昨夜、俺はあまりの残酷な光景でその日はなかなか寝付けなかった。
そして、目覚めたら正午をまわっていた。
まだ少し、心臓の鼓動がドクドクと高鳴っている。
俺は下へ降りた。
すると、「あっ、沢辺さん、おはようございます!ってもうお昼まわってますよ!」と彼女(夜川さん)はまるで、昨夜の出来事がなかったかのような笑顔で挨拶を交わす。
「おはようございます......。」
俺は昨夜の悲劇をまだ引きずっていたので、どんよりとした挨拶になってしまう。
「お昼は、朝作ったものを食べてもらいますからね!」と彼女はテーブルに食事を並べ始める。
正直あまり食欲がないが、俺は仕方なく食卓へ向かい椅子に腰かけた。
「いただきます。」と彼女とテーブルを挟んで食事を行う。
「あ....あの.......」彼女から切り出しそうになかったので、俺は一応確認する。
すると彼女は俺の挙動を察し、「......磯部さんですか?」と自ら訊いてきた。
「はい......磯部アリスは......どうなりましたか......?」
「はい。今朝早くに回収されました。その後は私もわかりません。」と彼女は箸をすすめながら、もう慣れています。と言わんばかりに淡々と口にした。
「そうですか.......。」俺もその後の事は出来るだけ考えたくないので、この話はここで終わりにした。
「でも、沢辺さんこの村に来てから変わりましたね!」彼女は相変わらずの笑顔でそう語りかける。
「変わり.....ましたかね.......?」
「はい!この村に来た時はこの世の終わりみたいな顔してましたよ!でも今の沢辺さんからは、なにか生きる希望みたいなものを感じます!」と彼女は豪語する。おそらく暗然とする俺に気遣って励ましているつもりなのであろう。俺は一応「ありがとうございます。」と言った。彼女のちょっとした優しさで少し心が和らいだ気がした。
そして俺はここで、ずっと気になっていた事を訊いてみた。
「そういえば、夜川さんって何でここで働いてるんですか?」
すると彼女は「それは...........秘密です!」と人差し指を唇にあて、出来損ないのウインクを披露した。
それがあまりに可笑しくて思わず吹き出してしまった。
「ちょっと......なに笑ってるんですか!」と彼女は肩を少し怒らせながら言った。
少し穏やかな気持ちに戻り、食事を終えた。
本当は彼女の自室にあった白い日記のことも気になっていたが、勝手に詮索した事がバレるのであえて口にせず、俺はいつものように村の掃除に入る。客室も手伝うことがあったが、俺が入る前に、あの惨劇が何事もなかったかのように元通りになっていた。
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そして数日が経った。
あれから志願者の応募は来てない。まぁこの期間で俺を含め、3人の志願者がこの村に訪れたのだ。俺はこのまま何事もなく、この仕事を終えるだろうと予測していた。
しかし、「沢辺さ~ん!」と彼女が自室の窓から顔を覗かせている。
俺は内心「ドキッ!」とした。もうあんな悲劇はこりごりだからだ。
しかし俺の願望とは裏腹に「志願者です!」と彼女が口にする。
俺の中の世界が「グニャ!」と歪み、眩暈がしてきた。
彼女の部屋に上がり、エントリーシートを確認する。まだ彼女も見てない様子だった。
志願者情報の欄をクリックする。
Jack The Ripper(?)男
電話番号 ×××××××××@××××××××........
