住宅街の片隅に『風花』という知る人ぞ知る喫茶店がある。店内はごく普通の喫茶店だが、その本質は邪鬼祓いの会地区事務局であり、奥の間には依頼の掲示板が設けられている。水曜日の昼間、飛燕は風花のオーナー兼事務局長である葛城隆吾と近状について話していた。
「とりあえず先週の水蜥蜴はお疲れ様でした~。いやぁまさか同時期に大蟹も出るとは思わなくてねー、既に成長しちゃってたと聞いたけど、どうだった?」
葛城の問いに、飛燕は砂糖とミルクをたっぷり入れたコーヒーを一口飲んでから答えた。
「強かったです。とは言っても、僕と弦斗さんで倒せるレベルでしたけどね・・・っていうか、あれなら弦斗さん一人でもぜんぜんいけたと思うんですよー。折り紙術って水辺の戦闘には向きませんし」
「アハハ、本当なら磯村君が入ってくれる予定だったからね~。でも飛燕君は折り紙術だけに限らず清風術なら他にも使えるじゃないか~、さすが邪鬼祓い界期待の新星!」
「まぁね、僕だって常日頃から修行を怠らないようにはしてますし。でも仮に清水使いの潮さんが水蜥蜴討伐をしたとしても、清雷使いの弦斗さんより苦戦するんじゃないです?水蜥蜴って名前の通り水の邪鬼でしょう」
飛燕が疑問を口にすると葛城は首を横に振りながら席を立ち、何やら店内の本棚から古い書物を持ち出してきた。
「そうとも限らないんだよねぇ、ゲームや漫画なんかじゃ水には風か雷かもしれないけど、これまでも水蜥蜴や大蟹を討伐してきた邪鬼祓いは清水術使いなんだ。やっぱり水中の敵には水を知り尽くした者の方が相性いいってこと。ただしこれは例外であって、水以外なら別の属性でシフト組んでるんだけどね」
「そうだったんですかぁ。つまり、潮さんは水蜥蜴と同属性だけど水を知ってるから討伐係になって、それで相性のいい僕がサポートで入ってたわけですね。確かに邪鬼が水中から出てくれさえすれば僕のほうが止めを刺せますから」
「そういうことー!だから水中の邪鬼は基本二人以上でシフトが組まれるんだよ。奄美で磯村君と大鯖を退治した時もそうだっただろう?」
「なるほど~」
確かにそうである。飛燕は当時のことを思い出して納得した。
「そうだ飛燕君、弟子を取ったと言ってたじゃないか!しかも桜田君の娘さんとはねぇ、若い後継ぎが増えてくれると本当に嬉しいよ」
「ヘヘ、あとで学校終わったら連れてくる予定です!愛奈ちゃん、いい目をしているんですよ。僕もまだまだ経験が浅いですが、頑張ります!ちょっと掲示板見てもいいですか?」
「お、どうぞどうぞ」
飛燕は席を立つと依頼掲示板の前に立ち、依頼書を一つ一つ見始めた。
「この隧道調査って、なんかホラーな香りがしますね」
飛燕の目に留まったのは、旧天浦坂隧道を調査してほしいという地元自治体からの依頼だった。
「飛燕君、いいもの選ぶねぇ。それ三人が行方不明で五人が精神壊されちゃったんだよ。ネットで密かに心霊スポットとして話が出回ってるらしいんだけど、おそらく悪霊の類いが原因だから被害が大きくならないうちに除霊してほしいなぁ」
やたらと勧めてくる葛城に飛燕は少し困惑した。
「危険な仕事ですよね、これ」
「危険・・・ちょっぴり危険だと思うけど飛燕君なら今日は時間空いてるし実力も上のほうだし、お願いしてもいいかなぁ」
「仕方ないですねぇ、まぁこの僕に任せてください!一瞬で除霊してきますんで」
持ち上げられて調子に乗ったというのもあるが、初めから興味のある内容だったので飛燕はその依頼を受けると会計を済ませて喫茶店を出た。
「松毬~、今から旧天浦坂隧道に行くよ!」
店の屋根の上で空を眺めていた松毬に一声かけると、彼女はセミロングの髪をふわりとさせながら降りてきた。
「掲示板の依頼ですか?」
「うん。危ない仕事らしいから僕が引き受けてきた」
