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燈される邪念【藍色妖奇譚】

長編16
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燈される邪念【藍色妖奇譚】

 香吹山には名前が付けられた幾つかのスポットがあり、その一つが“さくら広場”である。現在は新さくら広場という新しい広場が設けられ、かつてのさくら広場は旧さくら広場に名前を変えている。元から人の出入りが少ない山なので、旧さくら広場には全くと言っていいほど人が来ない。

 雷徒との待ち合わせ時間は午後一時。二時間早く目的地へ到着した飛燕たちには、別の目的もあったのだ。

「そしたら、最初はこのウサギを地面に置いてから笛を吹いてみようか」

 飛燕はそう言いながら、折り紙の白兎と枝笛を愛奈に渡した。

「この笛は・・・」

「これは僕からのプレゼント!最初のうちは、枝笛で指示を出さないと折り紙を動かすことも出来ないから、折り紙術には必須アイテムなんだよ。あ、僕のお古とかじゃないから安心してね」

 愛奈は飛燕の言葉に一瞬だけ困惑してからすぐに頷いた。

「あ、はい。では早速やってみてもいいですか!」

「どうぞどうぞ!今の愛奈ちゃんがどれぐらい出来るか見てみたいな」

 飛燕が促すように言うと、彼女は紙兎を地面に置いてから、枝笛を唇に付けてピィッと短く吹いた。兎は見事に反応したらしく、ぴょんと跳ねると愛奈を見上げて「モキュモキュ」という独特な声で鳴いた。

「よしよし完璧!折り紙動かすのは問題無さそうだね。ちょっと実戦向けの術をやってみるから見ててね」

 飛燕はそう言って自らも折り紙の燕と枝笛を用意し、実際に術を使って見せた。

「一の巻・旋風陣」

 ピィーという笛の音で宙へ舞った三羽の折り紙鳥は、円を描くように飛び回り渦を作る。

「愛奈ちゃんが使いやすいのは、一の巻よりも三の巻・駒の舞って術なんだけど、まあ指示は笛の穴を一つ押さえて吹くだけだし、そんな難しくないかな。とりあえず兎さんで僕の燕を追う練習してみようか」

 飛燕が自身の使役する折り紙鳥へ指示を送ろうと枝笛を口に近づけた直後、その鳥は何かの気配を察して動きを止めた。

「随分と早かったじゃないか、雷徒」

 飛燕が視線を向けた木陰から姿を見せたのは雷徒だった。彼は少し怪訝そうな顔でこう言った。

「何の用だ」

「急に呼び出して悪かったね。実は、お前に訊きたいことがあるんだけど。泉谷光里ちゃんについて」

「お前!なんで光里のことを・・・」

「光里ちゃんのことはこの子から聞いたんだ。僕の弟子」

 飛燕は枝笛を手に持ったままの愛奈に歩み寄り、彼女の肩をポンと軽く叩いた。雷徒が愛奈の顔を見て、何かを思い出したように表情を変えた。

「光里の友人・・・?あの妖怪が見えるヤツか!」

 雷徒の言葉に愛奈が頷く。彼女は少し緊張しながら話し始めた。

「雷徒さん、あれから光里ちゃんのお見舞いにすら行けなくてすみませんでした・・・私も飛燕さんも光里ちゃん達の力になりたくて、だから・・・仲良くしませんか?私、もう一度光里ちゃんとお話がしたいんです!」

「というわけだ。雷徒、光里ちゃんのお見舞いに行かせてくれないか?そしてお前のことも聞かせてくれ」

 雷徒は何とも言い難い顔で愛奈を見ていたが、少しすると困惑しながらも自分や光里のことについて打ち明け始めた。

「確かに、俺は光里から生まれた妖怪で・・・光里は一人が寂しかったんだ。だから俺が生まれた。それに、遊びたいんだよ。学校の友達と買い物をしたり、どこか遠いところへ旅に出たりさぁ!それなのに、人間の話し相手すら居ないんだぞ・・・今日もたった一人の病室で一日を過ごす。たまにその隣で俺が話し相手になる・・・だからさぁ・・・」

