長編9
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酒場のピエロ

 その日、サトルは勤め先の工場を首になった。

30歳を目前にしたときのことだ。

理由は、業績不振による人員整理。

彼には、何の非もない。

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 よりによって、5年間付き合っていた彼女に振られたちょうど翌日のことだった。

さあ、いよいよ、30代突入!

仕事もまあまあ、彼女との結婚もそろそろ、と考えだしていた後のダブルショック。

自暴自棄になった彼は人員整理を告げられた日の夜、一張羅のスーツに身を包み、持ち金の全てを財布に突っ込んで、普段は絶対行かない街の酒場に出掛けた。

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wallpaper:1880

 一軒、二軒、三軒、バー、スナック、ラウンジと、後先考えずに店に飛び込み、浴びるように飲む。

四軒目に入った高級クラブを、数人のドレスを着た女の子たちに見送られながら出たとき、時間はすでに1時を過ぎていた。

通りのドブにしこたま吐いた後、ぶつくさと意味不明な独り言を呟きながらフラフラとネオン街を彷徨っていると、突然、誰かが彼の背中を叩く。

振り向くと、月を背中にピエロが立っていた。

赤白の派手な格子柄のつなぎを着て、真っ赤に染めたチリチリの髪をサザエさんのように編んで、にっこり微笑んでいる。

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―なんだよ、ビラ配りかよ……

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サトルが無視して立ち去ろうとすると、

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「あらあら、お兄さん、かなり酔ってますねえ」

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ピエロは薄気味悪くにやつきながら、後ろから話しかけてくる。

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「ほっといてくれよ!俺はもう、死にたいんだ」

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彼は相当投げやりになっていた。

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「死にたい?死にたいんですか?」

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変に明るく素っ頓狂な声が耳障りだ。

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「そうだよ、死にたいんだよ!」

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「死ぬ、と言いましても、いろいろ方法があるんですが……」

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ピエロはいつの間にか、サトルの横を歩いている。

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「首吊りでも、飛び降りでも、何でもいいよ。

とにかく、死にたいんだよ!」

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彼は面倒くさくなって、思わず言った。

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「そんなことでしたら、お兄さんにぴったりの場所があります」

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と言って意味深に微笑む。

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「ぴったりの場所?どこだよ、それは?」

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サトルが言うと、ピエロは勝手に前を、颯爽と歩き出した。

次に行く宛もなかったから、彼は格子柄の背中に従って歩き出した。

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 ピエロは大通りから薄暗い路地に入り、軽快に口笛を吹きながら、どんどん歩く。

サトルはわけも分からずフラフラと、付いていった。

何度か角を曲がって進むと、のっそりと、古い雑居ビルが現れた。

三階建てくらいの小さな灰色のビルで、横には縦型の看板がいくつか並び、妖しく光を放っている。

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「ここですよ」

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白い手袋の手で指さす。

エントランスの上の看板には、『Happy Gate』という文字が書かれている。

上がり口辺りには、あちこちゴミが散らばり、一匹の茶色い野良猫がガツガツと漁っている。

入口横側に地下に通じる階段があり、ピエロは、それをテンポ良く降りだした。

サトルも一緒に降りる。

10歩ほど降りたところに小さな踊り場があり、映画のチケット売り場のようなところがあった。

透明のボードの向こうに、青い事務服の地味な女が座っている。

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「男性1名、お願いしますね」

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ピエロが女に言うと、女は無愛想に「一万円」と答えた。

彼はサトルの顔を見て、「一万円です」と言う。

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―なんだと一万円?えらく高いじゃないか。

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と一瞬思ったのだが、気分はもう、どうでもいいや、となっていたから、財布から素直に渡した。

すると、売り場の横の鉄の扉が、カチャリと開く。サトルはピエロの後に続いて中に入った。 

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 中は、人が通れるくらいのコンクリートの通路に沿って、ネットカフェのような個室がずらりと並んでいる。

天井には安っぽいむき出しの蛍光灯が、ジー、ジー、いっている。

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―なんなんだ、ここは、風俗か?

ということは、ピエロは客引き?

