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中編7
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サイコパス─悪い種子─

「ローゼスをダブルで」

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正面に立つスキンヘッドに蝶ネクタイのマスターに、俺は上目遣いでオーダーした。

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「先生、今日は止めといた方がいいんじゃないか?ドクターに言われたんだろ、転移があったって、、、」

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マスターが渋い顔を更に渋くして講釈を垂れる。

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─いつもそうだ、、、

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この初老の男には愛想というものがない。

だから金曜日の夜という、この商売においてはゴールデンタイムという時間帯でさえもカウンター席には俺を含めても3人しか客がいないのだろう。

まあ、そういうところが気に入って通ってる俺も俺だが、、、

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「いいんだ、、、俺の命だから、好きにさせてくれよ」

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さっきから左隣に座る黒い影をチラリと見て俺は投げやりに言葉を返した。

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マスターは一言「まったく、、、」と舌打ちすると、背後の年季の入った酒棚から薔薇のラベルのビンを取り出し背の低いロックグラスに注ぐ。

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とっくに日は暮れていた。

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駅そばの古い雑居ビル2階突き当たりにある行きつけのバー。

アルコールと脂の混ざったような臭いが漂っている薄暗い店内。

10人座ったら満席になるカウンターは座ったまま背伸びをすると、後ろの壁に当たりそうだ。

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俺はいつもの、トイレに一番近い席に座っている。

ロックグラスに注がれた琥珀色の液体を一口流し込むと、再び隣に座る黒い影に目を移した。

するとそれは、まるで電波の乱れたテレビ画像が徐々に鮮明になるかのように、少しずつ人らしき形を作っていった。

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色白の細面の顔に坊主頭、、、

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紺色の作業着、、、

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そう、かつてはよく見知った顔。

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年齢は恐らく今年で27歳のはずだ。

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男は片手で怠そうに首筋を擦りながら、ようやく口を開いた。

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「先生、やっと終わったよ」

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「みたいだな、、、で、今日は何の用で俺の隣に座っているんだ?」

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言いながら男の白い首に目をやる。

そこには青アザのような筋があった。

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「先生には本当に世話になったからな。

こっちの世界にいるのもそう長くはないだろうから今のうちにその不健康な顔を拝んでおこうと思ってな」

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そう言って男は俺の方に向き直る。

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男の名は、久米隆二、、、

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ちょうど今から10年前のクリスマスイブに起こった世間を震撼させた凶悪事件の実行犯だ。

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東京はその日の夜例年にないほどの大雪で、道路を走る多くの車はチェーンをして走っていた

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それは東京都S 区にある閑静な住宅街でのこと。

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医師であるNさん一家4人は長男信哉くんの誕生日も兼ねて、自宅リビングでささやかな パーティーをしていた。

その最中の午後9時過ぎのことだ。

配達員を装った久米が呼び鈴を押す。

そしてまず応対に出てきたN 氏の妻(36)を、あらかじめ準備していた刺身包丁で滅多刺しにし、そのまま土足で真っ直ぐリビングに押し入ると、そこにいたN 氏(39)、その息子(6)、娘(16)を、次々に滅多刺ししていった。

その間に要した時間は僅か6分。

それから久米は、床を這い命乞いをするN 氏の尻ポケットから財布を抜き取ると、そのまま現場を逃走した。

向かった先はS 区の地下鉄駅そばにあるパチンコ店M だった。

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その事件の僅か3日後、久米は件のパチンコ店M で逮捕され起訴された。

何の計画性もないあまりに稚拙で残忍な犯罪の呆気ない幕切れだった。

その時の年齢は23歳。

罪状は強盗殺人罪。

その時に国選弁護人として彼の弁護をしたのが、この俺だった。

死刑制度反対派の俺は何とか久米の死刑の言い渡しを回避させようと、あの手この手で努力したのだが、裁判所で出された判決は、

検察の求刑通りの死刑。

即日上告するも最高裁の決定は棄却で僅か2年で久米は確定の死刑囚となり、そして2年後の令和2年、今年の10月31日つまり昨日、刑が執行された。

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久米は執行の二日前、接見に行った俺に奇しくもこう言ったのだ。

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「先生、もし俺あの世に逝ったら、一番に会いに行くつもりだ。

その時は逃げ出さずに話を聞いてくれよ」

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そして今、左側に座る姿は最後に拘置所で会ったときと寸分違わないものだ。

霊というのはこんなにも鮮明な姿で現れるものなのか。

久米は遠くを見るような目で話しだした。

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「あっという間だったよ、、、

いつもの通り独房の奥にある便所で朝の大便をしていると、看守の声が聞こえてくるんだ。

『8号の久米、出ろ』と。

その瞬間、俺はピンときたよ。

ああ、いよいよだなって。

それから二人の看守に挟まれてリノリウムの廊下を歩き、ちょっとした広間に連れていかれたんだ」

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「そこには既に警察のお偉方が何人か並んでいて、その真ん中の一人が『本日、あなたの刑を執行します』って、くそ真面目な顔して言いやがるんだ。

