中編4
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常世の食事

とある友人に聞いた話。

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彼は転勤族で、若い頃からあちこちを転々としていた。

とある田舎町に転勤になったときのこと。せっかくだから田舎暮らしを満喫しようと、会社が用意してくれた社宅を断って、築七十年近い小さな借家を自分で探し出して住むことにしたという。

外観は古かったが中はリフォームされており、一人で暮らすには申し分なかった。

しかし、住み始めて二、三ヶ月たった頃、奇妙なことが起こりはじめた。

借家には小さな庭が付いており、庭と道路はブロック塀で仕切られていた。そのブロック塀の上に、時折タッパーや弁当箱に入った食事が置かれているのだという。

中身は野菜の煮物、炊き込みご飯、おにぎりとおかずのセットなどまちまちだったが、いかにも田舎の家庭料理、といった風情だった。

それらは、朝出勤のときにブロック塀の上にあり、夜帰宅したときにはなくなっているという。

最初は、近所の人の忘れ物かとあまり気にしていなかった。

しかし、二ヶ月に一回だったそれが月に一回になり、やがて週一のペースになると、さすがに不審に思うようになった。

いくらなんでも、これは忘れ物ではあるまい。近所の誰かがお裾分けをしてくれているのかとも思ったが、それなら休日や夜に尋ねてくればいい話だ。外に置き去りにされたものは、食べる気にはならない。そもそも食事がどこに消えているのかも不明だった。猫やカラスが荒らしても困る。

そこで友人は大家に相談することにした。大家はすぐ近所に住む中年の男性で、愛想のよい人物だった。

経緯を話すと、大家はえびす顔を曇らせた。

「お貸ししているあの家は、元は僕の祖父母が建てたものです。いわくもないですし、事故物件でもありません。あの家で、誰かが亡くなったということはない。ただ……」

「ただ?」

「以前住んでいたのが、少し変わった人物でして。あなたの話を聞いてみると、それが関係しているのかもしれません」

大家によると、友人の前に住んでいたのはいわゆるロクデナシだったらしい。若い頃から定職につかず遊び歩き、長らく姿をくらましたと思ったら、還暦近くになって親の年金をあてに帰ってくるような男だった。

そんな息子でも両親は切り捨てられず、少ない年金で彼を養っていたらしい。

やがて両親が相次いで亡くなると、男は家に引きこもるようになった。

男のすぐ近くには、彼の年の離れた兄が住んでいた。両親が生きていた間は援助を惜しまなかった兄だが、何を言っても改心しない弟にほとほと匙を投げたらしく、両親の死後は一切の援助を打ち切ると啖呵を切った。

しかし、両親同様実の弟のことを簡単には捨てられなかったようで、時折自分で作った食事をブロック塀の上にこっそり置いていたそうだ。

その兄も、両親の死後一年もせずに亡くなった。もともとガンで闘病中だったのだという。

兄の四十九日ののち、男が近所の雑木林で自ら命を絶っているのが見つかった。

家に残された遺書には、病を得て最期は郷里で、と帰ってきたものの、周囲の人間の方が先にどんどん死んでしまう。まるで自分が疫病神のようで本当に申し訳なかった、とたくさんの涙の跡とともに綴られていた。

「もう、十年近く前の話です。あの家はそれ以降ずっと空き家のままだったんですが、去年リフォームして借家にしたんですよ。あそこでなにかあったわけではないし、時間も経ったことだし、と」

大家は申し訳なさそうに言った。

「実は、ロクデナシの男とは僕の叔父のことなんです。世話をしていた兄というのが、僕の父でして。

父は頑固者でしたから、叔父に優しい言葉の一つもかけてやったことはないのでしょうが、最期まで気にかけていましたよ。父の方が先に亡くなったから、まだ叔父が死んだことを知らないのでしょう。あなたがあの家に住みはじめたから、叔父が帰ってきたのと勘違いして食事を運んでいるのかも。申し訳ありません」

頭を下げた大家に友人は恐縮した。にわかには信じがたい話ではあったが、大家には非のない話であった。

「遺書にはね、『兄ちゃんの少し塩辛い筍の煮物が、もう一度食べたい』と、結ばれていましたよ」

寂しそうにそういう大家につられ、友人も鼻の奥がツンとしたという。

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「……まぁ、大家さんには悪いがな、その家はすぐに引っ越したよ」

友人の言葉に、私は思わず脱力した。

「引っ越したのか」

「あぁ。確かに、いい話ではあったがな? よく考えてもみろ。大家のお父上が置いているという食事は、誰が回収してるんだ? そしてそいつは、どこに住んでる?」

「……」

「それを考えると、とてもじゃないがもうあの家にはいられなかったよ」

友人が身震いするのに合わせ、私も二の腕が粟立つのを感じたのだった。

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