この春晴れて、ろくでなしの男とようやく別れることができた
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その後しばらく実家で暮らしながら就活していたら、なんと諦めていた正社員の職を見つけることができ、しかも職場まで歩いて3分の最適なアパートも借りることができ、一人娘の莉菜と二人、新しい生活をスムーズにスタートすることができた
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こんなものだ
それまでは、あの遊び人の甲斐性なし男から散々苦しめられる毎日だったのが、別れた途端になぜだか全てがトントン拍子に進んでいった
やはり、あいつは「下げマン」ならず「下げチン」だった
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ただ新居に引っ越してから一点だけだが、心配なことがある
莉菜の様子が変なのだ
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あれほど楽しがっていた幼稚園に、なぜか急に行きたがらなくなって日がな一日中、奥の部屋で一人で遊んでいるのだ
どちらかというとアウトドア派で、みんなと外の遊具で一緒に遊ぶのが好きだったのに、朝ごはんの後はすぐ奥の狭い部屋に閉じ籠り、壁の前に座り、おままごとのようなことをずっとしている
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一度会社が休みの日の朝方、そっと部屋を覗いてみたことがある
真っ白な壁の前にタオルケットを敷いて、その上にお茶碗やら湯飲みやらを置き、正座して何か懸命に話している
あたかも目の前に誰かが座っているかのように
話の内容から、その相手はときに大人だったり、ときに同じ歳くらいの子供だったりする
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夕飯のとき、それとなく聞いてみた
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「ねぇ莉菜ちゃん、そろそろ幼稚園行こうか
真梨子先生とか実紗ちゃんとか、どうしたんだろうって、心配しているらしいよ」
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正面に座る莉菜のスプーンを持つ手が止まり、気まずそうに下を向く
私は気になっていたことを尋ねてみた
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「いつもさあ、莉菜ちゃん朝ごはん食べたら、奥の部屋に行っちゃうけど、誰か待ってるの?」
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莉菜はしばらく考えるように首を傾げてから、ゆっくり頷いた
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「へぇ、誰なんだろう?ママの知ってる人?」
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莉菜はすぐに首を横に振る
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「じゃあ、幼稚園のお友達?実紗ちゃん?」
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また首を横に振る
すると椅子からおりると、ご飯を残したまま奥の部屋に行ってしまった
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「いやぁ、私の前の女房の連れ子もそうだったですよ お宅と同じくらいの女の子だったんだけど、
とにかく一人遊びが好きでねぇ」
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そう言って、お隣の小池さんがあっけらかんと笑った
朝のゴミ捨てのときにたまに一緒になるのだが、年齢は40過ぎくらいの独り暮らしの男性だ
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「私なんかとはほとんど口もきかなかったなあ
まあ、私自身が子供を扱うのが下手だったんでしょう いや、子供だけじゃなく大人の女性の気持ちも分からなくて結果、今は寂しい一人暮らしですわ
ハハハハ、、、」
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赤ら顔をさらに赤くして高らかに笑っている
頭髪の薄いいかにも人の良さそうなおじさんで、小太りの典型的な中年体型をしている
3カ月前、何の原因か知らないが、突然、奥さんが子供を連れて出ていったということだった
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「まあ、警察には正式に行方不明の届けは出しているんですけどね、まあ、もう帰ってこんでしょう
こんな甲斐性なしのところには」
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そう言うと、また笑いながらゴミステーションの戸を閉めて、出ていった
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一度は愛し合って一緒になった連れ合いがいなくなったというのに、あんなにあっさりと他人事のように話が出来るんだろうか?
それとも、男性特有の強がり?
小池さんのところの娘さんも、一人遊びばかりしていたそうだ
最近の幼い女の子というのは、そんなものなのだろうか
いや莉菜の場合、ここに引っ越す前は外で遊ぶのが大好きな子だった
それが、、、
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その日、なぜだか私は一睡も出来なかった
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日曜日に、莉菜と一緒に買い物に出掛けた
初めは行かないと言っていたのだが、好きなもの買ってあげるよと言ったら、付いてきたのだ
車で大型のショッピングモールに行ったのだが、
結局、種類の違う女の子の人形を5つも買わされた
一つで良いでしょと言ったのだが、聞かなかったのだ
家に着くと莉菜は、人形の入った袋を抱えて一目散に奥の部屋に走り、ピタリとドアを閉めた
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その夜のことだ
翌日は仕事ということもあり、莉菜と一緒に早めに床についた
どれくらい経った頃だろう
ようやく意識が微睡みの泉に浸かろうとした頃ふと横を見ると、莉菜がいない
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─おしっこかな?
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ちょうど私もトイレに行きたかったから起き上がり、暗闇の中立ち上がった
すると例の奥の部屋から、ひそひそと話声が聞こえてくる
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─莉菜の声だ
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誰かと会話しているような、そんな感じだった
私は静かに歩いて、音をたてないようにドアを細めに開いて、中を覗いてみた
瞬間、背中の中心を冷たい何かが走った
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開け放たれたカーテンから差し込む月の光にうっすら照らされて、ピンクのパジャマ姿の莉菜が壁の前に正座している
膝の前には、今日買った人形が5つきれいに並べられている
ただそれらは普通ではなかった
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全て首が無いのだ
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莉菜はその中の一つを持つと、まるで目の前の誰かに渡すように、両手で差し出す
すると信じられないのだが、壁から白く細い子供の手が二本ニョッキリ伸びてきて、その人形を受けとるのだ
そしてあたかも品定めするかのようにしばらく触ると、ポトリと下に落とした
するとまた、莉菜は新しい人形を手渡す
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思わずドアを開けると、ドア横のスイッチを押した
パッと部屋は隅々まで明るくなる
見ると、さっきの白い手は消えていて、莉菜は壁の前で呆けたようにぼんやりとしていた
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「莉菜ちゃん!莉菜ちゃん!」
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私の必死の問いかけに、莉菜はまるで夢遊病者のような焦点の定まらない目で、
「美優ちゃんがかわいそう、美優ちゃんがかわいそう」と、何度も呟いていた
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それからちょうど一週間が過ぎた日曜日のこと
近くまで買い物に行こうと玄関の戸を開けると、
何だか外が騒がしい
見ると、お隣の小池さんの室の前に数人の制服姿の警官が立っており、玄関のドアが開け放たれている
しばらくすると、スエット姿の小池さんが、グレーのスーツを着た中年の男に付き添われて、現れた
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「こ、小池さん?」
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思わず声をかけると、小池さんはいつもの優しい笑顔ではなく濁った目でこちらを睨みつけ、私の前をふてぶてしく通りすぎていった
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これは後で分かったことで、小池さんの前の奥さんと娘さんは行方不明ということになっていたのだが、その失踪したという前後で防犯カメラにも映っておらず状況がおかしいと警察で内偵捜査を進めていたそうだ
最終的に今朝、小池さんの室内を家宅捜査してみたら、奥の部屋の押し入れからクーラーボックスに入った切断された母子の首が見つかったそうだ
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その押し入れの壁一つ隔てた向こう側が、私の室のあの部屋だった
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その日から莉菜が奥の部屋で遊ぶことはなくなった
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Fin
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Presented by Nekojiro
作者ねこじろう
悪夢 ひとりあそび番外編も、どうぞ
https://kowabana.jp/stories/33847