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中編6
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猪の助の短刀

へい、そりゃ長いこと裏店の差配をしておりますと、怪異やら不思議に出くわす機会も多うございますよ。

ひとつ話して聞かせましょうか。

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あれは青山火事のあった翌年ですから、もう十年も前になりましょうか。

うちの長屋に、猪の助という板前が越してきましてね。

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なんでも海辺大工町あたりの料理屋で修行してるとか言ってましたが、

半人前のくせに通いってわけはありませんから、

たぶん半端なことで日銭を稼いでいたんでしょう。

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彼には、おろくという女房がいましてね、

これがたいへん気立ての良い娘で、長屋の連中からも慕われておりました。

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いっぽうの猪の助はというと、これもなかなかの男前なんですが、どうにも肝が小さくていけない。

しかも、変なところでイキがってるやつなんです。

懐中にいつも短刀を忍ばせておりまして、これが七寸ほどの無反りで、

本人いわく、相模で刀鍛冶をやっていた親父さんの形見なんだとか。

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酔って気が大きくなると、その黒光りするこしらえをチラつかせては、

周囲の反応を見て面白がってたようなんです。

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そんな折り、市中で殺しがありまして。

襲われたのは酒屋の手代で、みそかの集金へ回った帰りでしょう、

お供の丁稚ともども刃物でズブリッ。

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堀沿いから霊厳寺へ一丁入ったあたりらしいのですが、

あのへんは辻番からも遠いし、夜になるとおサムライでさえ避けて通るくらいの場所ですから。

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そんなわけで、お役人から手札を受ける連中がここいらまで出張ってきましてね、

なかにはたちの悪いのもいるから、長屋のみんなにも気をつけるよう言っておいたのですが、

猪の助のやつ、よせばいいのにまたぞろ短刀を抱いたまま飲みに出てしまって。

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あんのじょう盛り場で網を張っていたやつらに捕まり、自身番へ引っぱってゆかれたんです。

ここだけの話ですが、御上のご用聞きなんて根はやくざと変わりませんから、

目を付けられたが最後、やってもいない罪のことまで白状させられてしまうんですよ。

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けっきょく猪の助は、短刀を隠し持っていたというだけの理由でお白州へ引き据えられ、

本人が自白したということもあって、すぐに死罪と決まりました。

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可哀想なのは、おろくです。

あれほど好き合って一緒になった亭主に死なれ、すっかり魂が抜けたみたいになりましてね。

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で、そんな事件があって、しばらく経ってのことなんですが、

おろくのとなりに住んでいる桶屋の女房が、わたしに変なことを言うんです。

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「ちょいと大家さん、あの娘とうとう気が触れちまったみたいだよ」

「どうしたい、やぶからぼうに」

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彼女によると、いつもはひっそりしているおろくの部屋から楽しそうな話し声がするので、気になって覗いてみたんだそうです。

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「そしたら、おろくちゃん、だれもいない壁のほうへ向かってブツブツひとりごと言ってるじゃないか。

それもなんだか楽しそうにさ。

まるで幽霊としゃべってるみたいで、あたしゃ気味が悪くて……」

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差配として店子には責任がありますし、それにおろくがどうにも不憫に思えましてね。

「どれ、わたしが行って確かめてこよう」

とりあえず腰高障子のすき間から覗いてみたんですが、たしかに彼女の言うとおりでした。

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で、そのときふと気づいたんですが、

かつて猪の助がよく腰を据えていたあたりに、なにか置いてあるんですよ。

まさかと思って目を凝らしてみると、やっぱりそうでした。

どういうめぐり合わせで戻ってきたのか、

あいつがいつも懐に抱いていた、あの短刀だったんです。

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これは、いけないと思いました。

「おろくさん、ちょっと邪魔するよ」

なかへ踏み込むと、おろくはあわてて短刀をつかみ、部屋のすみで小さくなりました。

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「悪いことは言わない、それをこっちへ寄越しなさい。

どうやら、その刀には猪の助の念がこもっているようだ。

明日にでも神明さまへ持って行って、お炊き上げしてもらうから」

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根気よく説得をつづけてみたんですが、頑として首をたてに振らないんです。

