中編3
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誰そ彼

とある知人から聞いた話。

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彼女は子供の頃、大変なおてんば娘だったらしい。好きな遊びは近所の男の子に混じってする忍者ごっこだったというから、そのおてんばぶりがうかがえる。

両親は共働きだったため、知人は近所に住む祖母に預けられることが多かった。

この祖母という人は、今でいう「女子力」がとても高かったそうだ。知人が訪ねるたびに手作りのお菓子で歓迎してくれ、ミシンを操っては服や小物をしょっちゅうプレゼントしてくれた。そしていつも、知人のおてんばを優しくたしなめていた。

知人にとってそんな祖母は憧れである一方、少し物足りなさも感じていたらしい。もっと外で一緒に遊んでくれたらいいのに、と感じていたそうだ。

ある日の夕方。

友達が帰ったあと、知人は一人塀から飛び降りる練習をしていた。塀といっても高さは一メートルほどで、友達と皆でここからぴょんぴょん飛び降りて遊んでいたのだ。ところが友人は着地がうまくできず、悔しくて一人でこっそり練習していたのだという。

塀によじ登ること何度目か。さぁ、と着地点を見据えたところ、そこには祖母の姿があった。ついさっきまではいなかったはずなのに、と疑問に感じたが、祖母はいつもの優しい笑みで両手を広げ、知人が飛び降りてくるのを待っているようだった。

━━おばあちゃん、私のこと受け止めてくれるんだ!

普段の祖母なら絶対にしないであろうその行動を、子供だった知人は訝しむことなく素直に喜んだ。そして、

「いくよ!」

威勢良くそう声を上げると、祖母の胸めがけて勢いよく前のめりに飛び込んだ。

次の瞬間、強烈な衝撃が知人を襲った。

あって当然と思っていた祖母の抱擁はなく、おでこからコンクリートの地面に激突してしまったのだ。

痛みとショックで知人は号泣した。

その泣き声を聞き、誰かが慌てて玄関から飛び出してきた。それは、さっき知人の目の前で両手を広げたはずの祖母だった。

それを確認して、彼女は気を失ってしまった。

気がついたときには病院のベッドの上で、ちょうど額の縫合が終わったところだったという。

ベッドの周りでは、心配顔の父、呆れ顔の母、泣きはらした目の祖母が、自分を見下ろしていた。

「ごめんね、ごめんね。私がちゃんと見てなかったから……」

「お義母さん、いいんですよ。この子のやんちゃのせいなんだから」

「女の子なのに、顔に傷を作るなんて…」

大人たちのそんな会話を聞きながら、知人はボンヤリとした頭で怪我をする直前のことを思い出していた。

薄暮の中だったが、知人ははっきりその顔を見た。あれは確かに祖母だった。

しかし、今目の前で泣いて自らを責める祖母が、あんないたずらをするとは思えない。一歩間違えば、死んでいたかもしれないのだ。

では、両手を広げて飛び降りるのを待っていたあの女性は、いったい誰だったのだろう。

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「後になって話を聞いたら、祖母はあのとき家の中にいて、私の泣き声で初めて外に出てきたそうです。私が飛び降りるのを受け止めようなんて、そんなことはしていないと。普段の祖母を思えば、それが当たり前なんですけどね。

あのとき私が見た女性が誰だったのか、それはわからずじまいです」

知人は、前髪に隠れた額に触れながら言った。

前髪の下には、そのときの傷が残っているのだろうか。思わず見つめてしまった不躾な私に眉をひそめることもなく、知人はさらりと前髪を上げて見せてくれた。

そこにあったのは、シミひとつないつるりとした美しい額だった。

「五針縫ったんですけどね。子供だったせいか、いつの間にかきれいに治ってしまいました。顔にあった小さな傷も、全部」

「不幸中の幸いですね」

私はホッとする。しかし、知人は表情を曇らせた。

「でもね。あのときのこと、というか、あの祖母に似た女性のことを思い出すたびに、ないはずの傷が疼く気がするんですよね」

そう言って、もう一度額を撫でた。

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ネタバレ注意
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不思議なお話ですね。痛かったろうなぁ。

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