それを聞いた松毬は苦笑した。飛燕が自他共に認める天才とはいえ、彼女からすれば不安なのだろう。
「旦那様ったら、またそんな仕事を受けて」
「大丈夫、僕と松毬なら大体の依頼はこなせるよ」
「それは言い過ぎかもしれませんが・・・まぁ、行きましょう。どんな依頼内容なのですか?」
飛燕は松毬に隧道調査の内容を話しながら現地へと向かった。旧天浦坂隧道とは明治二十九年に竣工したトンネルであり、現在は重要文化財にも指定されているこの町の宝とも言えるものなのだ。
「そんな重要文化財が心霊スポット呼ばわりされちゃ、たまったもんじゃないよなぁ。東支部に依頼が行って掲示板に張り出されたのが昨日の日付だった。幸いネットに出回ってるのは根も葉もない噂のみで行方不明者や精神疾患者の話は出てないみたい」
バスの二人席に松毬と座り話をしている。こちらも幸い他の乗客はおらず、運転手は怪しい青年の独り言だとでも思っているのだろう。
「旦那様、なぜそんなに大事な依頼を掲示板で出したのでしょうか?直接ご依頼なさればもっと迅速にいくのでは」
松毬の言うことも分からなくはないが、基本的に自治体や個人、その他団体からの調査依頼は掲示板に出される。
「直接依頼するのはちょっと・・・って思う人もいるわけ。そもそも誰が邪鬼祓いかなんて大っぴらにされてないから一般人は依頼のしようがないんだよ」
「ですが、この前は手紙で・・・」
「ああ、神威さんのアレは例外。同じ邪鬼祓いとして僕のこと知ってたからだよ。あの人も何考えてるのか分かんないけど、土蛇はたぶん悪いことに使われたね。事情を知らないとはいえ僕も共犯者さ~」
「旦那様、早口でそういうデタラメばっか言ってるってことは・・・今ちょっと機嫌悪いですね?」
図星だった。飛燕は機嫌を悪くすると早口になり、気に入らない人物の悪口を言うようになるのだ。
「鋭いねぇ松毬さん」
「そんなに機嫌悪いなら休めばよかったじゃないですか!自分で依頼受けたくせに、感じ悪いですよ」
松毬は主である飛燕に説教をすることが度々ある。子供の頃から共に過ごしてきた仲なので、二人にとってはそれが普通のことだ。
「俺が苛立ってるのはこの仕事のことじゃないし、むしろこれから悪霊退治して日頃の鬱憤晴らそうと思ってたんだ。今は、荒唐無稽な噂を流して人が大事にしている場所を恐怖のオカルトスポットに仕立て上げる無責任な奴らにムカついて少し気が荒れてたみたい。ごめん」
「旦那様、今・・・俺って言いました?」
「え?ああ、僕だ。なんで俺って言ったんだろう」
飛燕が自らを俺と呼んだのは今が初めてではなかった。そもそも一人称代名詞の私的表現というものは生まれてきた後の生活環境により決まるものなのか、生まれてくる前から決まっていたものなのか、飛燕にはそんなこと分からない。父親の誠は自分を俺と表現していたが、彼に育てられた飛燕は僕である。
「そこんトコロも謎が多いよな~、あんまり興味ないけど」
「ないんですか!」
「ナイスツッコミ。あ、次で降りる」
バスを降りてから国道を外れて狭い坂道を登っていくと、やがて旧天浦坂隧道を示す古い看板が目に入ってきた。昨晩が雨だったせいか、荒れた廃道の先に見える舗装されていない道はぬかるんでいた。
「うわ、長靴持ってくればよかった。松毬は~浮けるからいいじゃん」
「飛べるんです。私これでも松の精霊ですから」
とりあえず運動靴を履いてきていた飛燕はホッとしながら隧道の中へと足を進めた。
「涼しいなぁ、靴汚れまくってるけど」
「足とられないように気を付けてくださいね~」
「ん?誰だ!」
他愛もない会話を始めたばかりの飛燕たちだったが、すぐに隧道内で座った体勢の人影を発見してしまった。呼びかけに反応したのか、人影はゆっくりと立ち上がりこちらを観察しているようだった。