これはもう無理にでも取り上げたほうが良いかと思いはじめたとき。

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「おまえさんとは、これからもずっと一緒だよっ」

そう叫ぶなり大口を開けて、なんと蛇みたいに短刀をスルスル飲み込んでしまったんです。

驚きましたね、とても人間わざとは思えない。

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わたしが唖然としていると、自分の腹を愛おしそうにさすりながら

「ここに居ればもう安心だねえ」なんて笑うんですよ。

さすがに、もうお手あげだとあきらめました。

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そのことがあってから長屋のほうでも彼女を避けるようになったんですが、

なぜか当人はすっかり元気を取り戻して、自分で奉公の口なども探してきたんです。

浄心寺にほど近い山本町の油問屋なんですが、

もともと気はしの利く娘だったので、店からも重宝がられたようです。

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ところが、悪いことというのは重なるものですね。

今度は、その油問屋の三つになる息子が殺されまして。

だれかに紐で首を絞められたらしいのですが、

まっ先に疑われたのが、いつもその子守りを任されていたおろくなんですよ。

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本所見廻りの手先だという親分が乗り込んできまして、

あれよあれよと言う間に番所へ引っ立てられて行きました。

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で、ここからは、月行事で番所へ詰めていた呉服問屋の隠居から聞いた話なんですが。

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そのおろくを連れてった親分というのが因業なやつで、

役人が来る前になんとしてもドロを吐かせ自分の手柄にしようと、

天井から吊るした彼女をさんざん打擲したらしいのです。

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だた、おろくもあれで気の強いところがありますから、

わたしは知らぬ存ぜぬと言い張ったようで、

とうとう癇癪を起こした親分が、おろくの腹を力いっぱい殴ったんだとか。

無抵抗な相手に、ひどいことをするもんです。

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ところがギャッと叫んだのは親分のほうで、

見るとおろくの腹から短刀の刃がニュッと突き出てたっていうじゃありませんか。

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親分は指を二本も失ったうえ大事な血の管を切ったらしく、

水芸みたいに血を噴き散らしながら床のうえをのたうち回ったとか。

すぐに薬師が呼ばれたんですが、けっきょくそのまま死んでしまったそうです。

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で、おろくのほうですが、これもひどい傷で、

短刀を腹から引っぱり出したはいいが、まず助からないだろうという見立てでした。

長屋の気の早い連中などは、葬式の支度まではじめる始末で……。

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ところが夜が明けてみるとおろくはピンピンしていて、

しかもなんだか嬉しそうな顔でこんな話をしたんだそうです。

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「昨夜うちのひとが夢枕に立って、

お前ひとりを残してゆくのが忍びないから短刀に取り憑いて見守ってきたが、そろそろいとまをしなくちゃならない。

ついてはその傷を刀に肩代わりさせるから、どうか自分のぶんまで幸せに生きてほしい

……そう言ったんです」

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見れば短刀の柄が、目釘に沿ってパックリ割れていました。

おろくの言うとおり、彼女の身代わりとなってくれたんでしょうかねえ。

しかも、なかごを見ると「正宗」と銘が切られてたっていうから驚くじゃありませんか。

まあ、これは面白がって誰かが付け足した話かもしれませんが。

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けっきょく、おろくは無罪放免となり、

短刀のほうも番所からもらい受けて、寺でねんごろに供養してもらいました。

ついでに長屋のみんなから布施を募って、小さな供養塔まで立てましてね。

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で、その供養塔なんですが、

いつの間にか巷では縁結びにご利益があるということにされてしまい、

今でもよく若い男女が熱心にお参りしてゆくんだそうですよ……。

Concrete
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