「ちょっとー!?寝てるのー!?」
階下から響いてきた母の声で、思わず我に帰る。
体を起こして伸びをすると、カーテンの隙間から夏の強烈な日差しが、ちょうど目線の位置に射し込んだ。
「昼飯当番~!!」
はいはい、今行きますよ…と、私はドアを開けて廊下に向かう。
姉が一足先に家を出てから、家事の当番は人員が1人減って、当然のように私の役割が増えた。今日は朝飯を父が、夕飯を母が、そして昼を私が作る事になっていた。
が…つい今しがたまで、私の心はそれどころじゃ無かった。
それは、一昨日の事。いつものように放課後デートをしていた最中、突然コースケから言われたのだ。
「あの、さ…俺達そろそろ、ちゃんとカレカノな関係にならねぇか?」
言葉がたどたどしくて、一瞬「あ!?」と聞きそうになったが、それから直ぐに、
「スミレの事、好きだ、付き合って下さい!」
と…告白された。私としては、もう既に友達以上の関係になってるし、言わなくても良いかと思っていたのだが…コースケは、ちゃんと言いたかったのだそうだ。
勿論、私は了承したし、ここまでは想定内だった。が…次の瞬間、コースケは私を抱き締めると、キスをした。
その光景を度々思い出して…私は学校の課題にもロクに集中出来ず、母から大声で呼ばれるまで、1人ベッドの上でぼんやりと耽っていたのだ。
「ユリカからさっき連絡来てね、旅行先に無事着いたって」
そう言って母が、台所越しにメールの画面を見せた。雄大な山の景色と共に映る姉と、その隣には…チカの姿があった。
あの「出来事」から、もう2年が経つ。
姉とチカから真実を告げられた時…私は、思ってもみない程に混乱してしまった。
「お前、かっこつけてんじゃねーよ」
放課後…裏門に続く廊下で、私は急に呼び止められると、サヤカからそう言われた。昔から、女子特有のグループっていうのが嫌いで、いつも1人で行動していたから、変な目で見られたり、生意気扱いされるのは慣れていたし…サヤカ達の居るグループから嫌われてる事も、とっくに知っていた。
だから、色々うだうだ言われても「またか」って感じで、私は無視してさっさと帰ろうと思っていた。だが…あろうことかサヤカは、行く手を阻むと次に私の胸倉を掴み、
「お前って、ゴミだね?ていうか、さっさと死んで?」
と言ってニタニタ笑った。その顔を眺めている内に、私の中で何かがプツンと切れた。
ビンタの勢いで地面に倒れるサヤカ達。ビリビリと手に痛みが走ったが…感情が暴走して、どうにもならなかった。
そして…見物客の様に、遠くの方で立ってこちらを見ているチカの姿にも、殺気が湧いていた。先生から止められているさなかも…ずっと。
そんな相手が、「サヤカが本当の主犯だった」なんて言っても、信じられる訳が無い。わざわざ、やっても無い犯罪を被るなんて、ドラマかよ?って。
そもそも、「話がしたい」とチカから言われた時も、私の中では軽く拒絶反応を起こしていて、会いたくない気持ちの方が強かった。それでも実際に会ったのは、姉からのお願いだったからだ。姉は元々、誰かを騙したりふざけたりして笑う様な人間では無いと、知っていたから。
「裏掲示板に載ってた写真…あの『こっくりさん』の写真は、サヤカが脅しの為に載せてたフェイク。最初から…そんな変な遊びは無かったの」
チカの話は至極真剣で、姉の言う通り、嘘を言っている風には見えなかった。とは言え、チカの事は今でも半信半疑だ。
けど、あの気味の悪い、こっくりさんの写真が全て作り物だったと知って、私は安心した。
その一方で…私は、手紙に書かれていた一文に、違和感を感じるようになっていた。
「ずっと、忘れないからね!写真送ってね♪」
仲間に煽られて酷い事をやってしまった、という弁明も、嘘には感じなかった。だから私はサヤカと仲直りをしたし、家でもテレビとか一緒に見て、僅かだけど楽しく過ごした。親友としてより…クラスメイトの1人として。
けど、チカや姉の言葉が本当に本当なら…サヤカは、何故私に本当の事を隠して、仲良くしていたのだろう…?サヤカ本人に聞く気は、何故か起きなかった。
残りの取り巻きには、喧嘩以来会っていない。彼女達も結局、謹慎明けを待たずして、退学したり転校したりでバラバラになったと噂で聞いていた。
半年前に、商店街でその内の1人を偶然見かけたが…久々に見たその姿は、同い年とは到底思えない程に老け込んでいて、何年も着古した様な、ボロボロの服を纏った出で立ちで…怖くて、遠目に見る事しか出来なかった。