「あれ、お前もしかして俺の獲物を奪ったヤツ?」
人影が発した声に飛燕たちは聞き覚えがあった。懐中電灯で照らしたその姿は、土蛇の時に突然現れた謎の妖怪青年だったのだ。
「お前!なんでこんな場所にいるんだ!もしかして、ここへ肝試しに来た人達に何かしたのもお前・・・?」
飛燕の言葉に青年は首を傾げる。どうやら心当たりがないらしいが、少し考えてから彼はこう話した。
「ああ、さっきまでここに居たやばい悪霊かな、それやったの。キモいから俺が消したけど」
「なんだと?」
言われてみれば隧道に入ってからも邪悪な気配や大きな空気の変化は感じられなかった。そのため飛燕は、八人も被害に遭ってるはずなのに妙だと思っていたのである。
「そういうこと。あと、俺の名前は雷徒だ。なぁ、お前の名前も教えてくれよ」
雷徒と名乗った青年はニヤリと笑みを浮かべる。果たして怪しい人外に名を教えてもいいのだろうかと迷ったが、向こうから名乗ったので飛燕も名を教えることにした。
「僕は織川飛燕、天才邪鬼祓いの飛燕だ。よく覚えとけ」
「飛燕・・・いい名前だなぁ。それじゃあ飛燕、今から俺と遊ぼうぜ」
飛燕は彼に気に入られてしまったのかと思い、呆れてため息を吐いた。それとも出会った者ならば誰でも標的にするのだろうか。
「またかよ~・・・でも仕事取られたし今日はもうやること無いし、この前は忙しくて相手出来なかったし。いいぜ、ただこの場所じゃぬかるんでてアレだから外に出るぞ」
「旦那様、なぜ乗り気なんですか!そんな奴、無視して帰りましょう」
松毬に制止されたが飛燕は聞かない。雷徒もその様子を見ると嬉しそうに笑った。
「やる気になってくれたかぁ!今日こそ俺の力をぶつけてやる」
飛燕たちは隧道の外へ出ると、一定の距離を保ちながら戦闘の準備に入る。松毬も刀に手をかけたが、飛燕がそれを止めた。
「僕一人で十分だ。雷徒、お前の目的が何なのか知らないけど、僕に喧嘩売ったこと後悔するぞ」
「これは喧嘩じゃない、俺とお前のゲームだよ」
雷徒はそう言って構えの体勢を取り、右手に雷の集合体を作り出した。以前も同じ技を使っていたので、どうやら雷の妖怪らしい。彼は小さな雷を手に抱えたまま高速で飛燕の元へと駆けてきた。
「ゲームねぇ」
飛燕は一言呟いて雷を避けると、すぐさま雷徒の背後へ回り込み術を使用する。
「四段・空圧斬」
雷徒も咄嗟に受け身の姿勢を取るが、近距離で振り翳された飛燕の右手から凄まじい圧力を感じ取り身を怯ませた。
「お前、なんでそんなに速いんだよっ!」
空圧斬をもろに受けた雷徒は苦しみながらも声を上げて言った。本来、飛燕の得意とする風の術は雷に弱いのだが、力は雷徒よりも上のようで呆気なくダメージを負わせてしまったのだ。
「だからこの前も言っただろ。僕は運動が得意なんだ」
「得意ってレベルじゃねーだろ・・・妖怪の俺より速い人間がいてたまるかよ!」
雷徒も反撃しようと全身に雷の力を溜めるが、飛燕は隙を与えまいとウエストポーチから風車を取り出して構えた。
「初段・突風の陣」
飛燕の右手に持たれた風車はクルクルと回転して風を集める。それを突風の如く雷徒の右腕へ向けて投げた。彼は力を溜めている最中だったので動きが鈍くなり、風車は右腕に直撃した。
「ぐぅっ!クソ、なんでそんな力が・・・!」
「お前と違って鍛えてるんだ。さて、まだやる気か?」
飛燕が話を終えるや否や、ポケットの中から携帯電話の着信音が鳴り出した。
「あー悪い、電話だ。ちょっとタイム」
飛燕はそう断ってから通話ボタンを押して電話に出た。
「もしもし僕だよ僕僕僕」
「あ、ああ・・・もしもし飛燕さん?愛奈です」
ふざけながら電話に出た飛燕に戸惑い気味で喋る声は愛奈のものだった。