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サトルが首を傾げていると、ピエロは個室の一つのドアを開け「さあ、どうぞ」と、手招きした。

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 中には、畳一畳くらいの狭い部屋があった。

低い天井には裸電球が一つだけ頼りなく灯っており、真ん中に黒いリクライニングシートがある。

その横に、カラオケボックスにあるような箱型の機械があり、ヘルメットみたいなのがぶら下がっている。

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「さあさあ、こちらにどうぞ」

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ピエロに薦められるまま、サトルがそこに座ると

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「え~、では、足を肩幅に開いて、手は手すりの上に乗せてください」

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と言われたので、彼はそのとおりにした。

すると突然、手すりと足元から、鉄の輪っかが

飛び出してきて、あっという間に手足を拘束された。

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「本当にお客さんは素直だ」

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ピエロが小さく手を叩きながら、嬉しそうに微笑んでいる。

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「おい、何するんだよ!」

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立ち上がろうとしたが、全く動けない。

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「どうするつもりだ!」

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叫ぶ声をよそに、ピエロは口笛を吹きながら、機械にぶら下がるヘルメットみたいなものを手に取り、彼の頭に被せて、あごひもを止めた。

ヘルメットには、黒いゴーグルみたいなのが付いており、スキーのハイジャンプに使うものに似ている。

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「さあ、いよいよ、ショーの始まりです!」

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ピエロは大げさに言うと、部屋からさっさと出て行った。

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「まったく、何なんだよ、これは……」

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ぶつくさとサトルが言っていると、いきなり、ヘルメットから派手な行進曲がジャンジャン聞こえてくる。

しばらくすると、黒いゴーグルの真ん中に、手書き風の白文字が浮かび上がってきた。

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『2016年 1月5日 午後4時21分

 OL 紀子 24歳の場合』

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―何だこれは?映画か?

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彼が訝っていると、行進曲に被せてピエロの明るい声が聞こえてくる。

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「東京都内の大手商社に勤めていた、OL紀子さん24歳は、それそれは素敵な女性でした。

彼女には、10歳年上の彼氏がいました。

二人は結婚の約束まで交わしていたんですね。

おお!何と素晴らしいんでしょう。

だけど、ああ、だけど、だけど……なーんと、彼氏には奥さんと子供がいたんですね!

あーん!ひどい!ひどすぎるわ!

しかも、しかもですよ、彼女の……彼女のお腹には……あ、か、ちゃ、ん、が……

あー!かわいそう!かわいそすぎるわ!

彼女は、彼氏に結婚を迫りました。でも、彼氏の答えは……?そう!もちろん、NO。

悲観にくれた彼女は、自宅のアパートで……」

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ここで、ピエロの声は途切れると、突然、彼の頭部に強力な電流が通ったような、強烈な痛みが走った。

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―うわあああ!

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サトルの意識は飛んだ。

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……

目覚めたとき、彼はどこかのリビングルームのテーブルに、座っていた。

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―ん?何で、俺はこんなところにいるんだ?

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目の前に、一枚の封筒がある。

宛名のところには、『遺書』の二文字。

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―何?遺書?なんで?

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彼の体は彼の意思には全く従わず、勝手に立ち上がる。

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―ち、ちょっと、待ってくれ!何で体が勝手に動くんだよ?

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サトルの気持ちとは裏腹に、テーブルの端に置いてあるロープを手に持つ。

ロープの片方には、30㎝くらいの直径の輪っかが作ってあった。そして、ゆっくりと後ろの和室に向かって歩き出した。

その時、和室の奥にある鏡台に映った姿は、サトルではなく、白いブラウスに紺のスカートをはいた色白の美しい若い女だった。

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―え!?何で、あんな女が映ってるんだ?

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混乱するサトルをよそに、女(サトル)の手は襖の上にある梁に、ロープを通し、しっかりと結んだ。

そして、床に置いてある小さな台に両足を乗せ、輪っかの中に細い首を通した。

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―え!嘘だろう!?早まるな!止めてくれ!

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そんな彼の必死の願望とは全く関係なく、女(サトル)の両足は、ふっと台を離れた。

次の瞬間、サトルは喉元にちぎれるような痛みと、

猛烈な息苦しさを感じた。

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―た、たす……け……

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その悶絶するような苦しみは数分間続き、やがて、彼の頭の中は真っ白になった。

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……

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……

暗闇の中から、さっきの行進曲が聞こえてきている。

彼は目覚め、ひどく咳き込んだ。股ぐらが冷たい。

どうやら、失禁しているようだ。

ヘルメットからピエロの声が聞こえる。

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「いかがでしたか?楽しんでいただけましたかしら?」

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「何言ってんだ、ふざけるな!俺はもう帰るから、この手錠を外してくれ!」

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「それは、出来ません」

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ピエロはきっぱりと言った。

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「なんだと、ふざけるな!何の権利があって、こんなことをするんだ!」

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「だって、あなた、言ったでしょう、何回も死にたい、と。だから、望みを叶えてあげてるんですのよ」

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ピエロの言葉にサトルは呆気にとられていた。

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「さあさあ、どんどん行きましょう!」

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威勢の良い行進曲が流れだし、黒いゴーグルに、白い文字が浮かぶ。

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『2016年2月29日 午前5時31分 進学校に通う女子高生、亜由美17歳の場合』

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続いて、ピエロのナレーション……

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「都内屈指の進学校、D学園に通う17歳の女子高生亜由美ちゃんは、クラスの全員から無視されたり、いろいろな嫌がらせを受けてました。

ああ、イジメですねえ、いけませんねえ。

ボク、許せな~い!ウヒヒヒ……

ある寒い日の朝早く、彼女は学校に行き、校舎の屋上に上がりました。

ああ、怖い!恐すぎる!どうするの!?

