あれは3年前の冬のことだった。もう3年も経つというのに、まだ俺の中の傷は癒えていない。未だに、アレの夢を見るのだ。
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3年前の冬。俺はAとBという二人の親友と一緒に冬山に登ることにした。もともと俺たちは同じ大学出身で、山岳サークルの仲間だった。気が合って、卒業後もこうしてよく一緒に山に登っていた。
冬山の登山は計画をしっかり立てることが大事だ。何度も集まって、俺たちは綿密な計画を練った。装備品もしっかり点検した。なにも、2千m級の山に登ろうというわけではない。もっと平易な山だったのだが、低い山だから安全なわけではないのだ。
そして、その日は来た。天気予報を確かめていったにもかかわらず、頂上近くで吹雪いてきてしまった。
若干の躊躇が命取りだった。気がつくと一面が真っ白に染まり、俺たちはロストしてしまった。目標としていた山小屋の位置は愚か、それがどちらの方角にあるかもわからなくなってしまったのだ。
「おい!あれを見ろ」
はぐれないように必死に進んでいる中で、Aが叫ぶ。指差した方向を見ると、岸壁にくぼみがあった。こういうときはあまりジタバタしないのが定石だ。俺たちはとりあえずそこに避難することにした。
近づいてみると、幸いなことにくぼみというよりも洞窟に近かった。少し奥まで進めばだいぶ吹雪を凌ぐことができた。食料は予備も含めてだいぶ持ってきている。このとき俺達は吹雪がすぐに止み、山を降りることができると信じていた。
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しかし、その読みは甘かった。1日経ち、2日経ち、あっという間に吹雪に閉じ込められ3日が経った。俺たちは、空腹と疲れ、寒さでだいぶ弱っていた。
「寝たら死ぬぞ」、三文小説でよく聞く話だが、まさか自分がそんな状況に立たされると思わなかった。入山届は出してきた。今頃、捜索が始まっているはずだ。しかし、この吹雪では思うように進んでいないのかもしれない。
俺たちは互いに話が途切れないようにしながら、必死に励ましあっていた。
そのうち、いつの間にかBが全く話をしなくなった。
「おい!B!B!!」
俺は揺すったが、Bはダラリとして応えない。Bの冷めつつある体。俺は生まれてはじめて人の死というのを実感した。
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Bが死んでから何時間か経った。俺はAと励まし合う。眠気が絶え間なく襲ってくる。食料はない。体を温める手段も限られている。それにも関わらず、さっきから体が熱くて仕方がなかった。
「おい!なんだ、あれ?」
Aが洞窟の奥を指す。ぼんやりとした目で見ると、なんで今まで気が付かなかったのか、そこに薄っすらと光が見える。俺とAはフラフラとその光を目指し歩いていた。気のせいかほんのりと心地よく温かい。
そこで俺たちは目を疑った。光の先に部屋があったのだ。そこは確かに和室だった。奥には床の間もある。床の間にはかごがあり、その中にはザクロがいくつか入っていた。
俺たちは言葉もなく目を見開いていた。夢でも見ているのか?幻覚か?
「部屋だ・・・」
Aがつぶやいた。Aも俺と同じように部屋を見ているなら、これは幻覚ではないようだ。俺たちは部屋に歩を進めた。
すると、床の間の右側にある襖がそっと開き、一人の和服の女性が現れた。浅葱色の着物を着た、髪の長い女だった。長い髪が邪魔で顔はよく見えない。
床の間の前まで進むと、その女はザクロの入ったかごを手にとって、そしてゆっくりと俺たちの方を振り向いた。
「!!」
その、本来目があるべきところには何もなかった。ただ、真っ黒な闇がある。
その女、いや、「それ」はニッと笑って、俺たちにかごを差し出した。
久しぶりの食い物だ。俺はゴクリと喉を鳴らした。Aも同じようだった。だが、明らかにおかしいだろう。こんなものを喰っていいわけがない。俺がどうしていいか迷っている横で、空腹に耐えかねたのか、Aは差し出されたザクロを貪っていた。
そんなAを見て、「それ」は更に深い笑みをたたえているようだった。
「おい!やめろ!!おかしい」
俺は口から赤い汁を滴らせながらザクロを貪り続けるAを止めようとしたが、そんな俺をAは突き飛ばした。
俺はそのまま岩壁に頭をぶつけて、そして、そこで俺の記憶は途絶えた。
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次に俺が気づいたのはすでに病院だった。白い天井がぼんやり見え、「ああ助かったんだ」とまず思った。
Bは?・・・そうか、死んでしまったんだ。
Aは?・・そう、Aはどうした。
俺は体を起こし、周囲を見回した。しかし、病室には自分ひとりだった。
まさか・・・
「あ、目を覚ましたんですね!先生!」
看護師さんが俺が目を覚ましたことに気がついた。
ここからは、俺が医師や警察から聞いた話だ。
結論から言うと、AもBと同様、死んでいた。
俺たちが遭難してから4日目、やっと吹雪が収まり、捜索隊が山に入れた。俺たちはその捜索隊に幸運にも発見されたのだった。俺以外の二人は発見時にはすでに事切れていたが、俺はかろうじて助かっていた。極度の疲れと空腹で弱っていたが、凍傷を含めた目立った外傷はなかった。
そうか、Aも死んでしまったか・・・
「意識を取り戻したようですね」
医師がそこまで話したところで、警察官が俺の病室に来た。事情を聞きに来たのだ。俺はあの不思議な部屋の事以外を全て話した。そしてその代わり、俺はAとBの最期の様子を聞くことにした。
「Bくんは凍死でした。おそらく体力の差でしょう。君たちが遭難して二日目には亡くなっていました。そして、Aくんは・・・餓死でした」
「普通、人間が餓死をするにはもう少し時間がかかるので、おかしいとは思われたのですが、所見は餓死。よほど腹が減っていたのでしょう。その・・・」
警察官は口を濁す。
「・・・Aくんは、Bくんの体を食べた形跡がありました。」
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俺は最後に見たあの光景を思い出していた。不思議な和室。目の黒い女。血のような赤い汁を滴らせてザクロを貪るAの姿。
あれは夢。そう思いたかった。
でも、本当は、Bの体を喰っていた、Aの姿だったのかもしれない。
俺は、3年経った今でもアレの夢を見る。
目の黒い女が見せた、あの笑みを。
作者かがり いずみ
Aはザクロを食べ、話し手の「俺」は食べなかった。
食べた人は冥府から帰らず、食べなかった「俺」は生き延びた。
ザクロは黄泉の国の食べ物だったのかもしれません。