「料理、結構上達したんじゃない?」
母が私に言った。今日の昼は、市販の焼きそばに、野菜を多く混ぜただけだ。
「粉末ソース付きのいつものやつだし(笑)野菜切っただけだし…」
「まあ、そうだけど…美味しいから上出来よ」
母は、喧嘩騒ぎから暫くは体調を崩しがちになっていたけれど…もうすっかり、パートや友達付き合いに精を出せる程に、元気になっていた。以前は勉強勉強とうるさかった所が目立っていたが、今は穏やかになった気がする。
さすがに、チカが喧嘩の真相を話した時はかなりショックを受けていたけど…姉伝いにチカの家庭環境を聞いて同情したのか、今では「チカちゃん」と親しげに呼ぶまでになった。
「あの子、色々あるみたいだけど…しっかり生きていって欲しいわね」
「うん…まあ、そうだね」
「あなたもよ?来年は上京して1人暮らし始めるんだし…幸助君も一緒なんでしょ?」
思わず、飲んでいた麦茶を盛大に吹いた。
「げほっ…え、ゴホッ、なんでそれ…!?」
「あなた達の様子、見てれば分かるわよ!…まあ、健全に仲良くね~、あ、ご馳走様」
そそくさと皿を手に台所に向かう母を尻目に、私はまた、コースケとの事を思い出した。
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窓に映る、悠然とした山脈と霧の向こうで、陽が上るのが微かに見えた。
チカはまだ、ぐっすりと眠りに落ちていて…部屋の中は、シンと静まり返っている。
だが、その静けさがどこか神聖な感じがして…私の心は落ち着いていた。
「兄が、お兄ちゃんが会おうって…」
そうチカから言われたのが、1か月程前の事。
私達は週に1度だけ…平日の夜に一緒に食事をするようになった。いつものファミレスで、他愛のない話をしたり、しなかったり…。でも、初めて会った時より少し大人びたチカは、サラダを頼むようにもなったし、テーブルの上は幾らか、ジャンクっぽさが減った。
そしていつものように、デザートを頬張っているさなか…神妙な顔をして、チカは私に言ったのだ。兄に会いに行く、と…。
「儀式の事と、サヤカの事、お兄ちゃんに言ったの。そしたらさ…『紙を持って、俺の今いる場所に来い』って…そう言われた」
「宮内君が…?それで、いつ行くの?」
「1か月後。それで…頼みがあるんだけど…」
そこは、新幹線で3時間もかかる地方の山奥だった。チカ達の祖父母がいる場所とは無関係で、ガイドブックがある位だから、一応観光地とはなっているが…人里離れた場所の為に、女の子が1人で行く場所としては、あまり適していない。だから私は、引率者としてチカに付いて行く事になったのだ。
行方不明になっていた彼が…今も生きている。かなり心臓がバクバクした。それだけではなく…私は、仮に自分も宮内君に会えたとしたら、「あの事」を話すべきか悩んだ。
「芝峰美織の、母です…」
以前、何かあったら…と、私が病室に置いていった社用の名刺を見て、携帯に美織の母が電話を掛けてきたのだ。
白昼の商店街で刃物を振り上げ、自傷に至った美織は、私の付き添いで病院に救急車で運ばれた。そして回復の後に、取り調べの為に警察に連行されたが…
結局、供述も意味の分からない不明瞭な事を言うばかりで、尚且つ事件性のあるものとして扱う事も出来ず…後日釈放され、その足で実家に戻り、今は地元の精神病院に入院している…そう聞かされた。
ただ…美織は診察の時も、供述と同じ様に、
「サヤカに、恋人を奪ったのは同級生のスミレという女だと言われた、頭の中で、サヤカが殺せと言った」
と…延々と訴えていたそうだ。
「あなたの妹さんなんでしょう?娘の話が本当だったらって思って…」
私は、全てはサヤカの虚言だと…スミレに至っては、美織とも、美織の元恋人とも接点は無い、全くの無関係だと説明した。チカの言っていた通り…美織はサヤカの悪戯な嘘に惑わされ、怒りの矛先を、無関係な方向に向けてしまっていたのだ。
だが…美織の母親は納得していないようで、終いには、責め立てる様な強い口調で
「あの子は昔から繊細なの…!娘の友達なら、あなた妹さんにキツく言ってちょうだい!」
と、言われ…一方的に電話を切られてしまった。
電話はその一度だけで、もう掛かってくる事は無くなったが…心を病んでしまった娘を思えば、その供述を信じてしまうのも無理は無い。
ただ、今は…美織が少しでも、心穏やかな方向に進むよう、願うだけだ。
「この辺りで待ってて…私一人で、兄に会って来るから」
