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金色のちひさき鳥のかたちして〈『話』シリーズ・外伝〉

長編8
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金色のちひさき鳥のかたちして〈『話』シリーズ・外伝〉

私は幼い頃から勘が鋭いというのか、感受性が高いというのか、時折不思議なものを見ることがあった。

具体的には、夕方電柱のてっぺんに佇む人影や、空を飛ぶトカゲのようなもの、すれ違う人の背中にしがみつく黒い影など。

それらはとても恐ろしいもので、目にするたびに私は顔を背け、見えないふりをしてやり過ごしていた。

そんな私、菖蒲香奈子(しょうぶかなこ)には、高校に入ってから怖いものが二つある。

一つは校舎の裏に立つ大きな木、通称「飛び降り銀杏」。

もう一つは、クラスメイトの坂本伊織(さかもといおり)という男子生徒だ。

・・・・・

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飛び降り銀杏には、その名の通りのいわくがあった。

なんでも数十年前、恋人に振られた女性教師が屋上から飛び降りたのだそうだ。彼女が着地したのが、裏庭の銀杏の根元だった。銀杏は返り血を浴び、彼女の無念に呪われてしまった。その証拠に、黄葉の季節になってもこの銀杏だけは、黄色ではなく赤く染まった葉を散らすのだそうだ。

よくある学校の怪談だが、昔この学校で飛び降り自殺があったことと、銀杏の黄葉が普通とは違うことは確かだった。といっても、葉は赤いというよりは茶褐色で、生物教師によれば裏庭の環境が良くないことが原因だそうだ。

でも、私は知っている。この飛び降り銀杏の根元には、今でも時々誰かが落ちてくることを。

初めて見たのは、入学して間もない五月雨の朝だった。登校中にふと傘を上げると、屋上にゆらゆらとした黒い靄のようなものが佇んでいるのに気がついた。

それが人間ではないということはすぐにわかった。いつものように目を逸らしたかったけれど、できなかった。

傘を打つ雨音や登校時間の賑やかさはあっという間に遠ざかり、世界にその靄と私だけになったような錯覚に陥る。

靄は私に見せつけるように一度ゆらりと大きく揺らめくと、まるで石を包んだ布切れのように一直線に屋上から落ちていった。

思わず身をすくめ、強く目を瞑る。

おそるおそる目を開けた時には、周囲は生徒たちの喧騒に満ち、傘には静かに五月の雨が降り注いでいた。

あれが噂に聞く飛び降り銀杏なのかと、靄が落ちたあたりに青々とそびえる大きな木を見ながら、私はその場所に近寄らないことを誓った。

二年生になった今でも裏庭に行くことはほとんどない。でも、そんな私を嘲笑うかのように、靄は月に一回は屋上からの飛び降りを私に見せつけた。

そして秋になると私の目には、飛び降り銀杏は鮮血に染まったような葉を散らすのだった。

・・・・・

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坂本伊織を初めて見たのは、入学式の日だった。「坂本」と「菖蒲」で出席番号が前後するため、席が隣同士だったのだ。

名前からしててっきり女の子だと思っていた私は、日に焼けた坊主頭が隣の席について驚き、彼を改めて見てギョッとした。

涼しい顔をして座る彼の首元には、ひと抱えもありそうなしめ縄のようなものが巻きついていたのだ。

思わず凝視していると、ゾロリとその縄のようなものが動いた。

不明瞭だった輪郭が徐々に鮮明になる。縄の表面に規則正しく並ぶ楕円状のもの、それは鱗だった。魚のではない。

━━蛇だ。

そう思った瞬間、蛇が私を見た。

その顔は美しい女性のそれだった。白い顔、長い髪、闇色の目、赤い唇。

彼女は私を品定めするように見下し、二股に裂けた舌でチロリと唇を舐めた。

食べられる。本能でそう感じた。

「……っっっ」

声にならない悲鳴をあげ、とっさに私はその場から逃げ出そうとした。が、失敗し、見事に椅子ごとひっくり返った。

坂本くんは驚いた顔をして、次いでバツが悪そうに顔をしかめた。

「ごめんな」

私に手を差し伸べながら小さく謝る。彼は何もしていないのに。

私はその手を取れなかった。なぜなら彼の首に巻きついた蛇が、美しい女の顔で馬鹿にするような笑みを浮かべて、私のことを見ていたから。

坂本くんは、野球が好きな普通の男の子だ。高校生にしてはちょっと若白髪が目立つけど、友達も多く、行事の時には率先してクラスを盛り上げてくれる。おまけになかなかのイケメンだ。

