少し腹が立っていたせいで冷静さが欠けていた。
「睨まれただけで動けなくなったんだ。僕が、僕が・・・くそっ!」
「零、 少し落ち着け。勝てなくても仕方がない相手だ。お前はよくやったよ。」
父さんは静かにそう言った。神原雅人、それが父さんの名前だ。
普段、父さんとは仕事以外で話すことが少ない。最近は特に仕事が忙しく、家に居ないときが少ないので滅多に会わない。
「父さん、あんなものが憑いたまま平然と生きていられるしぐるさんは何者なの?物凄い妖気だった。手も足も出なかった。」
「しぐるくんのことについては何も言えないが、零、あまり無茶をしない方がいい。」
「だって!神原家の当主に相応しい祓い屋にならなきゃ、今の地位を維持できるかわからないじゃない!」
「それはそうだが、零、お前は俺に出来ないこともできるじゃないか。俺は妖力を持っていないが、お前は妖力が使える。いくら日向子さんの教え方が上手くても、人が妖力を使えることは少ない。あまり焦らなくても、これから強くなれるさ。」
父さんは励ますように微笑みながら言った。その目はどこか疲れているようだった。
「・・・ごめん。疲れてるよね。」
僕が謝ると、父さんはフッと笑った。
「大したことはない。上がうるさいからな。」
「上って、本部のこと?」
父さんはそうだと頷いた。
「まったく、何を企んでいるのかわからん。別にやましいことでは無いと思うが、この前本部の人間が来たときに意味深なことを言っていたからな。」
「意味深なこと?」
「うむ、雨宮家の若旦那さんと言っていたが、つまりはしぐるくんのことだ。彼には注意しておけと。」
注意しておけ。その言葉を聞いて、後部座席のしぐるさんを見た。まだぐったりとしており、やっと意識が戻ってきた鈴那さんの膝枕で寝ていた。鈴那さんは後ろを向いた僕と目が合うと、きょとんとして首を傾げた。別に羨ましいだなんて思っていない。ただ、彼に注意しろという警告が、どういった意味なのか。漠然としているが、何かとても重要なことのように感じられた。
「ゼロ。」
不意に鈴那さんが僕の名前を呼んだ。
「はい。」
「しぐは、大丈夫だよ。ちゃんとあたしが見てるから。おっちょこちょいで、照れ屋さんで、ちょっとだらしないけど、優しくて頼れる人だよ。だから大丈夫、あたしが守るから。」
鈴那さんの表情は、まるで母親のようだった。きっと、彼女の母親のあんな笑顔で鈴那さんのことを見ていたのだろう。
しぐるさんの家に着くと、僕と鈴那さんが車から降りてインターホンを押した。電気はまだ点いており、直ぐに露ちゃんが出てきた。
「遅くなっちゃってごめんね、しぐるさん、疲れて倒れちゃったんだ。」
「あわわ!大変です!あの、大丈夫なんですか?」
露ちゃんは血相を変えてそう言った。本当に申し訳ない。
「気を失っているだけさ、そのうち目が覚めるよ。」
父さんがそう言いながらしぐるさんを背負ってきた。
しぐるさんを部屋まで運んで寝かせると、僕と父さんだけが車に乗った。
「鈴那さん、ほんとにいいんですか?」
「うん、今夜はしぐの家に泊まるよ。心配だし。」
そう言って彼女はまた微笑んだ。その笑顔は儚げで、とても優しいものだった。
作者mahiru
長いですが、読んで頂ければ嬉しいです。
『後編』→http://kowabana.jp/stories/27689