「はーい愛奈ちゃん。学校終わったの?」
「はい、たった今。飛燕さん、どこに居ますか?」
「あ~今ねぇ、用事終わったところ。旧天浦坂隧道にいるさ。よければ後で家まで行くよ」
「すみません、ありがとうございます!あ、それとも私だけ先に喫茶店行って待ってますよ!場所は分かるので」
「お、じゃあそうして貰おうかなー。すぐ喫茶店戻るね」
電話を切るまで何もしてこなかった雷徒。動けなかっただけなのだろうが、飛燕は彼を見てニヤッと笑った。
「僕の勝ちだ。そういえばお前、人間の感情から生まれたとか言ってたけど・・・お前を生み出した人間って誰なんだ?」
飛燕が尻餅をついている雷徒に訊ねると、彼は俯いたままこう言った。
「うるせえ」
「あー、はいはい。もういいや、帰ろう松毬」
「はい、旦那様」
飛燕たちはなかなか動こうとしない雷徒を無視して隧道をあとにした。去り際に「何者だよ、お前」と聞こえた雷徒の声は震えているようだった。
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喫茶店に着くと既に愛奈がカウンター席で葛城と会話をしていたので、飛燕は二人と奥の間まで行き先程の出来事を報告した。繭子は松毬とともに店の屋根上へ行ったのだが、おそらく雑談でもしているのだろう。
「なるほどねぇ、とりあえず調査代だけもらって後ほど振り込んでおくよ。ありがとうね」
「はい。それで、その雷徒って妖怪が人の感情から生まれたと言っていたんですけど、葛城さんは何か知りませんか?」
飛燕の問いに葛城は何か思い当たる節があったらしく、記憶を辿るように話し始めた。
「イマジナリーコンパニオンって言葉を知っているかい?幼少期に空想の友人を作り出す現象をそう言うんだけど、実は、その空想の友人がちょっとしたキッカケで他の人にも見える存在になってしまうことがあるらしいんだ。もちろん見える人は限られてるけど、そうなってしまえばもう一人の空想ではなく、霊体と表現したほうがいいだろうね」
「イマジナリーコンパニオン・・・でもそれって、幼少期によくある現象ですよね?小さな子供が青年の姿をした空想の友人を作り出すでしょうか?」
「それがねぇ、大人になってもイマジナリーフレンドを作ってしまうことがあるんだよ。精神的に何か問題を抱えてるとそうなっちゃうんだろうけどね~。彼もその類いかもしれないなぁ」
「大人になっても・・・ですか」
「あのぉ、もしかしてその雷徒って妖怪さん、こんな見た目じゃありませんでした?」
不意に愛奈がスクールバッグからノートとペンを取り出し、簡単なラフスケッチを描き始めた。
「愛奈ちゃん、なんでアイツのこと・・・」
飛燕は驚愕した。愛奈の絵が上手いということにも驚いたが、ノートに描かれた人物があの雷徒という妖怪の姿に瓜二つだったからである。
「やっぱり・・・その雷徒さんを生み出した人、私が中学二年の時のクラスメイトです」
「なんだって!それじゃあ、その子の名前は!?」
飛燕が身を乗り出して訊ねると、愛奈は一瞬ビクッとしてから答えた。
「泉谷光里。中学二年で同じクラスになったけど病気で学校は休みがちで、三年に上がってからはずっと市立病院に入院してたんです。二年生の時の話なんですけど、部活終わって下校中に公園で光里ちゃんを見かけて、その時に雷徒さんも一緒にいたんです。最初はお兄さんかなと思ったんですけど変わった服装だったし、私が見てるのに気づいたらスッと消えちゃいました」
「なるほど・・・それで、その後はどうしたの?」
「びっくりして動けなくなってたら光里ちゃんが私のところに来て、今のことは誰にも言わないでねって。それで誰なのか聞いてみたら、あの人が自分の空想の友達であることも、気付いたら一部の人からも見えるようになっていたことも教えてくれたんです」