 雷徒の目は愛奈に向けられていた。彼が次に言いたい言葉を、飛燕は理解している。何故だか分からないが同情したのだ。少しだけ、飛燕自身に似ているようで。

「愛奈って言ったか・・・飛燕も、光里と友達になってくれ」

 頼む・・・そう言って雷徒は頭を下げた。突然のことに愛奈は驚いたが、その横で飛燕はゆっくりと頷いた。

 その直後であった。聞き覚えは無いが、よく通る男の声が飛燕たちの耳に響いた。

「よぉよぉ、雷徒君じゃないかぁ。久しぶりだなぁ、何やってんだ?こんなところで」

 地に伸びた黒い影だけが蠢き、声はそこから発せられている。

「お前は・・・紅蓮」

 雷徒は青ざめた顔でそう口にした。燃えるような黒い影は、徐々に立体となり人型を形成している。えんじ色の着物に身を包んだ男の眼球には白目が無く、恐ろしいほど光の感じられない黒目だけがギョロリとこちらを見ていた。

「その祓い屋は、お前の友人かぁ?どこかで見たことのある顔だなぁ」

「僕を、知ってるのか?」

 飛燕は真っ黒な瞳を睨みながら言った。相手の姿は人に似ているが、放たれる邪気と異形の目に思わず恐怖を覚える。

「ふん、気のせいかもしれん。とりあえず余計な真似をすれば・・・」

 紅蓮がそう言いかけた瞬間、凄まじい突風が飛燕の横を通り抜けた。

「・・・見付けた」

 話を遮られた紅蓮の右手には刀が突き刺さり、えんじ色の着物へ赤黒い血がポタポタと色を重ねている。松毬だった。彼女は今まで見たことのない表情で眼前の敵を見つめていた。

