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長編9
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蠱毒師の庭

幼い頃に一人で山に登った記憶がある。

山に登ったというよりかは、

森の深奥まで探検しに行ったというのが、

あの景色の中では正しかったかもしれない。

見渡す限りの森林。苔の生えた石。

緑黄の葉が、まるで黒く目に映るほど、

あの山は鬱蒼としていた。

夏の燦めく太陽の日もあの山の木々は遮り、

冷たく濁った風が吹き、虫の音はしない。

あの山に成虫はいない。

代わりに幼虫が辺りで蠢き、私を見て、

翠色の肉、斑点模様の幼虫の姿で甘えてくる。

「撫でて、もっと甘やかして」と。

私はそれを振り払う事が出来ない。

幼虫は私の小さな靴から【私】を目指して登ってくる。膝から腿に三対の腹脚を使い、そいつは登ってくる。上へ、上へと。

腹足の爪が私の足の肉に刺さり、三対状に血が流れている。私はそれを振り払う事が出来ない。

幼虫は私だけに聞こえる声で言う。

「撫でて」

「甘やかして」

「だっこ、抱っこ」

私はそれを振り払う事が出来ない。

幼虫の真白の肉が変色し、肥大する。

苛立っているのだろうか。

腹脚の速度も上がってきた。

「甘やかし、あま、や」

「ほおですりすり」

「ギュっとして」

「潰してみて」

私の喉に肥大した幼虫の腹脚の爪が刺さった時、私はやっと夢から目覚める事か出来た。

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私は子供の頃から霊障に悩まされていた。

あの山に登ってから今まで、私は眠ると同じシーンばかりが私の夢の中で繰り返されているのだ。

初めは、白いワンピースの私が母方の祖母の家で麦茶を呑むシーンから始まる。

それから、祖父が私に麦わら帽子を被せ、

母親が夕食の買い物に出る。

私は母親の近所のスーパーへの誘いをぐずって断り、祖父母の目が離れた瞬間に、

悪戯心に、困らせてやろうと

山に潜り。

そして、あの夢の場面に戻る。

トラウマのように繰り返される夢、まるで録画した番組の一部分だけループされているかのように。

私の眠っている意識の中で、

閉じた瞼の裏でまた、またと繰り返される。

その他に、学校の集合写真の中に私の姿が消えていたり、逆に私の姿が歪んで写ったり、

満員電車の中で、私の乗っている車両だけ肌寒く、道を歩く私の姿に、

ひっと悲鳴をあげる人もいた。

私は近所や学校で腫れ物扱いを受け、

いじめを常習していた不良グループも、

私を避けて歩いた。

私は自分に何か良くないものが憑いていると感じてはいたが、それが何かは分からなかった。

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先日、ネットやテレビで見かけた有名霊能力者にお祓いをしてもらったばかりだった。

