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中編5
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左手

社会人になり、実家を出て、もう3年が経つ。

営業職として入社、しばらくして配属がかわり、内勤で勤務するようになった。

新しく配属になった部署は、家族持ちのお父様、お母様、それにお局様と、かなり年の離れた先輩方ばかり。

そんなこんなで、連休があると専ら帰省し、地元の連れや、学生で実家住まいの弟と遊んでいる。

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1週間くらい前も、そんな感じで実家に帰って、朝の4時頃まで弟と飲んでいた。

法的に飲酒も全く問題ない年齢の弟だが、社会に出る前から、絶妙なジンジャーハイボールの割合を、感覚で会得している。嬉しい半分、先行き不安が半分。

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雑談のなか、「最近、夢で聞いているのか、現実で聞こえているのかよく分からないが、悲鳴で目を覚ます」という話を、弟からしてきた。

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「最近アホみたいに暑いから、熱でやられてんのかな?おれ、霊とかは、いると思うけど、実際見たことはないんだよね。だから勘違いだとは思うんだけど、何回かあって。気味わりいよ。兄貴は実際、見たことある?」

と、弟がツマミ片手に聞いてくる。

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「あるよ」

「え、冗談で聞いたのに…」

「かんかん照りでくそ暑い真夏の午後に、舗道に、派手な色の雨合羽きた親子みたいなのが一瞬だけ見えたり、

中学のとき、教室の鍵閉めようとしたらまだ中に人がいるの見つけて、ごめんごめんって言いながら開けたら誰もいなかったり。

学校のときの話の方は、教室の外にツレがいたけど、『ビビらせないでよ!!』て、怒られたっけな」

「け、けっこうがっつり出会ってるのな」

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「実家でも、あるよ。聞く?」

ガタイの割りに合わず、弟は小心者。口が渇いたのか、グラスを傾ける頻度が少し増えている。

その度、氷がカラカラと小気味よい音を立てる。

「まぁ、夏だし。ひとつよろしくお願いしやす」

恐怖より興味が勝った様子。グラスの残りをぐいっと飲み干した後、おどけながらおれに促した。

「了解。じゃあ、この時期にちなんだ話にするかな」

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おれは、実家に居た頃、ちょうど寝苦しい夏の夜に経験した話をすることにした。

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実家は三階建て。一階は玄関とクローゼット、風呂。二階がリビングとキッチン。三階は部屋2つとロフトが1つ。

三階の部屋2つは階段を上がって、左右に1つずつの間取り。ロフトのある方が兄弟兼用の子ども部屋で、反対側が両親の寝室だ。

子ども部屋に二段ベッドがあり、弟が上、俺が下を使っていた。

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つまり、寝るときは一家全員三階にいる、ということになる。

ちなみに、おれたち子どもは、寝るときは部屋の入り口側に足を向ける格好になる。両親は、子ども部屋側から見て、頭を右に、足を左にして寝る。両親が寝ているときは、仰向けなら、左手がこちらに見える格好だ。

ただ、手前側(入り口に近い方)に父が寝るので、基本は父の寝姿が目に入る。

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その夏の夜も、全員が三階にいて、母と弟は気持ち良さそうに寝息を立てていた。父は驚くほど寝息が静かなうえに、ちょっとした物音でも目を覚ますので、あのとき寝ていたのか起きていたのかは、はっきり分からない。

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おれはまだ起きていた。

深夜をまわっていたが、その頃、やっと手に入れたケータイで、友人とメールのやり取りをしていた。当時はまだ、スマホなんてなかったので、握っていたのはガラケーだった。

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先のとおり、刺激に敏感な父に配慮して、夏用の布団を深く被っていた。ディスプレイの光が漏れるからだ。(配慮と言いつつ、夜更かしがバレるのが、子ども心に怖かったから、だ)

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しかし、寝転がってケータイを持ち、その上から布団をかけていると、重みで手がだるくなる。

返信があるまで枕元に置いておくようにしていたが、相手の返信がまぁ早かったのと、おれ自身が文字入力に不慣れだったので、持っている時間の方が置いている時間よりも長かった。

さすがに疲れてきたので、父の様子を伺い、寝てそうなら布団を退けることにした。

音では父が寝てるか判断がつかないので、目視する必要がある。

暗がりだったが、豆電球の黄色い薄明かりで、なんとなく様子は見える。

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その日は、ちょうど、親の寝室のエアコンが壊れていたたため、子ども部屋のエアコンをつけ、その風を入れるために、両方の部屋のドアが全開だった。

ガラケーの光が漏れないよう、二つ折りにして閉じ、両親の寝室を、寝たままの姿勢で覗きこむ。

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とっととととん

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「それ」は、軽快にフローリングを鳴らしながら視界に現れた。

「?!」

手首から先だけの、「手」が、横切った。

左から右へ、父の足元、膝あたりから頭の方へ向かって、指先を使って、歩く、というか何というか、生き物のように、とことこと移動した。

親指がこちらに見えていて、中指が進行方向にあったので、左手だった。

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慌てて布団を頭まで引っ張り、飛び出そうになる心臓を両手で押さえつける。

「落ち着け…落ち着け…」

鼓動を聞かれないように、という、へんな防衛本能が働く。いま思えば、手に音が聞こえるものなのか甚だ疑問だが、そのときは軽いパニック状態だった。

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自分をなだめるため、あれは父が起きていておれをびっくりさせるためのいたずらか、寝返りがそう見えたか、なんにしろ目の錯覚だ、と、仮説を立てて気をそらせようとした。

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それが誤りだった。

仮説のために、一瞬見えた父の姿を思い出すが、仰向け。こちらに左手を向けている状態。

「左手を足元から頭の方へとことこ移動させる」のは、人間の身体構造上、不可能だ。

ここまで行き着いて、全身が恐怖で粟立つ。

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「なんなんだ、あれ…」

考えれば考えただけ、怖くなりそうだったので、寝ることだけに神経を使うことに切り替えた。

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翌朝、とくにいつもと変わった様子はなかった。あのあとの記憶が曖昧なので、もしかすると、夢と現実がごっちゃになっていたのかもしれない。

ただ、起きたときおれは布団を頭まで被っていたのと、朝食の席で「なんか首がかゆい」と、父がしきりに首元へ手をやっていたのは、目を覚ましてからの記憶。

それっぽいもの、は今まで何度か見たが、「身体の一部分」だけ、というのは、現在に至るまで、この1回だけ。

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「まぁ、目の錯覚、かもしれないけどな。ただ、案外、なんかいるのかね、この家。声の主、いつか会えるかもしれないねw」

「やめろって!ビビらせんなよ!」

「はは、また怒られちまった、悪い悪い。ちょくちょく帰ってきてるけど、別に何も見ないし、嫌な感じもなくなったし、大丈夫だよ」

「そ、そんならいいけどよ。」

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そのあと、適当に話をし、酒を飲み、ついでにテレビゲームもちょこっとやって、お開きとなった。

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…弟は気づかなかったが、嫌な感じは「なくなった」わけで、しばらく「あった」ことと、あの「手」の他にも数個、妙な経験談もある。

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弟の反応がなかなか良かったので、他の話はまた別の機会に取っておこう。

Concrete
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