「ジャック・ザ・リッパー.......?」俺は自然と声が出た。
ジャック・ザ・リッパーは、もう100年以上前にイギリス(ロンドン)でその名を轟かせた連続殺人犯。売春婦を中心に少なくても5人は殺害し、行方を晦まし今も、その犯人は明かされていないという。日本名(切り裂きジャック)
完全にふざけている。遊び心で応募しただけだろう。と俺は心の中で思った。証拠に電話番号の記載はなく、メールアドレスしか載せていない。
だが、彼女の方に視線をやると、なにやら表情が強張っている。
「夜川さん.......?」
すると彼女は「もしかしたら、『村荒らし』かもしれませんね.....。」
「村荒らし......?」
「はい。たまにですが、こうして偽名を使って村へ訪れ、残虐行為をする人もいるんですよ。今回はそれに当てはまるかわかりませんが......。」と彼女は語った。
俺は背筋が凍った。確かにそういった愉快犯にとっては絶好の場所だと言える。俺は「だったら、こんな志願者は無視するに限りますね。」と言った。
すると彼女は表情を顰め、「ところが、そういうわけにはいかないんですよ......この村の決まりで、どんな理由であろうとこちらから拒むことは許されないんですよ。」と言った。
「そんな......あっ、でも電話番号が記載されてないですよね。この場合は......」
「はい。しかし、メールアドレスの記載があります。この場合そこにこちらの住所と志願日と伺う形になります。」
「でもそれってかなり危険なんじゃ......」
「はい。ですので、怪しい人物だと判明すれば、当日は組織の人間が立ち合いのもとで実行を行います。もし志願日を伝えずにいきなり押し寄せられても、この村には複数の監視カメラがありますので、すぐに人が駆けつける仕組みになってます。まぁ人が来るまで少し時間が掛かるので危険な事には変わりありませんが......。」と彼女は語った。
俺は不安な気持ちもあったが、「で、でも、今の所は目的もわからないですし、やっぱりただの悪戯の可能性だって......」
「そうですね。とりあえずこのメールアドレスに連絡を入れてみましょう。」と彼女は記載されたメールアドレスに村の住所と志願日を訪ねる文章を打ち始めた。
しかし俺は正直今、この人物の怪しさより、彼女が度々口にするその『組織』の方が危ないんじゃないのかと考える。まずこの村の監視カメラも初耳だったし、そして立ち合いって事はその組織の人間と顔を合わせなければならない。しかも、村の決まりとは一体誰に決定権があるのか。どうやら彼女もその『組織』には逆らえない様子だった。俺は今更、ここで働いてる事で身の危険を感じ、身震いした。
「沢辺さん、どうしましたか?」と考え事をしてた時にいきなり話掛けられて思わず「わっ!」と声が出た。
「大丈夫ですか?」と彼女はくすくすと笑ってる。
「だ、大丈夫です。」と、慌てて平然を装った。そうか、彼女が時折見せるその無邪気な表情がゆえに俺の感覚は麻痺していたのだ。まさかここへ死にに来た自分が身の危険を心配することになるとは........。と少し自嘲した。
しばらくして、「メール送信しました。後はとりあえず待つだけです。また返事が来たら報告しますね。」と彼女は自室の掃除を再開し、俺も村の掃除に戻った。
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それから数日が経った。まだジャックと名乗る者からの返事は来ていない。俺は村の掃除を終え、夕食時に大部屋の窓からぼんやりと村の風景を眺めていた。昼の喧しい蝉の声は消え、心地よい夜風が窓をしならせる。
すると、なにやらバイクの音が聞こえ、村の入口付近に人影が視えた。
俺の心臓が高鳴った。
しかし、人影はすぐに消えてバイクの音は遠のいてゆく。
俺は食事の支度をしている彼女に喋りかけた「夜川さん、今誰か来てましたよ。」
「志願者ですか?」と彼女は訊いてきた。
「わかりません、でもすぐ居なくなりました。」
すると彼女は「ちょっと見てきますね。」とそそくさと部屋を出て行こうとする。
「あっ、僕も行きます。」と女性一人では少し心配だったので俺は彼女についていった。
村の入口に着き、辺りを見渡した。「誰も居ませんね~」と彼女が言う。
「はい。バイクで来てたみたいで、しばらくしてすぐにどっか行ったみたいです。」
「バイク....?....あっ!」と彼女は何かに気付いたような仕草を取り、入口付近にある郵便受けを覗かせた。「これですね。」と一通の封筒を取り出した。
どうやらさっきの人物は配達員だったようだ。俺は少し安堵した。
「手紙ですか?」と俺は訊いた。
すると彼女は「はい。差出人は不明になってますけど。」と答えた。
悪寒が走った。俺は「部屋で中を見てみましょう!」と彼女に言った。