それなのに、また同じ夢を見る。

気分が優れず、疲れがとれない。

耳鳴りや頭痛も朝から止まらなかった。

今まで、こんな不調を抱えた事は無かった。

あんな、悪夢のような夢を見ても、翌朝は何事も無かったかのように、【普通】の生活を送れていたのに。

私は霊能力者にまた接触して、お祓いをし直して貰おうと電話をかけたが、本人は電話に出ずに代わりに受付の人間がある霊媒師を紹介した。

「その先生なら、大丈夫だと思います」

受付の男性は上ずった、震えた声でそう言って、

ブチッと電話を切った。

無責任な男、そう毒づいた所で何も解決しないが。被害が被るのは向こうではなく私一人なのに。

苛立ちを鎮めて、息を吐く。

そして電話で紹介された霊媒師の住所と電話番号を確認し、スマホを片手に電話をかけた。

2コール目、3コール目、

留守だろうか。それとも、適当な番号を教えられたのだろうか。

苛立ちと焦りが募る。

そしてやっと6コール目で、若い女性の声がした。

「もしもし、はい、はい。

お話は●●さんから伺いました」

女性は挨拶を抜きに、私の隣町の喫茶店に来てくれると言った。

私はそれを了承して、日取りを決めて彼女の言う通りに彼女に会いに行く事にした。

彼女の迅速丁寧な行動が一番助かる。

最近、夢の内容が変わってきていた。

だんだんと夢のシーンの続きが付け足されてる。

あの幼虫が私の足を伝って登ってくる場面。

前は踝までだったのに、

今は首まで登ってきていた。

思い出しただけでも、あのシーンが蘇る。

あの爪の感触、そして見える幼虫の口。

もうあんなものに悩まされるのはうんざりだった。

周囲の人間に意味もなく避けられるのも、

悪夢に慣れて普通に振る舞う生活も、

悪夢と伴に生活を続けるのは、

もう、耐えられない。

耳鳴りが前よりも強く響く。

ぐあんうわんと唸ったような耳鳴り。

頭痛も酷い。

堪えきれなくなった私は、市販の鎮痛薬を探しに、棚の前で前屈みになった。

鎮痛薬は一番下から二番目に入っている。

棚の中を余裕のない手つきで漁っている時だった。

「…ぅ…わ…っ!」

一瞬、肩に柔らかい何かが乗り、頬を撫でた感触を感じた。

人間の手じゃない。人間の手の感触じゃない。

骨が無い、柔らかい肉のような皺がある何か。

一瞬、脳裏に浮かんだその姿にうえっと喉から胃液がこみ上げ、トイレに駆け込んだ。

こんな事は今まで無かったのに。

あの霊能力者のお祓いを受けてから、

私の周りは可笑しくなった。

夢の中にいるアレが、現実世界でも肌身に感じるようになった。

「……もう無理、」

トイレで浮かぶ胃液、白く透き通った陶器の便器。

胃液で濁る無色の水。

胃液で濁って淀む水の中に、夢の中の幼虫がトイレの上の棚から私を覗いている姿が、映っていた。

また、夢の中よりも大きく肥大している。

トイレットペーパーぐらいのサイズだ。

私はそこで意識を失い、床に倒れた。

ポトッと、何かが落ちた。

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また、あの夢の中。

私はまた山に登っている。

視界がふらつく。

相変わらず高く伸びる樹木は黒い葉を靡かせ、太陽の光を遮っていた。

日の光を拒んでいるのだろうか。

それとも、ここは光も扠せないような、

【何かの中】なのか。

森林の中は冷たい。

私はその時ふと、いつもと違う行動をとってみた。

いつもはここで立ち止まり、

幼虫が地面に落ちている木の葉を掻き分けて、

私の所に這ってくる。

その前に、いっその事。

何がどうなるか分かりきっているなら、それにいつまでも付き合う義理は無い。

私はサンダルを履いた足で一目散にその場から駆け出し山を下りた。

落ちている地面の葉を踏みつぶし、

下へ下へと下って行く。

急な斜面と蛇道のおかげでスピードがつき、

足がカカカカカと自分の足では無いかのように、

道の流れに沿って、下ってくれた。

吹き抜ける風は爽快で、まるでいつもと違う夢を見ているような、夏の下り坂を同級生と駆け足で下って競争をしているかのように錯覚した程。

地面に落ちている落葉をいくつ踏み潰しただろう。

やがて森を抜けて、太陽の陽が刺す見慣れた町並みが一望できる砂利道まで下る事が出来た。

「来れた、助かった…」

悪夢を回避出来た喜びに思わず、両腕を上げて安堵した。

これでいい。もう悩まされないですんだ。

そう言う考えと涼やかな脱力感で、

私はその場にしゃがみこんだ。

だが、その時ふと爪先にヌルっと感触がした。

汗だろうか、でも夢の中で?