結局、私は宮内君に会えず、美織について打ち明ける事は無かった。でも…その方が良い。
指定された場所は、旅館の部屋から見えた山の、中腹辺りだった。地図で確認すると、そこには小さなお寺があって…宮内君は現在、そこで勤めに従事していると言っていたそうだ。
ハイキング用の荷物を詰めたリュックの中には、あの「儀式」で使った、古い和紙や写真が仕舞われている。宮内君は、チカに「儀式に関する一切のものを、燃やして供養する」と言い、チカ自身も、これを機に2度と、儀式に手を出すまいと固く決意した。
「行ってらっしゃい」
なだらかな坂をゆっくりと登って行くチカの後ろ姿を、私は見送った。坂の上の方には、寺社の瓦屋根が木々の隙間から見えている。私は山道の途中にあった、丸太の椅子がある休憩スペースに腰を下ろし、ぼんやりと景色を眺めながら待った。
8月も終わりに近づくと、山の空気はひんやりとしていたが、時折柔らかな風が吹いた。体に風を受け、「ここは穏やかになれる場所だ」と、肌身で感じた。
暫く経つと、寺社の方角から仄かにきな臭い匂いが漂い、振り返ると煙の立つのが見えた。
「ああ、会えたんだな」
細長い煙は、グレーから白へと色を変えながら真っ直ぐに伸び、少しずつ、空に溶けて消えて行った。
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3年の月日が過ぎ、世の中は今年に入ってから想像以上に混沌を極めているせいか…私もだいぶ、心身共に疲労を感じる事が多くなった。
5年前の夏…私の妹に起きた出来事。そしてそれを機に、思いも寄らぬ事態に遭遇した事…
余りにも、自分の平々凡々な人生に不釣り合いすぎて、「夢だったんじゃないか?」と思ってしまう程だ。
スミレはあれから、大学進学と共に上京し、私と同様1人暮らしを送っている。
私の住むアパートの沿線上に住んでいるから、たまにお互いの家で宅飲みしたり、愚痴を言い合ったり…どこにでもいる若者として、社会に溶け込んでいる。作野君とも仲良く続いているそうだ。
そしてチカも…「お焚き上げ」が終わって間も無く実家を出て、しばらくビジネスホテル暮らしをした後に、就職して1人暮らしを始めた。今も年に数回、宮内君の元を訪れているそうで、ヒョロリと痩せていた体は、山登りで鍛えられたせいか、健康的になった。
この、戦々恐々とした雰囲気の中、それでもどうにか、みんな災難を乗り越えて生きている…私はその事に、一番安堵していた。
それでも時々、インターネット上の動画サイトで、「降霊術」の類を紹介している映像をふと見て、思う事がある。儀式と思しきものは今の所見ていないけど…「こっくりさん」が主流とするなら、その「亜種」と呼べる方法が、世の中には幾らでも存在するのだと…
そして、今もどこかで、当時の彼女と同じ世代の少女や若者達が、興味本位で、遊び感覚で手を伸ばしている…そう考えると、背筋に嫌な寒気を感じるのだ。
「ねえ知ってる?うちの学校でね…」
通りすがりの女子学生達の何気ない会話にも、最近はドキリとしてしまう。人々の興味が、誰かのゴシップやゲームやスマホに注がれている一方で、地を這いずる様に、因習めいたまじないは生き続けているのだろう…
「ユリカさん、おーい!」
チカが、手を振りながらこちらに向かって歩いてくる。今日は、週に一度の食事の日だ。
「お疲れ様!今日は何食べようか?」
「大盛りのポテト食べたいな~!」
「またジャンク…(呆)」
彼女の背後に、見覚えのある少女の視線を感じたのは、気のせいだろう。
だってあの子は、事故に遭って今も植物状態なのだから。そう、彼女は…私が────
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終
作者rano
亜種シリーズの最終回です。
夏の終わりにようやく書き終えられました。酷暑ですが、体調ご自愛しながら読んで頂けると幸いです。
過去作はこちらから
第1話
http://kowabana.jp/stories/32029
第2話
http://kowabana.jp/stories/33436
第3話
http://kowabana.jp/stories/33297
第4話
http://kowabana.jp/stories/33507
第5話
http://kowabana.jp/stories/33310
エピローグ①
http://kowabana.jp/stories/33589