高校に入学すれば何かが変わるかと思っていた。
新たな生活、人間関係、自身を取り囲む環境が変われば何かが変わるかもしれないと。
実際たかだか3ヶ月そこらで何かが変わる筈もなく、夏も迫ったある日の放課後、俺は図書室にて読書に耽っていた。
長時間の読書に疲れた眼を休ませようと視線を上げれば、返却された本を書棚に戻して歩き回る図書委員の女生徒と眼が合った。
確か1学年上の上級生だったはずだ。
活発そうな明るい表情、大きく丸い瞳が印象的だ。
此方に微笑みを向けて彼女は仕事に戻っていった。
肩甲骨まで伸びた髪を、ふわりと靡かせながら。
どこか気恥ずかしさを覚えて気を紛らわそうと視線を彷徨わせると、もう1人の女生徒の姿が目に入る。
正確には女生徒だったモノなのだろうか。
洋書コーナーに立つ女生徒、俺が入学した時からずっと彼女は其処に立ち続けている。否、入学する以前からだろう。
どこか悲しげな表情を浮かべ、貸出しカウンターの辺りをじっと見つめる彼女。
一体何の未練があるのだろうか、俺には知る由も無く、特に実害があるわけでもないのであまり気にしたことはなかった。
しかし、見ていて楽しいものでも無いので、視線を正面に戻してみれば、女が此方を覗き込んでいて思わず身を引いてしまった。
「や、浅葱君」
そう声をかけてきた眼の前の女は立花椛、俺のクラスメイトだ。
サラサラとした黒髪と、どこか斜に構えたように見える目頭が大人びた雰囲気を醸し出している。
それでいて人当たりの良い性格ときたもので、クラス内外男女問わず人気のある生徒だ。
「立花かよ、驚かせんな」
「ふふっ、ごめんね」
俺の対面に座りながら、彼女も自分の持って来た本を広げる。
そこに書かれたタイトルは『実録、日本の恐怖事件』他、ミステリーやホラー物が多数。
「お前そんな本読むのか」
「趣味、好きなのよねこういうの」
「意外だな、ホラーってイメージじゃないだろう」
「浅葱君はホラーは嫌い?」
迷惑極まりない俺の勝手なイメージに不快感を表す事もなく、此方の眼を見つめ問いかけてくる。
「嫌いじゃないな、とりわけ好きでもないが」
自分の事を考えれば好きだ等とは到底口に出来る筈もなく、しかし娯楽の一環として、一作品として観るのならば嫌いではない。
結局俺にとってホラーなんてものはそんな物である。
「ホラーと言えばさ、この図書室、出るって噂があるのよね」
そんな俺の考えを知りもしない立花が、楽しそうに言い放ってくるが。
「ほぅ、そんな話あんのか」
等と、簡単にすっとぼける事が出来るくらいには慣れたものである。
「変態教師に貸出しカウンターの所で殺された女生徒が、恨みを晴らそうと今でも出るんだって」
彼女の事なのだろうか?
今も変わらず、洋書コーナーに立ち、貸出しカウンターを虚ろな眼で見つめる彼女に目を向ける。
しかし、彼女の境遇を聞いた所で俺に何か出来るわけでもなく。
だからこそ、そんな事は知らなければよかったと─
「嘘、そんな噂ありません」
得も言われぬ虚無感に襲われながら、立花に視線を戻そうとすれば、そんな言葉が飛んでくる。
嗚呼そうだ、彼女にしてみれば面白い冗談なのだろう。
しかし、俺に言わせればたまったものではない。
一言物申してやろうかと立花を睨み付けて見れば。
「ふふっ。でもやっぱり、浅葱君も視えてるんだね」
ゾクリと、背筋を冷たい物が通り過ぎたかのような錯覚を覚えそうな冷たい声と、それに反比例して楽しそうな立花の顔が、俺を見つめていた。
嵌められた。
貸出しカウンターで殺された女生徒の話を聞き、洋書カウンターに視線を向けてしまえば、其処に何かが居ると言っているようなものである。
そしてソレが視える人間になら尚更の事。
「俺『も』って事はお前もって事でいいんだよな?」
だからこそ俺は、そんな解りきった質問を立花に問いかければ。
「視えてるよ、多分浅葱君と同じモノが」
当然そんな解りきった答えが返ってくるわけで。
「ずっと気になってたんだよね、多分浅葱君って視える人だよなぁって。
だから今回こんなやり方で試してみたんだ。」
直接俺に聞かず、外堀を埋めるやり方、クラスの誰にも見せた事の無い表情で俺に語り掛ける立花。
この得体の知れないに畏怖しながらも
「ねぇ、浅葱君?私達いい関係になれるんじゃない?」
コイツとなら、何かが変わるかもしれない─
そう思ってしまう程には、彼女に惹かれ始めていた。
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「学校の七不思議だぁ?」
あの図書館での出来事以来、俺達は一緒に過ごす事が多くなった。
特に何かするわけでもなく、思い思いに本を読み、下校する。
しかし、今日に限っては立花が面白い話を持って来たと言うので耳を傾けてみれば
「この学校にそんなもんあんのか」
「そそ、面白くない?」
別に面白くも無い、ありきたりな話であった。
「で?七不思議なんて調べてどうするんだ?」
「ん、単なる好奇心」
昔の学校新聞だったり、聞き込み調査で調べて来たみたいだが。好奇心だけでそこまで動くのは中々の物である。
「付き合ってやれるかどうかは解らんが、詳しく話してくれ」
だからこそ、俺はこんな事を聞いてしまったのだろう。
「さすが浅葱君、話がわかる」
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一つ、東校舎4階の女子トイレ、一番奥の個室には自殺した少女の霊が出る。