サンダルを履いた足に視線がいった。

それは黄色色と翠色の汁だった。

サンダルの裏を見ると、見たこともない大量の幼虫が私のサンダルの裏で潰れていた。

肉片もサンダルにへばりついている。

今まで落葉だと思っていたのは全て、空に腹を向けて死んでいる幼虫の死骸だったのだ。

森林が震えるような強風が吹いた。

山の方を見ると、枝から剥がれた

生きた落葉達が

私を目がけ、空から振ってきていた。

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それから先は覚えていない。

思い出さないようにしている。

喫茶店の看板を見つけて、店に入った。

「いらっしゃいませ」

シャツとエプロン姿に暗い色のジーンズを穿いた男性が笑顔で私を迎えてくれた。

「二階にご予約のお客様ですね」

「こちらの階段を上がって左手のお席になります」

「後でお冷をお持ちしますね」

そう言って彼はカウンターに戻っていった。

案内はしない店なのか、

1階入り口のテーブルは家族連れ、旅行客、婦人会のような人達が利用していた。

奥も恐らく満員だろう。

あの女性は予約しておいてくれたのか。

繁盛している喫茶店なのか。今まで知らなかった。

二階に繋がる階段に足を伸ばす。

レトロ風のデザインの階段は登るとギシッと音を立てた。

鉄やコンクリートとは違う木の感触に、生き物のような暖かさを感じる。

木製の階段の先には四つの席があり、窓側に女性は座っていた。

女性が座っている席以外、全て空席だ。

「あ、こんにちはー、はじめまして」

髪を結った着物姿の女性がこちらを見て挨拶をした。

彼女の笑顔にまた胃液が胸に上がって来るのを感じた。

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「ごめんなさいね、私では祓えないの」

彼女に切り出された言葉は残酷だ。

だが何故か怒りは湧かず、代わりに脱力感が込み上げた。

また、だめだったのか。

そう思い、会計用のお代を置いて帰ろうとした時に女性は遮るように続けてこう言った。

「それは祓わなくてもいいものだと私は思うの」

「貴方はその子達のお陰で救われた瞬間があったと思うし」

「………は?」

間抜けな声が喉から漏れた。

息を吐いたのも忘れる程の言葉だった。

「貴方、小さい頃に山に登って何か掘ったでしょ」

「貴方に始めて電話を頂いた時にそんな景色が私の中に入ってきたの」

「それから、私は貴方と同じ体験をしたわ」

「とても怖い思いもした」

「貴方と違って、私は部外者だったから余計に」

「でも、夢の中の彼処は山なんかじゃないの」

「暗くて冷たくて、大量の蟲が詰められ「犬神とかも犬同士で共食いをさせて生き残りを呪術に用いたりするんだけど」

「貴方が被害にあってるのは蠱毒だと思うわ。それも、邪道中の邪道。本当は百足とかゲジとか成虫を使うけど、あの夢には幼虫しかいなかった」

「蠱毒は強力な呪術だけど、蟲が用いられたなら、あそこまで貴方への干渉は出来ないし、執着もしない。貴方は人間。虫とは別種。虫には貴方に甘えるような感情は抱かないもの」

「ここまで言えばもう分かるでしょう?」

あの幼虫だらけの壺の中で入れられたものは、

そして、あの中で生き残ったのは、

「そう、とても小さな男の子」

「あの子は貴方から一時も離れたくないみたい」

「貴方が小さい時に山の中で見つけたのは蠱毒の壺。あの中には何も入ってないただの壺だとおもったかもしれないけれど、ちゃんといたのよ男の子」

「貴方が壺の封を開けた時に見えた眩しい光」

「白いワンピース姿の貴方」

「綺麗な夏の日ざし、草の匂い」

「彼は貴方が助けてくれた、と思ってる」

「彼は亡くなってもそこから出られなかったから」

「蠱毒は人を呪い殺す術だけど、使い方次第では富と福を与えてくれたりするの」

「貴方を他から護っている様だから、本当にそうかもね」

なら、どうしてあの時、

「一時も離れたくないからよ。変なお祓いなんてしたら引き離されると思ってちょっと悪い子になる」

「母親から引き離された小さい子供は力の限り泣き喚いて暴れ回るでしょう」

「だから、お祓いしないでそっとしておくの」

女性はそう言って、私にあるものを渡した。

「もしまた夢を見て、厭な思いをするなら、彼をお家に祀ってあげるのもいいかも」

「悪霊を鎮める為に、社や祠をたてて祀る方法もあって、除霊は出来ないかもしれないけど、自分を気にしてお供えしてくれる人に悪い気はしないと思うわ」

「お供え物は毎日取り替えてあげてね」

女性の口紅が微笑んだ時に割れて、元の唇の色が見えた。彼女の唇の色は真っ青に染まっていた。

ファンデーションにかくれた鮮やかな肌色が剥がれ、色鮮やかな翠色に変わる。

驚きのあまり、テーブルに太ももが当たり、ガチャンとティーカップが音をたてて倒れた。

紅茶の液体がテーブルクロスを這って滲む。

小刻みに震える着物姿の女性。

女性の細い首に幼虫の腹脚がめり込んだような三対の穴が見えた。

女性はひび割れた口紅を治さずに大きく口を開いた。口の端が切れて裂けそうだ。

衝撃で女性から渡された紙が落ちる。

そこにはノリウツラレルと書いてあった。

(ままままま、まま、マ、ま媽媽まぁ)

女性の空洞のように広がった虚ろな口の中で、こちらを見て無邪気に嘲笑っている顔。

幼いあどけない男の子の顔が見えた。

それ以来、私は二度とあの夢を見る事は無くなった。

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月舟さん、コメントありがとうございます。
素敵な感想頂いて嬉しく思います。
前の投稿から半年近く経って顔をだしたので、
次の投稿はいつになるかはわかりませんが、

また読んで頂ければ幸いです。

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