悪いことは重なるもので、恋人と別れた一週間後に、勤めていた会社が潰れた。
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公私ともに虚しくなった私は、ある朝小さなボストンバッグひとつさげ
甲府行き特急かいじ一〇九号に乗りこんだ。
自分が生まれ育った、山梨の実家へ帰るためだ。
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季節はもう秋めいて、駅へ降り立つと肌寒さで身がちぢんだ。
それでも空はよく晴れわたり、遠く見はるかす山々の稜線がくっきりと青く波うっていた。
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家には老いた両親が暮らしている。
「ただいま」と言って玄関をくぐると、母はエプロンで手を拭きながら
まるで修学旅行から帰った娘でも迎えるように「おかえり」と微笑んだ。
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父は縁側で盆栽にハサミを入れていた。
「お父さん、わたし帰ってきちゃった」と言うと
こちらに背を向けたまま「そうか……」とだけつぶやいた。
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それからの数日、私は父の庭いじりを手伝ったり、飼い犬を散歩させたりして過ごした。
夜になれば、懐かしい母の手料理が待っている。
久しぶりにのどかで平穏なときを過ごし、満ち足りた気分でいた。
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ところが六日目の朝になって、母がぽつりと言った。
「あんた、そろそろ帰りなさい」
しかめっ面で朝刊をひろげていた父も、無言でうなずいた。
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私はなんだか腹立たしくなり、当てつけのようにボストンバッグへ荷物を詰めはじめた。
外では木枯らしが吹いている。
またあのなかへ戻るのかと思うとうんざりしたが
「元気でやるんだよ」という母の声に送られて家を出た……。
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気がつくと枯葉のうえに横たわっていた。
頭がぼんやりしている。
ゆっくりと身を起こし、周囲を見まわした。
足もとにはボストンバッグと、そして空になった薬ビン――。
体はすっかり冷え切っていたが、なんとか立ち上がりコートに付いた土を払った。
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ごめんね、ありがとう。
私は、両親の墓に向かいそっと手を合わせた。
作者薔薇の葬列
掌編怪談集「なめこ太郎」その十七。