「なんだ、お前。あの祓い屋の式かぁ?」

「ずっと待っていた。何十年も、お前に会えるのを・・・」

 松毬の様子がおかしい。飛燕は驚いて声を出せなかったが、少し頭の中を整理したところで彼女に呼び掛けた。

「松毬、その男から離れろ!」

 その言葉が発せられたと同時に、紅蓮が松毬の刀から右手を抜いて後ろへ飛び退いた。彼女は飛燕の呼び掛けに応じず、再び紅蓮へと刀を向ける。

「離れろ!!」

 飛燕はもう一度、今度は少し怒気を込めたような声で叫び、複数の折り紙鳥を宙へ投げて力強く笛を吹いた。

「行け!」

 飛燕の指示で藍色の折り紙鳥たちが紅蓮を襲う。松毬は攻撃を止め、その様子をただ見ていた。彼女の目は、まるで相手の隙を探っているかのようだった。

「鬱陶しいなぁこの野郎!」

 紅蓮は顔をしかめながら言い、手で折り紙鳥を払い除けている。

「松毬、下がってろ。僕に任せるんだ」

 飛燕は折り紙鳥に囲まれた標的へと高速で接近し、勢いで回し蹴りを入れた。紅蓮はそれを左手で防ぎ、飛燕の足首を掴む。

「・・・ん?」

 飛燕は掴まれた方の足首に違和感を覚えた。熱い・・・真夏の暑さというようなものではなく、火で焙られている感覚があったのだ。

「燃やすのは、得意でなぁ・・・!」

 そう言った紅蓮の目の奥には、先程と違う何かが見えた。相変わらず光は感じられないが、飛燕が足首に感じている熱と比例して、眼前の黒い瞳は燃えていた。

「ピッピッピィー!」

 刹那、飛燕は隙を見て首から下げている枝笛を吹いた。指示を受けた数羽の折り紙鳥が紅蓮を狂乱舞の渦に巻き込んだ。

「よっと・・・」

 解放された飛燕の足首は火傷をしていた。然程ひどくないので仕事に支障は出ないだろうと、飛燕は余計なことを考えてしまう。

「全く、小賢しい真似しやがって。折り紙術とは相性が悪かったなぁ」

 いつの間に狂乱舞を抜け出したのか、燃え散る紙切れの中心に立つ紅蓮が言った。

「紅蓮とか言ったっけ?雷徒や松毬とはどういう関係だ?」

「雷徒とはちょっとした遊び仲間みたいなもんさぁ。松毬かぁ、その女は知らん。勝手に攻撃してきたんだろ」

「ふざけるな!」

 松毬が紅蓮の言葉を遮るように言った。

「紅蓮・・・お前の名だけは耳にしていた。大原・・・大原貞之と大原留子という人を知っているな?六十年以上前にお前が生贄として使った人の名だ」

 今まで見たことのない松毬の表情と強い口調に、飛燕は圧倒されて口を挟めなかった。

「大原・・・?生贄にしたヤツの名などイチイチ覚えてないが、オトロシの時かぁ。お前、あの娘とでも知り合いだったのか?」

 紅蓮は話し終えると鼻で笑った。大原・・・生贄・・・飛燕は訳も分からず、そのやり取りを聞いていた。

「ふざけるなよ・・・私はお前を殺す!絶対に殺してやる!」

 鬼の形相で叫びながら紅蓮へ飛び掛かろうとした松毬だったが、何か様子がおかしい。刀を振り翳す体勢のまま動けずにいるのだ。

「どうした姉ちゃん!俺を殺すんじゃなかったのかぁ!あぁ・・・?」

 そこで紅蓮の動きも停止した。よく見ると、周囲には日光を反射して怪しげに煌く無数の糸が張られている。それを見て飛燕は合点がいった。

「まっちゃんがこんなに激しい子だったとは、初めて知ったわ~」

 周囲の木々に張り巡らされた巣を辿り素早く降りてきた着物の女性。その腰辺りには蜘蛛の脚があり、妖艶な笑顔で飛燕を見た。

「久しぶりね、坊っちゃん」

「多比・・・」

 女性の正体は織川誠の式、多比だったのだ。彼女は笑顔のまま、松毬へと歩み寄った。

「もう、無茶したら駄目でしょ~。あたしが戻るまで坊っちゃんを守る約束だったのに、松ちゃんが死んだら元も子もないじゃない。早めに戻ってきてよかったわ」

 松毬は顔だけを多比の方へ向け、分が悪そうな表情をした。

「うぅ・・・動けな・・・多比さん、とりあえずこの糸をなんとか・・・」

「あ、ごめんね~坊っちゃんが切るから。それより・・・そこの赤い男。あなた火のあやかしよね」

 多比が紅蓮を見ながら言った。彼は拘束する蜘蛛糸を自ら燃やしたらしく、既に自由の身となっている。飛燕は、なぜ自分が糸切り係なのかと思いながらも渋々折り紙鳥を飛ばし、枝笛を吹いた。

「糸切り旋風の術~。ピィー!」

 折り紙の燕たちは、松毬を拘束する糸を旋風陣で切り裂いた。飛燕は全ての糸が切れたのを確認すると、多比と紅蓮の様子を見た。向かい合う二人の妖怪からは異様な気が感じられ、人の踏み入ってはいけない空間を作り出しているようである。

