中編7
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兄妹愛

「2人、になっちゃったな」

隣の兄貴にともなく、呟いた。

「なんだ、寂しいのか?」

「…そりゃ、な」

「そうだな…悪かった」

「謝るなよアホ」

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9月末、残暑の中、末っ子のユリの葬儀は無事終了した。

三兄妹、わりと仲良く生活できていた。

ユリは、大人しくて、落ち着いてて、それこそ百合のように肌が白かった。

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父と母が他界してから、すでに成人していた兄貴のところで一緒に住むことにし、大変なりにも楽しくやってた。

もともと生まれつき体が弱かったユリは、病に倒れ、そのまま遠くへ行ってしまった。

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ただ、ユリがなんか苦手だった。

生気を感じないというか、風景や空気と同化しているような感じで、他の人にはないような、独特の雰囲気があった。

色が白くて無口だったことを差し引いても、少し不気味だった。

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不気味さの裏付けに、気色の悪い記憶がある。

まだ兄貴のところに移り住んで間もない時期。

ある夏の夜、暑さで目を覚ましたとき。

普段、病気がちなユリはふすまを隔てた自室で寝ていた。

隣に兄貴が居ないことと、ユリの部屋のふすまが少しだけ開いていることに、すぐ気付いた。

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あのとき、何かにそそのかされるように、ふすまの隙間を覗いてしまった。

そしてすぐさま、後悔した。

ユリの部屋のカーテンから漏れる月明かりに、寝汗が干上がるような光景が浮かび上がる。

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布団の上に座る部屋着のユリに、背中側から覆い被さる兄貴。

兄貴はユリのはだけた細い肩、右の鎖骨あたりに、顔を埋めていた。

心臓が飛び出るのかというほど、脈拍が上がった。

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一瞬、2人は超えてはいけない一線を脅かしているものだと思ったが、

様子がおかしい。

その姿勢のまま、2人とも全く動かない。

兄貴の荒い息遣いと、熱気だけが蠢いている。

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「…噛んでやがる」

兄貴は、肉親の肩に歯を立てていた。

この位置からだと、ユリの表情は分からない。

信じたくなかった光景に、どのくらい目を奪われていたかは分からないが、体感では数分、『それ』に釘付けになっていたと思う。

ただただ、それ以上でも以下でもない、というように、ユリの体に齧りつく兄の姿があった。

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……兄貴は今、どんな気持ちなのだろう。

『それ』はあの一夜以来、目撃していない。

兄貴に、「兄」として以上の感情があったのか、未だに分からない。ましてや聞けない。

あの夜が明けた朝、ユリの部屋着からのぞく真新しい歯形だけが、夢でなかったことを、これでもかと物語っていた。

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……兄貴は今、どんな気持ちなのだろう。

あの日、その禍々しいシーン、陵辱する兄貴、その全てをユリが生み出しているようにすら考えた。

恐怖を通り越して、憎悪すら湧いた。

…いつからだよ。お前ら、本当は何なんだよ?

素直に言葉に出来ない歯がゆさから、皮肉めいた呟きが漏れたのかもしれない。

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あまり金は無かったが、それなりの墓はつくってやることができた。

華奢なその体は骨になり、今は、このどっしりとした光沢ある石の塊が、ユリの化身だ。

「まめに会いに来てやろうな、兄貴」

「あぁ…」

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遠い目をしている様子から、兄貴の感情は読み取れなかった。

悼み以外の、何らかの思いがあるのか。

なぁ、何考えてんだよ…

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…………

兄貴が変になってきたのは、納骨から程なくだった。

いやにボーっとしているというか、意識が薄い。

会話していると、急にあらぬ方向へ顔を向け放心することが増えた。

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「兄貴、聞いてる?」

「ん?あぁ、すまん。なんだったっけ?」

話の合間にこんなやりとりがしょっちゅう入る。

目の下のクマも日増しに大きくなっている。

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やはりユリの死がつらいのだろうか。

「ちゃんと寝てるか、最近。なんか疲れ出まくりって顔だぞ」

「そうだな…悪かった」

「いや、謝んなくていいから。ちゃんと食って寝ろ」

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ユリが居なくなってから、めっぽう兄貴の口数は減った。

さすがに、1人で3人前の明るさを部屋に灯すのは、けっこう骨が折れる。

兄貴がもとに戻るまで、しばらく辛抱しようと思っていたが、この体たらくの理由がとんでもないことなのを、後日知ることになる。

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その日、仕事が長引き、日付が変わってからの帰宅になった。

