俺は仕事で土木をやっていて、最近ある排水トンネルを調査したんだ。
川に水を吐き出してるんだが、吐き出し口から入って300mくらいのところに鉄柵があるんで、そこの状況を収めてこいっていう内容。
川は長靴で歩けるくらいの浅さで、トンネルからの水量もほとんどなく普通に徒歩で入れる。
ライト付きのメットを装備して、デジカメを手に俺は一人狭いトンネルの奥へ。
それにしてもこういう暗闇での300mってのは思ったより長く感じる。圧迫感のせいだろう。
もう少しで現場かなって頃、なんか奥の方から人の声みたいなのが響いてくるのが聞こえた。
反響がひどくてよくわからんのだけど、どうも女性の笑い声のような。
気のせいだとしても気持ち悪いから、さっさと写真撮って帰ろうと足早に進むんだけど、なんだか行けども行けどもなかなか鉄柵が見えてこない。
口頭で確かに300mって言われたし、資料にも絶対にそう書いてあったし、間違いはないはずなんだが。
そのうち、ある異変に気付いた。
暗闇の奥から流れてくる水の色が妙に赤茶けていて、しかも何か浮いている。
よく見るとどろどろとした肉片のような異物。大量の髪の毛のようなものも混ざっている。
背筋がゾッとした。
しかしこれは報告義務があるだろうと思ったから、カメラにもしっかり収めた。
そもそもここは山からの湧き水を逃がすための排水トンネルであって、こんなものが混じることはないはず。
そういえば笑い声もだんだん近づいているような。
そのままさらに奥へ。
するとようやく件の鉄柵が見えてきたが、さっきから息継ぎもせずケタケタと笑い続ける謎の声もそのあたりから聞こえている。
かなりヤバい雰囲気。しかし仕事だからやるしかない。
鉄柵に到着。
異物はそのさらに奥から流れてきている。
笑い声はまさに鉄柵のすぐ向こうから聞こえるんだが、照らしてみても誰もいない。
さすがにこれは何か写っちゃうかもしれないと思いながら、とにかくその現場写真を大量に撮影。
そしてすぐに踵を返す。
ここでまた異変に気付く。
笑い声が全然遠のかない。
歩いても歩いてもずっとすぐ後ろから聞こえる。
さすがに気持ち悪くて振り返ると、かなり歩いたはずなのにまだ目の前に鉄柵があるんだよ。
これは完全にヤバい!でも狭すぎてとても走れない。とにかく出口を目指して急ぎ足。
憑いてくる、明らかに憑いてくる。
作業服はもう汗でびしゃびしゃ。
もう振り返ったらまずいと思っているはずなのに、ついまた振り返ってしまう。すると……
鉄柵から頭だけ出してガクガクと笑う異形の女。いやその柵、頭なんか通らねぇよ!
もう無理。俺は涙目で一目散に出口に向かう。
やがて笑い声が遠のく。
気付いたら足元の水も普通の水に戻っている。
ほっとしていったん呼吸を整える。
ふと振り返ると、また目の前に鉄柵がある。
俺はその場にへたり込んだ。
だがもう不気味な怪現象は何もない。
ただ静かに普通の水がちょろちょろと流れているだけ。
念のためにもう数枚だけそのあたりの写真を収め、俺は現場を後にした。
事務所に戻って俺はその日の出来事を興奮気味に上司に報告した。
たまたま請け負っただけの仕事だから、そこが「出るらしい」現場だなんてことは誰も知らない。
とにかく俺と一緒に、上司にも現場写真を見てもらう。
しかしそこに入っていたデータは最後に撮った数枚だけ。
そう、怪現象が収まった後に撮った写真しかなかったんだ。
とりあえず仕事は何となかったけど、過去にあの場所にまつわる事件みたいなものがなかったか調べてみた。
出てきた記事は今からちょうど三年前の出来事。どうやらあの辺りで女子高生が一人行方不明になったそうだ。
しかし捜査の甲斐なくとうとうその一年後、あの排水トンネルの中で白骨遺体となって発見されたらしい。
あのトンネルは今回の調査対象だった吐き出し口から300mのところの鉄柵の他に、その奥にもう一つ鉄柵がある構造。
遺体はその鉄柵と鉄柵の間から見つかったそうだ。
なぜそんなところに閉じ込められたのか。遺書もなく自殺なのか他殺なのかもわからない。
誘拐などの痕跡はなく、また学校もいじめの事実を認めなかったということで、その真相はとうとう分からずじまいだったそうだ。
図らずも瞼の裏に焼き付いてしまったあの異形の笑い顔。そういえばどこか悲しみを訴えているようにも見えた。
あんな狭い暗闇でずっと一人……あれだけの怨霊となるに十分すぎる無念だったことだろう。
俺は静かに黙とうし、その日の仕事終わりにお祓いした。
そして除霊師と上司の許可のもと、翌日またあの排水トンネルの吐き出し口まで出向き、そっと線香と花束を手向けたのだった。
ちなみにそれ以降のそのトンネルの仕事は、他の会社に投げたそうだ。
作者退会会員