それなのに、高校生活も半ばになっても彼女の一人もできないと、彼の友達は不思議がっている。

その理由を、多分私は学内で唯一知っている。

坂本くんの首に巻きついた蛇女、あれが邪魔しているのだ。

私は坂本くんと同じクラスになるのは二年目だが、話をしたことはほとんどない。あれに睨まれると、私は蛙のように身動きが取れなくなってしまうのだ。

・・・・・

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秋も深まる十一月のある夕方。私は足早に校舎を出た。遠くから、吹奏楽の音色や応援団の掛け声が聞こえてくる。

学校は今、体育祭と文化祭を一週間後に控えて浮き足立っていた。

かく言う私も、所属する文芸部の季刊誌の編集で、珍しくこんな時間まで残っていたのだった。本当は一緒に編集作業を行うはずだった部員は、彼氏の誕生日だとかでちゃっかり帰宅していた。二重の意味で腹立たしい。

秋の日は釣瓶落とし、というがそれは本当で、作業を終えて荷物をまとめ始めた時にはまだ顔を出していた夕日は、今やすっかり山の端に隠れてしまっている。蜜柑色の残照が葡萄色の宵闇と混じり合い、空を美しくも不気味に染めていた。

この時間は嫌いだった。この世ならざるものが活発に動き始める時間だ。早く安全な家に帰りたい。

校門に向けて歩き出そうとした時だ。

『〜〜〜〜』

誰かに呼ばれた気がして、不用意に後ろを振り返った。

そしてすぐに後悔する。

目に飛び込んできたのは、藍色の空を背に浮かび上がる、屋上の黒い靄だった。

いつもはすぐに飛び降りるくせに、靄は今日はゆらゆらと揺れるばかりで一向に落ちようとしなかった。

━━まるで私を待ってるみたい。

そう思った途端、何かに引っ張られるように足が前に進み始めた。出てきたばかりの昇降口を素通りし、校舎を壁に沿って進む。この先にあるのは、裏庭だ。

自分の足なのに、まるで単なる二本の棒のようにいうことをきかない。私はもはや半泣きだった。

足は予想通り、「飛び降り銀杏」に向かっていた。

血を吸ったような赤い葉をつけた飛び降り銀杏の下には、一つの人影があった。

「菖蒲」

驚いたようにそう言った人影は、坂本くんだった。

「なんでここに?」

『観客が増えたわね』

坂本くんの声に、女性の声が重なって聞こえた。声の主は彼の首に巻きついたまま、赤い唇を開いた。

『小娘、その情けない顔を上げて、よくご覧』

蛇女が言い終わるか終わらないうちに、どしゃりと重たい何かが、坂本くんと私の間に落ちてきた。赤い飛沫が銀杏の木に点々とした模様を作る。

それは人の形をしていたが、すでに肉の塊と化していた。手足はおかしな方向を向き、上半身と下半身がずれ、頭は潰れて半分の厚みしかなかった。驚くような速さで血液が流れ出て、あっという間に赤く粘ついた水溜りを作った。

その真ん中に沈む死体の顔が見えないことはせめてもの救いだったが、それでも私は胃の中のものがせり上がる感覚に口元を押さえた。

「これは…」

坂本くんの冷静な声に、私は叫びだしたくなった。

いま、目の前で、人が死んだというのに!

けれど、坂本くんが驚かない理由はすぐ知れた。

『愚かな女だこと。男に裏切られたくらいで命を絶って、あまつさえ、それを何度も繰り返しているなんて』

何度も繰り返している?

