『御桜山には呪いの神様が祀られている神社がある。その神様の名前は呪噛様と言って、絵馬に呪いたい人の名前を書き、呪噛様の力を高める儀式さえすれば呪ってくれる。』
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藤野透が通っている御桜中学校には密かに流れている噂がある。それが「呪噛様」だ。
透は勉強で忙しいため、根も葉もあるのかどうかすら怪しい噂など気にしている暇がなかった。だからその噂の存在自体は気づいていたが、内容までは知らなかった。
(呪噛様か…。)
透は今日、はじめてその噂の内容を知った。誰かが教えてくれたわけではない。透の席のすぐそばで、クラスメートが「呪噛様」について話していたのだ。
(本当にいるのかな…?)
透は素晴らしい優等生だった。テストで95点以上は当たり前、運動も完璧に出来る。この調子だと市内で一番偏差値の高い高校にも行けるだろうと太鼓判もおされている。そして、透はそんな素晴らしい自分を誇らしく思っていた。
その為、透にとっては何の役にも立たず下らないものでしかない噂などすぐに忘れるのだが、「呪噛様」だけは妙に透の心に残った。
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放課後。雲ひとつない澄んだ青空の下、透は御桜山を登っていた。「呪噛様」が祀られているという神社に行くためだ。赤や黄に元々の色だった緑が混ざっている、紅葉真っ最中の美しい木達に囲まれた細い道をひたすら歩く。
(どうして俺は「呪噛様」のことがこんなに気になるのだろう…。あるかどうかすら分からない神社にいこうとしているのだろう…。)
透の頭の中で様々な疑問と不思議が渦巻く。
そのうちに道は途切れ、山はどんどん険しくなっていく。青かった空もいつの間にか赤色に染まっていた。それに気づいた途端、透は急に怖くなった。心臓が速くなる。早く引き返さないと駄目だと感じ始めた。本能が告げている。このままここにいたら……
不意に透は目の前に、不自然なほど朱い鳥居があることに気づいた。額束に「名……神社」と書かれている。
(名……よく見えない。鳥居は新しそうなのに額束だけやたら汚れている…。とりあえず「呪噛様」が祀られている神社というのはここなんだろうな。噂は嘘じゃなかった…。)
しばらく鳥居をどこかうっとりとした表情で眺めた後、透は一礼して鳥居の中へ入った。
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本殿らしき建物は異様に朽ちていた。半分ほど倒壊している上に穴も至るところに空いている。最早、建物と言って良いかすら怪しい。
「こんにちは。」
突然、背後から声が聞こえた。透の口から無意識に「うわっ!」と声が出る。恐る恐る後ろを向くと、そこには白髪混じりの黒髪に優しげな顔立ちをした40歳ぐらいの男性が立っていた。透は男性をまじまじと眺めながら「こんにちは…。」と挨拶を返す。
(え~と…服装的にこの神社の宮司さんかな?)
男性は平安時代の人がタイムスリップしてきたような服装をしていた。透はひとまずこの男性を宮司ということにした。
「呪いに来たのですか。」
「ち、違いますっ!」
およそ笑顔で言うべきでないことを宮司は優しく微笑みながら言ったため、透は裏返った声を出してしまった。恥ずかしさで顔が赤くなる。
「俺は……何というか噂を確かめに来ただけです。」
「そうですか。絵馬、見ます?」
「えま…?あ、絵馬のことか…。いいえ、結構です…。呪いのことしかきっと書いていないでしょう?そんなもの見たくありません…。」
透は何故、宮司がそんなことを聞くのか分からなかった。普通の神社の絵馬ならともかく呪いの神社の絵馬をだ。そんな恐ろしそうなものを見たい人などいるのだろうか。透がそう考えていると宮司は
「貴方の名前があるのですよ。藤野透さん。」
おかしなほど優しい声で、優しい微笑みを浮かべながらそう言った。透は一気に背中が冷えるのを感じた。どういうことだと聞こうとしたが、明瞭とした声がでない。宮司は呆然と立ち尽くしている透の横を通りすぎていった。
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宮司が立ち去ってから1分程たった頃、透は徐々に意識を現実に取り戻していた。
(何であの宮司は俺の名前を知っていた…?いや、それよりも俺の名前が絵馬に書かれていただって?何で?俺、誰かに呪われるようなことした…?頭がおかしくなりそうだ。)
透は頭を抱える。何がなんだか全く分からない。理解不能だ。透はまとまらない思考を無理矢理締め付けて結論を出した。
(絵馬を見に行こう…。確認だ…。本当に俺の名前が書かれているかどうか見るんだ…。)
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(ここか…。)
神社の中を歩き回り、絵馬が飾られている場所を見つけた透は自分の名前が書かれている絵馬を探す。それは一番上にあった。
(……あ…あった……そんな…。)
『藤野透を呪ってください。 名……神社』
これも「名」以降はそこだけ不自然に汚れていて、上手く読むことができなかった。だが、透はそんなことより自分のことを書いた絵馬があったことに戦慄した。すると今度はいつ、自分に呪いが降りかかるのだろうという気持ちが沸き上がった。
(明日か?今日か?それとも数分後…?)
透はこの神社にいたら、今すぐに呪いが来そうな気がして神社を出ようと駆け出した。
鳥居を出る直前、背後から「さようなら。」という宮司の声が聞こえたような気がした。
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透は部屋の鍵をかけて、布団の中へ潜り込む。こんなことをしても呪いは防げる訳でないということは透には十分分かっていた。だが、これ以外に思い付くことなど何もなかった。透はただひたすらぎゅっと目を瞑り布団を握りしめる。
「…いだっ!」
いつの間にか眠っていたらしい。腕に走った鋭い痛みで目を覚ました透は、腕を見て目を見張る。
(何これ……?傷がある…。何かに噛みつかれたみたいな…。)
「痛っ!?」
さっきよりも鋭い痛みが今度は顔に加わった。ぬるりと血が垂れてくる。透はようやく気づいた。
(「呪噛様」だ…。これが「呪噛様」の呪いなんだ…。「呪噛様」が俺を呪いに来たんだ!)
しかし気づいたところで透に出来ることは何もない。呪噛様の攻撃が激しくなる。
「いだいよっ!嫌だ…!!俺が何をしたって言うんだ…?やめて……ああぁああ!!!ぎゃああああああああああ!!!!」
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とある晴れた日の朝。
「藤野くん、入院したんだって。」
透のクラスメートの一人の少女が透の席を見ながら言う。
「何か精神が崩壊したらしいよ…。何もないのに痛い、やめてってずっと叫んでいるって…。怖いね…。」
「う、うん…。」
もう一人の少女が頷く。その顔はまっ青で、手は汗でびっしょりだ。話を始めた方の少女がそれに気づく。
「ねえ、どうしたの?顔、真っ青だよ?大丈夫?」
「…大丈夫。」
「ふーん…。無理しない方がいいと思うよ。もうすぐテストあるんだから…。」
「…うん。」
真っ青な顔が微かに笑った。
作者りも