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中編7
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絆の鎖 【A子シリーズ】

大学生活にも慣れてきた三年の春のことでした。

 私の数少ない憩いの場である大学校内のカフェ的な場所で、私はいつものダージリンティーを愉しんでいました。

 「よ!やっぱりここだ♪」

 私の背筋にゾクリと悪寒を走らせた声の主は、当然のように向かいに座ります。

 「何?レポートなら、こないだ貸したでしょ?」

 素っ気なく言った私を気にすることもなく、A子が言いました。

 「用なんてなくてもいいじゃん♪友達なんだから」

 「まぁ、普通なら…ね」

 基本的に一人が好きな私にとって、A子の近すぎる距離感は少々息苦しいもので、だいぶ慣れてはきていましたが、圧の強さには辟易していました。

 「失礼ですが……A子さんですよね?」

 いつの間にか私達の間に立っていた女性が、A子に話しかけていました。

 「そうだけど……アンタ誰?」

 A子の言い方に眉をひそめた私を無視して、女性が慌てて頭を下げます。

 「わたし、文学部一回生の在所いさ美と申します」

 行儀よく挨拶するいさ美さんに偉ぶることなく、A子はタメ語で話します。

 「何か用?」

 気怠い感じのA子に恐縮しながら、いさ美さんが言いにくそうに話し始めました。

 「実は……」

 いさ美さんが言うには、年の離れた弟の様子がおかしく、何かに取り憑かれているのではないかと思い、それをA子に見てほしい……とのことでした。

 「様子がおかしいって、どんな風に?」

 私が口を挟むと、いさ美さんは伏し目がちに答えます。

 「……食欲がないんです」

 食欲がない?

 「それ、医者に見せた方がいいと思うよ?」

 「弟が家を出たがらなくて……」

 そういう時は、抱えてでも連れて行くものだよ?

 「でも、元気は元気なんです…それが逆に心配で……」

 食べなくても元気なんて、何日間の話だろう。

 私が訝しく考え込むと、A子はニヘラと笑って言いました。

 「あぁ、分かった。講義が終わったら、二人で行くよ」

 A子、まさか……私を計算に入れてないよね?

 約束を取り付けたいさ美さんは、A子に何度もお辞儀をして去って行きました。

 フワッとした感じで手を振るA子を見て、私は講義が終わったらダッシュで逃げようと、固く決意しました。

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 しかし、大方の予想通り私の逃走を完全に予測していたA子に敢えなく捕まり、私はA子と共に、いさ美さんのお宅へ伺う羽目になった訳です。

