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「あの日だけは忘れようにも忘れられません。高2の、夏休みに突入したばかりの暑い日でした。その頃はもう悪霊から身を守る術(すべ)も解ってたし、少し興味もあったんで自殺で有名なM県のY橋に行ってみたんです」
「へえ…Rさんもそういうとこ行くんだ」
「心霊スポットに、自分から積極的に行ったのはそれが最初ですね」
彼はそこで、自殺した霊の質の悪さに驚いたそうです。
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「基本寂しがり屋なんですよ。死後の世界の絶対的な孤独に耐えられない。飛び降りの名所なんだから沢山お仲間がいるのにって思うでしょ?見えないんですよ。狭い範囲に何十、何百といても自分以外の霊は目に入らないんです。肉体を離れたらもう想念だけですから。波長の合う霊なんてまずいない。だから人にちょっかいを出す。気に入った人間を自分の世界に引きずり込もうと躍起になるんです。だけど引っ張り込んだ筈の相手は別の世界に行ってしまって孤独は全く解消されない。その内怖がらせるのが楽しい、殺す事が目的、みたいになる。悪霊化するんです。そうでもしないと誰も相手してくれないから」
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Rさんは、もはや殺人鬼と化した霊たちと喧嘩腰でやりあいます。しかしバトルの成果は思いの外少なく、結局は、会話で成仏に導く難しさを嫌というほど味わっただけでした。
「悪霊になるのは一部ですけどね。でも、流石に自殺の名所ともなるとその一部の数が多い。ま、一番驚いたのは、頭の割れた霊見ても全く動じない自分にでしたけどね。いざとなったらゴンジイがいる!!これは僕にとって大きかったとつくづく思いましたね」
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彼によると、自殺そのものが狂気のなせる業(わざ)なので、死後もそのまま狂人ならぬ狂霊になる場合があり、そうなるともう最悪で、会話そのものが成り立たないそうです。
「狂信的な無差別テロ犯のようなもの。自殺スポットには必ずいます。危うきに近寄らずが一番ですよ」
橋に着いて五時間が経過した頃には夕陽が沈みかけていました。Rさんはあまたの霊たちに別れを告げ、土産物屋で借りた自転車にまたがり、ふと、何気なしに陰り行く山々を見上げました。
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「頂上付近で、バチっと何かと目が合ったんです。それまで記憶に無い、すごく違和感のある視線でした。悪意のようなものは感じませんでしたが…」
それは遥か彼方からRさんを直視していました。(正体が知りたい)恐れるどころか、当時霊に対して自信満々だった彼には好奇心しかありません。
「馬鹿ですよね。来るなら来いよ!!とか思ってて…ったく、何様?って奴の典型ですよ」
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ちなみに彼の身に付けた防御方法は、自分の魂を意識的に拡大させて周囲に結界を張る、のだとか。そうする事で霊の侵入を遮断出来、更に魂の格を上げると、全く見えなくする(本人からも霊からも)事も可能なのだそうです。
幼い次期は、魂もまだ十分に成長していないので、それをやろうとしても無理らしく、大人になったとしてもある程度の神格?が必要との事。
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例によって私にはよく理解出来ないのですが、Rさんはゴンジイに、水神様の魂の欠片(かけら)を貰っているらしく、そんじょそこらの悪霊では結界を破られないとのお墨付きをいただいているそうです。彼いわく「調子に乗っていたのはそのせい」なんだとか。
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興味津々のRさん、自転車を降りその山に向かって歩きます。自転車から降りたのは用心の為。何が起きるか判らないので、車の行き交う路上は危険だと判断したのです。
20分程歩きましたが、ソレが近付いて来る気配はありません。しかし、Rさんから目をそらす事なくロックオンしたままです。
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「相手に山を下りる気が無いんなら待ってても仕方ないんで、列車の時刻もあるし、会うの諦めて帰ろうと山を背にした時でした」
「ミウミウミウ…」遠くの方から、かつて聞いた事の無い声が耳に届いたのです。
「何となく〈あそぼ〉と言ってるような気がしたんですけど、子供の霊とは明らかに違う。これは感覚的な物なんで上手く説明出来ないんですけど、普通の霊じゃない事だけは判りました。妙にザワザワして落ち着かないんです」
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「ミウミウミウミウミウミウ…」その鳴き声はどんどん大きくなっていきます。得体の知れない何物かが、猛烈なスピードで山を駆け下りているようでした。
周囲に結界を張り待つこと10分少々。ついにソレが姿を現します。
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その奇怪な生き物は足まで入れると、高さは優に2メートルを越えていました。ダンゴ虫に似たボディはゴキブリのように脂ギッシュでテカテカ光り、不自然なまでに長い後ろ足と触覚がキモさを圧倒的なレベルにまで押し上げています。
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「何だったと思います?カマドウマですよ。でかいカマドウマ!!僕、駄目なんですよビジュアル的に蜘蛛とゲジゲジ、カマドウマだけは。そいつは〈ミウミウ〉鳴きながら近付いて来ました。全身鳥肌は何度も経験してますが、全身ジンマシンってのは初でしたね」
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Rさんは硬直して動けません。その化け物は血統書付きの結界を難なく通過。手を伸ばせば届く距離にまで接近します。顔の部分はポッカリ穴が開いていて表情は全く読めません。
「その時、顔に何かが触れたんです。それが触覚だと判った瞬間、理性が完全にぶっ飛びました」
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「ひやあ」Rさんは悲鳴にならない悲鳴をあげると、強張る身体を無理やり動かし逃げようとしました。直後、ズルっと背中から何かが入って来たのです。(うわ!!)と思う間もなく胸から顔らしきモノが飛び出し、すぐ目の前でクパアと口を大きく開けます。
shake
「ミウミウミウ」
そこでRさん、人生で8度目の気絶を経験するのです。
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「その顔が、まさにスクリームなんですよ。正直、死んだと思いました。勿論ショック死で」
大勢の人の気配がして目を開けると、錫杖を手にした男たちに覗き込まれています。
なつかしい声が語り掛けてきました。
「あれにビビってるようじゃまだまだ修行が足らんな。結界破ってんだから悪い奴じゃない事くらい判るだろうに」
(ゴンジイ、もしかして全部見てた?)