ふらふらと家に向かう途中、

「…兄貴?」

視線の先に、夜道を兄貴が歩いているのを発見した。

「こんな時間に。コンビニか?」

これまであまり夜に出歩くことのなかった部屋着姿の背中を不審におもいながらも、声をかけようと距離を縮める。

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声が届く距離まで来て、呼びかけようとしたが、

「…なんだ?」

兄貴の右手が、不自然に前方に伸びている。

まるで、何かに手を引かれる格好だ。

夢遊病。

脳裏に最初に浮かんだのは、テレビで見かけたそれだった。

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迷ったが、跡をつけることにした。

危なくなったら止めればいい、そのくらいの気持ちだった。

医者にかかるならちゃんと症状を把握していないといけないし、そもそも正気で目的地に向かっているだけの可能性もある。

そんな頭も確かにあった。

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…本音は、何かが起こる気がしたので、それを確認したいという、好奇心だった。我ながら薄情なやつだ。

物陰を利用しながら尾行を続ける。

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……いったいいつまで歩くんだ?

もう40〜50分は尾行しているが、まだ歩いている。

あまり馴染みのない道を進んでいるが、どこに向かっているのだろう。

「…あ」

思い当たった。

この先は、ユリの墓がある墓地だ。

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自転車ならまだなんとかなる距離だが、歩いて…?

納骨のときも、車で行ったし、参るなら車で行けばいい。

いや、そもそもこんな時間に墓参りって時点で、理解の範疇を超えているが…。

そんなことを考えるうち、墓地に着いた。

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しかし、

「まずい、見失った!」

墓地に入ったところまで追えていたが、そこから兄貴が消えた。

ユリの墓に向かったとして、こんな暗がりではどこがユリの墓なのか分からない。

「ええと、確かここを左だったよな?」

記憶で即席の地図を描き起こし、脳内一面に広げる。

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次を右、いや、直進か。

水汲み場があって、その先。

そう、このへん。もうすぐ近くのはず。

ここの角を…

ゴリ………ゴリゴリ………ガリ……

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突如、奇妙な音で静寂と脳内の地図が破かれた。

硬いもので、硬いものを削るような音。

音のした方へ向き直る。

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兄貴が居た。

まだ距離があり、ここからではよく見えない。

何をしている…?

墓の影に隠れながら、近づき、様子を伺う。

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予感は的中した。

光景は理解できた、が、思考がついてこない。

ユリの墓を、後ろから抱き抱える兄貴。

ゴリ…ゴリ…ガリ…

墓を、噛んでいる…?

夜明かりに照らされ、蒼白く妖艶に光る墓石。あの夜のシーンがぴたりと重なった。

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「おぇ……」

人知を超えた有様に、胃から苦いものが上がってきて、思わず息が漏れてしまった。

兄貴の動きが止まり、耳障りな音も止む。

気づかれたか?

いや、あの位置からならこちらは見えないはず。

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だが、ゆっくりと向けられた兄貴の目は、完全にこちらの居る場所をとらえていた。

そして、

にぃぃぃぃぃぃぃぃぃ

と、石に傷めつけられた血だらけの歯茎を見せて笑った。

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…………

ユリが旅立って、5年経つ。

未だ、兄貴の奇行は不定期に続いている。

墓地に向かい、墓を噛んで、家に帰るまで、呼びかけても、あの顔でにやっと笑いかけてくるだけ。なにも話さない。

そして次の日の朝になると、本人いわく、何も覚えていないらしい。

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一度だけ、兄貴に事情を説明してから、寝ている間動けないよう、ベッドに縛り付けたこともあった。

しかし、そうすると、あのニタニタ顔で、解かれようと暴れ狂った。

いらぬ怪我をされかねないのと、不気味でしかたなかったので、拘束は断念した。

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今は、夜に徘徊する兄貴が不審者だと思われないよう、噛む日は付き添うようにしている。

並んで歩けば、1人で歩くより幾分ましに見えるはずだから。

やがて、行為の最中に、誰かに見られないよう、監視もするようになった。

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医者も考えたが、「夜中に墓石を噛む」なんて馬鹿げた話、誰が信じる?

家があり、仕事があり、生活がある。

散歩にちょっと付き合うだけで全て上手くいくなら、容易いものだ。

何より、

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やっと、兄貴と二人きりの生活を手に入れたんだ。

男のくせに、大好きな兄貴を狂わせたユリは、もうこの世に居ない。

誰にも邪魔なんてさせない。

…これからは妹の私が、ずっとずっと、そばにいてあげるからね。

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兄貴の行為が終わった。

私の目の前に、忌まわしい次男の墓がある。

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『百合矢』

男のくせに女みたいな名前が、なよなよした身体が、何もかもが鬱陶しかった。

あんたなんかに、兄貴は渡さない。

その石くれになった姿で、ちょっとずつ削られ、風化して、消えちまえ。

侮蔑を投げつけ、家へと向かう兄貴に、私は腕を絡ませた。

Concrete
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