さあ、果たして彼女の運命は?……」

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再びサトルの頭部に強力な電流が通ったような、強烈な痛みが走る。

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―うわあああ!……

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彼の目の前は真っ白になった。

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……

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……

 目覚めたとき、サトルは顔に、強くて冷たい風を感じていた。

目の前には、街の景色がはるか遠くまで広がっている。地平線の辺りには、霞のかかった小高い山が連なっていた。

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―どこだ、ここは?ビルの屋上か?

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またもや、彼の意思とは関係なく、顔が下を向く。視界の下方には、紺のハイソックスに革靴の足元が見え隠れし、その上には、コンクリートの通路、駐輪場の屋根、植え込み、そして、広々としたグラウンドが見えている。

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―どこかの学校の校舎の屋上か?おい、何で俺はそんなところに立っているんだ?

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自らの状況が分かった彼を、とてつもない恐怖が襲う。

革靴の足がジリジリと少しづつ、前に動きだした。

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―おい、ちょっと待て!それ以上いくな!

落ちるじゃないか!

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そんなサトルの懇願も空しく、足は空を舞った。

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―うわあああ!

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猛烈な風を全身に受けながら、女子高生(サトル)は、落ちていく。

コンクリートの通路や植え込みが上になり、下になりながら、猛スピードで近づいてくる。

あまりの恐怖に耐えきれず彼は失神した。

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……

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……

―わあああ!

サトルはわめきながら、目を覚ました。

激しい動悸と息切れが治まらない。

体中のありとあらゆるところから、汗が出ているようだ。

彼は生気を抜かれたかのように、リクライニングの中で、ぐったりとなった。

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「いかがですか?」

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ピエロの声が聞こえる。

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「も……もう、いいよ……分かったから、もう、止めてくれ」

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サトルは今にも消えそうな声で、答えた。

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「お疲れのようですから、少し、休憩でも取りましょうか。お飲み物は如何ですか?

コーラ、ジュース、コーヒー、とございますが……」

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「……」

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「分かりました。それでは、すぐ始めましょう。

え~と次は……

幼女連続殺害犯、濱本の死刑執行ですよ。

あの残虐なロリコン男の最期ですね。

どんな感じでしょうか?これは楽しみだ。

その次は、大手銀行に勤めていた会社員、篠原さん48歳の電車飛び込み。

勤続26年の品行方正で家族思いな男が電車に飛び込み?

いったい、彼に何があったんでしょうか?

これも楽しみだあ!

どちらも見逃せない豪華二本立て……

では、どんどん行きましょう!」

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「た……頼む。家に帰してくれ。お願いだ」

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狭い部屋の中にサトルの声が空しく響くなか、

ヘルメットからは、また、

あの忌まわしい行進曲が流れだしていた。

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 サトルのいるところの隣の個室では、小人のように小さい別のピエロが、ぐったりとなった女の両手を掴み、懸命に部屋から引きずり出していた。

シルクの赤いドレスを着た茶髪の女は年齢が判別できないくらいにやせ細っており、両腕は完全に潤いをなくし、ミイラのように骨と皮だけになっている。

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「まったく、世話が焼けるよ。途中でいきなり、自分で舌を噛んで死ぬんだもんな」

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小人ピエロはコンクリートの通路を後ろ向きに

女性を引きずりながら、焼却炉に続く

出口のある、奥に向かっていた。

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ピエロは嫌いです。あいつらのあのわざとらしい笑いに騙されてはいけない!あいつらは決して子供たちの
味方ではないし、あの優しさも見せかけだ。
俺は絶対にあいつらから風船なんか受け取らない。

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@はと 様
コメントありがとうございます。
いましたね……ジョン・ゲイシー。
誰からも尊敬されていた町の有力者が、実は
とんでもない殺人ピエロだった。この事件くらいから
、ピエロには怖いイメージがつくようになりましたね。僕はマックのドナルドにも、何か怖いものを
感じます。自殺を何度も実体的させられたら、
ほとんどの人は失神するか、心臓発作を起こす
でしょうね

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らせん階段のように果てしなく『究極の恐怖』が
連続したとき、人はどうなるのでしょう?
ある人は発狂するかもしれないし、
またある人は、自らの舌を嚙みきるかもしれない。
そんなことをコミカルに描いてみました。

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@666 様
コメントありがとうございます。
確かにアメリカ映画は、ピエロの
殺人鬼のものが多いですね。
最近、リメイクされた、スティーヴンキングの
『IT』とかも、そうですね。

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