愛奈の話を聞き終えた飛燕はしばらく考え込んでしまった。なぜ光里という少女は愛奈へそこまで話したのか、そもそも雷徒が生まれて他の人にも視認できるようになった原因は何なのか。それを察したのか、彼女は話を続けた。
「光里ちゃん、お話できる友達がいないって言ってて。あのあと、体が心配だから私も家まで一緒についていったんですけど、その時も本当は色々遊びたいのに昔から体が弱くてなかなか外に出られなかったって話してくれました」
「愛奈ちゃんが話しかけてくれたから、今まで溜まってたものを吐き出したくなっちゃったのかな。そう考えると、雷徒も悪いヤツでは無さそうだ・・・」
そう言ってから飛燕はあることを思い出した。雷徒と光里の言葉に共通点がある。
「そうか、ヤツは僕と戦うことを“遊ぶ”と言っていた。きっと光里ちゃんの遊びたいという想いが独り歩きして雷徒を動かしてるのかも」
飛燕がそう言い終えた直後、店のドアが乱暴に開かれて一人の男が入ってきた。
「ああ、笠野君か。いらっしゃい」
葛城が男に声をかけると、彼は飛燕たちの座る席まで来て幾つかの書類を投げるように置いた。
「新しい資料。つーかお前も来てたのか」
「どうもリンさん、お久しぶりですー」
飛燕は愛想よく笑顔で会釈した。それに倣って愛奈も頭を下げると、男がキッと彼女を睨む。
「誰だこの女」
「ああ、僕の弟子です。桜田さんの娘さんですよ」
「ああ、どうりで似てると思ったぜ。ちょっと便所借りるぞ」
そう言い捨てて男はトイレに行ってしまった。愛奈の表情は少し強張っている。
「怖そうな人ですね・・・」
飛燕は彼女を見ると苦笑しながら男について話した。
「笠野凛太郎さん。通称リンさんは、神主の息子さんで超一流の邪鬼祓いだけど超アウトロー。東のトラブルメーカーとか鬼の凛太郎とかっていうあだ名も付けられてるよ」
それに付け足すように葛城が話し始める。
「清火術の妖刀使いなんだけど、性格に問題がねぇ。私も彼のことでは苦労してるよ・・・情報収集で世話になってもいるけどね」
その言葉を聞いた飛燕は、何気なく葛城の前に置かれた書類に目をやる。新聞やネットニュースの記事らしいが、その中で気になる文字を見付けた。
「内海家の惨劇・・・内海って、なんか知ってるような」
「それ以上追及するな!殺すぞ」
いつの間にかトイレから戻ってきていたリンがすごい剣幕で飛燕を怒鳴りつけた。
「すみません」
「いいか余計なことに首突っ込むなよ。お前が知っていいことじゃない」
「まあまあ笠野君」
恐ろしい形相で声を上げるリンを葛城が制止した。飛燕はそこまで知られたくない情報ならばその書類をここへ置くべきではなかったのではないかと思ったが、あまりに恐ろしかったのでそんなことは言えなかった。
「はぁ、じゃあ俺は帰る」
リンはそう言い残してから店を出ていった。残された飛燕たちは席に座ったまま呆然としている。
「本当に、怖い人なんですね・・・」
愛奈が怯えた様子で言った。自分へ向けられた言葉でなくとも、目の前で殺すと叫ばれたら無理もないだろう。
「うひょーこわっ!さすがリンさんサイコパスだなぁ。愛奈ちゃん、あの人にはなるべく関わらないようにしようね」
「は、はい」
そのやり取りを見ていた葛城が苦笑した。リンは日常的に暴言を吐くので飛燕たちは慣れたものだが、愛奈からしてみれば初対面の相手である。
「笠野君は、相変わらずだね。そうだ飛燕くん、明日の仕事なんだけど~やっぱり行ってもらえるかなぁ?どうにも怪しいんだけど、一度邪鬼祓いに見てもらいたいって向こうも言ってるもんでさー」
「あら、そうなんですか。ところで、現時点での被害状況は?」