「この蜘蛛女、ただの絡新婦ってわけじゃなさそうだなぁ」

「あなたこそ、目が真っ黒で気持ち悪いわよ」

「ふん、失礼なことを言う女だ。灰にしてやろうかぁ!」

 唐突に紅蓮は左手から発火させ、多比へ向けて駆け出した。彼女はニヤリとした顔のまま動かない。

「多比、避けろ!」

 飛燕が叫んだ直後、走る紅蓮の体は横方向に突き飛ばされた。水の弾ける音と、周囲に飛び散った水飛沫。

「おいバケモノ、今度はお前が消火される番だ」

 そう言って再び紅蓮へと銃口を向けたのは磯村潮であった。彼の隣には式の白露と、三味線を構えた弦斗の姿もある。

「潮さんに弦斗さん・・・どうしてここに?」

 飛燕が問うと、弦斗はニコッと笑い三味線の弦を弾かせてから言った。

「愛奈ちゃんから葛城さんに連絡があってさ。シオちゃんも体調よくなったし、二人で応援に駆け付けたぜ!」

 どうやら愛奈が連絡をしてくれたらしい。飛燕は彼女を見て、少しはにかみながら軽く頭を下げた。

「厄介な連中が集まったなぁ・・・仕方ない、引き揚げるか」

 紅蓮は苦虫を噛み潰したような顔で言い、地面の影にスルリと引っ込んで消え去った。

「逃げ足が速いな・・・飛燕、大丈夫か!」

 潮が水鉄砲を弦斗に預け、すぐさま飛燕の元に駆け寄った。

「大丈夫です!火傷はしましたが、ぜんぜん歩けるので。それより潮さんは、もう平気なんですか?」

「俺はもう大丈夫、一晩寝たら治った」

 飛燕は潮の元気そうな潮の姿を見てホッとしたのと同時に、病み上がりで応援に出向いてもらったのが少し申し訳ないと思った。

「それと、愛奈ちゃん」

 飛燕が愛奈のほうを見て微笑む。彼女には感謝しなければならないのだ。

「ありがとね、まさか連絡してくれてたなんて。本当に助かったよ」

 愛奈は飛燕の言葉に照れながら笑った。

「い、いえ~。私にできることなんて、それくらいしかないので。お役に立てて嬉しいです!」

「優秀な弟子を持てたみたいでよかったわね、坊っちゃん」

 そう言って多比は飛燕の肩をポンと叩いた。

「本当だよ。あっ、て言うか多比!今までどこ言ってたのさ!父さん死んでから急に消えちゃって、心配したんだよ!」

 飛燕が言うと、多比は目を細めてウフフと笑った。

「詳しいことはまたあとで。とりあえず帰りましょ」

「まぁ、そうだね・・・帰ろうか。松毬、大丈夫?」

 飛燕の問い掛けに、松毬は地にへたり込んで俯いたまま何も返さない。

「ほら、まっちゃん。まずは家に帰ってから落ち着いて話しましょ」

 多比は松毬の横で屈み、彼女の肩に手を置いた。

「・・・はい」

 松毬の小さな声が聞こえる。余程落ち込んでいるのか、何かを恐れているのか、そんな目で彼女は地面のどこかを見ていた。

「まぁ大した怪我人も居ないし、よかったよかった。愛奈ちゃんはシオちゃんの車で送ってもらいな」

 弦斗の言葉で皆がそれぞれ動き出す。

「え、いいんですか?」

 愛奈は弦斗と潮を交互に見ながら訊ねた。潮が少し考えてからそれに答える。

「そうだな、愛奈ちゃんは俺の車で飛燕の家まで送る。飛燕は・・・」

 潮は飛燕を見て少し困ったような顔をした。おそらく、雷徒も含めたこの四人の妖怪たちをどうするかと考えているのだろう。

「全員、僕が連れて帰るので大丈夫ですよ」

「俺もなのかよ!」

 そう言って雷徒は不満げな顔をした。

「いいから、とりあえず家に来るの!話したいことあるんだから」

 飛燕の言葉に雷徒も渋々納得し、それぞれが香吹山を下りることになった。

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 飛燕たちが家に到着した頃には、既に夕刻が迫ってきていた。潮と弦斗は自宅へ帰ったので、人間二人と妖怪四人が狭い居間に集まってる状況である。

「はぁ~この家、久しぶり~!この座布団なんて坊っちゃんの匂いが染みついて~」

「多比、気持ち悪いからちょっと僕の前に大人しく座ってて。訊きたいことがある」

 部屋中を動き回る多比に、飛燕は少し冷めた口調で言った。愛奈と雷徒は何かを話しており、少しは落ち着いた様子だ。

「はいはい、分かってるわよ。旦那様が死んでからのこと訊きたいんでしょ」

 多比は真剣な顔で言った。彼女がふざけている振りをして実は平静だというのは、常日頃からである。

「まぁ、そうだけど。あと僕の・・・」

 飛燕がそう言い掛けると、多比は言葉を被せて話し始めた。

「旦那様が死ぬ前、もう長くないってことは分かってたから、あたしとまっちゃんとカラちゃんで相談したの、今後どうするのかって。まっちゃんには坊っちゃんのところに残ってもらって、あたしが戻ってくるまで守ってあげてねって。カラちゃんは修行に出て、あたしはちょっと気分転換の旅にね」