大部屋に戻り手紙を確認する。白い封筒でこの村の住所は書かれてあるがそれ以外に記載はない。俺は「これって........」
「志願者からかもしれませんね。」彼女は俺が言い出す前に口にした。
やはり彼女も同じ事を考えてたようだ。志願者にこの村の住所をメールで送信していたので、タイミング的にもそう考えざる負えないだろう。
彼女は「中、確認しますね。」と言い、封筒を開封した。
中からは、折り畳まれた薄いピンク色の紙と一凛の花が同封されていた。
彼女はその花を手に取った瞬間、「痛っ!」と声を上げ、花を床に落とした。彼女の指からは血が滴り落ちていた。
俺は彼女に「大丈夫ですか!?」と声掛けた。
「大丈夫です。なんか指切っちゃったみたです。」とハンカチで指を抑えている。
そして、床に落としたその花を確認する。
なにやらプラスチックの薔薇のようなデザインで先端が鋭利な作りになっていた。この送り主はかなり挑発的なようだ。
彼女は「じゃあ手紙、確認しますね。」と言い、俺も顔を覗かせる。顔を寄せると手紙からはほんのりと香水の香りが漂ってくる、手紙に直接ふりかけたようだ。
そして手紙にはこう綴られていた。
「
“親愛なるボスへ”
正直驚いたよ、まさか本当にメールの返信が来ると思ってなかった。
早速だが、何故私が志願を申し込んだのか理由を説明するよ。
私はもう既に5人の女性を殺害した。
だが、全て売春婦だ。私は女性が好きだが、売春婦は嫌いだ。
死体は今、人々の目に届かない場所へ隠してある。
私は罪を償いたい。それで今回志願させてもらった。
だが、まだ全てではない。続きをまた手紙で送るよ。
Jack The Ripper
」
「なんだこれは......」と俺は思わず口に出す。
遥か昔の殺人犯と自分を重ね、完全に自分に酔いしれている。内容の真偽は不明だが、もし既に5人殺害したとして、その罪を安楽死で終えるなど、ただの自己満足でしかない。そんなことで本当に罪を償えると思っているのか。なんと自己中心的な男なのだ。と俺は拳を強く握り締め、身震いさせてそう思った。しかも「まだ全てではない」とはどういう意味なんだ?まだ余罪があるということなのか?「続き」ということはまた手紙を送るつもりなのだろうが、なぜ分けて送る必要があるのか。と俺は正体が視えないこの不気味な志願者を必死に思考する。
ふと彼女の方に視線をやると、さすがの彼女も少し困惑した表情を浮かべていた。
そして彼女は「とりあえず、あのメールアドレスにもう一度連絡を入れて、現在の行方不明者を調べます。志願を拒むことは出来ませんが、もしかしたら行方不明者から犯人を割り出せるかもしれません。」
なるほど、その「調べる」は例の組織にも協力を要望するつもりなのだろうか。
俺はとりあえず「わかりました。」と答えた。
そして緊迫した空気の中、夕食を食べ終え俺は自室へ戻った。
志願者の情報収集は彼女に任せているが、俺も何か出来ることはないかと少し悶々としていた。そして、役に立つかわからないが、俺は『ジャック・ザ・リッパー』のことを調べようと考えた。
有名な殺人犯なので俺もそこまで無知ではないが、深くまでは知らないので試しにスマホで検索を掛けた。
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『Jack The Ripper(切り裂きジャック)』
1888年から約2ヶ月間、ロンドンのイーストエンド・オブ・ロンドン、ホワイトチャペルで売春婦5人を殺害。
8月31日 メアリー・アン・ニコルズ
9月8日アニー・チャップマン
9月30日エリザベス・ストライド、キャサリン・エドウズ
11月9日 メアリー・ジェーン・ケリー
遺体はいずれもバラバラに切り裂かれ、特定の臓器の摘出がされており、解剖学的知識があるとされ、ジャックの職業は医師だという説が有力視されている。犯人の候補は上がっているものの、今現在も真相は不明である。1888年9月27日、切り裂きジャックを名乗る手紙が、新聞社セントラル・ニューズ・エイジェンシーに届いた。9月25日付けの消印が押された "Dear Boss" (親愛なるボスへ)の書き出しで始まるこの手紙の内容は、切り裂きジャックは売春婦を毛嫌いしており、警察には決して捕まらない、犯行はまだまだ続くと予告する挑発的なものであった。(Wikipedia参考)
この情報と今回の志願者はやや異なる点はあるが、大まかな内容としては一致してる。完全になりきっている。5人殺害したと言っていたが、この情報のように惨い殺し方を行ったのだろうか。いや、本当に殺害したとはまだ断定できていない。とりあえず彼女の情報収集と次の志願者からの連絡を待つことにしよう。
そして数日後、また手紙が届いた。
俺と彼女は封筒を確認する。今回は手紙となにか黒い小さなビニール袋が同封されていた。まず、手紙から確認してみる事にした。またほんのりと香水の香りが漂う。