Rさん、何がなんだか判りません。
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「あれは虫なんかじゃねえぞ?お前と同じ人の子だ。昔な、狂った男から山に逃げた母親が赤子を穴蔵に隠したんだ。母親は殺され、赤子も死んだ。あげく母親は怨霊となり、赤ん坊は虫になった。まだ目の開かない乳飲み子が霊として目覚めた時、最初に目にしたのが虫だったんだ。だから自分も虫だと思ったんだな。可哀想だろ?」
「……」
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「母親は半狂乱になって、いまだに我が子を探してる。助けたくねえか?」
「…助けたい、です」
「二人を会わせたくねえか?」
「…会わせたい、です」
「だろ?そこでだ、母親の方はこっちで何とかする。子供はお前に任せる。人の子にしてやってくれ。そうだな、逃げてばかりじゃつまらんで、わしと出会った後にするか」
「???」
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夢から覚めたのは救急車の中でした。
「◯◯(私)さん、僕が渓流釣り断った理由判るでしょ?最初見た物に変身するんなら、一反もめんがいても唐傘お化けがいても全く不思議じゃない。ったく心臓に悪い。だから山には近付きたく無いんです」
「色んな体験してるんですねえ」
「でしょう?(笑)」
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気絶した際、Rさんは大量の小便を漏らしたそうです。
「その日は検査入院で一晩泊まったんですけど、朝、まだ若い看護士に〈洗濯しときましたから〉とか言われて、霊能者としての過剰な自信は木っ端微塵に崩壊しました(笑)」
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話に耳を傾けながら、スマホでカマドウマを検索。その容姿に驚愕していた私はRさんを笑ったり出来ませんでした。別名、便所コオロギて…(汗)。学生時代は山岳部で何度も山奥に入っているのです。もしも自分に霊感があったら?と思うとぞっとします。
「でもその、カマドウマ、任せるって言われたんですよね?Rさん何かしたの?」
「それなんですよ。僕自身、何もしてないんです。いや、最近までそう思ってたんです。それが、変なんですよ」
「変?」
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「記憶がどんどん塗り替えられてるんです。あれに遭遇したのは高2の夏。それは間違いない。なのに…」
「?」
「小学生の時、神社の裏山で遊んだ記憶があるんです。出会ったのは小3の春。鳥居の前歩いてたら突然目の前に現れて。高2の時見たのと全く同じ、巨大なカマドウマでした。僕は泣きながらゴンジイ呼んだような気がするんです」
「ええ~!?」
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「恐かったんで現れる度にゴンジイゴンジイ叫んでた気がします。それが、いつからか仲良くなって…僕は彼に虫君と名付けて、いつも神社の裏山で、椎の実食べたり…クワガタ捕ったり」
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「それって本当の記憶なの?」
「いや、恐らくゴンジイが僕に憑依させて潜在意識の中で遊ばせたんでしょう。でも、妙にリアルなんですよ。小学生の間は、怖いお化けが出た時はいつもゴンジイ呼んでた筈なんです。だけど、小4の秋辺りから毎回虫君に助けられてたって記憶もある。彼は虫の姿からどんどん普通の、人間の子供に変わっていきました。裸だったんでユニクロの服持ってくと、虫君、見ただけで着ちゃうんですよ。別れたのは小6の秋。彼は「母さんが呼んでる」とか言って天に昇って行ったんです。その時の事思うと凄く哀しくなるんです。友達なんかいなかった僕に初めてできた親友だったから。勿論、現実ではないんでしょうけど」
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「もしも現実だったらゴンジイがRさんの人生を変えたって事だよね?」
「それはないと思います。思いますけど、神社の裏山なんて怖がりの僕が一人で行くわけないし、もしも、記憶通りにでかい椎の木があったり、四角い井戸があったりしたらと思うと、確認するの躊躇するんですよね」
「え~?そこは確かめましょうよ」
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「それに一昨日の晩、手のひらくらいある蜘蛛がすぐ近くの壁這ってるのに、(ゴキブリ食ってくれてありがとね)なんて思ったりして、いつの間にか苦手じゃなくなってるんですよ。不思議でしょ?」
「ふ~ん。ゴンジイって修行僧ってのは仮の姿で、実は宇宙人とかじゃないの?」
「まさか(笑)、だけど、神社の裏山次第じゃ凄い霊だと認めざるを得なくなるのかも。だからやっぱり確認はしません。だって、時空を操るゴンジイなんて、ゴンジイらしくないじゃないっすか」
「はは、何となく解る気がする」
「それでは改めまして、ゴンジイにカンパーイ!!」
私が店を出るときにはもう明るくなっていました。
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あ、そうそう、そろそろお開きにしましょうかって時に、Rさんは少し笑って囁いたんですよ。
「◯◯さん、無邪気って、怖いすよ」
作者オイキタロウ
ラーメン屋シリーズ第四弾です。