T県にあるI島には、「絶対に夜、海を見てはいけない日」がある。
これ自体はさほど珍しい伝承ではなく、日本全国に同じような風習がある。
その多くは、何らかの神事のためであるとか、夜に海に行って遭難することを戒めるため
などの理由である。
「海を見ると祟られる」などと言うことで、海への畏怖を忘れないようにする役目もあるようだ。
僕は、I島の伝承も、そんなよくあるものの一つと思っていた。
今思えばやめておけばよかったのだが、この伝承に興味を持った僕は、I島出身の友人と、その日に島を訪れた。
古くからその土地に住んでいる信心深い住民は、その日は朝から家の戸に
「がんじゃら みんぜよ」
と書かれた魔除けの札を張り、家に閉じこもっていた
「昔からこうだ。この日は店も開けないで家にいる。余程の用事がない限り、外出もしない」
と、友人。
「安息日みたいなものなのかもしれないな。働きすぎないように、とか」
僕は言った。
昼間ならいいだろうと、僕らはせっかく来たので、海に入ることにした。
I島の海はとてもきれいで、岸近くにも関わらず大小の魚が泳ぐ姿を間近に見ることができた。
ライフジャケットを着て、シュノーケルを楽しんでいた僕らは、海の美しさに魅了されていた。
午後4時も過ぎた頃、そろそろ夕方に差し掛かり、流石にまずいだろうという話になった。
僕自身は全く祟りだのは信じていないが、島で育った友人は、やはり何か落ち着かないらしい
帰りたそうにしていた。
さあ、帰ろうとして岸辺を見ると、思いもかけず沖まで来てしまっていた事に気づいた。
引き潮というわけではないはずなのに・・・
僕は少し慌てて、友人を促し、岸に向かって泳ぎ始めた。
日が徐々に傾いてくる。
バタ足をしたり、手で掻いたりするが、一向に岸に近づかない。
潮の流れがあるのかもしれない。
もしかして・・・
「なあ、あの伝承は、もしかしたら、今日のこの日、島から離れる海流が強くなるから、海に出るな、とか言う意味じゃないのか?」
僕は友人に尋ねた。
もしそうだとしたら、僕らは本当に遭難するかもしれない。
「いや、そんなわけない。そんな特別な潮が一日だけあるなんて聞いたことない」
そりゃそうだ。
杞憂だったのか・・・
しかし、岸は近づいてこない。
夕日が沈みだした。
いつの間にか時計は5時を回っていた。
僕はますます焦ってきた。
「があ・・・!」
友人が突然声を上げた。
ライフジャケットを着ているはずなのに、溺れるように手が宙を掻いている。
「おい!」
僕は友人の手をつかみ、引き上げようとしたが、ものすごい力で引っぱられているようで、顔を引き上げることすらできなかった。
それどころか、自分まで引き込まれそうになり、ガボっと海に顔を突っ込んでしまった。
潜った先に見たものは、一生忘れない。
友人の足に幾重にも絡みついた黒い手、崩れ落ちそうなほど腐った人の顔
何かが友人を悪意を持って引き込もうとしていた。
僕の意識はそこで途絶えていた。
目が覚めると、島の病院のベッドだった。
ライフジャケットのまま漂っているところを。
付近の漁師が助けてくれたようだった。
友人は行方不明。
死体すら上がらなかったらしい。
僕は見たことを言おうと思っていたが、信じてもらえないと思いやめた。
ところで、僕は一つ気になっていることがある。
島の人々が扉に貼っていた札
「がんじゃら みんぜよ」
は島の言葉で
「ガンジらを見てない」
という意味だそうだ。
『見ていない』
伝承にはこうあった。
「夜、海を見てはいけない」
「行ってはいけない」
ではないのだ。
ガンジとはなんだろう
もし、ガンジが「あれ」なら、僕は「見て」しまっている。
もう、怖くて海に入ることはできない・・・
作者かがり いずみ
海の伝承です。
海を見てはいけない日というのは本当にあちこちにあるようです。
その日に海を見ると、何が起こるのでしょうね・・・