これは良く憩わせていただいている喫茶店の主人(といってもそこは一人で経営しているのですが)から聴かせていただいたお話です。怖いと言うより、何か不思議な話をだと思います、ご了承ください。
その小さな喫茶店は、玄関に入り、窓も何も付いていない木戸を開けなければ入れないような、ちょっと入るのに勇気のいるお店です。ギィーとその木戸を開けると、静かな鈴の音、狭い廊下、その奥から「いらっしゃい」と控えめな声が届きます。
客は主人の世界にお邪魔させていただく形で、板張りの急な階段を登り、客間のある二階に。畳の匂い、木の机、すりガラスの藍色の影、橙赤色のランプは大きな帽子を被り、室内は少し暗めです。古民家を思わせるその心安まる空間には、振り子時計が時を刻み、その静かな音は時間というものの豊かさを思い出させてくれます。
客は私一人、主人と少しお話します。
私がお店をとても気に入っていること、お店の出来た経緯、好きな詩や映画の話。そして、今まで体験した怖い話。
「怖い話ではありませんが、不思議に感じた話ならあります。」
主人はもともと広島の人で、紆余曲折を経てこの素敵な喫茶店を構えることになったが、父母が東京旅行を兼ねてこの店を訪ねてくれたのは去年のことであった。そして、それが生前の父がお店を訪ねる最後となってしまった。
東京散策中から父はお腹が少し痛い、食欲がないと言い、食べようとしない。せっかくの東京旅行だからと寄った浅草観音、参拝する父をさっと横目で見たとき、ぎょっとしたという。一瞬、父の顔がげっそりと見えたからだ。腹痛のこともあり、そのまま無理やり病院に連れて行くと膵臓癌。余命三ヶ月を宣告され、父はちょうど三ヶ月後に他界した。
心の整理もつかないまま喪主を務め、東京に帰っても悲しみを知ることができなかった。あまりにも突然だった。
しかし、ちょうどひと月が経つ頃、夢を見た。
夜中店を終え、お皿を洗っていると、木戸の鈴の音。あれ、お客さんかなと思い、玄関の方を見ると、父がスーツを着て立っていた。初めて見る父のスーツ姿だった。
「店終わったのか?」
そういうと、父は階段を登っていったという。
「今まで、父のスーツ姿なんて見たことが、なかった。そんな父がスーツで夢に出てくるというのは、僕が作った夢というよりは、やはり父が本当に訪ねてくれたんだと思う。」
私もそう思った。そんな話をしていると、階段の方からギィギィと音がする。
決して怖い音ではなく、私達は主人のお父さんがいてもおかしくないと思った。私は人の魂というものはあるのだなと深く思った。
作者ター坊