shake
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「「「乾杯!」」」
壁の掛け時計が22時ちょうどを告げると同時に、その部屋に集まったある一族の面々は、掛け声とともに杯をあおった。
白髭を顎にたくわえた当主が、美酒の余韻を厳粛な面持ちで味わった後、おもむろに口を開いた。
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「さて、夜も更けた。話も名残も尽きないが、眠い目をこすっている孫たちをいつまでも付きあわせるのも忍びない。
マキタ、孫たちを寝室に連れて行ってやってくれ」
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当主の背後に影のように控えていた老執事は、いつものとまったく同じ角度に頭を下げながら、「かしこまりました」と短く応えた。
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マキタと数人のメイドが、幼い孫たちを彼らの母親の手から預かり出て行くと、部屋には当主と、当主の子供たちとその伴侶たちが残った。
つまり、この会の趣旨を正確に理解している者たち、ということになる。
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「では、私はそろそろ逝こうと思う。お前たち、達者で暮らすんだぞ」
一族の当主、零士(れいじ)は皆の顔を見渡しながら云った。
長男の一郎が辛そうな面持ちで零士に呼びかけた。
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「本当に逝かれるのですか、お父さん。
お父さんはまだまだかくしゃくとしておられるじゃあないですか。
一代で世界有数の企業を立ち上げ、財を成したお父さんの手腕に、僕らはまだ全く追いつけていないのですから」
当主は笑って応えた。
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「かくしゃくとしているうちに逝きたいのだよ。
身体も頭も動かなくなってからでは、私のような人間には返って辛いものなのだ。自分で決断できるうちに逝く。
それにな、いつまでも古い人間が上にいるようでは、組織も家もまずくなる。これからは一郎、お前が盛り立てていかなくてはいかんのだ」
一郎はしょげたようにこうべを垂れた。
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「なあに、父さんのことなら、先に逝った母さんが待っていてくれるから大丈夫さ。
男子たるもの、妻に寂しい思いをさせちゃいけないよな。そうだろ、父さん」
酒に顔を赤くしながら、次男の二郎が云った。
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「そうだな、向こうで母さんも待っていてくれている。
二郎、お前も真理子さんを大事にするんだぞ?」
元モデルをしていただけあって、出産後も抜群のスタイルを保持している真理子は、二郎の腕に抱きついて「いつも大事にしてもらってまーす」とおどけて応えた。
二郎夫妻のその様子に、皆が苦笑する。
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「だけど、自らの命の幕を、自らで引くなんて、体のいい自殺じゃないか。
なあ、父さん、どうしても考え直せないのかい?」
三男は瞳を潤ませながら父に詰め寄った。
彼の背後では、妻が彼の背に顔を埋めながら、肩を震わせていた。
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「三平よ、そう云ってくれるな。私はこの棺を作ってくれた科学者に感謝しているよ。
時を選んで苦しまず逝ける。
それに、棺の中では最期に観たい映像まで流せるそうじゃないか。至れり尽くせりだ」
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当主の背後の床には、人ひとりがちょうど入れる大きさの箱が横たわっている。
これが、彼がこれから自らの意思で入る、彼自身の棺だった。
最近、外国の科学者によって作られた、特別な棺。
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入棺者は自らタイミングを選んで、棺内のボタンを押す。
すると内部を窒素ガスが満たし、ほどなく意識を失い、命を落とすというものだった。
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ガスの効果で苦しみは少ないそうである。
また、VRのゴーグルを被り、人生最後に観たい映像や音声を見聞きしながら逝ける、という仕様になっている。
まさに、人生の最後を迎えるためのプライベートルームだ。
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自らの死期を選べることから、当主のように親族や親しい友人との最後の晩餐を開いて後、入棺する者も多かった。
世間が賛否両論で騒いでいる中、当主がこの棺を使うことを親族らに告げた時には、誰もが強い衝撃を受けたものだった。
そして迎えた今夜である。
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「さて、お前たち。今生の別れだ。達者でな」
当主は短くそう告げると、もはや振り返ることもなく、棺の中に姿を消した。
いつの間にか部屋に戻ってきていた執事のマキタが棺の前に静静と歩み寄り、施錠をした。
そして親族を振り返る。
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「さて皆様。
これにより、この小部屋には錠が掛けられました」
その言葉に一同、
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グニャリ、と脱力する。
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「あー、やーっと逝ったよ。お疲れー」
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「たりーよ、長げーよ、早く入れよ、ったくよー」
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「きゃはは!でも名演技だったじゃない、一郎義兄さん」
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「僕らはまだ追い付けていないのですから、か?