死体にもう一度目を落とす。直視できないような惨状だが、一方でこれだけ血が流れているというのに、鉄錆びた独特の匂いをまったく感じなかった。

「こ、こ、これ、って……」

震える声でようやくそれだけ絞り出すと、坂本くんの首の蛇女は、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

『愚か者がここにもいたわね。これは幻よ。死ぬ直前の思いに縛られて、いつまでも同じことを繰り返す愚かな女の、ただの幻』

口では蔑みながら、蛇女の目はどこか優しく死体を見つめていた。

『こんなことを続ける暇があるのなら、相手を呪い殺してやればいいものを』

「みんながみんな、ユリみたいにはできないだろ」

『ふん』

ユリと呼ばれた蛇女は、坂本くんの首に巻きつけていた身体をゾロリと伸ばし、死体へ顔を近づけた。

「菖蒲、目ぇ瞑った方がいいぞ」

「え?」

坂本くんの言葉の意図がわからず聞き返した私の目の前で、蛇女は大きく口を開けた。顎門を外し、鋭い牙を覗かせる。その様は醜悪で恐ろしく、でもなぜか目を離せなかった。

目と口とが塞がらない私の前で、蛇女は死体を頭から咥え、あっという間に丸呑みにしてしまった。

あたりには何も、それこそ血の一滴さえ残らなかった。

目の前の光景が信じ難く、恐怖というより呆然とする私に向かい、蛇女はなぜか勝ち誇ったような笑みを見せながら言った。

『ご覧。愚かな女が、小さく美しいものに生まれ変わるのを』

蛇女が銀杏の木に向かって細く息を吐いた。息は金色のリボンのように幹の周りを旋回しながら登っていき、てっぺんでパァッと花火のように弾けた。細かな金色のかけらが、雨のように銀杏の木に降り注ぐ。

「あ……」

金色のかけらは、真紅だった銀杏の葉を一枚残らず金色に染めかえてしまった。

「きれい」

思わず声が漏れる。

蛇女は満足そうに頷くと、またゾロリと長い身体を動かして坂本くんの首に戻り、虫を見るような目で私を見つめた。

『イオリに手を出したら、次ああなるのはお前だよ』

ゾッとする声音でそう言って、蛇女は坂本くんの首に顔を埋めた。

「やめろよ、ユリ」

坂本くんが呆れたようなため息をつく。

「ごめんな、菖蒲。悪ぃけど今日のこと、内緒にしてくれる?」

「…うん。言っても、誰も信じないと思う」

「だよな」

私たちはなんとも言えない表情で、揃って銀杏の木を見上げた。

すっかり紺色の世界となった裏庭で、星明りに照らされて金色の銀杏の木は輝いていた。

・・・・・

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次の日登校すると、飛び降り銀杏は昨夜のような金色ではなく、どこにでもあるような黄色の葉を身に纏っていた。

昨夜の美しさを知る私は少しがっかりしたが、学校中が一夜にして黄色に変わった銀杏の木の話題で持ちきりとなっていた。

校長がこっそり樹木医を依頼しただとか、裏庭の土壌汚染が改善されたせいだとか、温暖化がストレスになったからだとか、いろいろな説が飛び交った。その中で生徒たちに一番支持されたのは、「飛び降りた女性教師がようやく成仏できたから」という、真実に当たらずとも遠からずなものだった。

少し昔の歌人が読んだように、夕日の中舞い散る銀杏の葉はキラキラと輝いて、小鳥が踊るようだった。

「飛び降り銀杏」という呼称も、いずれ消えてなくなるだろう。

・・・・・

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ところで、あの事件を経て私と坂本くんの距離が縮まったかといえば、そんな事はまったくなかった。何しろ、あの蛇女はことあるごとに私のことを食いつかんばかりの目で睨んでくるのだ。

彼のようなイケメンと仲良く言葉を交わす自分、を妄想しないわけではないが、私は身の安全の方を優先したい。

いくら最終的には美しく生まれ変われるかもしれないとはいえ、ペチャンコになった挙句頭から丸呑みにされるのは、死んでもごめんだ。

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