中編3
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老女と猫

とあるアパートで聞いた話。

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そこは市街中心部にある、忘れられたような路地の、忘れられたようなアパートだった。

建物も年季が入っていたが入居者も古株ばかりで、「建物が崩れるのが先か、自分たちが死ぬのが先か」と笑いのネタにされていた。

アパート一階の一番奥の部屋には、老女が一人で住んでいた。

挨拶をしてもプイとそっぽを向くくせに、なにかお裾分けがあるときはいち早く揉み手をしながら近づいてくる。人嫌いだが、どこか憎めない老女だったという。

一人暮らしの老女だったが、長年猫を一匹飼っていた。一見白猫だが、よく見ると両前脚の先端だけ靴下を履いたように黒い。他の入居者がいくら声をかけても見向きもしない、飼い主に似て愛想のない猫だった。

この猫が一体いつから老女に飼われているのか、それは誰も知らなかった。少なくとも十年前にはいたはずだ、十五年前に自分が入居したときにはもう飼われていた、先代の大家が飼育を許可したはずだがそれはもう二十年以上前の話だ、などなど、嘘か誠かわからない話が飛び交っていた。

中には、あれは魔女と猫又だ、などと口さがなく笑う者もいたが、老女と猫が互いのみを頼りに寄り添いあうような暮らしは、それもあながち間違いではないように思われるほどだった。

老女はかなり腰が曲がり、出歩くのも困難な様子だった。しかし、大家や近隣の者が心配して手伝いを申し出ても、それは邪険に断る。ではどうするのかと見ていると、いつしか中学生くらいの女の子が通ってくるようになり、買い物や身の回りのことなど手助けしているようだった。

感心なことだと声をかけても、少女は知らん顔をする。老女にあれは孫か親戚かと尋ねても、鼻で笑って答えようとしない。ただ、「いい子だね」と少女のことを褒めると、そのときばかりは嬉しそうに相好を崩したという。

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ある夜のこと。アパートの住民全員が、ある者は大きな猫の鳴き声で、あるものは玄関のドアをドンドン叩く音で目を覚ました。なぜだか皆同じ胸騒ぎを覚えて、一階の老女の部屋の前へと集まった。

最後に現れたのは、アパートの隣の一軒家に住む大家だった。彼は、夜中に何度もインターホンを鳴らされて飛び起きたという。しかし慌てて玄関に出ても誰の姿もない。住民達と同じ不安を覚えて、合鍵を持ってやって来たのだ。

大家が老女の部屋を開けると、玄関にあの猫がいた。まるで案内をするように、部屋の奥に向かって踵を返す。

寝室では、住民たちの胸騒ぎ通り老女が息を引き取っていた。体はまだ温かく、臨終はつい今し方であることが知れたという。

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「噂通り、その猫は猫又だったのかもしれないですね」

私の呟きに大家は頷いて続けた。

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「猫は、私たちが救急車を呼んだりしているうちにいつの間にか姿を消していました。飼い主を看取って、心置きなく修行の旅に出たのかもしれませんね。

彼女には身寄りがなくて、お骨は寺にお預けしました。でも、知った人が誰も弔わないのはかわいそうだと思って、あの人の使っていた手鏡を遺品としていただいて、時々お線香をあげているんです。そうすれば、いつかあの猫が帰って来たときにも、飼い主の居場所がわかるでしょうし」

大家は、本当に人の良さそうな顔でニコリと笑った。

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