我ながらよく云ったもんだ。
しかしそれを云うなら二郎、真理子。お前たちのオシドリ夫婦ぶりには鳥肌が立ったぞ」
二郎と真理子は顔を見合わせ、ニタリと笑い合う。
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「離婚調停中だろうが、金のためなら一致団結できる。そういう意味では似た者同士だな、俺ら」
「きゃはは、ほんと。
でも三平夫婦も良かったわー。奥さん、三平さんの背中にすがり付いて泣いてたじゃない」
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「馬鹿云え、笑うの堪えてたんだよコイツ。ハラハラしたぜ」
三平は妻の顔を見て毒づく。
彼の妻はおかしさがぶり返したのか、ケタケタと笑い転げた。
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「いや、皆たいそう役者だったよ。
しかし、演技という点ではマキタさん、あんたに敵う人間はいないな」
「そうそう、何十年も仕えた主人をだまくらかして、棺桶に入るようにそれとなく持ってくなんて、あんたしかできない役回りだったぜ」
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その言葉に、マキタは表情を崩さずに応える。
「私ごとき使用人に、もったいないお言葉でございます」
その真面目くさった態度に、親族一同から笑いが起きる。
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「いや、なんにせよ、一番の功労者はあんただよ、マキタさん。
礼はたんまりさせてもらうから、遺産の引き継ぎ完了までしっかり付き合ってくれよ」
頼りにしてるぜ、と二郎が合いの手を入れる。
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「今のうちに、あんたの希望を云っといた方がいいぜ。
兄貴たちはケチだから、事が済んだらビタ一文出さないなんて云い出すかもしれないぜ」
三平がニヤニヤしながらマキタに詰め寄る。
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「酷いことを云うじゃないか、三平。
いいだろうマキタさん、今この場であんたの願いを云ってくれ。ここにいる皆が証人だ。
金か?家か?車か?女か?」
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「申し上げても、よろしいので?」
うなづく一同。
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「私の願いは、皆様に一言、お答えいただくことです。
今回、このようなことになり、後悔は?」
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「「「ない!」」」
嗤(わら)い。
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「だ、そうでございます、旦那様。
私の願いは、このダニどもをこの館から、私もろとも駆逐していただくことです」
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皆が訳もわからずポカンとした表情を浮かべる中、部屋の天井に無数の小さな穴が穿たれ、シューという微かな音をあげ始めた。
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棺桶の形の入り口を通り、地下のシェルターにしつらえたモニターで部屋の様子を観ていた当主、零士は目を閉じたまま、静かに頭を垂れた。
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そもそも執事のマキタが言い出したことだったのだ。
息子たちに不穏な動きをしている疑いがある。
その真意を確かめるため、毒ガス付きの棺桶の話を息子たちに持ちかける。
それを怒って断れば良し、逆に誘いに応じて裏の顔を覗かせるようであれば、無垢な孫たちを除いて、皆断罪すべし、と。
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当主は長年の友に、そのような汚れ役をさせるわけにはいかないと、はじめはたいそう反発した。
しかし、執事の熱心な説得により、涙を飲んで応じたのだった。
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今、モニターの中では息子とその伴侶たちが、ひとり、またひとりと床に崩れ落ちていた。
やがて、すべてを見届け安心したかのように、最後にマキタが膝を突いた。
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そしてモニターに向かって、いつものとまったく同じ角度で静かに礼をしたのであった。
【了】
作者綿貫一
こんな噺を。
次のようなニュースから
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