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命の恩人であり、類い稀なる霊感の持ち主Rさん。
知り合って早五年、彼の営むラーメン店は地元のグルメ雑誌にも度々取り上げられ、今では、食事時には行列ができる程の人気店になっています。
前回では、彼の人相について全く触れませんでしたが、いかつい感じで、よく見ると額や頬などに傷痕もあり、中々の迫力を醸し出しています。
ただ、目だけは非常に穏やかで、それらマイナス要素を見事に払拭、第一印象は決して悪くありません。やはり、心の窓であり、口ほどに物を言うらしい目は、中々侮れない物があるようです。
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彼ほどの霊感があれば、その筋?で大儲け出来そうですが、本人にその気は一切無いようです。ですから、彼の特異な能力が発揮される事は滅多に無いと言っても良いかも知れません。
ただ、ボランティアではたまに活動しているらしく、霊的に危険な状況にある人物に遭遇した時などは、自分から声を掛けるのだそうです。その際は、相手がヤクザだろうがヤンキーだろうが躊躇しません。いつでしたか、彼が笑いながら話した事があります。
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「〈このままだと死にますよ〉耳元で囁くんです。勿論、いきなりじゃぶん殴られる。その前に、絶対に当人しか知らない話をします。大抵ぎょっとしますね。やっぱり命が惜しいんですよ。悪い奴ほど真剣に耳を傾けてくれます」
そんな噂を聞き付けて、極まれにそういった関係の依頼もあるそうで…
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二年ほど前、翌日が休みと知っていた私は店にブランド焼酎持ち込んで、閉店後二人で飲んだ夜がありました。これはその時、全くと言って良いほど体験談など口にしない彼が、酒のお陰か、自ら語ってくれた話です。
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「社長さん直々に店に来られて、先日とあるホテルに行ったんですよ。僕の力はまだまだなので、手に負えない時はある人に頼むんですけど、話を聞く限り大丈夫そうだったんで一人で行ったんです」
「ある人?」
「僕より若い女性なんですが、凄い人で自分の生き霊を自在に操るんです。本人は車椅子生活だから、代わりに自分の魂を行きたい場所に飛ばすんですよ」
「いきりょう?」オカルトに疎い私には全く理解出来ません。
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「あ、この話には彼女参加してないんで解らなくても全然問題ないです。で、ホテルに着いたんですけど、建って間がないそうで、確かに綺麗なんですけど、何か臭う。子供の頃に嗅いだ鉄棒のような臭い」
「血の臭い、ですか?」
「そうです。明らかに人間の」
「……」
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「僕は、先入観に惑わされるのが嫌で、依頼の際、あまり細かい事は聞かないようにしてるんです。地下の駐車場ですすり泣く女の声がするとの事だったんですが、漂ってる血の臭いに意識を集中すると確かに聞こえるんです。まだ幼い少女の泣き声。こっちまで悲しくて堪らなくなるような、そんな切ない声でした」
「そこで殺されてるんですか?」
「まだ言えません(笑)。その時点では僕もそう思ってました。でも、恨んでるとか憎んでるとかじゃない。ただただ、悲しくて悲しくて仕方がない、そんなやるせない思いがひしひしと伝わって来るんです」
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Rさんは傍にいる社長とホテルのスタッフに「一人にして欲しい」と頼んで単独で駐車場に向かったそうです。
「それが…その声を聞いてる内に涙がこぼれそうになっちゃいましてね。もう恥ずかしくて。説明しづらいんですが、一刻でも早く抱き締めてやりたい、何故かそんな思いで一杯になるんですよ。自分がその娘の兄か父親にでもなったかのような気持ち。いとおしくていとおしくて仕方がない、何とかしてやりたい、そんな感情が溢れてくるんです」
目を潤ませながら話すRさん。私も思わずもらい泣きしそうになりました。一人娘の唯の事が脳裏をよぎったからです。
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そういえば、妻と娘が天国に旅立ったのを伝えてくれた時も、彼は両目に涙を溜め、自分の事のように喜んでくれました。
何が彼をここまで涙もろくしたんだろう?
