長編9
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サイコパス─悪い種子2─

この作品は、サイコパス─悪い種子─の続編です

解説欄にリンク先を貼っております。

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それは主人の七回目の法要の日のことだった。

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主人は何より仕事好きの人で、正義感の強い弁護士だった

死刑制度反対派ということもあり、最後のクライアントだった死刑囚の時も、本人が極刑を望んでいたのにもかかわらず最後まで最高裁で争った。

癌の進行がかなり進んでいたというのに痛み止めを飲みながら仕事を続け、最後はとうとう裁判所の玄関で倒れた。

それから救急搬送されたが、手術後僅か三ヶ月で帰らぬ人となってしまった。

皮肉なことにその一週間後に私は長男の正義を出産する。

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お念仏をいただき、ご住職の有難い法話を聞いた後、菩提寺の門を出た。

駅までのタクシーの中で、隣に座る7歳の正義が退屈そうに足をブラブラさせながら言った。

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「ねぇママ、さっき和尚さんが言ってた『せっしょう』って何?」

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私は着なれない喪服の肩のホコリをはらいながら、息子の質問に答える。

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「『殺生』というのは生き物を殺すことで、良くないことなんだよ」

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「ふ~ん」

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正義は気のない返事をした後、しばらく車の窓から外の景色を眺めていたが、また私の方を振り向くとこう言った。

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「ねぇ、どうして人間を殺したらいけないの?」

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あまりに唐突な質問に呆気にとられている私を尻目に、息子はさらに続けた。

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「和尚さんは生き物を殺したらいけないと言っているのに皆お魚や牛や豚や鶏とか殺して食べているんでしょ。

じゃあどうして同じ生き物なのに、人間だけは殺したらいけないの?」

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私が正義の質問に答えあぐねていると、バッグの中の携帯が鳴り出した。

慌てて取り出す。

ハキハキとした若い女性の声が耳に飛び込んできた。

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「あ、こんにちは~

正義くんの担任の中嶋です。

本日の訪問ですが予定通り三時で大丈夫ですか?」

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私はチラリと腕時計を見ると、

「はい、大丈夫だと思います」と答えた。

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私と正義は、生前に主人が購入した郊外にある二階建ての家で暮らしている。

中嶋先生は定刻に自宅にやって来た。

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今回は一学期最後の冬休み前の訪問だ。

今年の春から正義の担任になった、まだ20代の若い女性の先生だ。

クリーム色のスーツで黒髪を後ろに纏めており、客間の座卓の前に正座している姿は凛としていて、とても初々しい

目の前のお茶には手をつけず書類を見ながら早速口を開く

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「正義くんは教科全てにおいて成績が良くて、特に算数はずば抜けてます。

それとピアノを個別に習われているということもあって、素晴らしい音感も持っていると思います」

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「はあ、、、どうもありがとうございます」

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私は恐縮しながら先生の健康的な小麦色の手を見る。

先生は話を続ける。

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「前月我が校の生徒全員を対象にI Q テストを行いました

I Q の平均値は通常90から110位なんですが、正義くんは134でした。

これは同学年の中の0・01%で、我が校においても過去の記録にもなく非常に高い水準の数値です」

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「は、はい」

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「一学期は遅刻も欠席もなく、授業中の態度も大まか悪くはありませんでした。

ここまでは非の打ち所のない将来の成長が楽しみな生徒の一人なんです。

だだちょっと問題がありまして」

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「問題?」

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私は尋ねる。

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「今学期、正義くんには女子生徒と二人でウサギの飼育係をやってもらっていました。

週に3回ほど朝早めに登校して、餌をやったり飼育小屋の掃除をするものです。

初めのうちはきちんと真面目にやっていたんですが、、、

あれは6月の梅雨頃のことでした。

朝、職員室に飼育係の女子生徒が泣きながら私のところに来たのです。

どうしたの?と聞くと、ウサギさんが、ウサギさんが、と何度となく言いながら泣いているのです。

何事か?と私は急いで校舎裏の飼育小屋に走りました」

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「小屋の扉を開けた途端、私は思わず絶句しました。

ぐったりとなった五羽のウサギが、土の上に並べられているのです。

よく見ると、全て鋭利な刃物で胸を一突きされています。

小屋の奥には、右手に血の付いたナイフを握る正義くんが立っていました。

興奮した様子で大きく見開いた二つの眼をキョロキョロとさせながら」

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「私は職員室の別室に正義くんを連れていき、尋ねました

どうしてあんなことをしたの?と。

すると正義くんは真顔でこう言いました。

ウサギの生態なんて図鑑やネットを見たらすぐ分かるのに、何で毎日飼育しないといけないんですか?