「死者三名。ここ最近、不可解な事件が増えてるのと邪鬼の数が増えてるのとでも関係がありそうだよね。影鰐や雷獣も以前は三年に一度とかの頻度だったのに、今じゃ毎年出てるし」
葛城は困惑した様子で手元の資料を見ながら言った。影鰐や雷獣は討伐が厄介なため、頻繁に出られると困るのだ。
「去年は関東の街に近いところで出たんですよね?停電が起きたって聞きました」
「そうなんだよ。まぁ、雷の邪鬼は出現場所の特定が難しいから街に出ても不思議なことじゃないけどね。この現代社会でそんな怪物に出られたら、インフラとかはたまったもんじゃないなぁ」
「まったくです。さて愛奈ちゃん、そろそろ帰ろうか」
飛燕の言葉に愛奈が頷く。店を出ると、彼女は何か訊きたそうな顔で飛燕を見た。
「どうしたの?」
「あっ、すみません。私って、清土術を学べばいいんでしょうか?お父さんがそうだったし」
「なるほど、それを訊きたかったんだね。いいと思うよ。折り紙術も風と土の属性を併せ持った術だし、清土なら僕でも教えてあげられるから」
「ありがとうございます!これで、明確な目標を持てる気がします」
邪鬼には、風・土・雷・水・火・氷の六属性が存在し、邪鬼祓いはそれぞれ自分の術と相性がいい邪鬼を討伐する。しかし現在、東の邪鬼祓いには風に有利な清氷術使いが居ないため、風の邪鬼を討伐する際は弦斗のような清雷術使いが担当することになっているのだ。
「でも、なんで火とか水の前に清って付くんです?なんか“清める”みたいな感じですか?」
そう言った愛奈の頭を飛燕は笑顔で撫でた。
「その通り!偉いね愛奈ちゃん!邪鬼っていうのは普通の刃物や銃で倒すことができない連中で、僕らみたいな邪鬼祓いが清めの術で退治しなくちゃいけないんだ。清風術とか清火術とか、清が付くのはその“清める”って意味があるからなんだって」
「やったぁ!これでまた詳しくなれました!そういえば、繭子たちは・・・」
愛奈の言う通り、飛燕たちが店を出るまでは屋根上で会話をしていたはずの二人が見当たらない。
「飛燕さん、お嬢様」
不意に背後から呼び掛けられ、振り返ると案の定繭子の姿があった。
「繭子、どうしたの?松毬さんは?」
「松毬さん、ちょっと急用ができたからと行かれました。飛燕さんは何かご存知でしたか?」
繭子の問いに飛燕は首を振った。普段、松毬は無断で行動をすることなど無いのだが、飛燕にそんな心当たりも無い。
「知らないけど、まあ別にこの後は予定無いからいいよ」
飛燕はそう言って済ませると、愛奈たちと別れて帰路に着いた。
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それから数時間後、松毬は普通に帰ってきた。彼女は飛燕の顔を見ると苦笑しながらペコリと頭を下げた。
「すみません、勝手に出歩いちゃって」
「いえいえ、おかえりなさい。何かあったの?」
「ちょっと友人を見かけたもので、懐かしくなって声をかけたら話が長引いてしまい・・・あ、そういえば明日のお仕事ってどうなったんですか?」
「ああ、やっぱり行ってほしいだって。さぁ、もうこんな時間だし晩ごはんにしようか」
そう言って飛燕は台所へ向かった。
「はい!」
松毬が何をしていたのか少し気になる飛燕だったが、今はあまり深く訊かないことにしたのであった。
作者mahiru
再投稿、第四話です。
『あらすじ』
邪鬼祓いの会地区事務局である喫茶店“風花”の事務局長、葛城と近状について話していた飛燕。掲示板に厄介な仕事が来ているとのことで、その依頼を受けた飛燕は直ぐに現場へと向かう。旧天浦坂隧道と呼ばれる場所へ着いた彼らを待っていたのは、意外な者であった。
他の話はこちらで掲載しております→https://kakuyomu.jp/works/1177354054884852006