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中編6
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空と海

――おじいさん、おばあさん。

これまで育てていただき、ありがとうございました。

妾(わたし)は今宵の満月の晩、月に帰らねばなりません。

おふたりともお別れです。

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その前にどうか、妾の話を聞いてください。

なぜ、幼い妾が竹の中から生まれてきたのか。

どうして、貴人たちの求婚を断ったのか。

今また、月に帰らねばならないのか。

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それもこれも、遠い昔に妾が、許されざる罪を犯したからなのです――。

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遠い昔――。

おじいさん、おばあさんが生まれるずっとずっと、昔のことです。

妾は今のこの姿で、月の世におりました。

その頃、妾は今とは違う名で呼ばれておりました。

乙姫――と。

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月の世ではすべてのものが全き姿で――あたかも満月に、欠けたところのないように――そこに在るのです。

人も、物も、鳥や獣であっても、最も満たされた、美しい姿のままそこに在る――いいえ、在り続ける、ということです。

ですから月の世は、すべてのものが清浄なのです。

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妾もそこにおりました。

初めからこの姿で。

ずっとずっと、変わらぬ姿で。

それでも妾は、そういうものだ、と思っていたのです。

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――ある時のことです。

月の世に、ひとりの男が訪ねてきました。

若い、男でした。

名を、太郎――といいました。

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聞けば太郎は、月の民が地上で往生している際に、助けてくれたのだそうです。

月の民は恩に報います。

貸しを作ったままでは、清浄でいられないのですから。

太郎は月の民に連れられて、月の世にやってきました。

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私は初めて見る地上の民に、興味を惹かれました。

月の帝の命を受け、太郎をもてなすと同時に、様々な話を太郎の口から語ってもらいました。

そのどれもこれもが、月の世と異なることばかりで、私はたいそう驚きました。

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地上の民は、食わねば生きてゆけぬこと。

地上の民は、働かねば生きてゆけぬこと。

そして地上の民は――歳をとり、やがて死ぬこと。

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変わらぬことが清浄なことと――正常なことと信じて疑わなかった妾は、太郎の話を聞く度に目を丸くしたものでした。

太郎はそんな私を見て、

『美しい乙姫様も、そんな顔するんじゃなあ。愛嬌があって、けっこうじゃ――』

と、ころころ笑いました。

妾は真っ赤になって顔をそむけるのでした。

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太郎をもてなす宴は幾晩も幾晩も続きました。

いいえ。

月の世では変わらぬことこそ清浄なのですから、この宴が果てることなど、端からなかったのです。

妾たちはもちろん、太郎にしても、月の世にあっては姿かたちが変わることなどありません。

それが、地上の一年であれ、十年であれ、百年であっても――。

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ある時、太郎が宴の席を立ちあがり、『わしは、そろそろお暇せねばならん』と云いました。

皆驚きました。

満たされた月の世にあって、地上に戻りたいと云い出す者が、あろうとは誰も思わなかったからです。

妾も驚きましたが、それ以上に、太郎に帰らないでほしいという強い願望が胸のうちに芽生えたのを悟りました。

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もっと太郎の話を聞きたい。

もっと太郎の笑顔を見たい。

もっと太郎の手に触れていたい。

もっと太郎の――

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『たいそう馳走になって、かえってすまなかった。

この城の美しさは、絵にもかけぬものばかり。漁師のわしには不釣り合いじゃ。

家に、わしの帰りを待つばあ様もおる。

それに――』

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『好いた娘も、あちらにおるでの――』

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私の胸に不浄が宿りました。

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別れを告げる太郎に、土産だと云って、玉手箱を手渡しました。