意味ないですと」

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ただ唖然として聞く私を尻目に先生はさらに続ける。

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「もう一つあります。

むしろこちらの方が深刻な問題なのかもしれません。

正義くんはクラスメイトのA くんと仲が悪くて、よく喧嘩していました。

私が直接止めに入ったこともあった位です。

だいたい体格の良いA くんが小柄な正義くんを力で圧倒していたようで、それが正義くんにとってはひどくプライドが傷ついていたみたいで、かなり悔しかったようです」

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「これは一週間前の給食時間に起こったことなんですが、その日は正義くん他数名が給食当番でした。

教壇の上の配膳台に置かれたいくつかの食缶に入れられたパンやおかす、スープなどを当番である正義くんたちが、順番に他の生徒たちに配ってました。

正義くんは大きな寸胴に入った豚汁を、柄杓でお椀に入れて生徒たちに渡してました」

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「そして皆で給食を食べ始めて間もなくのことでした。

突然A くんが机の上に胃の内容物を一気に吐瀉すると、椅子から床に倒れこみ、お腹を押さえながら悶え苦しみだしたのです。

すぐ救急搬送されて何とか命は失わずに済んだのですが、容態は思わしくなくて三ヶ月ほど入院ということでした。

後から保健所の方が来られて調査したところ、その日に給食でA くんに手渡された豚汁の中に農薬が混入していたということでした。

他の生徒のものは大丈夫だったようです。

もちろん正義くんがやったとは断言は出来ませんが、周囲の状況から考えると、、、」

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私はこの話を聞いた時、去年正義が我が家で起こしたあることを思い出した。

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うちは庭で野菜とかを栽培しているんだが、お隣で飼っている猫が垣根をくぐって庭に入り込み畑を荒らしたりしていて困っていた。

ある朝、正義が興奮した様子で私のところに来ると、すぐ庭まで来てくれという。

行ってみると、ぐったりとなった猫が横たわっている。

すでに死んでいるようだった。

ぽっかり開いた口の辺りには胃の内容物が吐き出されている。

驚いて聞くと、前の晩のうちに農薬を混ぜたエサを畑の脇に置いていたんだと大きく目を見開き、さも自慢げにしゃべっていたのである。

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先生は最後正義に児童心理のカウンセリングを受けることを強く薦めますと言って、帰って行った。

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私は一人客間の座卓の前に正座して、じっと正義のことを考えていた。

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確かに物心つく頃からの正義の行動には、たまに異常なところが見られた。

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台所にゴキブリが現れたときとか殺虫剤があるというのにわざわざ虫網で捕獲し、足を全てちぎり胴体だけにして苦しむ様子をずっと観察したりしていた。

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飼っていたインコのかごの中に野良猫を閉じ込めて、インコが食われる様子を見ていたこともある。

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その日の夕食の時、私はそれとなく正義にウサギの件を聞いてみた。

返ってきた正義の言葉は驚くべきものだった。

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「飼育なんて時間の無駄だよ。

ウサギのことなんてググったら何でも分かるし」

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正面に座る私には目も合わせずに、正義はもくもくと食事をしながら事務的に言う。

私は箸をおろし、少し強めに言った。

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「ウサギにも小さいながらも命があるんだよ。

命というのは大事なんだから」

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この後正義が見下すような目で私を見ながら吐き捨てるように言った言葉は、とても信じられないものだった。

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「だったら、おばさんよお、

牛や豚や鶏なら殺していいのかよ。

ぐだぐだぬかすんだったらお前もぶっ殺すからな」

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その声と目は、間違いなく正義の声ではなかった。

それは、たまにコンビニ前にたむろしている軽薄そうな若い連中のものだった。

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私はさらに震える声でA くんの入院の件を聞いてみた。

正義はバカにしたような顔で私の顔を見ながら、こう言った。

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「ああA か、

図体だけはデカイ木偶の坊だな。

あいつは本当うざかったからな。

死ななかったのは残念だったが、

まあ、いい気味だよ」

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またあの声だ!

