昔住んでいた地域のY線は、通勤時間帯には、非常な混雑をする電車だった。
当時、高校生だった僕は毎朝7時30分にはこの電車に乗って学校に通っていた。大規模なターミナル駅の次の駅が最寄りだったことから、この時間帯に座れることは殆どなかった。
しかし、その日は運よく、目の前の席が空いた。
夏休み明け、2学期も始まったところだったが、まだまだ暑い。立っているのは嫌な季節だった。
ラッキーと思い、その席に座る。隣は白い長袖のワイシャツを着た中年の会社員風の男性だった。高校がある駅までは、ほんの三駅であったが、楽ができることに僕は喜んでいた。
「君、高校生?」
突然、何の前触れもなく隣の男が話しかけてくる。
「え、はい」
僕は答えながら、『これはヤバイ席に座ったのかも』と思った。
普通、この電車のこの混みよう中、見ず知らずの隣の席の人に話しかける人はいない。いるとすれば、それはどこかおかしい人だ。
男性は、40代後半か50代前半くらい。禿げているというと怒られるだろうが、頭髪は相当薄くなっている。右の頬にちょっと目立つほくろがあった。
見た目はそんなにおかしくない。どこにでもいそうなサラリーマン風だ。
最初の質問から特に話が続くわけではなかった。男は、こちらを見ることもなく、じっと前を見ている。
立ち上がるのも何だし、僕は早く自分が降りる駅にならないかなと思っていた。あと、二駅だった。
最後の一駅。次で降りるところだった。
良かった、あれ以上話しかけられなかった。
ところが、
もうすぐ駅に着くというところで、男が口を開いた。
「さようなら。」
どきりとした。駅に着くと、僕は男の方を振り返らずに一目散に扉から外に出た。
ーなんだよ、あいつ
電車のドアが閉まる。今自分が座っていた席が見える。そこは2つ空いていて、前に立っていた人が座ろうとしていた。
ー2つ?
あの男も同じ駅で降りたのだろうか?
僕はあたりを見回す。僕が降りる駅はそんなに多くの人が降りる駅ではなかったので、目に映る範囲でおそらく降りた人全員だ。
あの男はいなかった。
おかしなことがあるなと思いながら学校に向かう。
本当に驚いたのはその日の夕方だった。
僕は、その頃運動部に属していて、帰りは体力錬成のために家まで走って帰っていた。都会の電車なので、電車で三駅とは言え、走っても45分位でつくのであった。
走っていると、途中でパトカーが2台、それと救急車が1台、止まっているところに出くわした。人だかりができている。
物見遊山で人混みに混じってみていると、周囲の野次馬の話が耳に飛び込んできた。
「なんか、一人で死んでいたらしい」「変死だって」
「原因は?」「わからないらしいよ」
「一人暮らし?」「そうみたい。会社に来なかったからって、夕方に上司が来て、たまたま発見されたって」
「いつ死んだの?」「今朝早くらしい」
「病気?」「さあ?」
「あ、運び出されてきた」
ーマジか、今から運び出されるのか?
人の死体なんて初めて見る。僕は好奇心から、野次馬をかき分けて、前に行っていた。
救急隊が担架で人を運び出している。白い布がかけられているので、直接見ることはできない。
ーなんだ
と思った瞬間、布が何かの拍子にずり落ちて、死人の顔が見えた。
そこで僕は凍りついた。
今朝の人だ。
右の頬の特徴的なほくろ。間違いなかった。
「さよなら」と言った男だった。
しかし、先程の野次馬の話だと、死んだのは、早朝。僕が会えるはずがない。
だったら、あれは何だったのだろうか。
作者かがり いずみ
あなたの隣りに座っている人が
本当に生きている人とは限りません。
明るいところにも、怪異が潜んでいるのかもしれません。
見知らぬ人が行き交う都会なら、なおさらです。