『けして開けてはいけませんよ』

太郎の話を聞いて、地上の民のことを少し理解していた妾は、ある想いをもってその言葉を紡ぎました。

自分の口から、こんなに昏く冷たい声が出るとはと、驚いたことを覚えています。

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月の世の時は、地上のそれとは異なります。

地上に帰った太郎は、帰るべき家も、帰りを待つ人も、想いを告げるべき人も、とうの昔に消えていたことを知り、失意のうちに玉手箱の蓋に手をかけました。

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妾は月の世からそれを見ていました。

哂(わら)って――見ていました。

泣きながら――見ていました。

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私は罪に問われました。

罪とは、変わってしまったこと。

月の世の不変の清浄を冒した罪です。

妾もそのことを恥じていました。

妾は罰を受け入れました。

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罰とは、地上の不浄の中で、変わりながら過ごすこと。

妾は赤子の姿に戻され、竹林の中にうち捨てられました。

その妾を、おじいさん、貴方が拾ってくれたのです。

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おふたりに育てていただき、妾は成長しました。

初めは、自らの姿が変わっていくことに、虫酸の走るような気がしました。

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髪が伸びる。

背が伸びる。

胸が膨らむ。

声が変わる。

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変わらぬことこそ清浄と、ずっとずっと思っていた妾にとって、自身の身が変わることなぞ、

恐怖でしかなかったのです。

昔から――妾はよく泣く赤子、娘だったでしょう?

ただただ怖かったのです。変わることが。

だから泣いていたのです。

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ですが、妾が変わる度――おじいさん、おばあさん――おふたりは喜んでくれました。

『大きくなった』『きれいになった』と大層笑ってくれました。

妾もいつからか、変わることがそれほど怖くなくなりました。

変わることが、嬉しくすらなりました。

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それにつけて思い出されてきたのは、太郎のことでした。

妾の勝手が、太郎を不幸にしてしまいました。

妾に変わることを、初めに教えてくれた人なのに。

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ちょうどその頃、都の貴人たちが、こぞって求婚してきました。

しかし、妾の胸の内にいるのは貴人たちや、御門ですらなく、自らが手にかけてしまった、あの優しい漁師の男ただ一人だったのです。

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――妾の姿は月の世にいた頃と、ちょうど同じになりました。

間もなく、妾の罰の時は過ぎ、月の世から迎えが参ります。

それが今宵の満月の晩なのです。

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おじいさん、おばあさん。

これまで育てていただいて、ありがとうございました。

不浄と云われたこの地上で、おふたりに慈しまれて過ごした時は、妾にとってかけがえのないものになりました。

月の世に帰れば、妾は再び不変こそが清浄の時に飲みこまれ、地上のすべてを忘れてしまうことでしょう。

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おじいさん、おばあさん。

これまで育ててくれたおふたりに、ここに来て親不孝をすることになり申し訳ありません。

ですが妾はもう、月の世の乙姫ではありません。

地上の、かぐやなのでございます。

変わることを不浄と思わぬ、むしろ誇らしいと思う、そんな娘なのです。

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――ここに、太郎に渡した玉手箱の中身と、同じ効き目の薬があります。

燃やせば煙が出て、一瞬で私は老婆の姿になることでしょう。

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この薬は、そもそも地上から月に世にやってきた学者が、何のためにか作りだしたものなのです。

曰く、この煙を浴びた者は、『その者が一生を生きた時に見るすべての光景を夢に視る』。

そんな効能なのだそうです。

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月の民はみな首をひねりました。

そんなものがなんの役に立つのかと。

結果、姿が変わって死んでしまうことになるのに、なんの慈悲があるのかと。

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妾も、太郎に玉手箱を渡したときには、その意味など思いもついていませんでした。

ですが今なら、これを作った者の気持ちが、少しわかります。

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ああ、月から迎えがやってきました。

おじいさん、おばあさん、どうか離れていてください。

かぐやは――貴方がたの娘は、地上の民としてこれから一生を生きてまいります。

それは、貴方がたには一瞬に映りましょうが、私にはこれまでで、もっとも永い時になるのです。

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さようなら――。

ありがとう――。

行ってまいります――。

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何て素敵なお噺(*゚-゚*)

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