私は我慢出来ずに正義の片方の頬を平手打ちした。

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正義はしばらく片手で頬を押さえながら俯いていたが、すぐに物凄い形相で私の顔を睨み付けると私を食卓に残したまま、二階にある自分の部屋に行ってしまった。

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─あんなに優しくて穏やかだったのに一体どうして?

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私はしばらく食卓のテーブルに顔を埋めながら、泣いていた。

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夕飯の後、私はかつて主人が使っていた書斎にいた。

普段はほとんど入ることはないのだが、なぜだろう今日は引き寄せられるように入っていた。

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壁の前の大きな書棚には法律関係の専門書がびっしり並んでいる。

その前にあるマホガニーの机の前に座り、積み重ねられた数冊の革表紙の日記の中から一冊を手に取る。

主人は毎日、その日に起こったことを几帳面に記録していた。

癖のある角ばった字がノートを埋め尽くしている。

記載された日付からすると、恐らく最期の日記だろう。

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某月某日  

夕刻未明

天気 小雨

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事務所近くのいつものバーのカウンター席にて。

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残念ながら久米の刑は、昨日執行されたようだ。

自分の力不足を痛感している。

執行の翌日つまり今日、約束通り彼は現れた。

接見のときと同じ姿形で。

俺は驚愕した。

霊というのは、こんなにも鮮明な姿で現れるものなのか?

久米は執行の時の一部始終、そして自分は人生を面白おかしく過ごすことが出来て充実していたということを楽しそうに語っていた。

そんな時の彼の目は何時も大きく見開かれていて、キョロキョロと動き眼球は一点に定まっていない。

そこには自分の行った大罪への反省のかけらも見られなかった。

やはり彼は人間として大事な何かが欠落している、と確信する。

ただ最後に久米が言った言葉が妙に頭に残った。

もしもう一度生まれ変われるとしたら、先生の家庭のような裕福な家の子供として生まれ変わりたい。

だけどそうなったとしても、また同じような人生を歩むだろうがなと。

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私はここで一旦日記から顔を上げ、もう一度同じ箇所に目を移す。

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─だけどそうなったとしても、また同じような人生を歩むだろうが、、、

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心臓が激しくうち鳴らしだした。

顔が熱い。

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冷たい汗が頬をつたい、やがてポトリと机の上に落ちた。

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私は堪らず両手で顔を覆い、荒い呼吸の合間に呟く。

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「そんなこと、、

そんなこと絶対あるはずない!」

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久米隆二、、、

遊興費欲しさだけのために、何の落ち度もない家族4人をナイフで皆殺しにした凶悪犯罪者。

当時マスコミでもかなり取り上げられていたので、私も彼のことはある程度知っていた。

基本的には主人の仕事に関しては口を出さない私だったが、主人が久米の弁護をするということを聞いたときは、かなり反対した記憶がある。

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改めて日記のページを捲ろうとした時だった。

コトリと音がしてふと顔を上げた瞬間、ぞくりと背筋を冷たいものが突き抜けた。

開け放たれた入口ドアから見える薄暗い廊下に、誰かが立っている。

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「、、、まさよし?」

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私は目を凝らす。

だがそこに立っているのは正義の姿をしていたが、正義ではなかった。

そいつは二つの眼を大きく見開き、まるで薬物患者のようにキョロキョロと世話しなく眼球を動かしている。

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そしてその右手に握られているナイフの刃先は鈍く不気味に光っていた。

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Fin

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Presented by Nekojiro

Concrete
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@アンソニー 様
いつもコメント、怖いポチありがとうございます

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