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これからする話は知り合いの女の子に聞いた話を詳しく調べ推測を加えた上で書き直したものになる。
登場する地名、人名などは全て仮名にしてあることをご了承いただきたい。
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葬る、とは死体を見えなくする行為を指している。
実際に我々の生活で死体を見る機会というのはあまりあるものではない。
葬ると一口に言ってもその方法は様々で、例えば火葬、水葬、鳥葬。
最近では樹木葬という方法もポピュラーになりつつある。
あえて外したのだが、近代まで日本では土葬という形式が一般的だった。
そして現代においても土葬はなくなってしまったわけではない。
いくつかの(困難な)手続きを踏めば、あなたも地面の下に安住の地を得ることができる。
灰と化さず、肉のままで。
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これから話すのは、数十年前まで土葬という風習が当たり前に生きていた村の話。
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その村では死人が出るたびに匂神楽という祭事が行われた。
匂神楽(コウカグラ)とは簡単に言えば死体の歌舞である。
死者をその遺族が抱え支え、大勢の(ほぼ全員参加だったという)村人の前で操り、舞わせる。
その後、死体は村を囲む山林に運ばれ、ヌケ場と呼ばれる窪地に安置される。
ヌケ場とは死んで神に近い存在となった者たち(=ヌケ)が暮らす言わば聖地であり、普段は周辺に近付くことすら禁忌とされている。
また、死体を運ぶ際でもヌケ場に足を入れられるのは神職の家の者だけと限られていた。
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このように、一般には考えられない風習が近年(といっても、数十年は経過しているが)まで残っていたのだが、時代の流れもあり旧き風習に疑問を持つものたちも出てきた。
衛生的、倫理的な観点から見て、勾神楽はもはや続けるべきではないと。
おそらく、テレビなどの普及がこうした流れをもたらしたのだと推測できる。
行政からの指導もあり、70年代に入るころには匂神楽は全面的に廃止されることとなった。
村内では反対意見も出たようだが、大勢は廃止にあった。
生理的な嫌悪感は議論が持ち上がる前から村人の多くが根強く抱いていたのだと思われる。
数年後、村には火葬場と共同墓地が建設され、ヌケ場に葬られる者は一人もいなくなったという。
匂神楽は死体を人形と代え、民俗芸能としてその名を留めるのみとなった。
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事件が起こったのは匂神楽の廃止から十数年が過ぎた80年代も末のことだ。
梅雨が終わり、村が濃い緑に囲まれる頃、村の若い女性や幼児が続けざまに消息を絶った。
最終的にその合計は十人を超し、地元警察や消防団は連日必死の捜索を行ったが彼らの足取りすら掴むことはできなかった。
僅かな痕跡も残さず、まるで風に飛ばされる線香の煙のように彼らはその姿を消してしまった。
記録的な猛暑が過ぎ、秋の気配が感じられる九月上旬、一件の目撃証言が捜査本部に報告される。
曰く、失踪した子供の一人とフリの当代が手を繋いで歩いているのを見た、という。
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フリとは村の祭事を取り仕切る神職の家の通称であり、現在フリの当主を務めるのは、千脇鎮雄という三十代の男であった。
千脇家は××村が成立したころに系図を遡る旧家であり、祭事のみならず、村の一切を取り仕切る指導者的な位置にある一族だった。
当主は匂神楽の舞(ユレ)を代々受け継ぎ、ヌケをヌケ場へと導く司祭の役割を務める。
匂神楽の廃止に際して最も強く、最後まで抵抗したのが千脇家であり、廃止が決定されたとき、鎮雄の実父である先代は自死を遂げたともいう。(病死という説もある。真相は未だ不明)
匂神楽の衰退と共に千脇家もまた、斜陽への道を辿りはじめる。
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証言に従って捜査員が千脇家を訪ねたところ、邸内には誰一人いなかった。
留守という雰囲気ではなく、例えるなら、間違って廃墟に足を踏み入れてしまったような不吉な静けさを感じた、と後に捜査員の一人は語る。
落ちぶれたとはいえ、千脇家にはまだまだ大勢の親族や使用人が生活しているはずであり、誰一人いないというのは不審に思われた。
数日が経過したが、千脇鎮雄並びに千脇家関係者の行方は杳として知れず、他に事件の手掛りが無いこともあり、千脇家そしてヌケ場の強制捜索が行われることになった。
ヌケ場は匂神楽廃止後、千脇家が周辺の山林も含めて村から買い取り、現在は千脇家の私有地となっていたのである。
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捜索の結果、連続行方不明事件は一気に解決へと向かう。
だが、それは解決と呼ぶにはあまりにも救いのない終り方だった。
(以下、後編)
作者退会会員