閲覧注意
これを読んで死に対する渇望が湧き出たとしても責任は一切とれません。精神が不安定になりやすい方は読むのをやめることを強くお勧めします。
nextpage
1977年6月。3人の親子が屋上から飛び降り自殺。それを皮切りに、居住者の飛び降り自殺が多発し、やがて新聞にも大々的に報道され、他から自殺をしにくる人が多数確認される。3年間で死者133名。
瞬く間に社会問題となり、行政は廊下と屋上に柵を設置、お祓いなども試みたが、今度は室内で首吊り自殺が大量に発生した。
nextpage
これは屋上から自殺を試みたが、異変を察知した近隣住民によって一命を取り留めたTさんのお話である。彼は警察によって保護された直後、涙で顔をグシャグシャにしながら、まるで駄々をこねる子供のように、死なせてくれと警察官に頼み込んだという。
Tさんはその後近隣の病院に搬送されたが、トイレに行きたいと席を離れた隙に、個室で首を吊って亡くなった。
そして個室にはTさんのと思われる遺書のようなものが見つかった。
nextpage
「はやくしないと じめんから わいてでる」
遺体を発見した警察官は、首を吊っているのにも関わらず、Tさんは笑顔だったと供述している。
Tさんのみならず、地面から何かが湧いて出ると遺書らしき物?に綴った自殺者は20人ほどいたという。
地面から沸いてでる、という表現から、彼らを死に追いやる「なにか」が、地面からボコボコと次々に出てきたということだろう。
nextpage
しかしここで1つ矛盾が生じる。
地面から沸く「なにか」から逃げていたのであれば、なぜ彼らは屋上から地上に落ちる飛び降り自殺を選んだのだろうか。
首を吊って宙ぶらりんになる死に方では、沸いて出る何かから逃れるという筋は通るが、飛び降りでは最終的に地上に落下することになり、死ぬまでの一瞬は地上で過ごすことになる。
nextpage
とすると残る可能性は1つだ。
彼らは沸いて出る何かを怖がってなどいなかった。むしろそれに向かって勢いよく飛びついた、という表現がしっくりくるだろう。
死を急がせる何か、それが高島平団地の下にはある。それは一体なんなのだろうか。
自殺というとても胆力のいる行為をいとも簡単にできてしまう何か。
生きている時には見出せなかった幸せを、叶えてくれる何か。
そして選ばれた133人はその何かを手にしたのだろう。
nextpage
生きているだけでは手に入らない
nextpage
死すら惜しまない
nextpage
子供のようにはしゃぎながらエレベーターに乗り、屋上から飛び降りる。
nextpage
屋上が封鎖されたら今度はその下の階から飛び降りる。
nextpage
鉄格子がついたら首を吊ってまで、死に急いだ。
nextpage
ああ見える。
nextpage
彼らが地面に叩きつけられ、首の骨が折れる寸前に溢れる笑みが。
nextpage
私も、欲しい、その何かが。
作者ぎんやみ