小学校5年生の夏休みだった。
お昼は過ぎたが、夕暮れまでにはまだ時間がある午後だったように記憶している。
家族が六畳の間と呼んでいた、ピアノが置いてある部屋で、その日、私は小学校2年生の弟にピアノを教えていた。
つたない指使いでピアノを弾く弟から目を離し、何気なく窓から外を見た。
道路を渡ったところにある小高い丘に、ひとむらの竹林が見えた。
竹林を過ぎたところには、墓石ではなく十字架が立っている墓地がある。だが、私の家からは竹林に遮られ、そこまでは見えない。
竹林自体もうっそうとしていて暗く、中まで見えることはない。
つと、竹林の中に赤い光が見えた。
あれ?とそこに私の目が向く。
赤い光はゆらゆらと揺れながら、少しずつ竹林の外に出てきている。
私の意識はピアノよりそこに向いていく。
私から竹林まで100メートルも離れていなかったと思う。
ゆらゆらと揺れる火は竹林の中から少しずつ外に向かって移動してきている。上に下に左右にと揺れながら。
誰か、大人の人が松明を持っているのかと思った。
松明を持って竹林の中を誰かが歩いてきているのかと思った。
火の玉の大きさが、ちょうど、薪の先に火をつけたらこのくらいの大きさになるだろうというように思えたからだ。
だが、その火の周りには人の姿はない。
なんだろうと、私はさらにその火を見る。
ゆらゆらと揺れる火は竹林の出口に来ると、ちょうど大人の腰くらいの高さにとどまり、そこで揺れている。
すると、もう一つ、竹林の中から火が揺れながら出てきた。
二つ、そのあと、三つ目と。
全部で五つ六つくらいは出ただろうか。
それらの火の玉は竹林の終わりのところで円を描くようにしてゆらゆらと揺れている。
まるでそこから、町を見渡しているかのように。
私はその火の玉の群れにじーっと見入っている。
いつの間にか、弟もピアノを止めている。
日差しはまだ強く開けた窓からは風も入ってこない。
ノースリーブの袖から出てる腕にはうっすらと汗がにじんでいる。後になって気づいたが肩から腕にかけて何か所か蚊に刺されていた。
毎年変わりのない夏の日の午後、明るい陽射しと鈍い暑さ。
だが、向こう側に見える竹林に、火の玉が群れになって揺れている。
どのくらい揺れていたのか。
ゆらゆらと揺れていた火の玉は、しばらくすると、また、一つずつ竹林の奥へと姿を消していった。
一つずつ一つずつ、意思を持っているかのように、ゆらゆらと揺れながら向きを変え、竹林の奥へと消えていき、最後の一つが、名残を惜しむようにゆるく円を描き竹林へ消えていった。
私が怖気を感じたのはその後だった。
弟に、あなたも見たかとは訊けなかった。なぜか、口にだしてはいけないような気がした。
翌年、父の仕事の都合で県内の他の市へ引っ越すことになった。
火の玉は、死体の中のリンという成分が燃えて出てくる現象だと、その後本で読んだ。
では、あの時の火の玉もリンが燃えてただ、浮いてきただけなのか。
いや、あの時の火の玉の群れは、明らかに意思を持って揺れていたように思う。
生前住んでいた町を名残惜しむかのように、揺れていたように思う。
あれは火の玉ではなく、誰かの魂の炎にしか、今でも思えない。
作者anemone