これは、私がとある人(Aさんとします)から聞いた話です。
Aさんはある日、友人のBさんから妙な相談を持ちかけられたそうです。
Bさんのお兄さんはある難病にかかっていました。その病気は脳が次第に萎縮し、最後には脳死に至ってしまうというものだったのです。
Bさんのお兄さんはもともと活発な人で、病気がわかった当初は、できるだけ残された時間を有意義に使うんだと言って、方々を旅したり、スカイダイビングをしたり、資格試験の勉強をしたりと忙しくしていました。そういう姿を見ていると、本当に病気なのだろうかと訝しく思うくらいだったそうです。
しかし、やはり病魔は着々とお兄さんの体を侵しており、次第に手や足の自由が聞かなくなったり、呼吸が難しくなるようになってきたそうです。
そして、余命があと1年ほどだと医師に宣告された頃には病院のベッドからほとんど出ることができないくらいになった、ということでした。
それでも、お兄さんは本を読んだり、映画を見たりと、ベッドの上でできる、可能な限りの活動をし続けました。Bさんはそんな兄の姿を見て、感心し、誇りに思ったそうです。
しかし、そんなことも長く続きませんでした。起き上がることはもちろん、意識がある時間そのものが短くなってきたのです。そこで、お兄さんは、Bさんにボイスレコーダーを持ってこさせました。そして、意識がある間、日記のように、自分が思ったこと、考えていることなどを吹き込むようになったのです。
今日の日付と時間を言い、その後にその時思ったことを自由に吹き込む。
息も絶え絶えになりながらも、お兄さんは、ほとんど身動きが取れなくなるまで続けたそうです。
そして、最後の日が来ました。
お兄さんの意識は完全に戻らなくなり、3日が過ぎました。
医師は様々な検査の末、「脳死」と判定したのです。それは、3月2日のことでした。
とうとう、長い闘病が終わった、家族は悲しくもありましたが、どこかほっとしたところもあったそうです。そして、お兄さんの体は、生前の故人の意思で使える臓器は全て移植用として提供されることになりました。そんな風に社会に貢献しようとしたところも、兄らしい、そうBさんは思ったそうです。
手術が終わり、心臓の他、全ての臓器が摘出され、Bさんは「ああ、これで、本当に兄貴は死んだんだ」と思いました。
葬儀が済んで、両親とお兄さんの遺品を整理していたBさんは、ふと、あのボイスレコーダーの音声を聞いてみようと思いました。パソコンに取り込み、一番古いものからいくつか聞いてみていました。懐かしい兄の声がします。
しかし妙なことに気がつきました。一番最後の録音の日付が、お兄さんが意識を失って脳死を宣告されたその日になっているのです。
「どういうことだと思う?」
BさんはAさんに尋ねました。まだ、Bさん自身もその音声を聴いていないそうです。
「何も録音されていないか、ただのノイズじゃないか?」
Aさんは言いました。しかし、Bさんは嫌な予感がする、と言ってAさんに、一緒に聞いて欲しいと言いました。
そこで、二人でその音声を聞いてみることになったのです。
ガガ・・・ガ・・・
『3月2日・・・』
「兄の声だ・・・」
Bさんは息を呑みました。かすれていて、ノイズも多いですが、確かに人の声が録音されています。
ガガガ・・・
『なん・・だ・・暗い、真っ暗だ・・』
ジジ・・ジ
『何を言っているんだ?
おい、B
ど・・こに・・・ ジジジ・・・ガガ・・いる?』
『や、・・まだ、・・まだだ・・・
オレ・・・生きて・・・・』
『おい、やめ、ヤメロ、
やめろ・・・
やめろ』
ガー・・・ビビ・・ジー
「なんだ、これ・・・」
Bさんは顔面が蒼白になっていました。Aさんも冷や汗が出てきています。
『や、やめろ、おい!
何・・・を言ってるんだ、』
ジジ・・ガ・・
『まだ、・・・まだオレは死んでない!』
『だ、誰か・・・』
ガガガ・・・
『た、たす・・・け・・て』
ビー!
最後にけたたましいブザー音が鳴り響き、音声はそこで途切れていた。
「これって・・・」
Bさんは泣きそうな顔になっていた。Aさんも足が震えるのが止まらない。
この音声が本当に3月2日のBの兄の声だとしたら、
脳死と判定されたBの兄の声
いや、本当は生きていたのに、内臓を摘出されてしまった人の声
ということになるのだから。
作者かがり いずみ
目も見えず、声も出せず、体も動かせないのに意識だけある。
そんなときにメスが体に入ってきたら・・・
そう思うと、Bさんのお兄さんが気の毒でなりません。