私は聞き耳を立てながら漠然とそんな事を考えていました。
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「駐車場のエレベーターホールから20mほど離れた所にその娘はいました。静かに近付いたんですが、突然目の前が真っ白になったんです。いきなり濃い霧の中に飛び込んだ感じです。
徐々に視界が晴れて…驚きました。少女が、何故か1メートル四方の鉄格子の向こうにいるんです。そこは三畳ほどの和室でした。辺りは薄暗く、部屋の奥、壁と天井の僅かな隙間から漏れてくる明かりしかない。ふと周囲を見渡すと低い天井が頭すれすれの所に迫っています」
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「過去に行ったんですか?」
「だと思いますが、確信はありません。というのも、すすり泣いているその少女、どう見ても死人だったからです。骸骨のように痩せ細って、口からは大量の血を流してる。その血で畳は真っ黒です。生きてる人間じゃ絶対になかった。
あんな経験初めてだったんで、気になって頭上の天井板に触ってみたんです。木目の感触までありました。かび臭いのと血の臭いで吐きそうになりました。あれは間違いなく過去の現実でしたね」
「過去の…現実…」
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「僕はあの時、過去に飛んで少女の霊と向き合ってたのかも知れません。不思議なのは、おかしな言い方かも知れませんが、その霊も実体のある物質として、確かにそこに存在していたという事です」
鉄格子を掴んで語り掛けた時初めて、少女は彼に気付いたようでした。
「驚いてましたね。目を大きく見開いて。それこそギョロって感じで僕を見るんです。その時口からドバッと血を吐きましてね。何かもう、堪らなかったですね」
すぐ横に部屋の入り口があり、つっかい棒がしてあります。彼はすぐに棒を外し、立て付けの悪い引き戸を力ずくでこじ開けたのです。
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少女はもう、泣いていませんでした。それどころか満面の笑みを無理やりこしらえて彼を迎えたのだとか。
「実は、最初にその娘を見た時から分かってたんです。白の長襦袢姿。彼女は女郎だったんです。そこに遊廓があった頃、その部屋は地下室で恐らく折檻部屋だった。何らかの罰で入れられたんですね。多分具合が悪くて働けなかったんでしょう」
「……」
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「彼女は別に怠けて働かなかった訳じゃない。死の病に冒されていたんです。さぞや辛かったでしょう。それを知った経営者は感染を恐れてそのまま地下に閉じ込めた。そんな所だと思います」
吐血しながらRさんに懸命に媚びを売る少女。ふらふらしながら何とか立ち上がると、彼女は血塗れの襦袢をはだけて裸になろうとしています。
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「許して貰うには見知らぬ男にサービスするしかない。笑顔で抱かれて性欲を満たしてやる事しか思い付かないんだ。僕にはもう、涙で少女が見えなかった。力一杯抱き締めて胸の思いを全身全霊で伝えたんです。〈裸になんかならなくていい。君はもう、自由なんだ〉と」
ふと我にかえったRさん、駐車場の地べたにうつ伏しておいおい泣いていたそうです。
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「まだ、中学生に成り立てくらいの年齢ですよ。親に売り飛ばされ、見知らぬ土地で…。哀しい運命ですよね。成仏してくれたのか、正直自信がありませんでした。それで、あそこに行ってみたんです」
「あそこ?」
「そこのお寺にです。あそこは天界に通じる道がクリアだから会えるかなと思って」
Rさんの目からツーと涙が零れ落ちます。
「僕は、キリスト教徒でもないのに、十字架に手をそえ、ひたすら祈りました。そしたら」
「……」
「会えたんですよ!見違えるような美しい姿!!一目で彼女だと判りました。言葉は交わしません。いや、もう、言葉にならないんです」
照れくさそうに手のひらで両目を拭います。
一升空けたのに、その夜は二人とも全く悪酔いしませんでした。また、美味いのを持ち込んで一杯やろうと考えているところです。
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作者オイキタロウ
ラーメン屋シリーズ第二弾です。過去にお読みになられた方はスル―でお願いします。