中編5
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9月のお題怪談2作

『彼岸の客人』 

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祖父から引き継ぎ、葡萄酒工房で働いているが、毎年彼岸の時期にだけ訪れる客がいる。

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「いつも、こちらには墓参りに来られるのですか」

ある時思い切って声を掛けると、その客は少し不思議そうな顔をし、そして、あぁと納得したように微笑んだ。

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「いえ、彼岸参りではありません。むしろ、その逆と言いますか……」

少しだけ言い辛そうにはにかむ。

彼女の言葉に、私がよくわからないでいると、

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「貴方は、ディオニュソスという神を知っていますか」

と、その人は問い掛けてきた。

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「豊穣と葡萄酒の神である彼ですが、一方で酩酊の神でもあり、彼の物語では往々にしてよく人が狂う」

人にはあり得ない程大人びた声、彼女の呼吸に合わせ、店内の葡萄酒がその香りを深めている。

僅かにウェーブ掛かった黒髪は、葡萄酒のビンに囲まれて、僅かに赤紫に発光しているかのように錯覚した。

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「彼の実母セメレは疑心に狂い焼き死んだ。

育ての親であるイノとアタマスはヘラによって狂わされて死に、ディオニュソス自身も狂わされる。

その後彼は正気に戻るが、それからは彼の手によって多くの人々が狂わされている、

ある時には村の娘全員を狂わせ縊り殺し、ある時には自身を捕らえようとした王を市中の狂信者達に殺させた」

脈拍が上がる 。まるで、囚われたように、離したくても目が離せない。

澄んだ聴覚に、遠く鈴虫の声が聞こえ始めた。

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「私は、そういう狂ってしまった者達を正気に戻す役割を担っているのです。

…こういう物を使って、ね」

静かに微笑んだまま、手元に光るそれをこちらに見せる 。

それは、いつの間にか持っていた、一本のねじ巻きだった。

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「…先に述べたように、ディオニュソスは豊穣と葡萄酒の神でもあります。

私の姿が見える貴方にも、ねじ巻きを差し上げます。

頭に差して回せば、正気になれるでしょう」

「…もし、回さなければ?」

「彼岸は昼と夜とが最も等しくなる期間、この日に混じる裏の者達が表の世界に見えるでしょう」

そう言うと彼女は小さく口元を綻ばせ、それではと会釈し店を出た 。

後を追うも、既にその姿は見当たらない。

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店の外は夕暮れで、秋風に拐われた鈴虫の鳴き声は、引き伸びる影の色彩を暗く弾き落していた。

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…潰れる程にねじ巻きを握る。

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出来ないよ…

だって…私は、貴女のことが……

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彼女が人ならざる存在である事など、分かりきっていた。

彼女が歳をとる事が無い事も、私以外の誰も彼女を知覚していない事も、当然分かり切っていた。

だけど、貴女は私の…初恋の人なのだ。

ずっと、ずっと、ずっと、祖父が生きていた時からずっと……

影から私を覗く者がいようが構わない。

他の客の顔が黝く塗り潰されて見えようが構わない。

取り返しのつかぬ程に狂ってしまおうが構わない。

それでまた、貴女と逢えるのならば……

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冷たいねじ巻きを握り締めたまま、私は立ち尽くす。

夕焼と藍空の境界は、冷たい白に、紫紺の色をかき混ぜていた。

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『刹那の華』

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斉藤は拘束されていた。

右腕の手首から上腕に掛けて、無機質な矯正具が真っ直ぐに取り付けられている。

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「流石は表の世界で最強と謳われる武道家さんといったところかしら。頑丈な体ですわね、素敵ですわ」

昏く冷たいコンクリートの部屋で、少女が笑う。

「お父様にお願いした余興でしたが、正解でしたわ。一対一のデスマッチ、それに敗北した貴方は私のおもちゃ」

スクスクと笑いながら、斉藤の矯正具のネジを締める。

ギチギチと音が軋み、ぴんと伸ばされた右腕がより一層強く引っ張られる。

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「こんなにも皮膚が赤くなっていますのに、これでも声を上げないなんて素晴らしいですわ。これはどんなお花が咲くのか、楽しみですわね」

更にネジを回すと、ギチギチと鳴る音に混じりミチリ、ミチリ、と聞こえ始めた。

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「…もう直ぐですわ」

耳元で囁かれる。

小鳥のような囁きは蛇の視線より冷たく刺さる。

全身が粟立つ、冷や汗が止まらない。

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ギチ…ミチ……ギチ…ミチ……

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やがて皮膚に亀裂が走り、なおも少女がネジを締めた時、斉藤の腕は破裂した。

ゴキリと骨の外れる音がして、一気に、ミチミチと、引っ張られた皮膚が千切れて反り返る。そして一本一本の筋肉の繊維が引き千切れ、雄蕊のようにバラバラと広がった。

ハジけるように血飛沫が上がり、絶叫が響く。

斉藤の腕だったものは、紅く咲き誇る彼岸花のようだった。

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「あらあら…折角綺麗なお花が咲きましたのに、最後の最後に声を上げてしまいましたわね」

拘束の解かれた斉藤は地面に呻いた。

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「ですが、あぁ…本当に美しいですわ。刹那にのみ咲く彼岸の花。まるで花火のよう…いえ、それ以上ですわ。

…だって、花火ではこんな飛沫を浴びる事なんて、出来ませんもの」

血を纏う少女は悦に浸る。

我が身に滴る鮮血を、惚けたように指で掬い、舐め取っている。

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斉藤はよろよろと立ち上がる。

壁に背を預けて逃げようにも、その手では扉を開け逃げる事は叶わない。

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(どうせ逃げられやしないなら…、いっそ……)

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斉藤は咆哮した。

左足を軸に回転し、右の踵で刺し気味に少女の首元を狙う。

ドスッ、と渾身の一撃が少女に直撃した。

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…だが

「ニンゲンの武道家さんって、意外とお馬鹿さんなのね」

痛みに耐えながらとは言え、成人男性の首を折る程の強烈な蹴りだった。常人ならば、死んでしまう筈の…

「あの闘技場で貴方をいたぶったのが誰なのか、もう忘れてしまったのかしら?」

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直立不動のまま、紅い少女は言う。

「あの時はつい左腕をへし折ってしまったけれど、この右脚は、ちゃんとゆっくり咲かせてあげますわ」

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コンクリートの壁に、クスクスという嗤い声が響く。

睨まれた蛙のように、体が動かない。

少女の背中からは無数の触手が伸び、再び斉藤を拘束する。

カチャリと、先程まで右腕に付いていた矯正具が右脚に嵌められた。

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「さあ、貴方の右脚は、どんな花を咲かせるのでしょう」

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