 いさ美さんは地元生まれの地元育ちらしく、二階建ての一軒家に住んでいました。

 マンション暮らししかしたことがない私から見たら、借家でも羨ましい限りです。

 「今、両親は仕事でいませんので、お気になさらず上がってください」

 いさ美さんがわざわざ言わずとも、A子は遠慮なく上がります。

 玄関を入ると、二階からドタドタと騒がしい足音が聴こえました。

 「本当に元気そうだね」

 私が苦笑いすると、いさ美さんも気恥ずかしそうに笑いました。

 「3歳のイタズラ盛りで困ってます」

 いさ美さんと私のやり取りを無視して、A子はジッと天井を見上げています。

 「行くよ」

 A子は靴を脱ぐと、さっさと二階へ上がります。

 「ちょっと待ってよ」

 いさ美さんと私も慌ててA子の後に続きました。

 二階への階段を上がると、正面に一部屋あり、昇り口をグルリと回るように伸びる細い廊下に二つ、部屋が並んでいて、突き当たりには窓があります。

 A子は迷わず一番奥の部屋に向かいました。

 「本当にスゴい……あの部屋は、わたしと弟の部屋なんです」

 細い廊下の奥の部屋の木製のドアの前に立つA子が、いさ美さんの方を凝視して手招きします。

 「ちょい、いさ美ちゃんだっけ?」

 手招きするA子に近寄ったいさ美さんに、A子は右手で作ったピストルを、額に突きつけるように当てました。

 「開けるよ」

 A子はそう言って、いさ美さんの額に押し当てた人差し指と中指のピストルを勢い良くクルリと90度ひねりました。

 「うっ……」

 途端にいさ美さんが口を両手で塞ぎ、膝から崩れ落ち、嘔吐感をもよおしています。

 「がっ…はぁ……」

 今にも吐きそうな吐息に、何だか私も気分が悪くなってきました。

 「悪いね……こうでもしないとさ……終わんないから」

 A子は苦しみ喘ぐいさ美さんをほったらかしにして、部屋の中へ入って行きましたが、私はいさ美さんが心配だったので、いさ美さんについていました。

 A子が部屋に入ってから少し経ちましたが、話し声はおろか、物音一つしません。

 無音の重圧が支配する中、静寂を破ったのはA子の声でした。

 「いさ美ちゃん連れて来て」

 ハッと顔を上げ、私はうずくまるいさ美さんを支えながら、部屋へ入りました。

 部屋の中は、今時のインテリアが並ぶ八畳間でしたが、私は違和感を感じます。

 「……一人部屋だ」

 部屋の中は、いさ美さんの物ばかりで、絵本やオモチャなどの『弟の物』が一切見当たりませんでした。

 「そこに寝かせて」

 A子に言われるまま、いさ美さんをベッドに寝かせると、A子に訊きました。

 「A子……ここって」

 「後で話す」

 私の問いを遮って、A子はいさ美さんの頭から下腹部に向かって、かざした手を滑らせていきます。

 A子が何かをブツクサ唱えながら繰り返し、空いていた左手が見えない何かを掴んでいるのを、私はただ黙って見守っていました。

 A子の左手がゆっくりといさ美さんの下腹部に当てがわれ、そこに何かを吹き込むように、A子は深く息を吐きました。

 「……はい、おしまい」

 A子が額にかいてもいない汗を拭うフリをして、いさ美さんを見下ろします。

 「どう?思い出した?」

 A子の問いかけに、いさ美さんが消え入りそうな声で「はい……」と答えたのを見て、私は訊きました。

 「どういうこと?」

 一人だけ状況を理解していない私に、「それはね」とA子が話し出すのを、いさ美さんが制します。

 「わたしから…お話しさせてください」

 いさ美さんは怠そうに上半身を起こして、俯きながら話し始めました。

 「……弟は、六介(ろくすけ)はわたしの息子です」

 「は?!」

 私は耳を疑いました……仮に、いさ美さんが十八歳だとすると、十五歳で母になったことになる訳ですから。

 「産んだのは私です……でも、戸籍上は弟になるんです……」

 「特別養子縁組か……」

 私が漏らした言葉に、いさ美さんは頷きました。

 「六介が六ヶ月の時……突然、亡くなりました……SIDSでした」

 我が子を失った悲しみに咽ぶいさ美さんの顔は、母親の顔でした……それを見たA子が続きを話します。

 「んで、いさ美ちゃんの息子は、この家から出られずにいた訳だ」

 「でも、A子……息子さんは六ヶ月の時に亡くなってたんでしょ?」

 私の疑問に、A子は締まりのない顔で答えました。

 「育ったんだよ」

 「育ったって……」

 私が言葉を詰まらせると、A子は頭を掻いてから、私の肩を叩きました。

 「育つんだよ、それが!死んだからって成長が止まる訳じゃないんだ……そこがアンタの胸とは違うトコだね」

 「ぶん殴るよ?グーで」

 私が拳を握ると、A子は咄嗟に防御の姿勢を取り、「ジョークだよ」と笑いました。

 「いさ美ちゃん、アンタの息子の魂はアンタの腹ん中に戻しといた♪今度はちゃんとした男を見つけて、しっかり育ててあげなよ?」

 ニッと白い歯を向けたA子に、いさ美さんは涙混じりの笑顔を返し、「はいっ!」と返事をしてA子の手を握りました。

 その姿をA子の後頭部越しに見ていた私は、もらい泣きしてしまいました。

 「じゃあ、アタシらは帰るよ」

 A子が部屋を出て行くのに続き、私も部屋を出ました。

 帰り道の道すがら、私はA子に訊ねました。

 「いさ美さんの中に戻った魂は、またいずれ生まれて来るんだよね?」

 すると、A子は神妙な顔で答えます。

 「さぁね」

 素っ気ないA子の言葉に、私は足を止めました。

 「あの子……いさ美ちゃんのことだけど、あの子を助けるためには、ああ言うしかなかったんだ」

 「どういうこと?」

 私は体を強張らせながら、A子の言葉に耳を傾けます。

 「とっくの昔に、子供は逝くべき所に還ってる……それをあの子が受け入れなかった……いや、受け入れられなかったんだ」

 A子は夕暮れの空を見上げながら、言いました。

 「あの子の思念の塊が息子の幻影になってた……それを天に還したなんて言ったら、あの子……死ぬよ?」

 子を想う母の情念……この場合、悔恨、自責の念とでもいうべきでしょうか……死なせてしまった子との縁は切れたなどと言ったら……。

 「妄想があそこまで膨れ上がったのを見たのは、アタシも初めてだよ……だから、あの子が魂を削り出して造った我が子の幻を、あの子の中へ戻したんだ」

 「それを糧にして、いさ美さんがこれからを生きられるように、A子はしてあげたんだね」

 「まぁ、そういうこと……かな?」

 照れたように笑ったA子が歩き出した途端、ピタッと足を止めて急に叫びました。

 「あぁっ!!お礼もらうの忘れた!!」

 わなわなと震えるA子の肩を叩いて、私は言いました。

 「今回は、私がするよ。何か作ってあげる」

 「肉を所望致す」

 真顔で即答するA子が可笑しくて、私は吹き出してしまいました。

 寄り道したスーパーで半額のステーキ肉を買い、私の部屋で焼いてあげると、嬉しそうに食べるA子。

 A子は肉なら何でもいいみたいです。

 いつも飄々としているA子ですが、他人を想えるA子の優しさを見て、私の中でA子が親友になりつつあるのを感じたのは、また別の話です。

 

 

 

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