 カラちゃんというのは、誠のもう一人の式、栗渦羅のことである。彼はもっと強くなりたいと言っていたので、修行へ出たと聞いて飛燕は納得した。

「そうか・・・栗渦羅は修行に。多比、戻ってきてくれたってことは、また僕と一緒に?」

「どうしようかしらね~。それより、まっちゃんのこと気にかけてあげたら?」

 また話を逸らされた。飛燕はそう思ったが、彼女の意見もあながち間違ってはいない。むしろ今の松毬をこのまま放っておくことが間違いなのかもしれない。

「そうだね。松毬、何があったんだ?」

 相変わらず俯いたままの松毬へと飛燕が問い掛ける。彼女は少し顔を上げ、ボソリと呟いた。

「なんですか」

「う~ん・・・」

 答える気がないのか、そんな気力が残っていないのか、松毬の小さな声を聞いた飛燕は唸った。

「あの紅蓮ってヤツと何があったのか、僕に教えてくれない?」

 飛燕がもう一度訊くと、松毬は小さな声でポツリポツリと語り始めた。

「六十年以上前のことです。私の友人に大原留子という人の子がいました。彼女の父である貞之さんは邪鬼祓いで、奥様とは早くに死別してしまったらしく留子ちゃんと二人暮らしでしたが、幸せそうでした。でも・・・」

 松毬は嗚咽しながらも過去に起きた出来事について語った。彼女が飛燕たちへと話したことは、このような内容である。

 過去にオトロシという邪鬼が復活し、この町に惨劇を齎した事件があった。首謀者は紅蓮であり、邪鬼祓いの貞之に憑依した彼は、憑代の貞之と娘の留子を生贄にオトロシを復活させた。生前、父の異変を僅かに察していた留子は知り合いであった妖怪の松毬へ相談したが、既に手遅れだった。彼女へ相談した次の日に、留子たちは生贄として殺された。

 復活したオトロシは討伐隊が結成され、その中には貞之の弟子であった斎藤享太郎もいた。討伐隊の活躍でオトロシは倒されたが、この事件は邪鬼祓い達の心に深い傷を負わせた。

 一方、虫の知らせで嫌な予感を感じ取った松毬はオトロシが復活させられた場所へと向かったが、そこには留子が大事に持っていた石のお守りだけが落ちていた。状況を呑み込めないままその場で涙を流していた彼女を、一人で花束を供えに来た享太郎が見付け、オトロシが復活したことや貞之と留子が生贄にされたことを涙ながらに伝えた。そして、紅蓮という妖怪がそれを仕組んだことも。享太郎も、松毬も、誰もが復讐をしたい想いに駆られた。しかし紅蓮の居場所は分からず、年月だけが過ぎていったのであった。

「私、いつか顔も知らない紅蓮という名のあやかしをこの手で殺めるため、復讐するために今まで・・・誠さんの式になったのは、邪鬼祓いと行動を共にしていれば紅蓮を見付けられる可能性が高くなると思ったから。申し訳ございません・・・」

 松毬は全て話し終えると、両手で顔を覆いながら飛燕に頭を下げた。

「お前も、なのか」

 ボソリと、松毬の話を静かに聞いていた雷徒が呟いた。飛燕がどういう意味かと訊くと、どうやら彼も紅蓮と何かがあったらしい。

「俺がヤツと会ったのは二年前のことだった。アイツは、光里の友達を殺した」

「そんな・・・」

 愛奈が怯えた様子で言った。雷徒は感情的になりつつも当時のことを話し続ける。

「生贄のために殺したと言ってた・・・光里は友達が病気の発作で死んだと思ってるけど、俺は紅蓮を許さない。光里を悲しませたことには変わりない・・・!」

 彼の言う、光里の友達が誰なのか。飛燕はそれを訊ねる。

「その友達っていうのは?」

「光里と同じ病院に入院してた女の子だ。せっかく出来た友達だったのに・・・!だから俺は、紅蓮と戦った。でも駄目だったんだよ!そのまま殺されると思った。でもヤツは、人から生まれたあやかしは貴重だと言って俺を見逃した。力が通用しない、あまり逆らえないんだ、紅蓮の野郎には・・・」

 雷徒は悔しげな顔で話し終え、ゆっくりと立ち上がった。

「今日はありがとな、飛燕・・・俺はもう帰らせてもらうよ」

「気を付けろよ・・・!あのさ、光里ちゃんのお見舞い行くから」

 居間を出ようとする雷徒へ、飛燕が言った。その言葉に彼は顔だけ振り向き、小さく頷いた。

「あぁ」

 雷徒がいなくなり、居間には相変わらず重苦しい空気が漂っている。松毬は未だに俯いたまま顔を上げようとしない。見兼ねた飛燕は彼女の頭を撫で、今日はもう休むようにと促した。