二つ、3時にプールで泳ぐと引き摺り込まれる。
三つ、西校舎3階の踊り場の鏡を4時44分に見ると、自分の死に顔が写る。
四つ、放課後、科学準備室で鈴の音を聞いても、決して振り返ってはいけない。
五つ、深夜、屋上に飛び降り自殺をした男子生徒の霊が出る。
六つ、23時に音楽室のピアノで『エリーゼのために』を演奏すると呪われる。
七つ、深夜体育館で校歌を歌うと、異世界への扉が開く。
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「ほぅ、これは」
「ね?面白いでしょ?」
正直期待はしていなかった。内容自体はありきたりな物が殆どだが。
「四つ目・・・」
思わず呟いてしまう程には、ソレは違和感を放っていた。
「浅葱君も思う?これだけおかしいよね?」
他は具体的な事が書かれているのだが、これだけは曖昧だ。
『振り返ってしまうと何が起こるのか』ソレが書かれていない。
明らかに異色、それ故に現実的。
「さて科学準備室、行きますか!」
そうやって勢い良く立ち上がった立花を、俺は止める事をしなかった。
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「ところで、鈴の音ってどうやったら聞こえるの?」
「俺が知るか」
勢い勇んで科学準備室に来たものの、結局ソレが起きない事にはどうしようもなく。手持ち無沙汰に周辺を眺める事しか出来ない。
「なんか適当に触ってたら聞こえないかなぁ?」
何も起きなくて暇なのか、立花が周りの物を物色し始める。
「おいおい、適当に触るんじゃねぇよ」
「大丈夫でしょ、元に戻しとけば」
と、言いつつ手に持った瓶のラベルには『アジ化ナトリウム』と書かれている。立派な毒物であり、そもそも何故こんなものが置いてあるのか。
「科学の滝沢先生の趣味?」
「知るか、危ないから戻しとけ」
「わかりましたよー」
少し不服そうな顔をする立花が瓶を棚に戻す。
「結局何も起きないし、まぁこんなものよね」
「根も葉もない作り話なんだろ」
「帰りますか」
そう言って、準備室の扉を開け、教室を背にしかけた時
─チリン
『決して振り返ってはいけない』そんな言葉が頭に浮かんだから、俺は振り返るのを留まる事が出来たのだろう。
「浅葱君、聞こえた?」
「ああ、聞こえた」
2人で準備室に背を向け、廊下を見つめながら会話を続ける。
きっと、俺達の後ろにナニかが在る。
─チリン
未だ聞こえ続けるその音、ほんの後一歩踏み出せば、俺達はこの教室から出る事も出来るし、振り返らず立ち去る事だって出来る。
─チリン、チリン
しかし、その一歩が踏み出せない。
カツン、と背後で物音がする。何の音だろうか、気になる、嗚呼、振り返ってはだめだ。
さわさわと、背中を撫でられるような感覚すら覚える。夏の暑さに汗が滴り落ちる。
外から聞こえる運動部の喧騒、遠くから聞こえる未だ校内に残っている女子生徒の騒ぎ声。
静まり返ったこの教室から聞こえるそれらは、まるで異世界の物のようにすら思えてしまう。
どれくらい俺達は立ち続けていたのだろうか。
「あ?お前らなにしてんの?」
準備室の前の廊下を通りかかったクラスメイトに声をかけられた。
陸上部のユニフォームを着てる所を見れば、部活の用事なのだろうか?
「え?何?お前らそう言う関係?邪魔した?いや、そもそもこんな所で」
そう言って、少し慌てる彼を見ている内に、身体が軽くなった。
「そんなわけねぇだろう、先生に用事頼まれてんだよ、行くぞ立花」
「あ、ええ」
俺達は、一歩踏み出した。
3人で廊下を歩いて居る最中、ニヤニヤと笑みを浮かべるクラスメイトに問いかけられた。
「お前らの後ろに居た子、置いて来て良かったの?」
「知らない生徒だ、たまたま居合わせただけ、気にすんな」
─チリン、と音が聞こえた
放課後、科学準備室『で』鈴の音を聞いても、決して振り返ってはいけない。
今なら大丈夫なのだろうか?
しかし俺は、振り返る事はしなかった─
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「ねぇ悠真、最近お店どう?」
「ぼちぼち、椛はどうなんだ?」
「ぼちぼち」
「そうか」
「そう」
会話が途切れる、此処は図書室ではなく、俺の部屋。
室内には頁を捲る音だけが聞こえる。
しかし、気まずい空気等流れておらず、むしろこれが心地よい。
あれから何年の月日が流れただろうか。
あの時の俺が、立花と・・・椛とこんな関係が続いていると知ったらどう思うだろうか。
色々変わった事も多いが、変わらぬ事も多く。
それ故に、パタンと本を閉じた椛が
「この辺に面白い廃墟があるんだけどさ」
等と、言い出すのはいつもの事で。
「めんどくせぇ」
そう、俺が返すのもいつもの事。
ただ一つ、変わった事があるとすれば─
「てんちょー!この辺にね!面白い廃墟が在ってですね!」
勢い良く我が家の玄関を開け突入してくる女。
「お?おぉぉぉ?修羅場?」
「この子誰?今カノ?」
「ちげぇよ」
決して合わせたくなかった2人が出会ってしまったわけで。
「めんどくせぇ」
俺は内心頭を抱えながら、いつもの様に呟くのだった。
作者フレール
皆々様こんばんは。
時間かけてかけまくりましたが新作です、次はもうちょっと早く書きたい・・・
店長の過去のお話ですね、倉科の登場は少ないです。
次回は・・・次回こそは倉科に出番を