その後は安っぽい仏壇の前で坊さんが講釈垂れたり、久しぶりに洋モクをたっぷり吹かさせてもらったりした後、始めの看守の一人から何か布地のようなものを被せられた」

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「それからは何にも見えない真っ暗な状態で引っ張られて4、5歩、歩かされると、あるところでいきなり立たされ、すぐに手足を縛られた。

そしてロープのようなものが首に巻かれて軽く絞められる。

『ああ、俺もいよいよ年貢の納め時だな』なんてことをぼんやり考えていると、いきなりガタンという大きな音がして足元の床がなくなるとすぐ、今まで味わったことのない引きちぎられるような痛みが首から全身を駆け巡ったよ。

それからブランコのようにブランブランと前後に揺れながら身体中の穴という穴から一気に水分が抜けるのを感じた後は徐々に脳ミソの中を濃い霧がかかっていき、終いには真っ暗になった」

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そこまで喋ると久米はまた首の青黒い痣を擦る。

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─いたたた、、、

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耐え難い背中の痛みを感じた俺はポケットから錠剤を2、3粒出して口内に放り込むと、ロックグラスに入ったバーボンと一緒に飲み干した。

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昨日行った医師の診断は、すい臓ガン。

しかもステージは4で既に転移もしているらしい。

─すぐに入院して手術をしたとしても、命の保証はない。

半ば死刑の宣告のごとき医師の言葉で目の前が真っ暗になったが、俺には愛する妻がいるし、そのお腹の中にはやがて生まれてくる新しい生命も宿っている。

そう、まだ死ぬわけにはいかないんだ。

だが連日の激務によるストレスに負けて今日も酒で解消している自分の弱さに嫌悪感を感じる

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その様子をじっと見ていた久米は不気味に微笑み、また口を開く。

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「先生どうやらあんたももうじき、こっちの世界に来るみたいだな」

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「バカ言うな、俺はお前と違ってまだやることがたくさんあるんだ」

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「強がり言ってもムダだよ。

だってあんたの後ろには、さっきから黒衣を着た死神が立っているんだから」

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久米の言葉に、俺は思わず後ろを振り返った。

だが、そこには汚れた壁があるだけだ。

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「フフフフ、、、

まあ今から振り返ってみると俺の人生と先生の人生、いったいどっちが幸せだったんだろうって思うよ」

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「それは、どういうことだ?」

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「だってそうだろう。

俺は23歳になるまで、酒、タバコ、バイク、女、好き勝手なことをして楽しんで生きてきた。

毎日が最高だったよ。

だけど結果としては、パクられて絞められて死んじまった。

でも昨日の朝俺の独房に看守がお迎えに来るまでは好きな本を読めて適当に運動も出来て、三食昼寝付きだ。

しかも訳知り顔の大人たちに説教されることも、嫌な仕事で悩むこともない。

つまり俺の人生というのは無理やりあのロープで吊り下げられた瞬間以外は、快適でご機嫌なものだったというわけだ」

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「対してあんたは、勉強勉強に明け暮れてようやく偉い人になれたのは良いが、今やってることといったら俺たちのしでかした不始末の尻拭い、詰まるところ、社会のどぶさらいみたいなことだ。

金は貯まっても仕事は忙しく好きなことも出来ない。

挙げ句の果ては、にっちもさっちもいかない身体になってしまって、毎日痛みに苦しんでいる

いつ訪れるかも分からない『死』の影に恐れながらな、、、」

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「うるさい!」

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俺は久米の勝ち誇った顔を睨み付けて、カウンターを叩いた。

奥に立っているマスターが、じろりと怖い目で睨む。

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俺はマスターに軽く頭を下げると、また久米を睨みつけて口を開いた。

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「お前には人の痛みや苦しみが分からないのか?」

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久米は今度は冷ややかな笑みを浮かべながら、口を開く。

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「先生どうやら俺には、あんたら普通の人間が持っている大事な何かが完全に抜け落ちていたみたいだ。

だからこんな俺のような人間にとって法律なんてのは、全く意味のないものなんだよ」

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ここまで喋り一息つくと、最後に久米は意味深なことを言った。

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「ところで先生、あんたの二人めの嫁さんそろそろおめでたみたいだな」

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「だとしたら、なんだと言うんだ?」

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「いや今度は俺も少しは裕福な家庭に生まれてみたいなと思っただけだ

ただ何回生まれ変わっても、やることは一緒なんだがな」

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呆然とする俺を残して久米はすっと姿を消した。

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Fin

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Presented by Nekojiro

Concrete
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あの世からの客。怖すぎ。生まれてくる子供に殺人犯の魂が入り込まないように祈ります。

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