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中編4
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「――もう、死にます」

彼女は布団に横になったまま、静かな声でそう云った。

長く艶やかな髪が幾筋も、白いシーツの上を黒い川のように流れている。

新雪が早咲きの梅をうっすらと覆い隠したように、彼女の頬はほんのりと色づいている。

小さな唇は紅を差したかのように赤い。

とうてい死にそうには見えない。

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しかし、彼女は静かな声で、もう死にますとはっきり云った。

私も、確かにこれは死ぬなと思った。

「そうかね、もう死ぬかね」

私は、彼女の顔を上から覗き込むようにして訊いてみた。

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死にますとも、と云いながら、彼女はぱちりと眼を開けた。

大きな、夜霧に濡れた黒真珠のような瞳の奥に、私の顔が鮮やかに映り込んでいる。

これでも死ぬのかと思った。

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「死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね」

枕の傍へ口を寄せて、思わず問うた。

「でも、死ぬんですもの。仕方がないわ――」

彼女は私の顔を見て、詩を口ずさむように応えた。

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彼女が病に伏したのは、たった五日前のことであった。

宣告を受けた彼女は驚き、そして悲しんだ。

理不尽さに怒り、嘆き、刻一刻と迫りくる死神の足音に怯えた。

残された時間に私への愛を囁き、声の限りに歌い、そして――

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今、彼女は穏やかな静けさの中にいる。

断崖の上に立つ、一本の散りかけの桜のように。

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それでも、私は最後に試みた。

「こんな時だが、君に云わなければならない。私は君を――」

愛してはいなかった。

彼女はじっと私の顔を見てからにこりと笑い、嘘でしょう、と云った。

嘘だと云うと、私の方こそ詫びねばなりません、と云う。

彼女の顔が深い悲しみに染まる。

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「私には、あなたのほかに想い人がおりました」

心臓が早鐘を打った。

手足の力が抜け、座っているのに身体が崩れ落ちそうになる。

語気を強めて、嘘だろうと問うた。

嘘です、と云って彼女は微笑んだ。

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「――死んだら、埋めて下さい。

私が昨日いただいた、お味噌汁の中に入っていたしじみの貝殻で、穴を掘って」

「もう少し大きな貝じゃ駄目かい?たとえばそう、真珠貝とか――」

駄目です、と彼女は云った。にべもない。

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「流れ星のかけらを墓標に置いて下さい。

そうして墓のそばで待っていて下さい。――また、逢いに来ますから」

私は、いつ逢いに来るかねと訊いた。

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「お日様が西から昇るでしょう。それから東へ沈むでしょう。

それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。

西から東へ、西から東へと落ちて行くうちに――あなた、待っていられますか」

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「お日様は西からは昇らないはずだがなあ」

東にも沈まないと私が云うと、彼女は意外そうな顔をした。

「昔聞いた歌に、西から昇ったお日様が東に沈む、とありました。あれは――」

嘘だったのですか、と拗ねたように口をとがらせる彼女に、嘘だろうねと応えた。

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「あなた、待っていられますか」

気を取り直して彼女が訊いてくる。

今度は黙ってうなずいた。

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「百年です。

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――ヒック。百年、私の墓のそばに待っていて下さい。

きっと――、

きっと逢いに来ますから」

いつしか彼女は泣いていた。

喉を震わせ、溢れる涙の奥から私の顔を見つめていた。

私はただ、待っていると応えた。

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そして、その時がやってきた。

彼女の身体が大きくひとつ跳ねて、やがて静かになった。

彼女はもう――

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「――死んでいません」

彼女は私の顔を見たまま、呆然とした顔のまま云った。

「死んでいないのかね」

私も彼女と同じ顔で応えた。

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捨津苦離――。

しゃっくりという、性質の悪い病にかかった彼女は、死を宣告された。

聞けば、しゃっくりをする度に身体が衰え、百度目には死に至るとのことだった。

療法としては、患者をたまげさせるしかないと云うことだった。

幾たびも試したが、彼女は驚かなかった。

そしてついに今日、百度目を迎えたのだが――。

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「あなた、どういうことなのでしょう」

「わからん」

ふたりして顔を見合わせているところに、入り口の襖が開いた。

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「鏡子ー、あんたいつまで寝てんのー?

あら金之助君、お見舞いに来てくれてたの?

悪いわね。この子、しゃっくりひとつで死ぬの死なないの。小学校まで休んで大変だったのよー」

彼女のご母堂は快活にそう云った。

それから、せっかくだから夕飯食べてってねと云って部屋を出て行った。

後には静けさが残った。

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とにかくよかったと思った。

これで、しじみの貝殻で穴を掘ることも、百年待つこともしなくてよいのだ。

なにより、彼女を失うこともなくなった。

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「ところで君、しゃっくりはどうなったね」

私は、まだ布団の上で呆然としている彼女に問うた。

彼女は静かな声で応えた。

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「びっくりして、いつの間にか止まりましたわ」

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