「
“親愛なるボスへ”
私の『美』は崩壊した。
殺害は5人までと決めていたが、衝動が抑えられない。
あのもがき苦しむ彼女達の慟哭が私の心を震わせる。
ああ.......私はなんと醜いんだ。なんと愚かなのか。
そして決断した。自分を抑えるため.......。
Jack The Ripper
」
「気持ちが悪い。」俺は率直にそう思った。書き出しの“親愛なるボスへ”を真似ているのもそうだが、全体的に何をこちらに伝えたいのか理解が出来ない。そして『美』とは何だ?なんと身勝手で独創的な考えなんだ。こちらにその『美』とやらを一方的に押し付けているようにしか見えない。と俺は理解に苦しんだ。
そして、同封されていた黒いビニール袋を手に取る。先端はゴムでキツく縛られている。ゴムを外し、中を確認した。
その瞬間、俺は「わっ!」と悲鳴を上げた。
中にはなんと、何者かの指と思しき物が入っていた。作り物ではない、それは人間の皮膚そのものだった。若干黒く腐敗され、異臭が漂う。切られてから少し時間が経っているようだった。形から推測するに人差し指だった。俺はそのあまりにリアルな光景に嗚咽が止まらない。
そして、彼女は「これが人差し指だった場合、もしかしら志願者は「自分を抑えるため」と記載されていることから、犯行は拳銃を使用していたかもしれませんね。」と多少顔を強張らせて言った。
「じゃあ.......これは志願者の指ってことですか.......。」
「あくまで予想ですが。」
よくこんなにも冷静に分析出来るな。俺は完全に恐怖に支配されていた。
すると彼女は「沢辺さん.......もうここからは私一人でやります。明日、村を出る準備をして下さい。」と真剣な表情を浮かばせ、そう言った。
正直迷った。まさかここまでの事態になるとは想定していなかったからだ。
俺は何も言えず、静寂とした空気の中彼女は続けた。
「こちらでも行方不明者を調べた所、数人行方不明になってはいましたが、日時も場所もバラバラで志願者の犯行と断定するのは難しいです。それに行方不明者は5人以上居るので志願者と結びつけるのは無理があります。そして志願者のメールアドレスも変更されてましたのでこちらから連絡することはもう出来ません。」
「..............」
俺はしばらく黙り込み、考えた。
確かにここで身を引けば俺の安全は確保される。俺はもちろん、帰りたい気持ちはある。もう怖くて仕方がないのだ.......だが、彼女は.......組織の人間が立ち合いの元、行うと言っていたが、もし連絡なしに突然訪れでもしたら.......。俺は自分の中で葛藤した。
そして重い口を開けた。
「僕も同行します!」
俺は彼女に命を救われた。暗い闇の中をただ茫然と歩き続けていた俺に光をくれた。その恩を少しでも返したい。俺に出来ることは限られているかもしれない。だが、それでも俺はここに残る選択をした。
「でも.......」と彼女は困惑した表情を浮かべる。
「お願いします!」と俺は声を上げて言った。
その勢いに圧倒されたのか彼女は間を空けて「......わかりました......でも......覚悟して下さいね。」と承諾してくれた。
俺は「はい。もちろんです。」と答えた。
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数日が経ち、8月ももう終わりを迎えようとしていた。志願者からの手紙はまだない。もしかすると、気が変わったのではないかと憶測もしていた。
しかし今日、手紙が届いた。
俺は息を呑んだ。
彼女が封筒を確認する。
今回は手紙のみだった。香水の香りをほんのり漂わせた薄いピンクの紙にはこう綴られていた。
「
“親愛なるボスへ”
私は愚か者だ。
指を失っても尚、自分の衝動が抑えられない。
私は女性の恐怖した肉声を、
その美しい音色をもう一度奏でたいがあまり、
また罪を重ねてしまった。
売春婦ではなかったが、
私はあまりに美しい肉声を放つ、その女性に我を忘れ、崩壊寸前だった。
そしてあろうことか、途中で逃げられてしまった。
もう私が捕まるのは時間の問題だ。例の売春婦の遺体は開放する。
どうかこんな醜い私を裁いてくれ。
8月31日午前0時30分にそちらに伺う。
Jack The Ripper
」
「.........」
ついに実行日が指定された。今日が8月29日なのでもう時間がない。俺にとって最後の志願者。恐怖する気持ちはあったが、俺は覚悟を決めて身を引き締めた。
8月31日午前0時30分。奇しくも最初の犠牲者、メアリー・アン・ニコルズの遺体が発見された日時と同じである。
続く
作者ゲル
5話目になります。 もうちょっと続きます!
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