「とりあえず、ひと段落付いたんだから休もうよ。お前がどんな状態であれ、僕の式であることには変わりないんだからさ。辛いことも全部、吐き出してくれなくちゃ。また明日、ゆっくり話そう?」

「・・・旦那様、ありがとうございます」

 松毬は力なく言ってからふらりと立ち上がり、奥の間へ向かうと襖を閉めた。飛燕の言葉は、彼女に届いたのだろうか。

「飛燕さん・・・」

 不意に愛奈から名を呼ばれた飛燕は、反射的に時間を確認した。

「ああ~、ごめんね愛奈ちゃん、留まらせちゃって。もう遅いから、僕が家まで送ってくよ」

「あ、そのことなんですけど、お母さんが迎えにきてくれるって」

「そう、なんだ。それならよかった」

 暫くすると門の前で自動車の停まる音が聞こえたので、飛燕たちは玄関を開き外へ出た。

「お嬢様、あたしはお先に家でお待ちしております」

 繭子はそう言って、サッと消えるように姿を消した。

「うん、すぐ行くね」

 愛奈が誰も居なくなった空間に笑顔を向けて言った。飛燕もその様子を見て自然と笑顔になる。先程までの重い空気感が、少し和らいだようだ。

「あ~これはどうも~!いつも娘がお世話になってます~!」

 車から降りてきた一人の女性が、飛燕を見て近寄ってきた。愛奈の母親だろう。

「あ、どうも~こちらこそです。いつもすみません、遅くまで付き合わせちゃって」

 飛燕が女性へ頭を下げると、彼女は笑顔で首を振った。

「いえいえいえもう全然大丈夫です~!昔からほら、可愛い子には旅をさせよとか言うじゃない?愛奈が邪鬼祓いになるって言ったときに私も決めたんですよ。応援してあげようって。あっ、そうそうこれ、つまらないものですが~」

 そう言って女性は手に提げていた紙袋を差し出す。飛燕は礼を言いながらそれを受け取った。

「ああ、ありがとうございます!ありがたく頂きます」

 飛燕たちのやり取りを隣で見ていた愛奈は、暫くすると苦笑しながら母親に声を掛けた。

「お母さん、もう遅いからまた今度話せばいいじゃん。すみません、飛燕さん」

「あっ、そうね。すみません~遅くまで、ありがとうございました~」

 愛奈の母親は頭を下げて言った。飛燕も笑顔で礼を言い、愛奈たちを見送る。

「こちらこそありがとうございました!またね、愛奈ちゃん」

「ありがとうございました!松毬さんと多比さんにもよろしくお伝えください」

 彼女たちが帰った後、飛燕は居間に戻り多比へと声をかけた。

「愛奈ちゃんのお母さん、すごくいい人だったよ」

「そう、よかったわね」

 多比は座布団に座り、一人でお茶を飲んでいる。その表情は落ち着いているようで、僅かに憂いを帯びていた。

「なぁ、多比。そろそろ聞かせてくれないか?僕の式になってくれるのか、そうじゃないのか」

 飛燕の問いに、彼女は切なげに笑う。その顔に迷っている様子は見られない。どこか昔を懐かしむような、不思議な表情であった。

「なってほしいんでしょ?坊っちゃん、甘えん坊さんだもの」

「はぁ、焦らすなぁ・・・また昔みたいに、みんなで楽しくできたらいいなと思ってさ。いつか栗渦羅も一緒に」

 飛燕は願いを込めて言った。誠が生きていた時間と同じにはならなくとも、新しい形で幸せを作ることはできる。そう思っているのだ。

「そうね」

 小さな声で呟いた彼女へ、飛燕は手を差し出した。

「契約の儀、しようか」

 多比はゆっくりと頷く。この日、織川飛燕の式が二人になった。人と妖怪の絆は、儚いばかりではない。本当の幸せが何なのかを決めるのは、自分達なのだから。だからこそ、松毬のことも信じたいと思うのであった。

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